2021年10月16日土曜日

10月半ば、バルガス=リョサ

日没はずいぶん早くなったのにもかかわらず、気温はそんなに下がっていないので、夕方の空気も緩い。

パンデミックがもたらしたものの一つに時間感覚の混乱がある。スペイン語で書かれたパンデミック以降の詩作をまとめて読んで、その思いが伝わってきた。今が10月半ばであるのをどこかでわかっていないようなところがある。

この時期、近隣の地区では、日にちの移動しない祭りがあって、3日間のその祭りのどこかで必ずと言っていいほど雨が降って、それによって季節がひとつ進むのを実感する。その祭りは2年連続で中止。

学会シーズンでもあって、先週末はイスパニヤ学会の大会がオンラインで行なわれた。ただ関係者の一部は開催校(明治大学)に手伝いに行き、ハイフレックス(ハイブリッド)開催がこれほど円滑に進んでいるのははじめて見た。

バルガス=リョサの『ケルト人の夢』(野谷文昭訳、岩波書店)がいよいよ翻訳刊行される(のを知った)。原作が出たのは2010年、とても楽しみだ。その3年前に出たバスケスの『コスタグアナ秘史』とも関わる。11月27日にオンラインのトークショーが開かれる。

最近バルガス=リョサの『都会と犬ども』を読み直している。スペイン語版はいろいろあるが(Cátedra版が昨年出た)、アカデミアの記念版と併走している。

 


 

夏は秋になり、それでもなお日々は日々という日常が続いている。長い翻訳をやっていると、一種の潜水状態に入ってしまって、なかなか浮かび上がれない。浮かび上がること自体が罪深い行為に思えて、それでも季節は動き、自分は動きを止めたまま、変わらない日々が変わらない日々として、このまま浮かび上がれないんじゃないかと不安になる。進んでは戻りの繰り返しだ。

翻訳というのは映画の世界同時公開と違って、そもそもが時代錯誤的な作業なのだから、潜水のようになるのは当然としても、それでも今が2021年であることは翻訳文体のどこかに反映しているのかな。

眠れない夜、ラファエル・アルベルティの詩「Colegio(S.J.)」を読んだ。J.M.クッツェー編の詩集に入っていた。カディスにあるイエズス会系の学校に、寄宿生ではなく通学生だった時のことを強い口調で思い出す詩だ。