2018年12月28日金曜日

キューバ文学史

キューバ文学史は、最近では以下の3巻本が便利である。

Instituto de Literatura y Lingüística, Historia de la literatura cubana, Tomo I, II, III, Letrac Cubanas, 2002, 2003, 2008.

第1巻は「植民地期:起源から1898年」。表紙の絵はエステーバン・シャルトランの「夜明け」。



第2巻は「1898年から1958年。共和国期」。表紙はレネ・ポルトカレーロの「セーロの内部」。この絵は1943年に描かれた。



第3巻は「1959年から〇〇年まで」。さて何年までだろう?


ご覧の通り、「革命期(1959-1988)」。そして1989年から1999年までの文学も補遺として掲載。

表紙の絵はセルバンド・カブレラ・モレーノの「農民兵」(1961)。

2018年12月19日水曜日

キュアロン&セルジオ

アルフォンソ・キュアロン監督のメキシコ映画『ローマ(Roma)』をみた。

1970年代初頭のメキシコシティ、ローマ地区(Colonia Roma)に暮らす中流階級の上の方(Clase media alta、アッパーミドル)に属する家族の物語。

キュアロン監督は1961年生まれなので、彼が10歳くらいのときの、かなり自伝的で、当時の地区の雰囲気を再現したものなのだろう。

大きな屋敷で、大きな車があって、家族も大きくて(3世代)、父は留守で(場合によっては家を出ていて)、住み込みの使用人がいる。メキシコシティに住んだ経験のある人なら、こういう家は結構想像がつくのではないか。

ストーリーには、この映画を賞賛しているエレナ・ポニアトウスカの短篇「El limbo」(『De noche vienes』所収)と少々似通ったところがある。使用人の女性が妊娠してしまったのを、彼女を雇っている家族が助けようとするというエピソードだ。

その後、エルネスト・ダラーナス監督のキューバ映画『セルジオ&セルゲイ 宇宙からハロー!』をみた。

こちらの方は1991年のハバナ、セントロ・ハバナ地区に暮らす家族と、宇宙ステーションにいるロシア人の話。

ダラーナス監督はキュアロン監督と同じ年に生まれ、1990年代の経済危機の頃は30代だった。監督によれば、その時の思い出はむしろ素晴らしかったとのことで(映画パンフレットに載っていたインタビュー)、だからファンタジーとして描くことができたのだろう。

いかだを作ったり、密造酒を作ったりして、なんとか切り抜けたキューバ人たちが出てくるが、こういうエピソードは多くの作家がいろんな小説で描いている。

主人公はアマチュア無線を趣味として、マルクス主義を教える大学の先生で、大学のシーンも多々出てくる。撮影場所として使われたのは国立芸術学校(ENA)だろう。

映画についての辛口の批判は例えばこちら

2018年12月15日土曜日

近況

『チリの闘い』上映会が無事に終了した。

このイベントのために使った本を二冊。


上の本は、第1部「ブルジョアジーの叛乱」と第2部「クーデター」の脚本をメインとして、序文を寄せたのがマルタ・ハーネッカー、フリオ・ガルシア・エスピノサ。

そのほかパトリシオ・グスマンがクリス・マルケルに送った手紙、またその返信など。
1972年12月のこのクリス・マルケルの返事はただ一言。

「Haré lo que pueda.(できることをする)」

書誌情報は以下の通り。

Patricio Guzmán, La Batalla de Chile: la lucha de un pueblo sin armas, libros Hiperión, Editorial Ayuso, Madrid, 1977.

下の本は、パトリシオ・グスマン研究書。

Jorge Ruffinelli, Patricio Guzmán, Cátedra/Filmoteca Española, Madrid, 2001.


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2018年11月23日金曜日

レコードで聴く革命

「カサ・デ・ラス・アメリカス」は革命20年の時にレコードを出した。

LP2枚組で、様々な作家が自作の詩やエッセイを朗読している。

Disco I.

Escrito en el año 2000 (fragmento) / Pablo Neruda
Cuba 65 / Jaime Sabines
Cuba-Angola / Jan Carew
Décima de decimero / Aquiles Nazoa
La vida cotidiana en Cuba durante el bloqueo (fragmento) / Gabriel García Márquez
Testimonio / Benjamín Carribon
Don Quichotte / Paul Laraque
La marcha / Roque Dalton

Disco II.

Revolución, guerra de Reconquista / Alejo Carpentier
Declaración pública de amor / Thiago de Mello
Vengan a ver / Alfredo Gravina
Fidel ; Habana revisited / Juan Gelman
Tengo ; La sangre numerosa ; Responde tú ... ; Se acabó / Nicolás Guellén
Hotel El Colony / Efraían Huerta
Este enseñó que la revolución se hace hacibendola / Luis Vidales
El vigía / Alejandro Romualdo
Habanera /Alfonso Chase

ジャケットはこれ。



レコード盤には、「エグレム・レコード制作」とある。キューバの国営レコード会社だ。



2018年11月16日金曜日

フリーダ・カーロ展&ドイツ語で読む『エプタメロン』

この夏、ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館でフリーダ・カーロ展を見てきた。

その時のカタログがこれ。



Claire Wilcox & Circe Henestrosa, Frida Kahlo: Making her self up, V&A Publishing, 2018.

彼女の絵画だけでなく、彼女が身につけていた衣装や装身具、コルセット、薬、糸、その他小物類などが並べられていた。

メキシコシティの彼女の『青い家』の衣装箱(?)が開けられたのが2004年だか2005年。

そこには数百の小物、6000枚の写真、12000の文書などが入っていて、それを全て分類して、ようやく今回の展覧会が催されたということらしい。

ただ展示場はスペースが狭くて、ちょっともったいない印象。もっと広いところで見たかった。ドレスはきちんと見ることができたが、そのほかの小物はゆっくり眺めることもできず。

El Paísのこの記事などが参考情報。

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 フリーダ展を見たのももう数ヶ月前の夏の思い出だが、『君の名前で僕を呼んで』は夏の思い出映画である。

その意味では『悲しみに、こんにちは』とか『海辺のポーリーヌ』と重なるといえば重なる。

全く前後関係を抜きに素晴らしかったシーンをあげると、母が夫と息子(エリオ)をそばに寄せて『エプタメロン』を朗読するところがあって、そこだけは忘れたくない。

真夏の停電の夜、家族が過ごしている別荘には『エプタメロン』のオリジナルのフランス語版がなく、仕方ないわねえ、と言いながら、母親はドイツ語で朗読し、それを夫と息子のために英語に翻訳していく。

考古学者である父が教える大学院生オリヴァー(24歳)に惹かれているエリオ、17歳。この思いをどうしたものだろう。エリオは、母に寄り添って聞くとはなしに聞いている。

いつしか母の朗読する内容は、エリオの内面の恋の感情と重なってくる。「おや、この話、僕の話と似てるじゃないの」

しかもドイツ語から英語に翻訳する時に一瞬の間が必然的に生じ、その静けさがうまい具合に、エリオにも、そして見ている我々にも、なにがしか考える隙間を与えてくれるのだ。

1983年に17歳だったエリオは今、50歳を超えている。一体その後どんな人生を歩んだのだろう(映画はフィクションだけれども)。

2018年10月28日日曜日

ロラ・アリアス『記憶の地雷原』

京都国際舞台芸術祭2018にアルゼンチンの劇作家ロラ・アリアスの作品が来た。

今回の作品は『Minefieldーー記憶の地雷原』という。
 
5年前の『憂鬱とデモ』(やはり京都にきた)という作品は、自身と母親との関係を語るある意味オートフィクションで、自身も出演し、歌も歌い、映像を通じて母親も登場させていた。

そして今回は、フォークランド紛争/マルビーナス戦争を題材にとった。

実際の戦争帰還兵6名が出演するという衝撃的な作品である。

アルゼンチンから3名、そしてイギリスから3名、1982年に実際に島に赴いた人たちが、自らの経験を語りながら、ドラマは進む。

当時の音声、映像、雑誌などを通じて示される戦争の実態と、その時にいた彼らの立場、そしてそれを振り返る今の「彼ら」。

当事者本人が出演するというのでは、イーストウッドの映画『15時17分、パリ行き』と同じだが、30年以上を経て、当時の構図では敵と味方を対面させていることに、驚きを感じざるを得なかった。

5年前と今回の作品で、字幕を日本語にする機会に恵まれ、今回は、カンパニーの人たちと、たとえ短時間でも間近で過ごすことができた。

製作の間、ロラと出演者たちでは激しいやりとりがあったらしい。それはそうだろう。出来上がった作品は出演した彼らにとって、一種のセラピーとしても機能してはいる。

でも笑いもある。今回は初日に見たが、適度に観客から笑いが出ていて、それが良かったように思う。

これまで世界各国で100回以上上演し、日本の後は、再びヨーロッパ、来年はアメリカにも行くそうだ。

出演者はプロの役者ではないから、それぞれ仕事がある。それをほっぽり出して世界を回っている。

ロラ・アリアスにはぜひこの作品のプロダクション・ノートを書いて欲しいなあ。


2018年10月13日土曜日

近況

あまりにもやることがたくさんありすぎて、メモを残す間もなく時間が過ぎてしまう。

この前、星野智幸さんが谷崎賞の授賞式と祝賀会に声をかけてくださったので、行ってきた。

四半世紀前に一緒にメキシコで一時期を過ごした友人が勢ぞろいして、こういうことを言っていいかわからないけれども、ちょっとした同窓会のようでもある。

谷崎賞といえば、大江健三郎の『万延元年のフットボール』が受賞作だが、確かこの本、メキシコで星野さんら、当時メキシコにいた何人かと共有して読んだような気がする。

受賞の言葉は「中央公論」2018年11月号に、選評とともに載っているが、当日はそれをベースに喫緊の話題について話していた。

詳しくは朝日新聞のこの記事にあるのだが、この中にある、文学における言葉の毒と薬の話を聞いていて、おや、これはそういえば、1年半前に東京外大で講演をしてもらった時に言っていた話だなと思い出した。

講演会の時にとったノートを探し出してみると、その時星野さんは、ドストエフスキーの『罪と罰』などに触れながら、言葉には毒があることを意識しながら薬に変えていくのだ、文学は言葉の暴力性を薬に変えるのだ、と言っている。

今後もこの毒と薬の話は星野さんの文学観の中心になっていくと思う。

星野さん、谷崎賞、おめでとう!

2018年9月19日水曜日

ヨーロッパで書かれたラテンアメリカ文学

前のエントリーにも書いたエステル・アンドラディさんが編んだ短篇集がある。

Esther Andradi(ed.), Vivir en otra lengua, Alcalá Grupo Editorial, Alcalá la Real, 2010.



ヨーロッパのどこかにいるラテンアメリカ作家14名がスペイン語で書いた作品を集めたもの。「外地」のラテンアメリカ文学である。

エステルさんは著者の経歴を詳しく書いてくださっていて、出身地とヨーロッパの居住地をまず示している。細かい情報だが、参考までに書き写しておこう。

オマール・サアベドラ・サンティス(Omar Saavedra Santis, 1944)はチリはバルパライソからベルリンへ。

エレーナ・アラウホ(Helena Araújo, 1939)はボゴタからローザンヌ。

ラミーロ・オビエド(Ramiro Oviedo, 1952)はエクアドルからフランス(ブローヌ=シュル=メール)。

アナ・ルイサ・バルデス(Ana Luisa Valdés, 1953)はウルグアイのモンテビデオからスウェーデンのストックホルム。

ビクトル・モントーヤ(Víctor Montoya, 1958)はボリビアからストックホルム。

ダビー・エルナンデス(David Hernández, 1955)はエルサルバドルからドイツはハノーバー。

テレサ・ルイス・ロサス(Teresa Ruiz Rosas, 1956)はペルー出身。ドイツはケルン。

ロサルバ・カンプラ(Rosalba Campra)はアルゼンチンのヘスス・マリアからローマ。

ルイス・プリード・リッテル(Luis Pulido Ritter, 1961)はパナマからベルリン。

レオナルド・ロッシエリョ(Leonardo Rossiello, 1953)はモンテビデオからウプサラ。

ルイス・ファヤー(Luis Fayad, 1945)はボゴタからベルリン。

ルイサ・フトランスキ(Luisa Futoransky, 1939)はブエノスアイレスからパリ。

アドリアナ・ディアス・エンシソ(Adriana Díaz Enciso, 1964)はメキシコのグアダラハラからロンドン。

最後がエステル・アンドラディ(Esther Andradi)。アルゼンチンからドイツ。

もちろん、上の中にはスペイン語以外でも作品を書いている人もいる。

序文の中で、エステルさんはルベン・ダリーオの一節を引いている。

「我々[ラテンアメリカ人]はパリに住んでいる。しかしパリは我々を知らない。」

2018年9月9日日曜日

変わり続けるベルリンの記録

アルゼンチン出身のエステル・アンドラディ(Esher Andradi)は、1983年にベルリンに渡った。1995年にアルゼンチンに戻りブエノスアイレスにいたが、2002年から再びベルリンに住んでいる。

エステルさんはドイツに来たばかりの時、ラテンアメリカ文学の研究を志し、エレナ・ポニアトウスカについて博士論文を書いた。

指導してくれたのはアレハンドロ・ロサーダ、アルゼンチン出身でベルリン自由大学のラテンアメリカ研究講座を担当していた。しかしその彼は1985年、ハバナの飛行機事故で亡くなってしまう。

その後エステルさんは研究ではなく、創作作家の道に進んだ。雑誌や新聞に記事やクロニカを書いたり、ラジオ向けの台本や小説、詩も書いている。

その彼女が2015年に出した本が以下のもの。

Esther Andradi, Mi Berlín: Crónicas de una ciudad mutante, La Mirada Malva, Granada, 2015.


ベルリンの壁があった時代、崩壊、その直後、そしてごく最近(21世紀)の4部に分かれ、彼女がこの4期にわたって書き継いで来た「記録(クロニカ)」の集成である。

2006年の新しいベルリン中央駅の開業を題材にとった劇作品『我ら、中央駅の子どもたち』(『クリスチーネ・F』を参照している)についての解説は、その近くに滞在した者にとってとても魅力的だ。

10年近く前の2009年に書かれ、メキシコの「ラ・ホルナーダ」紙に載った「Berlín mestizo(混血のベルリン)」はとても短いが、以下のようなベーシックな情報に満ちている。

ベルリンには50万人の外国人が暮らしている。それは人口の13パーセント以上である。2007年の統計では18歳以下の若者の40パーセントが別の国を出身とする両親を持っている。チリ人の亡命者は東側に暮らし、70年代には東ベルリンで最も大きなラテンアメリカコミュニティを形成していた。二番目に大きなラテンコミュニティはキューバ系である。西ベルリンにはブラジル、アルゼンチン、ペルーなどからの移住者が暮らした。現在およそ3万人がスペイン語を話す。

スペイン語人口には諸説あって、2018年のベルリンでは15万人とも20万人とも言われている。

この作家についてはまだ興味深い作品があるので、また別の機会に。

2018年9月6日木曜日

ベルリンのスペイン語文芸誌(2)

ベルリンで出ているもう一つのスペイン語文芸誌は以下の「alba(アルバ)」。版元のリンクはこちら


 
この第10号はメキシコ特集。

ユーリ・エレーラ(Yuri Herrera)とかイグナシオ・パディーリャ(Ignacio Padilla)とか、インタビューではグアダルーペ・ネッテル(Guadalupe Nettel)。

それに『巣窟の祭典』のフアン・パブロ・ビジャロボスも。

最初に雑誌を手にしたとき、機内誌なのかと思った。大きな版型で、紙面はドイツ語とのバイリンガルだったからだ。

大使館やその他大きな機関が援助しなければこれほど上質の紙を使ってはできないだろう。

前のエントリーで紹介した個人が作る小商いの雑誌とは対極的である。

巻頭はユーリ・エレーラの原稿だが、2016年にアンナ・ゼーガース賞を受賞したときの講演である。なるほど、と思って表紙を見たら、アンナ・ゼーガースの文章がスペイン語に翻訳されていたりする。

ドイツ語とスペイン語(文化)の架け橋としての雑誌である。

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ザクセン州のケムニッツで8月に反移民・極右のデモが起きたが、デモのきっかけになったのは、キューバ系ドイツ人が殺害されたことにある。DWスペイン語版の記事はこちら

2018年9月1日土曜日

ベルリンのスペイン語文芸誌

ベルリン発のスペイン語の文芸誌がいったい幾つあるかはわからないが、少なくとも2種類が手元に届いた。

そのうちの一つは「Madera」という雑誌。現在第4号まで出ている。一応隔月刊で、次は9月に出るらしい。

編集者はベルリン在住のカタルーニャ人オリベール。彼が原稿を集めて編集して、印刷も製本もすべて手作りだという。


第4号の特集は「私(Yo)」で、100人の書き手(ベルリン在住者もいればそうでない人もいる)が1ページから2ページほどのエッセイや小説を書いている。すべて、一人称単数の視点だ。

原稿の募集をしたところ、数百篇が届き、そこから厳選したのだそうだ。

オリベールさんは本も出している。

Mara Mahía y Oliver Besnier, Amenaza, Cuadernos Heimat, 2018.


スペイン出身のマイーアさんとの共同制作の小説。

ボラーニョはベルリンの若者たちにとってのヒーローだ。 そういえば、イグナシオ・エチェバリアもつい先日、この街にいたらしい。

憧れの存在ボラーニョ。編集部のInstagramを見るとよくわかる。

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とはいえ、ベルリンには大切な用事があった。

それはこれまでコレクションしていたキューバの文芸誌「Casa de las Américas」のうち、欠けていたバックナンバーのいくつかを閲覧することだった。

場所はイベロアメリカ研究所。アルゼンチンやスペインの研究者からその存在を聞いていて、初めて足を運んだが、確かに素晴らしい。 所蔵書類の豊かさでは、例えばプリンストン大学にはかなわないけれども、ここで数ヶ月過ごすことができたら何かしらの成果をあげられるに違いない。

2018年8月31日金曜日

ベルリンのアルゼンチン小説

ホセ・ルイス・ピッシさんの小説には「ベルリンのアルゼンチン小説」という副題がついている。

José Luis Pizzi, Leidis, Ij jabe Junga: Una novela argentina en Berlín, Abrazos, Córdoba, 2018.

すでに第二版。



彼はかつてアルゼンチンで弁護士業を営んでいた。特にセクシャル・マイノリティーの人権問題では大きな仕事を成し遂げた。

その後21世紀に入り、まずマドリードへ、そして今はベルリンに住んでいる。

ベルリンでも弁護士業を続けていたこともあったようだが、今は文化イベントの企画や執筆に専念している。

多和田葉子さんの「うろこもち」のスペイン語版『Escamígera』の出版イベントにも関わっていらっしゃる。

彼の小説のタイトルは日本語に訳せば、『レイディス、お腹が空いたよ』である。

「Ij jabe Junga」をスペイン語圏の人がそのまま音読すれば、「イッヒ・ハベ・フンガ」となって、それはドイツ語で「お腹が空いた」という意味になるらしいのだが、それでいいでしょうか?

この本が彼の3作目で、現在次の作品を準備中である。

[ ベルリンのスペイン語文学についてはまだ続く。]

2018年8月30日木曜日

ベルリンのラテンアメリカ文学

マリア・ネグロニ(María Negroni、1951-)はアルゼンチン出身の詩人・小説家・翻訳家。

彼女の作品に『ベルリンの間奏曲』というのがある。

María Negroni, Interludio en Berlín, Pre-Textos, Valencia, 2014.


表紙の門はベルリンのブランデンブルク門。

(おそらく)ベルリンの夏から秋にかけての滞在を元にして書かれた10行くらいの断章。全部で40数篇。

続いて、コスタリカの詩人ルイス・チャベス(Luis Chaves, 1969-)。

Luis Chaves, Vamos a tocar el agua, los tres editores, Santo Domingo de Heredia,  2017.


著者は2015年1月から1年間、ドイツ学術交流会(DAAD)の奨学金でベルリンに滞在した。

妻、9歳と4歳の娘を連れてカリブから真冬のヨーロッパへ。

この本はその時の滞在記。アラン・パウルスの書評はこちら

2018年8月19日日曜日

アルゼンチンから届いた本

アルゼンチンの友人から本が届いた。

Laura Ramos, Infernales: La hermandad Brontë: Charlotte, Emily, Anne y Branwell Taurus, Buenos Aires, 2018.



ブロンテ姉妹、いや、ブランウェルを含めているのでブロンテ「きょうだい」と、彼女ら彼らが残した作品についての本。

ブロンテ物語にして事典。家系図、地図、文献リストなどもついた研究書である。

作者のラウラ・ラモスは何年か前、日本の大学、府中にある外国語大学で一度だけ授業をしたことがある。

男女が「自然に」分かれて座っていること、寝ている学生がいたことに驚きながらも楽しそうだった。

そのとき話したのは、サルミエントの発案で19世紀のアルゼンチンにボストンからやって来た女性の先生たち(日本の御雇外国人と少し似ている)の「冒険譚」だった。

当時ラウラがアルゼンチンの日刊紙に連載していた内容をもとにしたもので、もともと授業でもその連載を読んでいた。

ホーレス・マン、ピーボディ姉妹、ホーソーン、ソロー、超絶主義者、『若草物語』……

サルミエントがアルゼンチンに持ち込もうとした教育理念の背景にはこんな固有名詞が並んでいる。

そちらの連載が本になったのかどうかはわからないが、ほぼ同時代のイギリスの一家の方は400ページを超える大著となった。

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最近、訳あってフォークランド紛争(マルビーナス戦争)について調べている。日本語では防衛研究所というところが出しているこんな資料が読める。

このような戦史研究が行われている背景は序文を読むとよくわかって、要するに日本も領土問題があるからだ。

この資料、軍事関係の固有名詞を日本語にするときには参考になるが、英語文献に依拠して書かれ、三浦瑠麗氏の本は参照するけれど、スペイン語の参照文献はゼロ。

2018年8月18日土曜日

キューバ文学、新しいものと古いもの

古い方から。

Lino Novás Calvo, El negrero, Tusquets, Barcelona, 2011.


フォークナーのスペイン語翻訳者としても知られるリノ・ノバス・カルボ(1903-1983)の小説。

奴隷商人ペドロ・ブランコ・フェルナンデス・デ・トラバの人生を小説にしたもの。初版は1933年。このトゥスケッツ版はアビリオ・エステベスの序文付き。

巻末に作者による参考資料と年譜が付いている。年譜は黒人奴隷制度に関するもので、1886年がキューバの奴隷制度廃止年。ブラジルが廃止したのは1888年。

続いて新しい方。

Julián Martínez Gómez, El amante alemán, Dos bigotes, 2017.


作者は1985年ハバナ生まれで、これが最初の長篇小説。

冷戦時代と21世紀とをつなぐキューバ人の恋愛。

ハバナやベルリンやマドリードでの物語が断章として並べられる。ドイツ語の歌や古いベルリンの写真もまた断章の一部である。

2018年8月13日月曜日

テスティモニオ論(John Beverly)

テスティモニオを論じた本。

原著は英語で、そのスペイン語版も届いたが、内容は微妙に違う。

まずは英語版。

John Beverley, Testimonio: On the Politics of Truth, University of Minnesota Press, Minneapolis-London, 2004. 


目次は以下のとおり
  • Introduction : testimony and empire
  • The margin at the center : on testimonio
  • "Through all things modern" : second thoughts on testimonio
  • The real thing
  • What happens when the subaltern speaks : Rigoberta Menchú, multiculturalism, and the presumption of equal worth.

以下が、この本のスペイン語版。

John Beverley, Testimonio: sobre la política de la verdad, traducción de Irene Fenoglio y Rodrigo Mier, Bonilla Artigas, México D.F., 2010.



目次は以下のとおり。

 ・El margen al centro: sobre el testimonio(1989)
 ・"Por medio de cosas modernas": Reconsideraciones sobre el testimonio(1991)
 ・Lo Real(The Real Thing)(1996)
 ・"¿Qué pasa cuando habla el subalterno?: Rigoberta Menchú, el multiculturalismo y la "presúnción de valor igual"(2001)
 ・Testimonio e imperio(2004)
 ・La crítica del testimonio y el giro neoconservador(sobre un libro de Beatriz Sarlo)(2009)


 順序が入れ替わっている。タイトルからして興味をそそられる「テスティモニオと帝国」が英語版では序論として置かれていたが、スペイン語版では五番目の章。

 それから、最後の論文はスペイン語版の方にしかない。

 というわけで、「テスティモニオと帝国」から読むのがいいかもしれない。

2018年8月12日日曜日

グラフィック・ノベルで読むボラーニョ

ボラーニョの『はるかな星』のグラフィック・ノベル版が届いた。

Estrella distante de Roberto Bolaño, Adaptación de Javier Fernández y Fanny Marín, Random Comics, Barcelona, 2018.



フェルナンデスさんとマリンさんの役割分担については、ボラーニョ作品におけるアメリカ文学の影響を研究して博士号をとったフェルナンデスさんがセリフというか脚本部分を担当し、マリンさんが作画担当。

トレイラー(?)はこちら

2018年8月11日土曜日

キューバとアンゴラ

キューバのアンゴラ派兵についての日本語文献では

矢内原勝・小田英郎編『アフリカ・ラテンアメリカ関係の史的展開』平凡社、1989年所収の青木一能「アンゴラとキューバ」(同書、223–252ページ)がある。


それからキューバ人ジャーナリストによる以下の本がある。アンゴラの戦争に加担した白人雇い兵を取材したもの。

ラウル・バルデス・ ビボ『アンゴラの白い雇い兵』(後藤政子訳)、恒文社、1977年。


(この項、続く)

2018年7月26日木曜日

[7月27日追記]ウォーカー・エヴァンス/アンドレイ・コドレスクのキューバと、もう二つ

ウォーカー・エヴァンスのキューバ写真集。

Walker Evans, Cuba, The J. Paul Getty Museum, London, 2011.

写真は1930年代、ラングストン・ヒューズやガルシア・ロルカが見たキューバと同じ時期だ。


この写真集にはエッセイが付いていて、書き手はアンドレイ・コドレスク。注意を払っていなかったのだが、この作家はルーマニア出身で、アメリカ合衆国在住の英語でも書く人である。

このことに気づいたのは、以下の本で。

Cuba in mind : An anthology, edited and with an introducion by Maria Finn Dominguez, Vintage Departures, 2004.


ここにはヘミングウェイとかオスカー・イフェロスとかアレン・ギンズバーグとか、まあ外国人によるキューバ紀行の抜粋がたくさん入っていて、そこにコドレスクの名前があった。抜粋なので、全体を読んでみたいと思って入手したのが以下の本。2015年の本だが、コドレスクが訪れたのは1998年で初版は1999年に出ている。



Andrei Codrescu, Ay, Cuba! : A socio-erotic journey, Open Road Media, 2015.

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スペインの映画『悲しみに、こんにちは』を見た。トレイラーはこちら

(以下、結末に触れています)



最後の最後に献辞が出てくる。予備知識ゼロで見たので、ここでハッとした。

日本で今公開されているのは、最後に「母、ネウスへ」とある。

それを見ると、なるほど監督自身の体験に基づいていることが伝わる意味のある献辞だ。だからハッとした。

しかし、エルビラ・リンドが「エル・パイース」で書いている文章によれば、彼女がみたヴァージョンでは、献辞は「両親へ」となっている。

これはこれでリンドが指摘するように、ダブルミーニングで悪くない。

どちらにしても、観終わったばかりの映像を最初から蘇らせたくなるような「呼びかけ」に成功している献辞であるなあ。

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[7月27日の追記]

日本語のタイトルは映画の最後の場面を受けていて、まあそれはそれでいいとしても、この場面で表現されているのは「悲しみ」というような、妙に落ち着きのある詩的な響きを持った感情とは違う。

ここで少女フリダは「泣く(cry, llanto)」のだ。発作のように、コントロールできない感情の暴発だ。映画の冒頭にあった「なぜ泣かないの?」というセリフに対応する。

原題『1993 夏』を踏まえると、監督は少女の号泣を特定の時代の集合的な記憶、つまりポスト・フランコ時代のスペインの記憶として提出している。

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いつの間にか、amazonに書影が出ていました。

2018年7月23日月曜日

文芸誌『ディアスポラ(ス)』と、もう一つ

キューバ人が世紀をまたいで出していた文芸誌『ディアスポラ(ス)』のファクシミリ版。

Revista Diáspora(s): Edición Facsímil(1997-2002), Literatura cubana, Jorge Cabezas Miranda(Ed.), Red ediciones S.L. 2013.

1997年から2002年まで、合計8号が出た文芸誌。200部くらいの少部数の発行だったようだ。このような、非公式独立系の文芸誌があの時代に出ていたとは。

書き手は1959年以降が中心で、アントニオ・ホセ・ポンテやホセ・マヌエル・プリエトも書いている。

その上、リカルド・ピグリアのゴンブローヴィッチ論が入っていたり(2001年3月、6号)。

このファクシミリ版は全体が700ページ近いが、冒頭の170ページは編者の序文、関係者の論文、書簡、エッセイ、証言、インタビューなどで占められている。

1995年の秋、島内外のキューバ人を招いた「文学会議」が企画された。会議の開催場所はマドリードだった。

1年前の1994年、同じマドリードですでに第1回目の文学会議が催されていた。会議の名称は「La isla entera(島全体)」。しかし1995年に予定されていた第2回目は延期され、そして中止になった。

この経緯をめぐる当事者(アベル・プリエト、当時UNEAC代表、その後文化大臣)の公開書簡、それに対する作家の応答などが載っている。




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公開されたばかりの『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ・アディオス』を見てきた。トレイラーはこちら

(以下は内容に触れています)

第1作のメイキングっぽいところはあるけれど、キューバ音楽アーカイブ・フィルムとしても見ておくべき映画。パート1に対する応答映画にもなっている。

パート1が冷戦終結後のつかの間の平和時に撮られたとすれば、このパート2もまた、キューバ・米国国交正常化からトランプ就任前までの、つかの間の平和が大きな主題になっている。それを演出するのが黒人大統領オバマである。オバマがキューバ人を「ブラザー」と呼ぶ背景にはブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブがあったのだ。

冒頭(フィデルの死、2016秋)からクライマックス(オバマのキューバ訪問、2016春。オバマによるホワイトハウスへの招待、2015秋)までの時間の流れの矛盾がこの映画の面白いところだ。

実はこのクライマックスはすでにYoutubeで公開されている。公開元はThe Obama White House。

歴史というものは、時間において後退しながら前進する。映像も小説もそれを可能にする。

「パート1」の成功によって「パート2」が生まれたものの元祖は『ドン・キホーテ』だが、本作にも『ドン・キホーテ、パート2』のもつ物悲しさがある。タイトルにもある通りだ。

と言ってもキューバ音楽は永遠に終わらないはずで、エンドロールに終わりがこなければいいと思った。

2018年7月16日月曜日

文芸誌『トロピック』と、もう一つ

長年話に聞くばかりで、現物を遠目に眺めているだけだったマルチニークの文芸誌『トロピック』が届いた。

TROPIQUES(1941-1945, Collection complète), jeanmichelplace, Paris, 1978.



この本の表紙装画はウィフレド・ラムによるもの。雑誌でラムが言及されるのは1945年12号のピエール・マビーユの「ジャングル論」である。同じ号にはカルペンティエルの文章も載っている。

ちょうどその頃、キューバでも文芸誌『オリーへネス』でラムの装画が使われる。

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北条裕子「美しい顔」(『群像』2018年6月号)を読んだ。

この作品をめぐって起きていることを考えれば考えるほど、スペイン語圏、ラテンアメリカにおける文学ジャンル、テスティモニオ[Testimonio(証言・証言文学)]についての理解が日本でも共有され、深まることが必要だと感じる。

新人賞への応募作ということで、審査員は作者の属性についてはどれほどの情報が事前にわかっていたのだろうか?選評でそのことに触れているのは野崎歓氏のみで、知らされていないようだ。
 
ただ、どのように読むにせよ、この作者と作品をアイソレーションさせてはいけないと思う。

2018年7月7日土曜日

アメリカ大陸におけるアフリカン・プレゼンス/プレザンス・アフリケーヌ

アメリカ大陸のアフリカ文化についての文献。

African presence in the Americas(general editor, Carlos Moore ; editors, Tanya R. Saunders, Shawna Moore), Africa World Press, Inc., 1995.



1987年2月26日から28日、マイアミで、第1回アメリカ大陸におけるアフリカン・コミュニティ会議が催された。この本は会議のプロシーディング。

会議のテーマは「アメリカ大陸におけるネグリチュード、エスニシティ、アフロ系文化」。

主催者はカルロス・ムーア(フロリダ国際大学)で、会議はエメ・セゼールに捧げられている。

Part Iは「Negritude, or the essence of black awareness」というタイトル。

以下のような文章が入っている。

   Aimé Césaire, "What is negritude to me"
   Léopold Sédar Senghor, "Negritude and the civilization of the Universal"

  その他の書き手はRichard Long, Rex Nettelford, J. Edward Grenne。

Part IIは「Racism in the Américas: Case studies」と題されて、ブラジル、ペルー、コスタ・リカ、エクアドル、パナマ、ニカラグア、キューバ、ホンジュラス、西インド諸島(フランス語圏)の事情。

ここでキューバを担当しているのがカルロス・ムーア。

彼の文章のタイトルは「Afro-Cubans and the communist revolution」。199-239ページ。

Part IIIは「African women in the Americas and the process of change」

書いているのはMaya Angelou, Mari Evans, Lelia Gonzalez, Betty Parker Smith, Adrienne Shadd。

Part IVは「The African world and the challenges of the 21st century」。

ここに、コロンビアのアフロ作家Manuel Zapata Olivella(マヌエル・サパタ・オリベーリャ)の「The Role of Black Intellectuals in Forging black unity」。

2018年7月4日水曜日

ハバナのアール・デコ

ハバナのアール・デコについての本。

Aljejandro G. Alonso, Pedro Contreras, Martino Fagiuoli, Havana Deco, W.W. Norton & Company, New York-London, 2007.



 表紙の写真は「カサ・デ・ラス・アメリカス」の本部。

本のカバーを守るためにかけられているセロファンを外さずにスキャンしたので靄がかかっているみたい。

2018年6月28日木曜日

メキシコで挫折した2本の映画

メキシコで挫折した映画といえば、エイゼンシュテインの『メキシコ万歳!』が知られているが、日本の吉田喜重も同じ経験をしている。

吉田はこう書いているーー「メキシコには物事の完成をはばむなにかがある。」

吉田によって以下のように書き起こされるハチドリ。

「メキシコ市で暮らした家の庭にはハチドリの飛びかう姿がよく見られた。時間が決められたように陽射しがひときわ輝く正午近くに現れ、しばしわたしの眼を奪った。緯度の上では北回帰線の南にあるとはいっても、海抜の高いメキシコ市は朝晩は相当に冷え込み、正午近くにならなければ気温は上昇しなかった。その頃を見はかるようにして庭にハチドリが現れる。もっとも気温とハチドリとのあいだにはなにも習性的なかかわりはなかったのだろう。太陽が頭上に輝き、光が庭に充満すれば、ハチドリのはばたく羽根の透きとおった鱗状模様が色さまざまな美しいスペクトル現象となって、いっそう印象的に見えたからだろう。ハチドリは高周波の微かな震動にも似た羽音をたてながら空中に停止し、その魔術的な色あいの肢翼を拡げなければ、外観はスズメやヒワと変わらぬ凡庸な鳥にすぎなかった。」

映画監督がメキシコに訪れた理由はこうある。

「わたしははじめてチュルブスコの撮影所を訪れた。シルバ氏が発案してメキシコの若い映画人たちがわたしを歓迎する集まりを開いてくれたのである。映画監督のフォルへ・フォンスやセルヒオ・オルホヴィッチ、やがてシナリオ執筆に協力してくれることになるトーマス・ペレス・トウレントと知りあったのもこの歓迎の席上のことであった。その日の雑談のなかで、わたしは日本とメキシコ両国の交流に触れて、かつて仙台藩主伊達政宗の家臣支倉常長がこの国を経由してヨーロッパに渡り、聖地ローマまで旅をした事実を告げた。約四世紀前支倉に従ってメキシコまで渡航してきた日本の侍たちが百四十名にも達する集団でありながら、その大半が鎖国令下の日本に帰れず、異郷に朽ちはてた歴史をふまえて映画が発想されるのではないかと話した。」

「新大陸における歴史劇といえば征服者コルテスとその情婦となって混血の子を生んだインディオ女マリンチェの物語しか考えられなかっただけに、異郷に見すてられた日本の侍とインディオ、そしてメスティーソという、いわば疎外された人間同志のあいだに展開する作品はメキシコ映画人たちの想像力を刺激したのである。」

以上は、吉田喜重『メヒコ 歓ばしき隠喩』岩波書店、1984年からの引用。




映画の原作には城山三郎の『望郷のときーー侍・イン・メキシコ』が用いられたらしい。


『メキシコ万歳!』は未完フィルムが編集されて陽の目を見、さらにその後『グアナファトのエイゼンシュテイン』(グリーナウェイ)が撮られたが、吉田喜重では同じようなことは起こらないのだろうか。

2018年6月27日水曜日

文献(キューバ・黒人・人種・アンゴラ)、その他

最近届いた文献

Lisa Brock and Digna Castañeda Fuertes, Between Race and Empire: African-Americans and Cubans before the Cuban Revolution, Temple University Press, Philadelphia, 1998.


目次は以下の通り。著者名は省く。


Introduction: Between Race and Empire

1. Minerva: A Magazine for Women (and Men) of Color

2. Telling Silences and Making Community: Afro-Cubans and African-Americans in Ybor City and Tampa, 1899-1915

3. The African-American Press and United States Involvement in Cuba, 1902-1912

4. Encounters in the African Atlantic World: The African Methodist Episcopal Church in Cuba

5. Cuba's Roaring Twenties: Race Consciousness and the Column "Ideales de una Raza"

6. Marcus Garvey in Cuba: Urrutia, Cubans, and Black Nationalism

7. Nicolás Guillén and Langston Hughes: Convergences and Divergences

8. Not Just Black: African-Americans, Cubans, and Baseball

9. Cuban Social Poetry and the Struggle against Two Racisms

10. CuBop! Afro-Cuban Music and Mid- Twentieth-Century American Culture

11. The African-American Press Greets the Cuban Revolution

Epilogue

Carlos Moore, Pichón: Race and Revolution in Castro's Cuba: a memoir, Lawrence Hill Books, Chicago, 2008.


カルロス・ムーアのインタビューは例えばこれ

Carlos Moore, Castro, The Blacks, and Africa, Center for Afro-American Studies, University of California, Los Angeles, 1991.


『現代詩手帖』1972年5月号でキューバ詩の特集をやっている。


翻訳されているのは以下の詩人たち(表記はこの雑誌による)。

ニコラス・ギリェン
アルド・メネンデス
ホセ・マルティ
フェリックス・ピタ・ロドリゲス
マヌエル・ナバロ・ルナ
アルシデス・イズナガ
ミギュエル・バーネット
ギルレモ・ロドリゲス・リベラ
ドミンゴ・アルフォンソ
ビクトル・カサウス
ロベルト・フェルナンデス・レタマル

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「不透明」(グリッサンによる)について考えていたら、以下の本でも言及があった。

荒このみ『アフリカン・アメリカン文学論ー「ニグロのイディオム」と想像力』東京大学出版会、2004年。

以下は該当箇所の引用。

「西インド諸島マルティニーク出身の詩人・思想家エドゥアール・グリッサンは、ヨーロッパ世界の経済・政治支配が体系性を強制し、純粋であることを、透明であることを、世界の人々に押しつけてきたと語っている。そして今日の人間は、その体系性・透明性に疑義を唱え、その反対の不透明性であることに意義を見出している。グリッサンが「オパシテ(不透明)」という用語で意味していることがらは、きわめて示唆的である。グリッサンの主張するように、 「オパシテ」であることから生まれ出てくる可能性に、文化の豊かな展開が望めると考えられるだろう。そしてアフリカン・アメリカンの存在は、アメリカ社会に「オパシテ」の、有機的な力を含んだ要素を、与える存在になっているのである。」(228-229頁)
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アンゴラの作家の本で、ポルトガル語からスペイン語に翻訳されたものが以下の一冊。

José Eduardo Agualusa, Teoría general del olvido, edhasa, Barcelona, 2017.


著者のページはこちら

2018年6月17日日曜日

キューバ(文学)と野球

キューバ野球のことはよく知られているが、たまたまめくっていたフリアン・デル・カサルというキューバのモダニスト作家のエッセイ集に野球の話が出てきた。

El Base Ball en Cuba(著者はBenjamín de Céspedes)という本の書評であるその文章は1889年11月に書かれ、以下の本に入っている(87-89頁)。

Julián del Casal, Crónicas habaneras, Dirección de Publicaciones, Universidad Central de Las Villas, La Habana, 1963.


日本で正岡子規が野球をやっていたのとほぼ同時代。フリアン・デル・カサルは1863年生まれ。子規は1867年生まれでダリーオと同じ。

キューバ野球の本では、Roberto González EchevarríaのThe Pride of Havanaが 有名で、その本によれば、キューバで最初の野球の試合は1874年マタンサス州で行われている。

キューバに野球が伝わったのは19世紀の後半でプエルト・リコも同じ。アメリカで野球を学んだキューバ人留学生が帰国して広めたり、アメリカの海兵隊がキューバ駐留中にやっているのが広まったとか。

カリブ・ラテンアメリカ野球の頂点を決めるのはセリエ・デル・カリベ(カリビアン・シリーズ)。参加しているのは、現在キューバ、プエルト・リコ、ベネズエラ、ドミニカ共和国、メキシコ。

2018年6月11日月曜日

近況

最近出かけたイベントについてのメモ。

ホルヘ・フランコさんの講演会でセルバンテス文化センターへ行った。映画『パライソ・トラベル』には間に合わなかったが、講演は全部聞くことができた。わかりやすいスペイン語だった。

聞いているときはなるほどねえ、と思っていたのに、今となってはすっかり忘れてしまったが、これを書きながら思い出しているのは、例えば、小説を書く時間は1日に4、5時間だが、その中でも、これだと思うような文章が書けるのはほんの少し、でもその一瞬に出会うために日頃から机に向かうようにしているのだ、というようなこと。

その後、その講演会にも来ていた星野智幸さんの講演会で駒澤大学へ行った。 去年東京外国語大学でも講演を間近で聞いたが、その時の内容とはまた別角度から小説家としての「物の見方」が示された。フランコさんとは国も言語も違うが、小説執筆に傾ける真摯さは二人とも同じで、誠実な話し方が印象に残った。

そして日本ラテンアメリカ学会で愛知県立大学へ。

ホルヘ・フランコさんの講演会の時には話に出なかったのだが、今年は(も?)選挙の年で、コロンビアの大統領選が5月27日に行われ、決選投票が6月17日に予定されている。例えば、伊高浩昭さんのブログは参考になる。

その決選投票に向けて、国際的な知識人、例えばジジェクやネグリも関わったことが起きている。彼らは決選投票に進む一人、グスタボ・ペトロ支持を公開書簡を通じて訴えているのだ。こちらにスペイン語のニュースがある。

作家のクッツェーもペトロ支持を表明。例えばこちらで。

ゲリラとの和平交渉・成立を疑問視するのがかつての強硬派大統領ウリベの後継イバン・ドゥケ。

それに対するのが、知識人の支持を集めている元M-19のグスタボ・ペトロ。

こういう国際的な著名人による公開書簡とかが出たりするときの、その後の流れは、なんとなくだけれども予想がつく。

元メデジン市長のファハルドを支持した作家のエクトル・アバッド・ファシオリンセは、そのファハルドの意見に同調し、二人のどちらを選んでもひどいことになるのがわかっているので白票を投じると表明していて(NY Timesのスペイン語版)、これがまた波紋を呼んでいる(ようである)。例えばこちら

決選投票で誰に入れるかについて著名人に聞いたこんな記事も。

2018年5月28日月曜日

カリブの映像作家

ラウル・ペック監督の『私はあなたの二グロではない』を見た。



ジェームズ・ボールドウィンのテキストに基づいて作られたドキュメンタリーである。監督のペックはハイチ出身。

ペックはボールドウィンを15歳の頃から読みはじめたという。

そして続いてこう書いている。

「エメ・セゼール、ジャック・ステファン・アレクシス、リチャード・ライト、ガルシア・マルケス、アレッホ・カルペンティエルと同じように、ジェームズ・ボールドウィンは「私自身」と呼びうる数少ない作家の一人だった。私が知っている世界、私がただの脚注やどうでもいい登場人物ではない世界を描いている作家たちだった。」(出典はこちら

ペックはアフリカやヨーロッパなどを転々としていたようだが、黒人作家やカリブ地域の作家を読んでいたわけである。

ボールドウィンのことでは、彼の小説『ビール・ストリートに口あらば』の映画化が進められていて、その監督はあの『ムーンライト』を撮ったバリー・ジェンキンスだそうである。

『ムーンライト』もカリブ色(キューバ)の感じられる映画だったが、『ビール・ストリート…』ではプエルト・リコが関わってくる。『私はあなたの…』でもプエルト・リコのシーンが少し出てきた。

パンフレットに感想を寄せている新田啓子さんという方も、「カリブの映像作家」という表現でラウル・ペックのことを称えている。
  
キューバのドキュメンタリー「Coffea arábiga」という1968年のショートフィルムも最近見た。DVDで見たが、Dailymotionなどでも見られる。

監督はニコラス・ギジェン・ランドリアン(Nicolás Guillén Landrián)で、詩人のニコラス・ギジェンの甥。

作中でニコラス・ギジェンの詩「緑のトカゲ(Un lagarto verde)」が引用される。緑のトカゲとはキューバ島のこと。

映像はキューバのコーヒー生産の歴史を実験的映像で振り返ったもので、例えば同時期のキューバではサンティアゴ・アルバレスの「Now!」と同系統の映像である。

そういえば、「Now!」ではレナ・ホーンの曲が使われていたが、『私はあなたの…』でも彼女の歌が入っている。

『Coffea arábiga』の音楽はビートルズ(フール・オン・ザ・ヒル)、ジャズ・クルセイダーズ。特にクルセイダーズの音楽がはまっている。

2018年5月20日日曜日

1936年のブエノスアイレス、その他

1936年に第14回国際ペンクラブ総会がブエノスアイレスで開かれた。このことは、西成彦さんがFacebookで書いている。

会議の日程は9月1日から15日。

ブエノスアイレスではそれと並行してもう一つの知識人会議が開かれている。

それが国際連盟の知識人会議である。9月11日から16日まで。その会議録が以下の本。

 Europa América Latina, Comisión argentina de Cooperación Intelectual, Institut International de Cooperation Intellectuelle, Buenos Aires, 1937.


ペドロ・エンリケス・ウレーニャ、アルフォンソ・レイエス(メキシコ)、サニン・カーノ(コロンビア)、シュテファン・ツヴァイク、ウンガレッティ、ジョルジュ・デュアメルなどなど。

会議の大きなテーマはタイトルの通り、ヨーロッパとラテンアメリカである。 古いけれどもページも切られていない本なのでこれからカッターで切ります。

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そして…

こんな告知が出ています。あと少しです。

2018年5月13日日曜日

1936年のビクトリア・オカンポ

アルゼンチンで読んでいた本を探し出してきた。

María Esther Vásquez, Victoria Ocampo. El mundo como destino, Seix Barral, Buenos Aires, 2002.


いわゆる伝記本で、1936年あたりは第5章に入っている。扱われるのはだいたい以下の通り。

マヌエル・オカンポの死、雑誌「スール」、ウォルドー・フランク、 エドゥアルド・マジェアとの友情、女性の権利、「アルゼンチン女性連合」の結成、ヴァージニア・ウルフの自殺(1941年)、ガブリエラ・ミストラルとの文通

1936年、オカンポは「アルゼンチン女性連合 Unión de Mujeres Argentinas」を立ち上げる。

8月、スペインでも流れたラジオ放送で「女性とその表現」という講演を行う。

そして9月、第14回国際ペンクラブ総会が開かれ、ビクトリア・オカンポは組織委員会副代表(Viceprecidenta)として出席する。

代表を務めたのはカルロス・イバルグーレン(Carlos Ibarguren)。

2018年5月12日土曜日

ラテンアメリカの情動論(2)[5月13日追記]

ラテンアメリカの情動論の続き。文献を少しずつ探していて手に入ったもの。

Revista Iberoamericana誌の257号(2016年10月-12月)が特集を組んでいる。

特集タイトルは「Política de los afectos y emociones en producciones culturales de América Latina」

目次はこちらから。
 
この中ではイントロダクションの執筆者の一人でもあるKarina Millerさんがビルヒリオ・ピニェーラを論じていたりする。アルゼンチンのオスワルド・ランボルギーニに関する論文も書いている人で、おおそうなのか、と思った。

このほか、音楽やダンスなどを中心に論じたのが以下の本。

Vila, Pablo(ed.), Music, Dance, Affect, and Emotions in Latin America, Lexington Books, Lanham, 2017.


目次は以下の通り。

IntroductionPablo Vila

Chapter One: Music, Dance, Affect, and Emotions: Where We Are Now.
Pablo Vila

Chapter Two: The Embodiment of Gozo.: Aesthetic, Emotion and Politics in the Indigenous Song-dances of the Argentine Chaco
Silvia Citro and Adriana Cerletti

Chapter Three: Traditional Sonorous Poetics. Ways of Appropriation and Perception of “Andean” Music and Practices in Buenos Aires.
Adil Podhajcer

Chapter Four: Pleasures in Conflict: Maternity, Eroticism, and Sexuality in Tango Dancing
Juliana Verdenelli, Translated by Elliot Prussing

Chapter Five: Self-Expression Through Self-Discipline. Technique, Expression, and Losing Oneself in Classical Dance
Ana Sabrina Mora, Translated by Elliot Prussing

Chapter Six: Did Cumbia Villera Bother Us? Criticisms on the Academic Representation of the Link Between Women and Music
Malvina Silba and Carolina Spataro, Translated by Federico Álvarez Gandolfi

Chapter Seven: Peronism and Communism, Feelings and Songs: Militant Affects in Two Versions of the Political Song in Argentina
Carlos Molinero and Pablo Vila

Chapter Eight: Music, Dance, Affect, and Emotions: Where We Can Be
Pablo Vila
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フェルナンド・バジェホ、フアン・ガブリエル・バスケス、エクトル・アバッド・ファシオリンセ、ピエダー・ボネーなど、ラテンアメリカ、特にコロンビアの作家・作品と情動というのは掘り甲斐のありそうなテーマである。

ラテンアメリカ文学がテスティモニオ(証言文学)という公的領域と私的領域(ハンナ・アーレント)の境界線にまたがるジャンルを持っていることとも関わってくる。

もちろんガルシア=マルケスの『予告された殺人の記録』が引き起こした裁判も。

2018年5月8日火曜日

キューバ革命と黒人(4)

直接キューバ革命と関係しているわけではないが、以下の2冊を眺めている。

1 『第三世界からの証言』(現代世界文学の発見9)、学藝書林、1970年


この本はメキシコのマリアノ・アスエラ『虐げられた人々』やグアテマラのアストゥリアス「グアテマラの週末」が入っていることで知っていた。

改めて見ると、サンゴールの「第一回黒人芸術祭国際フェスティバルの役割と意味」が入っていたり、チュツオーラ(ここではテュテュオーラ)やケニヤッタの名前がある。

橋本福夫氏による解説ではジョージ・ラミングの名前が言及されている。 ラミングは最近、月曜社の雑誌「多様体」で吉田裕さんが紹介している。今後は長編も翻訳されるようだから楽しみである。

橋本氏の解説では、さらに前に触れたリロイ・ジョーンズの「キューバ紀行」が引用されていたりする。

2 『黒人と暴力』(現代世界文学の発見10)、学藝書林、1969年


そして第10巻のこちらでは、例えばラルフ・エリソン「二十世紀小説と人間性の黒い仮面」が読み応えがある。

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ところで最近外国語の論文を検索すると、Wiley Online Libraryの画面にぶつかることが多い。残念ながら中を読めないのだが。

2018年4月21日土曜日

キューバ革命と黒人(3)

1966年1月3日から15日まで、ハバナで大きな会議が開かれた。

三大陸人民連帯会議(スペイン語では、Primera conferencia tricontinental de la Habanaという表記が見られる)。

キューバではこの会議によって、アジア・アフリカ・ラテンアメリカ人民連帯機構(OSPAALOrganización de Solidaridad de los Pueblos de África, Asia y América Latina)が設立される。

この会議のことは、以下の本で詳述される(134-145頁)。

ヴィジャイ・プラシャド『褐色の世界史』(粟飯原文子訳)、水声社、2013年。


ゲバラのメッセージが引用されるが、全文は以下の本に収録されている。

「三大陸人民連帯機構へのメッセージ」『ゲバラ選集4』(該当部分の訳者は不明)青木書店、1969年、192-205頁。

ゲバラのメッセージの冒頭は以下のとおり。

「今次世界大戦が終わってから、はや21年たつ。ありとあらゆる言語で書かれたさまざまな刊行物が、日本の敗北に象徴されたこの終戦を祝ったものである。」

ゲバラはこの後、21年の平和の間に「楽観的な風潮」が生まれたが、それを「不当」だとみなす。その理由は朝鮮とベトナムである。

2018年4月11日水曜日

キューバ革命と黒人(2)

前回の続き

ストークリー・カーマイケル他『アメリカの黒い蜂起』(太田竜編訳)、三一書房、1968年。


本書の第IV章「暴動から革命へ」には1967年の夏、ストークリー・カーマイケルがハバナで開かれたラテンアメリカ人民連帯機構(OLAS)第1回総会演説が載っている。151〜165ページ。
 
題して「第二のベトナムはアメリカ大陸だ!」

この機構の第1回総会は1967年7月末から8月10日までハバナで開かれた。

われわれはすでに、プエルトリコが合衆国の経済的・軍事的利益のための支配から解放され、独立する闘争を援助するために、われわれに要求している行動を実行することを誓ってきた。さらにわれわれは、キューバをこの半球における輝かしい希望の実例とみなしている。われわれは、自分たちの闘争を現在の地図に示されている通りの合衆国の国境の枠内に限定されたものとは考えていない。そうではなく、われわれは、フエゴ島からアラスカに至る真のアメリカ合衆国が実現し、かつて抑圧されていたものが、ともに決起して解放された人民となる日を展望しているのだ。(156ページ)

前のエントリーで挙げたリロイ・ジョーンズのキューバ旅行記にはこんな文章がある。

《革命》という観念は、わたしには縁どおいものだった。それは、われわれ北アメリカ人が、公立学校以来、《理性》の冷厳な光にかざして見るように教えられてきたあの、考えられないほどに空想的なおよび(または)絶望的な観念の一つであった。そしてその理性なるものこそは、わが国の略奪的な《支配階級》が、お抱えのジャーナリストたちに金を払って伝播させているあらゆる種類の嫌悪すべき嘘なのである。(中略)広島のことを、まるで誰か他のものがやったことであるかのようにわれわれが考えることを、あるいはまたグアテマラの《反革命》を《その国内部の》問題であると漠然とわれわれが信じることを可能にしたところの、あの精神の腐敗である。(102ページ)

1960年7月、ジョーンズはシエラ・マエストラで行われたイベントに行き、カストロの演説を聞き、カストロと少し会話をした。そのイベントにはフランソワーズ・サガンも行っていたようだ。

2018年4月7日土曜日

キューバ革命と黒人

着手しつつある、キューバ革命と黒人について。

以下の文献から読んでいる。

リロイ・ジョーンズ『根拠地』(木島始、黄寅秀訳)、せりか書房、1968年


1960年のキューバ旅行記が入っている。空港にはカブレラ=インファンテが出迎えに行っている。

アンジェラ・デービス『アンジェラ・デービス自伝 上下』(加地永都子訳)、現代評論社、1977年

これもキューバ訪問記が入っている。


中島和子『黒人の政治参加と第三世紀アメリカの出発』みすず書房、2011年

これには「キューバ革命とアメリカ黒人」という項がある(pp.56-63)。


その他に、ロバート・L・ジェンキンズ『マルコムX事典』(荒このみ訳)、丸善雄松堂、2008年、にもキューバ革命に絡んだ項目がある。

ストークリー・カーマイケルもキューバへ行っている。1967年の夏に3週間。以下の論文が参考になりそうだ。

Sarah, Seidman, "Tricontinental Routes of Solidarity: Stokely Carmichael in Cuba"

この論文の参考文献に名前の出てくるカルロス・ムーア。 この人の本では『フェラ・クティ自伝』が日本語になっている。

カルロス・ムーア『フェラ・クティ自伝』(菊池淳子訳)、KEN BOOKS、2013年