2015年5月25日月曜日

スペイン人作家の来日

オスカル・バサン・ロドリゲスさんが日本にやって来た。

スペインのバジャドリード出身の作家で、1978年生まれ。

バジャドリード大学を卒業後、アメリカのシンシナティ大学で学んだ(スペイン文学で博士号)。現在、西インド諸島大学のトリニダード校で教鞭をとっている。

トリニダード・トバゴで知り合って、それが縁で、今度は日本で再会した。

彼の小説『El vendedor de mariposas(蝶々の行商人)』(2014)は、スペインのナダール賞の最終候補になったとのことだ。

授業で小説の一部を朗読してもらった。

どうして作家になったのか、という質問が出たときの答えが印象に残った。

「14歳のころから小説を書き始めたが、書いていると、自分のやらなければならないことをやっている気がする。書いていると気分がよい。お金にはならないことは知っている。そういうことのためではなく書いている。」



彼もラテンアメリカ文学を教えているので、授業でどんな小説を読んでいるのか、意見交換をしたりした。

今日のような大きな地震を体験したらどう言っていただろうか?


2015年5月18日月曜日

世界文学のなかのラテンアメリカ文学

ラテンアメリカ文学は「世界文学」に対してどうあるのか。どうあるべきなのか。

いくつかの論考が出ているが、重要なのは次の本だ。

Sánchez, Prado, Ignacio M.(ed.), América Latina en la "literatura mundial", Instituto Internacional de Literatura Iberoamericana, Universidad de Pittsburgh, 2006.

このなかの、Hugo Achugar(ウルグアイ)の論考あたりから読み始めてみた。

「世界文学」は比較文学の概念である。

内容についてはまた改めて。

2015年5月16日土曜日

二人のチリ作家によるパレスチナ

チリの作家リーナ・メルアーネの本をあげておこう。こちらが出版社のページ。

Meruane, Lina, Volverse Palestina, Literal Publishing, México, 2013.

メルアーネは2014年夏、マドリードにいた。

ニューヨーク大学に所属しているが、休みをとってマドリードで数ヶ月滞在中とのことだった。祖父、父からパレスチナの血を引く。母はイタリア系とか。

そのとき教えてもらったこの本がパレスチナもの。

そういえば、同じチリの作家に、1970年生まれという世代もまったく同じアンドレア・ヘフタノビッツ(Andrea Jeftanovic、Youtubeでインタビューを見ると、ヘフタノビッツと言っているように聞こえる)という人がいる。この人はユダヤ系。メルアーネと仲が良いらしい。「家系樹」という近親相姦が出てくる短篇が記憶に残っている。

ヘフタノビッツが書いたパレスチナ、イスラエル問題の記事はこのURLから読める。

2015年5月10日日曜日

朗読会

駒場にある日本近代文学館の「声のライブラリー」に出かけた。

伊藤比呂美さんの司会のもと、西成彦さん、栩木伸明さんの朗読がそれぞれ20分ほどあって、小一時間の座談会という流れ。

翻訳書の朗読というのを聞いてみたかったというのがあった。翻訳であるがゆえに、原典の作者は別にいるわけだが、日本語としての作者は翻訳者ということになる。

お二人ともそれぞれ自分で訳した本から読んでいた。ストーリーの展開や登場人物などは、読んだことがあっても聞いているだけではどんな話だったか思い出せないとはいうものの、なんとなく、ところどころ頭にヒットする単語や表現があるもので、おそらくそういうところは文字を追っていたときのとは違うはずだ。

座談会でも翻訳という行為の話題に流れていった。お二人とも、翻訳に先立って、テキストから「声が聞こえてくる」ということを言っていた。そういう感覚はよくわかるような気がする。外国語の本を読んでいるときに、声が聞こえてきて、あ、このまま訳したいな、という感覚。自分のなかでは、文学、つまり読書を中心とする生活のなかで、最もシンプルで楽しい感覚だ。

それぞれの専門がヨーロッパの中心にあるのではなく、ポーランドとアイルランドという周縁地域にあったこともよかった。そういう地域にかかわることの倫理的問題と難しさについてもさらりと触れていて、なるほどと思うことが多かった。

文学(世界のさまざまな地域の詩、文学、エッセイ、文章表現一般)について考えること、文学が好きになることが、比較的穏やかな、のんびりとした話の展開のなかで出てきて、正直なところ、こういう雰囲気って忘れていたなあという思いである。


翻訳について思ったことだが、翻訳者が日本語としての作者にどれだけ重みをおけるのかというのはなかなか難しい。作者が日本語で書いていたとしたら、こういう日本語になっただろう、という気持ちで訳したりするわけだが、実際に確かめられるわけではない。そういうある種の責任感覚に耐えられなくなったりするときもないわけではない。原典にたいして奴隷になる感覚さえもあるだろう。

翻訳者というのは、いったん翻訳書が世に出たら、果てしない疑念と信頼のなかで綱引きされる綱のようなものである。

疑念と信頼は原書で読んでも生まれることなので、実は翻訳に限ったことではない。

そもそも本に書かれていることを理解することとはどういうことなのか、確実性と不確実性のゆらぎが翻訳を考えるとわかってくる。

2015年5月4日月曜日

ドミニカ共和国から

ドミニカ共和国の作家の

 Indiana, Rita, La mucama de Omicunlé, Editorial Periférica, 2015.

作者リタ・インディアナは1977年、サント・ドミンゴ生まれ。これまでに短篇集を2冊(Rumiantes, Ciencia succión)、小説を2冊(La estrategia de Chochueca, Papi)を出している。Wikipediaにはもう1冊(Nombres y Animales)載っているが、それがどういうものかはわからない。

彼女は音楽もやる。歌手でもあり作曲もする。アルバムはEl juidero(意味はわからない)。

Youtubeはたくさんあるが、たとえば、そのEl juideroという曲。

La mucama de Omincunléは短篇集のような体裁に見えるが、連作短篇のようなものなのかもしれない。冒頭は、近未来ドミニカ共和国といった感じで、マンションからハイチ難民を駆除していく様子が描写される。女中(mucama)が目に設置されたセキュリティカメラにスイッチを入れたり、腕を指で触るとアプリが立ち上がるというような。

ドミニカ共和国からは、Kindle版で以下のような本もある。

Fornerín, Miguel Ángel, Tú siempre crees que viene una guagua(君はいつもバスが来ると思っている).
---, Las palabras sublevadas.

上はフィクションで、下は評論。

2015年5月2日土曜日

プエルト・リコからの本

キューバの話ばかりではいけない。プエルト・リコの本の話をしよう。全部で4冊。

ひとつめ。

Martínez-San Miguel, Yolanda, Caribe Two Ways: Cultura de la imigración en el Caribe insular hispánico,  Ediciones Callejón, 2003.

著者はマルティニークとプエルト・リコの近似性についての論文をどこかで書いていて、それ以来気になる存在である。

最近もウェブ雑誌「80grados」で「カリブで記憶することの困難」という文章を発表している。グレナダ、グアドループ、キューバに関することがとりあげられている。

グレナダの革命に関する記憶、グアドループにおける記憶のハイキング、そして近年のフィデル・カストロの視覚イメージについて、Yolandaさんが読んだ本などを通じて紹介しながら情報を補ってくれている。グアドループの「記憶のハイキング」とは、歴史的親密性の感覚を生み出すために民衆のあいだで行なわれているものらしい。

いずれも、カリブにおけるアーカイブ欠如の問題をどのように乗り越えるかということが問題になっている。

いっぽう、『Caribe Two Ways』では、スペイン語圏カリブ3島(プエルト・リコ、キューバ、ドミニカ共和国)のエクソダスによって生まれた移住文化(la cultura de la migración)が記述されている。

エクソダスは必ずしも島からアメリカ合衆国へ向けてとは限らない。キューバ人のプエルト・リコへの移動も含まれている。

タイトルにあるように、「二方向」に留意しなければならない。

素材となるのは、文学、映画、写真、音楽、グラフィティ、造形芸術である。

 ふたつめ。

Rodríguez Juliá, Edgardo, Mapa desfigurado de la Literatura Antillana, Ediciones Callejón, 2012.

この人もほかにたくさん著書があって、どれもプエルト・リコ、カリブの文学、文化をテーマにしている。やはりマルチニークの存在を含めてプエルト・リコを論じようとしている。

この本は評論集で、ぱらぱらめくるとカリブのみならず、ラテンアメリカ文学についての話もけっこう載っているので、比較的軽めの本と見てよさそうだ。

三つ目として、その彼の以下の大作。

Rodríguez Juliá, Edgardo, Caribeños, Editorial del Instituto de Cultura Puertorriqueña, 2002.

巻頭の「Puerto Rico y el Caribe」では、かつての投稿で紹介したフランシスコ・オジェルの絵「El Velorio」を論じている。オジェルを論じてはいるが、絵画論ではなく、プエルト・リコのことをカリブのなかで考える貴重な試論だ。

「1898」というタイトルの短いクロニカもある。

最後。

Pabón Ortega, Carlos, Polémicas: política, intelectuales, violencia, Ediciones Callejón, 2014.

この本は、知識人論への関心から欲しくなったものだ。目次をみたところ、時評集といったもので、プエルト・リコ大学の危機に端を発しての大学論、知識人論、暴力についてのジャーナリズム論集である。