2022年11月6日日曜日

11月6日

11月に入って、窓から見える木々も一気に紅葉が進んで、この1週間であっという間に緑が消えつつある。でも銀杏はまだ黄色になっていないので、そこはもう少し踏みとどまってほしいところだ。このまま銀杏並木が秋景色になってしまうと、そこはもうすでに冬の一歩手前だし、そこからは駆け足だ。

ペドロ・アルモドバルの映画『パラレル・マザーズ』を見た。この映画はこれまでのアルモドバルと違う。

1  一回見ただけで、ストーリーがすべてわかる。

アルモドバルの映画は入り組んでいて、どんな映画だったのかを説明しようとすると、意外にできないことが多い。『バッド・エデュケーション』とか『抱擁のかけら』とか、見直さないとストーリーが思い出せない。鑑賞者の理解を超えた展開やスピードがあるからなのだと思うが、『パラレル・マザーズ』は一見しただけでたちどころに説明が可能である。


2  初めてスペイン内戦に取り組んだと言われている。

歴史記憶法は制定されたものの、予算措置がなされないために遺骨発掘作業が進んでいないと聞いていたが、確かにこの映画でもそのような背景が説明されている。そしてストーリーの大枠として遺骨発掘の困難からその成果までが語られている。母親の一人であるジャニスが、若い母親のアナに「歴史がわからないと自分たちの居場所がわからない」(正確なセリフではないが大体こういう内容)を説く、というよりお説教する(しかしこの場面、え?・・・と思わずにはいられなかった)。


3  DNA鑑定が使われる。

産院での乳児取り違えを軸に人間ドラマが展開するので、DNA鑑定が出てこないわけにはいかない。Aは100%の確率でBの生物学的母親ではない。Cは99,99999999999%の確率でBの生物学的母親である。

2の内戦と関わってくるが、この「科学的手法」は、暴力的に殺害された家族の遺骨発掘作業で生きてくる。だから、ストーリー上必要なのでしょうけれど、うーん・・・まあそういうものなんでしょうけれど。DNA鑑定の絶対的信頼性に寄りかかって作られていること、つまり映画の外に絶対的な物差しがあるというのでいいのかな、と。


4  アルトゥーロが浮いている。

登場人物の一人で法人類学者のアルトゥーロは最初は妻ががんでジャニスとは一緒になれる状況ではないということだったが、その後妻の病気が治ったために自分も自由になった・・・と進む。この人だけは、まるで往年のアルモドバル映画のような、いい意味での出来過ぎの設定がされる。一人だけフィクション世界を生きている。


5 映画の最後にエドゥアルド・ガレアーノの(たぶん)名文句が引用される。

この部分、引用が長い割にあっという間に過ぎてしまって、なんだったのか理解不能。引用するならもっと長く映してほしい。

DNAで言えば、『フリエッタ』では生物学的な母娘の別離があり、映画のクライマックスは、そんな二人の再会の可能性が示される。この結末は原作のアリス・マンローの短編とは真逆で、それはそれで面白いと思った。『パラレル・・・』はその延長でもあるのかもしれない。



この週末もまたかなりのメールを書いた。

2022年8月10日水曜日

8月10日

8月6日、キューバのマタンサスにある石油施設が落雷が原因で大火災が起きている。貯蔵タンクが次々に爆発、崩壊して死者や行方不明者も出ている。

吹き上がる不吉な黒煙と炎を動画で見ると、マタンサスの美しい光景を翻訳したばかりの身には辛い。

レオナルド・パドゥーラの『わが人生の小説』に描かれるマタンサスのユムリの谷にも酸性の雨が降った。それどころか、100キロ離れているハバナにも石油の臭いや煙が届いていて、マスクが必要になっている。ちなみにキューバではマスクのことをmascarillaという時もあるが、会話で出てくるときにはnasobucoと言っている。


長年付き合いのある友人宅は、この爆発とは無関係に、この7月以降、燃料不足で停電が続き、日中はほとんど電気が来ていなくて水も不自由している。CUC(キューバの兌換ペソ)が廃止されてからのインフレもひどく、生活苦の状態にある。スマホのチャージは外国にいる友人にやってもらっている。停電状態が解消される見込みはなく、抗議行動も続くだろう。


「パセリの虐殺」に関する本をリサーチしていたら、以下の本が見つかった。ハイチの作家ルネ・フィロクテット(René Philoctète、1932-1995)の小説『Le Peuple des terres mêlées』。

原書はフランス語で、「混じり合う土地にいる人びと」といった意味。ハイチ人もドミニカ人もいる国境の土地ということだろう。手元にあるのはスペイン語版で、タイトルは『虐殺の川(Río Masacre)』と訳されている。

原作が出たのは1989年らしいが、スペイン語に翻訳されたのは2012年。この作家はあのフランケチエンヌ(1936-)やジャン=クロード・フィニョレとともに、ハイチで文学運動「螺旋主義」を立ち上げた人だ。フランケチエンヌを代官山で見たのはいつのことだったか。1999年?2000年?

いま手元にないので確かめられないが、もしかすると国書刊行会から出ているハイチ短篇集『月光浴』にこのフィロクテットの短篇も入っているかもしれない。

いま、スペイン語で書かれたパセリの虐殺の小説を読んでいるが、なかなか進まない。気が重くて仕方がない。下の本の表紙の写真も……





この本は見ての通り、ほぼ正方形である。授業のない時期になるとなんとなく本の整理になって、その時困るのは、本棚に収まらない大きさの本で、スペイン語圏の本ではアルファグアラ出版(Alfaguara)から出ている本は高さが24センチあるので厄介。現代文学を読むのならアルファグアラのを入手しないことはないし、本棚を選ぶならこの高さのが入るのがいいのだが……

日本の学術書ではA5判が21センチで、これはだいたいアナグラマ出版(Anagrama)の高さ(実際にはアナグラマは22センチ)。

ボラーニョはアナグラマからアルファグアラに移ったので、要するに判型が大きくなった。エメセ(Emecé)のボルヘス全集は高さが24センチくらい。

2022年8月1日月曜日

8月1日 

今年(2022年)の1月8日、中東文学の研究会で発表した内容が公開されました。

ここからPDFでダウンロード可能。研究会のホームページの入り口はこちら

当日の発表内容ばかりでなく、質疑応答部分もしっかりテープ起こしされているので、臨場感があるというか、自分の口頭発表の原稿だけの掲載ではないのが大変ありがたい(時間をかけて丁寧に作ってくださって感謝)。

近況では、ここ2年(3回!)オンラインで開かれているオープンキャンパスに、コロンビア・メデジンの大学に留学中の学生が参加して手伝ってくれた。日本の昼の12時がコロンビアの夜10時という時差、これが感覚的にほとんど分からなくなってきた。こんな時差でしたっけ?

下の写真は2018年に行ったときに撮ったメデジンの現代美術館入り口。





そしてその1週間後、「吼えろアジア 東アジアのプロレタリア文学・芸術とその文化移転 1920-30年代」を聞きに立命館大学(京都・衣笠)まで出かけてきた。

ソ連、中国、朝鮮半島、日本におけるプロレタリア文学・芸術の伝播や拡がりについて学ぶところが多かった。

ハイブリッドで、しかも日英同時通訳付き。

合間に日本のプロ文研究をされている方にお話を伺ったが、日本語の雑誌のバックナンバーも米国でどんどんデジタル化されて公開されているとのことだった。自分もそのことでは、長年集めてきて、まだ整理のついていない雑誌の束がある日、ネット上で公開されているのに気付くことがあるような予感がする。自分だって恩恵を受けているわけだから、残念がってもいられない。

雑誌の網羅的な研究で個人でできることは少ない。そもそも読了することすらかなわないわけだから。だったらきちんと整理してどこかに大量アップロードしたいところだが、そういう資料整理のプロの手助けが必要だ。もちろんこんなことを書いている間に読んだ方がいいのだ。昔、新しい資料に出会うたびにコピーに躍起になっていた頃、コピーもいいけどその場で読んだ方がいいよと、今は亡くなったとある先輩の研究者にアドバイスを受けたものだった。それはまったくその通り!

前にどこかのエントリーで書いたパディーリャが公開で行なった自己批判の様子はYoutubeに上がっていた。2分に満たない映像だが、こちら

1ヶ月拘束されていたことを思うと、想像していたよりもパディーリャはしっかりしている。そもそも釈放された時点で心身ともに疲弊しきっていたら、あれだけの長い自己批判はできないだろう。それに彼の手元には原稿らしきものが見えず、あれほどの濃い内容を即興で話したことにも驚いてしまう。

日々進むアーカイブ化は、ここ15年くらいかけて収集してきた資料への取り組み方を再考させずにはおかないし(15 年何をやっていたのだ?)、時間が過ぎるその度に自分にできることの少なさを痛感する(これから何ができるのだ?)。と言ってやめてしまうわけにもいかないし、どうしたらよいものか。キューバの文学誌史、などというものに興味を持ったがゆえの落ちて楽しい泥沼である。

No hay momento en el que no desespere ni quiera morir, y eso me da un placer infinito.

2022年7月17日日曜日

7月17日 

4月に刊行されたレオナルド・パドゥーラの『わが人生の小説』(水声社、2022)の書評が2本、期せずしてほぼ同時に出ました。

1本目は、ジャーナリストでラテンアメリカ関係の著作の多い伊高浩昭氏が『週刊金曜日』(2022年7月15日号)の書評欄「きんようぶんか」に掲載。

「壮大な擬装で現代キューバを批判」「史的謎解きにミステリー作家の本領発揮」と題して書いてくれました。

本小説の二重構造は、パドゥーラが仕組んだ現代キューバを批判するための劇中劇だという読みです。

「著者は大掛かりな擬装とメタファーを構築して、エレディアらが反逆した宗主国スペインの抑圧支配を、キューバ庶民の多くが今日、生活苦と自由の欠乏に苛まれている「革命体制」と二重写しにして鋭く描き出す」

極めて鋭い、現代キューバの状況をよく知る伊高氏ならではの指摘だと思います。




2本目はラテンアメリカ文学研究者で、『わが人生の小説』の主人公とも言えるホセ・マリア・エレディアに関する著作もある花方寿行氏によるもの。『図書新聞』(2022年7月23日、3552号)に載っています。

「脇役・敵役が垣間見せるキューバ社会のリアリティ」「マイナーで無名な「残った者たち」によるキューバ史」とあります。

これまた訳者には気づけなかった点を指摘してくれました。花方氏は、とかく広く知られている亡命作家ではなく、亡命せずにハバナで執筆しているパドゥーラが結果的にどこに重きを置いて書いてしまっているのかを指摘します。

それは「各時代の独裁的な政権下で亡命を選ばずに暮らしてきた人々の屈折」であり、「亡命しなかった者たち」「よりマイナーで無名な「残った者たち」の悲哀なのだと書いています。

この点にははっと驚かされました。




書評を書いてくださってお二人に感謝します。

2022年7月12日火曜日

7月12日 自伝(フリアン・デル・カサル)

学期を通じて練習していたピアノ曲は結局できるようになっていないけれど、授業は最終週に入ってほっとひと息。

弾いていてつっかえていたところができるようになるときの、なにかわからない憑物が落ちたような、あれっできてる?というあの感じがもっとあるといいなあ。

しかし楽譜通りに演奏しようとする行為は翻訳と本当によく似ている。悩まずにすらっと訳せるところは、楽譜を見てスムーズに弾けるときの感覚と似ているし、どうにもうまく弾けないところは、こなれた訳文にならなくて進まないときと同じ。できるところを先に訳して一応先に進むが、結局うまくいかない数小節ができなければ、完成には至らない。

目の前に鍵盤なしに楽譜を見ながら指を動かすのがあるが、あれは原文を読みながら頭の中で日本語をタイプしていくイメージ翻訳みたいなもの。



引き続きフリアン・デル・カサル。前便は「はじめに Introducción」だったが、『Hojas al viento』の本格的な一番最初の詩はこの「自伝」。

この第一詩集が出たのが1890年で、この詩は1890年3月30日に書かれた。発表されたのは「La Habana Elegante」。詩人が27歳の時なのだが、彼が死ぬのはそれから約2年半後の1893年10月21日で、30歳になることもできなかった。



自伝 Autobiografía


Nací en Cuba. El sendero de la vida

firme  atravieso, con ligero paso, 

sin que encorve mi espalda vigorosa

la carga abrumadora de los años.


Al pasar por las verdes alamedas,

cogido tiernamente de la mano,

mientras cortaba las fragantes flores

o bebía la lumbre de los astros,

vi la Muerte, cual pérfido bandido,

abalanzarse rauda ante mi paso

y herir a mis amantes compañeros,

dejándome, en el mundo solitario.


¡Cuán difícil me fue marchar sin guía!

¡Cuántos escollos ante mí se alzaron!

¡Cuán ásperas hallé todas las cuestas!

Y ¡cuán lóbregos todos los espacios!

¡Cuántas veces la estrella matutina

alumbró, con fulgores argentados,

la huella ensangrentada que mi planta

iba dejando en los desiertos campos,

recorridos en noches tormentosas,

entre el fragor horrísono del rayo,

bajo las gotas frías de la lluvia

y a la luz funeral de los relámpagos!


全体68行のうちの最初の24行。あと10行で内容としてはひとくぎりになるのだが、まずはここまで。

最初の4行。キューバ生まれのぼくは、足取り軽く、人生の道を着実に進んでいる。歳月とともに背負う荷物はますます重くなるが、精力もあるので持ちこたえられる。

ここでちょっと難しいのは、firmeとligeroが矛盾するような形容詞になっているところ。paso firmeだと「足取りもしっかりと」という意味になる。

次の8行。ぼくは緑の並木路を手をつないで歩きながら(おそらく母と手をつないでということだろう)、匂い立つ花を摘んだり天体の輝きを味わったりしたものだ。そんな幸せな折、ぼくは死神に出会ったのだった。その死神は、信用ならない盗賊のようにぼくの道に急に立ちはだかって、大切な仲間を傷つける。こうしてぼくは世界に独り取り残される。

次の12行。導く人がいなければ、生きていくのは実に難しく、どれほどの障害が持ち上がったことか。厳しい坂が立ちはだかり、どこもかしこも暗い風景ばかりだ。ぼくはひと気のない野原を嵐の夜歩いた。ぞっとするような恐ろしい風のうなりに包まれ、冷たい雨滴に打たれ、葬送の稲光を浴びながら。そんなふうにしてぼくが残した血まみれの足跡を、明け方、銀白色の星がいったい何度照らしたことだろう。

2022年7月10日日曜日

7月10日 はじめに(フリアン・デル・カサル)

フリアン・デル・カサルの第一詩集『Hojas al viento(葉を風にのせて)』から。

"hojas"にはページ、紙の意味があるので、「詩を書き記した紙片を風にのせて」とも取れる。

その詩集の一番最初の詩は、「はじめに(Introducción)」というタイトル。


Arbol de mi pensamiento

lanza tus hojas al viento

del olvido, 

que, al volver las primaveras,

harán en ti las quimeras

nuevo nido;

y saldrán de entre tus hojas,

en vez de amargas congojas,

las canciones

que en otro Mayo tuvistes,

para consuelo de tristes

corazones.


頭の中にはいろいろな思考があって、それはさながら一本の樹木である。それが1行目。

2行目のlanza(動詞lanzar)を、ここでは二人称の命令形(arbol=túへの命令)と理解すると、「わが思考からなる樹よ、おまえの葉を忘却の風にまかせよ」となる。注釈本でも、1行目の終わりにコンマが入っているべきとある(コンマがあれば命令形と取ることに迷いはなくなる)。

4行目、季節が巡って春が戻るころ、とある。つまり2行目の葉が風に飛んでいく季節は秋がイメージされているのだろう。

春が戻って、再びその樹木に葉が芽吹くとき、その葉はおまえという樹木の中に、空想という新しい巣を作るだろう。

※ここは文法的にちょっと無理をして解釈。harán(動詞hacerの三人称複数未来形)の主語をtus hojas、目的語をlas quimerasとすると、「葉は空想を作る」となって、その場所がen tiなので、「おまえという樹木の中に」。最後のnuevo nidoは、las quimerasと同格のように解釈して、「空想という新しい巣」。あるいは、5行目までで切って、「それが新しい巣なのだ」とまとめても良いかもしれない。

7-9行目。おまえの新しい葉から聞こえてくるのは、苦しみの嘆き声ではない。それは歌である。

10-12行目。その歌は先の5月(春)に、悲しみに暮れる心を慰めようとして、おまえが歌ったあの歌だ。

10行目のtuvistesは現在ならtuviste。古いスペイン語の用法。




2022年7月9日土曜日

7月9日 夏の光景(フリアン・デル・カサル)

フリアン・デル・カサル(Julián del Casal, 1863-1893)の詩を読んでいる。

夏の光景 Paisaje de verano


Polvo y moscas. Atmósfera plomiza 
donde retumba el tabletear del trueno 
Y, como cisnes entre inmundo cieno, 
nubes blancas en cielo de ceniza. 
 
El mar sus ondas glaucas paraliza, 
y el relámpago, encima de su seno, 
del horizonte en el confín sereno 
traza su rauda exhalación rojiza. 
 
El árbol soñoliento cabecea, 
honda calma se cierne largo instante, 
hienden el aire rápidas gaviotas, 
 
El rayo en el espacio centellea, 
y sobre el dorso de la tierra humeante 
baja la lluvia en crepitantes gotas.


11音節のソネットで、押韻の形式はABBA:ABBA:CDC:CDC 

一連目、冒頭は砂埃と蠅に囲まれ、じっとりと汗ばむ体にまとわりついている感じ。そしてスコールが落ちてきそうな空模様。鉛色の空(Atmósfera plomiza)では雷鳴が鳴り響いている。その音は「板を打ち合わせるように」(tabletear)聞こえる。灰色の空に白い雲が浮かび、その雲は黒ずんだ沼にたたずむ白鳥に見える。

二連目では海に視線が移る。淡い緑の波(ondas glaucas)が動かずに静止している。盛り上がる胸を想わせる海上に稲光。澄み切った空のかなたの水平線から、赤みがかった稲妻が素早く線を描く。

三連目。再び間近なところに目線を戻してみると、樹はうとうと眠り込み、まったくの静けさに包まれている様子。カモメがそこを突っ切ってくる。

四連目。空が稲光で一瞬明るくなって、湿気で地面に靄がかかったようなところに、雨が落ちてくる。雨粒はぱちぱちと爆ぜるような音(crepitantes)を立てている。


----

2022年7月9日の空



夕立はなさそう。

2022年7月5日火曜日

7月5日 近況

近頃、届いた本2冊。

メキシコのユダヤ系作家マルゴ・グランツの自伝・家族伝。

Margo Glantz, The Family Tree: an illustrated novel, Translation by Susan Bassnett, Serpient's Tail, London, 1991.

オリジナルはスペイン語で、La genealogíasというタイトル。表紙の絵はフリーダ・カーロ。

マルゴさんとはブエノスアイレスで2012年の9月にフェルナンド・バジェホさんから紹介されて挨拶をしたことがある(ただそれだけだが)。



続いてやはりユダヤ系。ただし今度はイディッシュで書かれたラテンアメリカ作家のアンソロジー。

上記のマルゴ・グランツの父親Jacobo Glantzの文章が下の本に入っている。マルゴはスペイン語、父ハコボはイディッシュ語で書いている。

Alan Astro(ed.), Yiddish South of Border: An Anthology of Latin American Yiddish Writing, University of New Mexico Press, Albuquerque, 2003.





時間には限りがあるので、自分にできることは少ない。その中でできることは何かと言えば、スペイン語で書かれたものを読むことである。はっきり言えば、自分にはそのことしかできない。

読んでどうするのか、ただ読んでいればいいのか、という問題は常にある。その先を考えなければいけない。

しかしこの問題は、いつでもどこでもどんな人からも問われてきたことだ。

自分でもその問いは止まない。でも自分にとってその問題はいつも先送りするしかない。読む前に読んだ後のことを考えていてどうするのだ?と考えてしまうからだ。

なんとなく思っているのは、読んだ後には読む前の自分はいないかもしれないということだ。そうやって考えれば、読む前に立てた計画は無意味ということになる。

この歳になってどんなに読むのに慣れたって、スペイン語の本を、外国語の本を読むには時間がかかる。日本語の本だって、それがまるで外国語で書かれているように読むとすれば、同じだけ時間がかかる。

ある程度読むと、なんとか形にしなくてはとは思う。焦りもある。読めないときには焦りが募る。でも速度は上がらない。

だから、時間が来るのを、形になるのを待つ。

それには時間がかかってしまうのだが、そして時間には限りがあり、それはその通りだとわかっていても、時間はこのままいつまでも尽きずに続くのだと思いながら、読み続けるのだ。

2022年5月29日日曜日

近況 5月終わり/キューバからの手紙

ゴールデンウィークに社会主義リアリズム文学研究会があって、その2週間後には日本中東学会の年次大会があった。

社会主義リアリズム文学研究会はすでに5回目になるのだが、第1回はコロナ前なので対面、第2回、第3回はオンライン、第4回、第5回はハイブリッド開催となっている。今回はロシア軍によるウクライナ侵攻後の開催ということでもあった。

中東学会は、邦訳が何冊もあるアミン・マアルーフの話が聞けるということで申し込んだ。二日目の発表もいくつか聞かせてもらい、色々なヒントを得た。

日本中東学会と日本ラテンアメリカ学会は設立年も近く(前者は1985年、後者は1981年)、地域研究の学会ということではなんとなく似たもの同士だと思っている。その中でそれぞれの地域の文学研究者がどういう発表をするのか興味深い。発表時間は中東学会は30分、質疑が10分だった。ラテンアメリカ学会は討論者がついて、20分か25分しかなかったような。

そういえばかつては日本独文学会のシンポジウムを聴講したり、ロシア文学会の一部のセッションも聞かせてもらったりしたことも思い出した。

6月頭は日本ラテンアメリカ学会の研究大会が同志社大学で開かれる。

-------------

キューバ系ユダヤ人作家のRuth Beharさんのことが最近気になってきて、ぱらぱらめくっている。

まずお名前の読み方だが、彼女は現在米国在住で、Youtubeを見る限り、紹介される時には、ルース・べハール(あるいはべハー)と呼ばれている。スペイン語っぽさを残せば、ルース・べハールかな。

1956年キューバ生まれで、その後ニューヨークで育ち、スペインやメキシコにも住んだことがあるという。人類学者でもあり作家でもある。

Wikipediaによれば、セファルディ系とアシュケナージ系双方の流れを引いているという。

多くの著作があるのだが、手元にあるのは以下の2冊と思われる。

Ruth Behar, Cartas de Cuba, Penguin Random House, 2021.

オリジナルは英語(Letters from Cuba)で、以下はスペイン語翻訳版である。翻訳者はAbel Berrizさん。




この本には著者の自伝的な要素が書かれているのだが、それによれば1938年にポーランドからキューバに向けて船で出ている。

キューバが大勢のユダヤ人を載せてハンブルクを出航した船の入港を拒み、その後その船は再びヨーロッパに戻り、結局乗船していたユダヤ人は強制収容所に送られたという話があるが、この本で書かれているのは、その直前の話ということになる。

その頃キューバに渡る可能性があった人物に、ヴァルター・ベンヤミンがいる。ニューヨークにいるアドルノが、ハバナ大学の招聘教授のポストはどうかと持ちかけていた。このことは、ラファエル・ロハスがかなり前に書いている。

もう一冊見つかった本はこちら。

Ruth Behar(ed.), Bridges to Cuba/Puentes a Cuba, University of Michigan Press, 2015(初版1995).



キューバの作家やアーティストが「ホームランド」について書いた文章を、これでもかというぐらいに集めた本。400ページ以上。

----------

5月終わりの緑と青空と紫陽花。毎年のことですが。





2022年5月3日火曜日

5月3日 近況『ロシア文学からの旅:交錯する人と言葉』ミネルヴァ書房

近々、以下の本が刊行されます。

中村唯史、坂庭淳史、小椋彩編著『ロシア文学からの旅:交錯する人と言葉』ミネルヴァ書房、2022




この本には「世界の中のロシア文学」と題して、世界の文学におけるロシア文学との関係を紹介するパートがあり、そこに「ロシア文学とラテンアメリカ文学」の項目を書きました。革命後のキューバにおけるロシア・ソ連文学との関係です。アナ・リディア・ベガ・セローバの短篇(「ロシア料理 La comida rusa」)を引用しています。

-------

英語でもスペイン語でも書く、コロンビア出身でNY在住の作家ハイメ・マンリケの名前が以下の本に出てくる。

レベッカ・L・ウォルコウィッツ『生まれつき翻訳-世界文学時代の現代小説』(佐藤元状・吉田恭子[監訳] 田尻芳樹・秦邦生[訳])、松籟社、2021年

「小説家で詩人のハイメ・マンリケはコロンビア生まれだが、一九八〇年以来合衆国在住で、小説は英語、詩はスペイン語で出版している。彼に言わせれば英語は自分の「公用言語」である。社会との「会話」として、「会話」について執筆するのに楽な言語であるのが英語であるのに対して、スペイン語は彼にとって「親密な」言語なのである。」(23ページ)

ハイメ・マンリケには日本語での翻訳書がある。

ハイメ・マンリケ『優男たち-アレナス、ロルカ、プイグ、そして私』(太田晋訳)青土社、2006年

最も有名な彼の小説は以下の『マンハッタンに浮かぶラテンの月』。

Jaime Manrique, Latin Moon in Manhattan, The University of Wisconsin Press, 1992




目の疲れと肩こりがはじまってしまうので、根を詰めてはいけないのだが、このところの雨と晴れの繰り返しも結構辛い。気圧の影響かもしれない。



2022年4月25日月曜日

4月25日 近況 図書新聞3541号に書評が掲載されました

雨が降れば寒く、晴れると暑い奇妙な4月も後半に入り、新年度の慌ただしさにも少し慣れたところ。

この前の金曜日、4月22日は晴れてとても気持ちの良い日だった。こういう日は教室にいるのももったいないような気がしてしまう。緑あふれる樹々と青空。



図書新聞3541号に、書評を掲載していただきました。取り上げたのは、シルビナ・オカンポ『蛇口--オカンポ短篇選』(松本健二訳)、東宣出版、2021。


今週の図書新聞は海外文学特集といった感じで、マバンク『アフリカ文学講義』(みすず書房)について、粟飯原文子さんと中村隆之さんの対談がメイン。

その横、なんと1面に僕の書評を載せていただいたので、とても嬉しく思っている。そうそうあることではないような……

ラテンアメリカ文学作品では他に、バルガス=リョサ『ケルト人の夢』(野谷文昭訳、岩波書店)、エドガルド・コサリンスキイ『オデッサの花嫁』(飯島みどり訳、インスクリプト)の書評が掲載されている。評者はそれぞれ、仙田学さん、石井登さん。スペイン語の小説3点がいっぺんに書評されることもまたそうそうあることではないような……

それから、1面下段広告に東京外国語大学出版会の新刊3点が掲載されています。

2022年4月12日火曜日

4月12日 出版会のこと、「ピエリア」のこと、その他。

新学期も始まってほぼ1週間。あとは水曜日の授業が待っている。

東京外国語大学出版会のリレー講義(オンライン)が始まる。シラバスはこちら。この第1回が明日である。コーディネーターは、出版会から分厚い翻訳書を上梓されたばかりの野平宗弘先生。

出版会は毎年春、主に入学生を対象にしたブックガイド「ピエリア」を刊行している。この春にももちろん出て、図書館入り口や研究講義棟の1階ガレリアなどで配布している。

真冬の最中、強力な学生スタッフも参加して出来上がった冊子だ。この前、とある有名な作家の方と連絡を取ったら、その方のもとにもこの「ピエリア」が届いていることを知った…… 

この春の特集は「古典」で、そこではマヌエル・プイグの『蜘蛛女のキス』を紹介し、学生中心の企画「映像から地域を読む」では、ムヒカ元ウルグアイ大統領が外大に来た時の模様を収めた映画を紹介した。

かれが外大に来る折には、いろんな意見が飛び交って、すったもんだもあったような気もするが、今となってはもう遠い過去。こういう映画ができなければ、誰の記憶にも残らないのではないか。映像には、知っている顔も映っている。

書いていて思い出したが、ムヒカの講演の時、事前に質問を考えていたスペイン語専攻の学生たちが何人かいて、その1人が僕の横に座っていた。大きなホール、大人数の中で挙手するのは勇気がいるので緊張していて、手を挙げるべきかどうか、迷っていた。その迷う姿に妙に感情移入してしまったものだ。



そうそう、東京外大のFacebookやTwitterでも、レオナルド・パドゥーラ著、拙訳の『わが人生の小説』を告知していただいている。版元はAmazonに書影を載せないので、それはちょっとだけ残念。まあ仕方のないことだが。

大学HPに載せた訳者コメントはこちら。もっともっと長く長く、止めど尽くせぬコメントがこの本についてはあるのだが、それはまた別の機会に譲るしかない。

そういえば、この前キューバのGranma紙で、キューバの文学研究者アンブロシオ・フォルネー(Ambrosio Fornet)の訃報に接した。1932年生まれだから、89歳か90歳ということになる。かれには一度だけ挨拶というか、握手をしたことがある。優しい顔立ちで、simpáticoな人だった。1999年の夏で、その後、かれの本を読むたびに、あの時のあの人なんだよなあ、と思っている。

『わが人生の小説』の草稿を読んでパドゥーラに助言したのは、アンブロシオ・フォルネーである。

かれの本もざっと書影を掲げたいが、それはまた別の機会にしよう。

2022年4月2日土曜日

4月2日:近況 翻訳書出ます

水声社から翻訳書の見本が届きました。

キューバのレオナルド・パドゥーラ『わが人生の小説』です。






装幀は宗利淳一さん。

使われている絵はキューバの画家レネ・ポルトカレーロ(René Portocarrero, 1912-1985)のもの。

タイトルは『ハバナの風景』(1961年)。

パドゥーラの小説のカバーにポルトカレーロの絵!

下は帯。




タイトルからもわかるように、『わが人生の小説』は内容としても分量としても重く、翻訳中に押しつぶされそうで、わからなかったり、それが原因で進まなかったり、「わが人生の翻訳」になってしまうのではないかと不安になったが、どうにか完成にこぎつけた。どうしたものかと悩んでいた箇所は、幸運としか言いようがない人物との出会いによって乗り越えられた(訳者あとがきで少し触れています)。


この翻訳書については断続的に書いていく予定。


----------------

読書会で読んでいた『ケルト人の夢』を3月末に読了。11月11日にはじめて全18回。今後は6月末のワークショップに向けて準備に入ります。

2022年3月25日金曜日

3月25日/キューバのウクライナ

ハバナ東部のビーチ、タララ(Tarará)は元々、キューバで学業優秀な子供が夏のひと時を過ごすために送られる場所だった。ボーイスカウトのキューバ版があって、スカウトされた子たちは、そこであれこれ訓練を受けるわけだ。もちろん子供達が楽しめるような娯楽施設も整っていた。80年代のキューバで少年少女時代を送った人たちにとって忘れ難い場所だ。

そこは、1986年のチェルノブイリ事故の後、1990年から、26000人以上の原発被害を受けた子供たち(ウクライナ、ロシア、ベラルーシの出身)を受け入れる場所にもなる(タララ小児科病院の設立)。そのプロジェクトは2011年ごろまで続いていた。

実際にここでキューバ人の子供たちと「ロシア人」の子供たちとの間でどれくらいの交流があったのかはわからない。治療が目的だったから、医師や看護に当たった人たちはともかく、子供同士はあまり付き合いはなかったのだろう。

2021年(つまり昨年)、アルゼンチンの映画作家エルネスト・フォンタン(Ernesto Fontan)はこれを題材にドキュメンタリー映画『タララ(Tarará)』を発表した。残念ながらそのドキュメンタリーを見ることは叶わないのだが、Youtubeにトレイラーがあり、記事もたくさんある。BBCスペイン語はこれ。他にもこれこちらは2009年のEl Paísの記事。ぜひ映画を見てみたいものだ。

----------------

今年の春は、暖かくなろうとしているのか、まだ冬でいたいのかわからないような進み方で、例年なら卒業式の時期には桜も満開になり、桜もすっかり卒業式の花になってしまったと思ったものだが、まださっぱり咲いている感じはない。

季節が進んでいるのか止まっているのか戸惑うこの春という季節。変わっていくこと、新しい時が来ることへの不安というか、年齢的に下り坂に差し掛かっていると、竹内まりやの「人生の扉」ではないが、「この先[春を]いったい何度見ることになるだろう」という思いが身に沁みる。

こういうどっちつかずの時期に年度を入れ替えることになっているこの暦は、出会いや別れの演出にとってうまくいきすぎているような気がしないでもない。秋入学に切り替えるのは難しいのではないか。

南半球のアルゼンチンも基本的には3月や4月が新年度の始まりで、これは日本から長期の滞在で行く時にはありがたい。ちょうどセマナ・サンタ(聖週間)の連休があって、一息つける。でも3月から4月は向こうの秋の始まりだから、つまり欧米流ということになる。

そういえば、アルゼンチンでは厳密に3月の「秋分の日」(日本では春分の日)を秋の始まりと考えるらしく、3月半ばあたりに、「そろそろ秋ですね」などと日本における季節の挨拶感覚で言うと、「秋は3月××日に始まる」と返されたりする。

無事に卒業式も終わって、年度最後の会議も終わった。自分にとってはこの2年の間、教室で会った学生のことは忘れられないように思う。場を共有した人たちへの愛着、スペイン語でいうところのapegoというのは剥がれていくのに時間がかかるが、新しい方向に光も見えて、なんとかなりそうな気がしてきた。

写真は3月24日の多磨の桜。




2022年3月19日土曜日

3月19日 コロンビア・カリブの兄貴たち/中東現代文学選2021

中東現代文学研究会[編]/岡真理[責任編集]『中東現代文学選2021』が届きました。プロジェクトのHPはこちら



 


ここに、ルイス・ファヤッド「ベイルート最後の日」を翻訳しました。ファヤッドはレバノン系コロンビア人で、しばらく前からベルリン在住。

ファヤッド氏と面識はなかったので、翻訳するにあたって、コロンビアの研究者に連絡をとり、最終的にご本人とメールのやりとりができました。

彼の本では最近、長編『エステルの親戚(Los parientes de Ester)』が、CátedraのLetras Hispánicasに入っています。

Luis Fayad, Los parientes de Ester, Cátedra, 2019.



Cátedra版の解説を書いているのはホセ・マヌエル・カマチョ・デルガド氏(セビーリャ大学)なのだが、コロンビア・ハベリアナ大学のクリスト・フィゲロア(Cristo Figueroa)がかなり協力したようである。

最近のCátedra版の解説(というか実際には序論ではあるが)はやたらに長く、ファヤッド本の場合には、200ページ以上ある小説の長さには及ばないものの、150ページほどの序論である。長すぎやしないかと思うが、文献目録が充実しているわけでありがたい。ここにはコロンビアでお世話になった人の名前が出てくる。

クリストと最初に会ったのはもう20年以上前のこと、ハベリアナ大学の研究室を訪ねた。その時にはメールでやりとりするようなことはなかったが、2008年ごろだったか、カルタヘナでもう少し親しくなり、今回彼にメールしたらすぐにファヤッド氏の連絡先を教えてくれた。

その頃のカルタヘナには、作家のオスカル・コジャソス(Óscar Collazos)がいた。雑談しているときに、彼がキューバの「カサ・デ・ラス・アメリカス」に招かれ、ちょうど1969年から1970年ごろの緊迫した時代に、あの現場にいたことを教えてくれた。

ラファエル・ロハスの『安眠できぬ死者たち』(2006)が出た後だったからそんな話になった。コジャソスは、1970年ごろのレサマやピニェーラをみていたのだ。

このコジャソスは2015年に72歳で亡くなってしまった。Twitterでの彼のほぼ最後のツィートは忘れられない。病気で入院していることが伝わっていた彼が亡くなったとの誤報を流した記者がいて、本人がそれを否定した。

「まだ吠えている犬を殺すな(No mates al perro que todavía ladra)」

楽園の犬は吠えないなんてコロンブスしか言わない。このツィートから3、4日後、彼は亡くなった。こうありたいものだ。人は死ぬまで生きている。

そしてカルタヘナで知り合って、何から何までお世話になった友人アルベルト・アベーリョも亡くなってしまった。なんと61歳で。アラカタカ行きを手配してくれたのもアルベルトだった。

アルベルト・アベーリョ・ビーベス(Alberto Abello Vives, 1957-2019)は、カルタヘナのカリブ研究所の所長をしていたり、大学で教えていたり、いろんな肩書を持っている人ではあった。

彼が催したフィエスタには、バランキーリャのアリエル・カスティーリョ(Ariel Castillo Mier, アトランティコ大学)も来ていた。その頃、かつて4年連続で通ったバランキーリャのカーニバルに行けてなかったのでアリエルは言った。「バランキーリャはお前を許さないぞ!」

アルベルト・アベーリョ・ビーベスはバジェナート歌手のカルロス・ビーベスの親戚で(と言ったって、大勢いる親戚のうちの一人だが)、カリブのサンタ・マルタ出身。サンタ・マルタ出身者をスペイン語では「サマリオ(samario, samaria)」と言う。

アルベルトは、カルタヘナのバリオを隅々まで知っていて、現金でしか支払えない、地元の人しか知らないような、とても居心地の良いオスタルやレストランに連れて行ってくれたものだ。

観光客が中心のレストランに行ったりすると、こういうところはよくない、もっといいところがあるといいたげだった。どこを歩いてもどこに行っても必ず知り合いがいる町の名士だった。彼からのメールは「AA」で結ばれていた(AlbertoのAとAbelloのA)。

オスカルやアルベルト(やその他の研究者たち)はコロンビアにいる兄貴のような人たちだった。彼らはコロンビアのカリブ地方について、こちらの想像もつかないような大きなリスクを背負って書いているように見えた。

ファヤッド氏の短編を、こうしてコロンビアでの経験を生かして翻訳ができたことはとても嬉しい。オスカルとアルベルトと知り合っていなければ、この作品を翻訳することはなかっただろう。

---------------

いよいよ桜が咲きそうな気配の中でピアノの練習をしたりして、できないところはいつまでたってもつっかえる。

写真は土曜日なのに大学での桜。


2022年3月6日日曜日

近況(2022年3月6日)

2年前のいまごろはキューバにいて、猫の写真を撮ったりしていた。

ちょうどコロナウィルスの危機が迫っている時で、空港でも普段はされたことのないメディカルチェックがあって、その後は宿泊先にも連絡が入り、近くの診療所に行かされた。でも思い出してみると、2009年の豚インフルの時にもハバナの空港職員は黒や緑のマスクをしていた。

2020年3月の猫写真を上のサイトにもっと載せてもらってもよかったのだが、例えば以下のような猫たち。






2年前はコロナがこんなことになるとは思っていなかった。そのころの記憶は凍結されたまま(というか体験が経験になる時間を経ないで)2年がすぎてしまったような気がする。

診療所に行かされたと言っても、実は宿泊していた宿の人は診療所から連絡があっても黙っていてくれて、痺れを切らした診療所から督促があったので、滞在の終わりごろになってようやく出向いた。行ってみると、担当の看護師さんに、「探してたんだから・・・」というような笑顔。




ここでまず最初にされたことは、身長測定と体重測定だった。え?ほんと?と思った。その後は診察をしながらカルテを書いていた。喉の痛みや咳がないかどうかを聞かれ、それでおしまいだった。

その時に乗った航路が復活しているのかどうかを調べてみたら、残念なことに、まず羽田からトロントまでのエアカナダの直行便がなくなっている。トロントからハバナへの航路も途絶えているようだ。現在、ネットでハバナ行きを検索すると、パリ経由の便が出てくる。パリとハバナの間にはフライトがあるわけだ。

ちょっとしたショックを味わった。なんだかキューバがとてもとても遠くに感じた。

それでも時は流れている。

いま、いくつかの仕事が手を離れ、一瞬の隙間が生まれている。そして苦手な春。2月の間は、早く暖かくならないものかと思っていて、今年はやけに長い2月だと感じたのだが、いざ春風が吹きはじめると、途端に辛くなる。すがるものがないような気がして…… (でも嬉しい知らせもあって、科研が採択されました!数年続けて落ちていたので…… 審査して評価してくださった先生方には感謝)


2年前のキューバとコロナ、そして今の戦争が強く結ばれて、ますます言葉にならない、言葉にできないことが、体の中でうなり続けているような感じ。

2年前(もうこれで何回目の「2年前」だろう)のキューバ滞在の時、「カサ・デ・ラス・アメリカス」の雑誌でフェルナンド=レタマール追悼号が出た後で、それを手に入れたりした。




ロシア文学やロシアの社会主義リアリズムのキューバでの展開について話を聞いたりしていた。その一部は、1年前の社会主義リアリズム文学研究会で発表した。その後、博士論文の審査があったりもしたのだが……。

戦争が始まった後、キューバに住んでいるロシア系キューバ人に電話をした。同じ世代の人で、話していて、なんとなく安心感がある。その人のお母さんはウクライナの人というか、ウクライナの人(祖母)とロシアの人(祖父)のあいだに生まれた人で、現在はベラルーシに住んでいる。え?ベラルーシなの?と思わず聞いてしまった。

キューバの事情としては、昨年7月に起きた大きな抗議行動以降、その人はSNSには触れないようにしているという。それでも元気そうだった。

ハードルが目の前にあることがわかっていて、それをどうやって乗り越えるか思案していくのであれば、それはまだましだ。

まずは目の前にあるのがハードルかどうかすらわからない。ハードルであることに気づくのにさえ時間がかかる。どちらかというと自分はそういうタイプだ。もしかしてハードルにつまづいて地面に転がっているのかもしれない。そしてそのことにも気づけていないのかもしれない。


もうあと一ヶ月で新しい年度がはじまろうとしている。

---------------

バルガス=リョサの『ケルト人の夢』の読書会は順調に続いていて、3月中に読み終わり、6月末にはなんらかの形でワークショップをやろうと計画を立てている。

あ、そうそう。Instagramはじめました。リンクの貼り方わかりません。

今、過去のブログのエントリーを見たら、2年前にも猫の写真をあげています。

2022年1月21日金曜日

フランシスコ・オリェール(プエルト・リコの画家)

プエルト・リコの画家フランシスコ・オリェール(その時は、オジェルと表記した)のことは、以前このブログのどこかで書いた。

彼について日本語の文献があるとは思っていなかったが、それは大きな勘違いだった。本が出ていたのだ。

しかもその本は自分が学部時代に読んだのと同じ作者によって書かれたものであって、まさかこんな形で出会うとは!

リンダ・ノックリン『絵画の政治学』(坂上桂子訳)ちくま学芸文庫、2021年。




オリェールが取り上げられるのは、この本の第2章、「クールベ、オリェールと場所の意味」である。

リンダ・ノックリン(1931-2017)はアメリカの美術史家で、『絵画の政治学』は英語で書かれているが、2章の冒頭にかっこ付きで使われている「時代性をもたなければならない」という表現は、これは賭けてもいいが、フランス語で書かれているはずだ。以下のように。

il faut être de son temps”

このフランス語こそ、リンダ・ノックリンを学部の授業で読んだときに悩まされた表現で忘れられない。

「『時代性をもたなければならない』という標語は、一九世紀リアリズムの概念の核としてしばしば引用されてきた。「人は自らの時代を生きるべきだ」とは、クールベや彼の仲間達の闘争のモットーであった」(p.66)

これが『絵画の政治学』の第2章の冒頭の続きである。

1980年代の学部の授業で使われた教材は、彼女の1971年の『Realism』である。難しかったが、こうして覚えているということは、やはり意味があったのだろう。

それは、原典講読という授業だった。今はこういう授業科目はあまりないが、大体どんなカリキュラムにもあった。

この授業では英語の原典を読んだ。ドイツ語やフランス語の原典講読ももちろんあった。ドイツ語の方をとった。そこではドイツの画家マックス・ベックマンが論じられていて、そのテキストの中にはディエゴ・リベラが出てきたことを克明に覚えている。

授業で『Realism』の一部の訳出を担当したが、その箇所にこのフランス語(il faut être de son temps)が出てきて、しかもこれが、上に引用した通り、彼女の著書の鍵概念だったわけで、フランス語は知らなかったものだから、苦労したものだ。


19世紀リアリズムを考えるこの本では、カラヴァッジョの絵のことも出てきて、ちょうどこの頃だったか、デレク・ジャーマンが撮った映画もあったりした。映画は1986年だからいつ見たのか。

そしてこの2章でノックリンは、こう続ける。

「しかしながら私には、リアリズムの構想には、これに劣らず重要なもう一つの忠告が含まれていたように思われる。それはすなわち、同時代性への関心と時には関連しつつ、時には矛盾を呈するが、『人は自らの場所を生きるべきだ』ということである」

そしてその事例としてクールベの『オルナンの埋葬』とプエルト・リコの画家オリェール(1833-1917)の絵が引用されるのだ。

オリェールの絵は幼くして亡くなった子の通夜を壮麗に描いたもので、音楽あり踊りあり、涙はできる限りなしという、そういうどんちゃん騒ぎの通夜とは、現地風に言うなら、バキネーである。カリブ地方という自らの場所を生きた画家オリェールの最も言及されることの多い作品である。

[この本で、オリェールの絵のタイトルは「目覚め」と日本語に訳されている。巻末にあるように英語ではThe Wakeである。スペイン語原題はEl Velorio、つまり通夜である。]

この絵が73 ページに図版として入っていて、びっくりしてしまった。『絵画の政治学』は1996年にすでに日本語に翻訳されていて、今回ちくま文庫に入った。あとがきによれば、ノックリンは2009年に来日もしていた。

ぜひ『Realism』も日本語になって欲しいものだ。

--------------

この時期の仕事に根を詰めると、確実にめまいや肩こりに襲われ、一旦それが始まると、数日間は何にもできなくなるので、絶対に無理してはいけないと言い聞かせながらやっている。しかしセーブするのは案外難しい。

2022年1月12日水曜日

コロンビアのユダヤ人(続き)/近況

前便で触れた、シモン・グベレック(1903-1990)の文章の全体を収めたのが以下の本。

Simón Guberek, Yo vi crecer un país, Departamento Administrativo Nacional de Estadística, Bogotá, 1974.




序文を書いているのは、ルイス・ビダレス(Luis Vidales、1904-1990)。コロンビアの数少ない前衛詩人のひとりで、なるほど、創作のかたわらでこういうことをやっていたのだなあと思った。

この本の元原稿はイディッシュ語で書かれ、それは1973年にブエノスアイレスで出版されている。

その原稿に目を通して、若干スペイン語に手を入れたのがルイス・ビダレスなのだが、ビダレス以外にもこの本の出版に協力した人たち(10名以上)がいるようで、そのを記念写真が収められている。

なるほど、これはゴンブローヴィッチが『フェルディドゥルケ』のスペイン語翻訳版をブエノスアイレスの文壇と協力して出したのと同じようなことが、ボゴタでも起きていたということだ。

第1章:コロンビアへの移住まで。ポーランドのこと。

第2章:コロンビアのユダヤ人 パート1

ここが前便で紹介したバランキーリャから首都ボゴタへの移動

第3章:コロンビアのユダヤ人 パート2

ボゴタのユダヤ人経営のレストランにユダヤ人たちが集っていた話が語られている。レストランの店主はMax Szapiroという人。この店ではワインやウォッカ、90度以上の酒までが供され、ユダヤ人たちはコロンビア料理から故郷の料理まで楽しんでいた。しかもそこにはキューバから流れ着いたユダヤ人もいて、彼らの話す「キューバ語」に驚いたり喜んだり。多くのコロンビアのユダヤ人との付き合いが具体的に書かれていて、いずれこのブログでも紹介したいSalomón Brainskiへの言及もある。

第4章:グベレックの知り合ったアメリカ大陸の偉人たち

第5章:コロンビア各地を訪れたときの紀行だが、随筆風

ポパヤンに行ったときの話には、チラリとその地のユダヤ系作家ホルヘ・イサアクスに言及したり(「ポパヤンではエルサレムが息づいている」「ここにはかつて『マリア』の偉大な作者がいたのだった」)、カルタヘナへ行った時には異端審問所跡を訪ねたり。各地でユダヤ系の人びとと出会い、語らっている。

第6章:日常の出来事や旅日記など

---------------------

先日、京都で中東現代文学研究会に参加して発表してきた。

年始に「思想しつつ、生活しつつ、祈りつつ」という羽仁もと子の言葉を知った。

1月6日の夜の雪景色。