2015年6月18日木曜日

キューバ文学(5)レサマ=リマ

キューバの文芸誌を整理していたら、「Unión」(2002年10-12月、48号)が出てきた。
表紙の写真はフリオ・コルタサル(左)とレサマ=リマ(右)。

真ん中にいるのが、この写真をセルフタイマーで撮ったチノロペ(Chinolope)。
チノロペはニックネームで、本名はギジェルモ・フェルナンド・ロペス・フンケー(Guillermo Fernando López Junqué)。中国系キューバ人の写真家である。

この表紙写真は1967年のもの(1963年という説もあるが、おそらく間違い)
レサマ=リマの代表作『楽園』(Paradiso)を激賞したのがコルタサルだった。『楽園』が出たのは1966年なので、1967年ごろにこの写真が撮られていて不思議ではない。昨年出たコルタサルの写真集には、別のカットが載っている。

撮影場所はハバナのプラサ・デ・ラ・カテドラルにあるレストラン「エル・パティオ」。


チノロペはコルタサルの写真をたくさん撮っている。



同じ「Unión」号の裏表紙にはウィフレド・ラム(左上)とビルヒリオ・ピニェーラ(右下)の写真。画家のラムも中国系である。




2015年6月17日水曜日

キューバ文学(4)ウェンティ・ゲーラ

キューバの現代作家ではウェンディ・ゲーラをなんとか紹介したいと思っている。

1970年生まれ。女優でもある。

彼女の出世作『みんないなくなる』(2006)が映画化されるらしい。

監督はコロンビアのセルヒオ・カブレラとのこと。

ゲーラのブログはこちら

彼女が亡き母(詩人アルビス・トーレス, 1947-2004)について、こう言っていた。

「Espero tu señal. エスペロ・トゥ・セニャル。」

意味は「お母さんの合図を待ってるからね。」

2015年6月15日月曜日

キューバ文学(3)ヘスス・ディアス

ヘスス・ディアスとレイナルド・アレナスの人生はあるときから分岐する(ラファエル・ロハス)。

ヘスス・ディアスは1941年にハバナに生まれ、2002年にマドリードで死んだキューバの作家、脚本家、映画監督、編集者。

ディアスの訃報は「エル・パイース」紙のこちら

レイナルド・アレナスは1943年にオルギンに生まれ、1990年にニューヨークで死んだキューバの作家。

アレナスの訃報は「エル・パイース」紙のこちら

ヘスス・ディアスは『困難の年月』(Los años duros, 1966)でカサ・デ・ラス・アメリカス賞。

レイナルド・アレナスは『夜明け前のセレスティーノ』(Celestino antes del alba, 1967)でUNEAC文学賞の佳作。

ヘスス・ディアスは1966年からキューバ共産党青年部機関紙「Juventud Rebelde」の編集長(別刷りの文化版)になる。この文化版は「El Caimán Barbudo」と呼ばれるようになり、多くの作家が寄稿する。

しかし、ディアスはあの1989年、奨学金を得てベルリンへ渡る。

チューリッヒでキューバの状況に関する討論会に出席して(エドゥアルド・ガレアーノもいた)、キューバに対する米国の経済封鎖と、カストロによる社会主義か死かの二者択一論法にも反対であると表明した。

この発言が知れ渡り、ディアスはキューバから追放され、 その後はマドリードで雑誌の編集に携わった。

追放されたときのキューバ政府の文書は改めて紹介したい。

ディアスの短篇「アラブのピアニスト」(El pianista árabe)はパリが舞台の、逃亡するキューバ人ピアニストの話(だったと記憶する)。こちらで読める。

2015年6月14日日曜日

キューバ文学(2)レオナルド・パドゥーラ

去る6月10日、キューバのレオナルド・パドゥーラがスペインのアストゥリアス皇太子賞(文学)を受賞した。

パドゥーラはカルペンティエルの研究書を出したこともある。1955年生まれ。

スペインの「エル・パイース」紙では受賞をこのように報じている。

この賞はいくつかの部門に分かれていて、Wikipediaで歴代の各賞受賞者がわかる

あの1989年のキューバをハードボイルド・タッチの推理小説として描いた下の4部作は残念ながら、一作も日本語になっていない。

『完璧な過去』(Pasado perfecto, 1991)
『四旬節の風』(Vientos de cuaresma, 1994)
『仮面』(Máscaras, 1997)
『秋の風景』(Paisaje de otoño, 1998)

 このなかでは、ゲイをテーマにした『仮面』が記憶に残っているが、作者は少し流行ものに手を出したと思っているようだ。

邦訳としてあるのは、この4部作と同じ主人公マリオ・コンデものの以下の小説。

『アディオス・ヘミングウェイ』(宮崎真紀訳)ランダムハウス講談社文庫、2007年。

また短篇では、「狩猟者」が「すばる」2004年11月号に載っている。

私が『仮面』を読んだのは、前世紀のこと、15年前くらいだ。あのころ、日本でキューバのハードボイルド小説に注目しようとした人はほとんどいなかった。

この小説が、(ソ連)帝国の崩壊を描いていることに気づけた人もほとんどいなかった(自分も含めて)。

2015年6月13日土曜日

キューバ文学(1)アントニオ・ホセ・ポンテ

キューバの今後を考えるときに必読の書。アントニオ・ホセ・ポンテの『さまよい人の心』(Antonio José Ponte, Corazón de skitalietz, 1998)

短篇「来る途中」(Viniendo)の冒頭、ほんの数行だけ引用しておく。


 「彼のルームメイトはオデッサから船に乗ってハバナに戻る方法を選んだ。考えられるかぎり、最も長い道のりだった。ルームメイトは国外にいる時間を引き延ばせば、旅の途中、海のどこかで、戻ることに何かしらの意味が見つかると思っていた。


 『帰り着く前に、たぶん遭難するよ』荷造りが終わって、ルームメイトは言った。『そうなったら、ちょっとした幸運だ』


 彼は学生寮の部屋で独りになった。
 

 寮は少しずつ空っぽになっていき、ついにアラブ人とキューバ人だけの小さなグループだけが残り、彼らはロシア語で話すのをやめ、それぞれの言葉に逃げ込んだ。

(中略)

 『流刑だな』と、彼は昨夜眠れずに思った。『ロシアに残るべきだった』

 しかし方法がなかった。」


留学先のソ連で、キューバ人はソ連崩壊に立ち会う。キューバ人にとって、それはある程度、祖国の崩壊を意味する。この物語はそのときのキューバ、キューバ人の「さまよい」を主題にしたものだ。

国などというものが永遠にあると思っている人がいるが、そうではない。

2015年6月6日土曜日

続々とアルゼンチンから

6月、アルゼンチンから日本にやって来る人たちのこと。

ラテンアメリカ文学研究者で、ラプラタ大学長年教鞭をとってきたホセ・アミコラさんが日本学術振興会の招きで来日中。

6月19日に東京外大で講演予定。講演題目は「アルゼンチン作家と日本文化」

http://www.tufs.ac.jp/event/general/post_644.html

 同じ週の16日には東大駒場で講演予定。


続いて、マリア・コダマさんの来日。
6月13日(土)、六本木のストライプハウス・ギャラリーで講演予定。

http://striped-house.com/after.html

6月18日(木)には東大本郷で講演予定。

さらに、月末にはアルゼンチン在住で、日系作家のアナ・カズミ・スタールさんも来日する。
早稲田大学や森美術館、東大でシンポジウムが企画されている。
森美術館のイベントは以下のとおり。

http://www.mori.art.museum/jp/nyu/index.html