2019年12月29日日曜日

キューバ文学:ダニエル・チャバリーア、ほか

本の整理もそろそろ終わらせなければならない。

ウルグアイからキューバに来て、古典文学を教えながら小説を書いた男、ダニエル・チャバリーア。1933年生まれで、2018年没。

彼の小説第1作にして内務省主催の1977年文学賞受賞作がこれ。

Daniel Chavarría, Joy, Letras Cubanas, La Habana, 1982(初版は1977)




ぼろぼろのキューバ幻想怪奇短篇集が出てきた。

Cuentos cubanos de lo fantástico y lo extraordinario, UNEAC, La Habana, 1968.


アンヘラ・マルティネスの「雨」は面白い。

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2019年10月、イェール大学で「Casa de las Américas」についてのシンポジウムがあった。

登壇者と題目はでわかっているのは以下の通り。

Rafael Rojas, “La teoría de la literatura latinoamericana como capítulo de la Guerra Fría”,
Odette Casamayor, “El Caribe negro de la Casa de las Américas”
Maité Hernández-Lorenzo(この人はCasaから出席),  “Proyecto Línea del Tiempo”
Juan Carlos Quintero Herencia,  “Leer la Casa de las Américas hoy”(この文章はAcademia.eduにあることがわかっている。他のはわからない)
César Salgado, “La espectralidad en Casa".
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キューバ関係以外で床に積ん読だった本をようやく本棚へ。並べ替えはこれから。




2019年12月15日日曜日

キューバ文学:エセキエル・ビエタとノエル・ナバーロ

流れとしては前回の続きで、UNEACの文学賞受賞作の整理。

今から思えば、このようなことをやりはじめたのは、以下の本がきっかけだったということかもしれない。

Ezequiel Vieta, Vivir en Candonga, Ediciones UNION, La Habana,1966.


もはや表紙も本から剥がれ、保存状態に気をつけないといけないレベルに入っている。これが1965年受賞、1966年出版。

そして1970年に同じ賞をもらい、翌71年出版の作品が以下のもの。

Noel Navarro, Zona de silencio,  Ediciones UNION, La Habana, 1971.


 エセキエル・ビエタは1922年生まれ(1995年没)、ノエル・ナバーロは1931年生まれ(2003年没)。

 前のエントリーで紹介したRogelio Rodríguezの研究書の年表には、「1972年には小説の出版がゼロ」とある。そんなことがあるんですね。

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2019年11月30日土曜日

キューバ文学:セサル・レアンテ、その他出版社「R(エレ)」

1970年代以降のキューバ文学の文献整理を続けている。出てくるものをだいたい以下のように分類している。

1 社会主義リアリズムの系譜
 警察小説、テスティモニオなどが中心で、アフロ系の文化や人物が主題化されたものなどが多い。 とはいえヘスス・ディアスはここにも入るし、以下の系譜にも入る。

2 西欧モダニズムの系譜
 
3 1と2の両方から出てきたもの
   ポスト社会主義リアリズム世代というか、革命後に生まれた作家たちが中心といえば中心。

1960年代はまだ上のようには分類できず、例えば出版社「R」(Revoluciónの"R")が出しているものなどは、装丁から手がかかっていて、70年代とは違う。

この出版社のもので最も有名なのはサルトルのキューバ訪問記(『Sartre visita a Cuba』)だろうか。このエントリーですでに紹介済み。

Edmundo Desnoes, No hay problema, Ediciones R, La Habana, 1961.


レネー・デ・ラ・ヌエス(René de la Nuez, 1937-2015)は風刺画集がある。

Nuez, Cuba Sí, Ediciones R, La Habana, 1963.


ヌエスはもう一つの有力な出版社「Ediciones Unión」でも出している。それは「Allí fume」というタイトル。

詩人のオルランド・デル・ポソ(1918-?)の以下の詩集(『青い猫』)は文字も青い。


Orlando del Pozo, El gato azul, Ediciones R, La Habana, 1964.

他にHumberto Arenal, La vuelta en redondo(1962)なども手元にある。

60年代から70年代の出版物の変化は、例えばセサル・レアンテでわかる(1928年マタンサス生まれ)。母親はメキシコ人で小さい頃はメキシコにいた。

60年代の出版物は以下の"R"から出たもの。

César Leante, El Perseguido, Ediciones R, La Habana, 1964.


その後、1975年にUNEACの文学賞(Cirilo Villaverde賞)を受けたのが、以下の『黒人ゲリラ兵』。

César Leante, Los guerrilleros negros, Siglo Veintiuno Editores, 1979.


また、資料の整理時に参照している一冊が以下の文献。

Rogelio Rodríguez Coronel, La novela de la Revolución cubana, Letras Cubanas, La Habana, 1986.


2019年11月23日土曜日

女性作家によるカリブ紀行

Nara Araújo(Selección, Prólogo y notas), Viajeras al Caribe, Casa de las Américas, 1983.

19世紀の環カリブ海地域に滞在、旅行、取材した女性作家・ジャーナリストのアンソロジー。


収録されているのは、以下の20人の書き手。データが出てくる人もいれば、ほとんど出てこない人もいる。よく集め、よく翻訳したものだ。

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María Nugent 1771年生まれ。ジャマイカに赴任したイギリス人の夫に付き添ってカリブへ。1801年から1805年の日記。


Fanny Erskine Inglis 1804年エジンバラ生まれ。メキシコ滞在記『Life in Mexico(1843)などでも知られる19世紀の紀行文学作家。1839年にハバナからの書簡など。


María de las Mercedes Santa Cruz y Montalvo(Condesa de Merlín) 1789年ハバナ生まれ。メルリン侯爵夫人として知られる。『ハバナへの旅』からの抜粋。


Mathilde Houston 米国出身で夫とヨットに乗り、中米・カリブを旅行?


Fredrika Bremer 1801年フィンランド生まれ。スウェーデンの作家・活動家。1849年から51年にかけて米国とキューバを旅行。


Amelia Murray 1795年生まれ。イギリスの作家。19世紀半ばにキューバを旅行。


Julia Howe 1819年アメリカ合衆国生まれ。奴隷廃止論者。


Rachel Wilson Moore アメリカ合衆国出身。Journal of Rachel Wilson Moore: 1863-1864など。


Eliza Mchatton-Ripley 1832年アメリカ合衆国出身。メキシコやキューバに滞在。


Louisa Mathilde Woodruff アメリカ合衆国出身。1870-1871キューバに滞在。


Leontine Roncajolo 1876-1892にベネズエラに滞在し、『ベネズエラの思い出』を記す。


Jenny Tallenay 1880年ごろカラカスに滞在した。


Fanny Chambers Gooch 1842-1913 テキサス出身。『Face to Face with the Mexicans1888がある。


Mary Lester イギリス人で、1881年末にホンジュラスへ。その時の紀行文が『A Lady’s Ride Across Spanish Honduras』にまとめられている。


Cora Hayward Crawford The Land of the Montezumas(1890)。母とメキシコ旅行した時の記録。


Julia Newell Jackson A Winter Holiday in Summer Lands(1890)に、キューバ・メキシコ紀行あり。


Eulalia de Borbón 1864-1958。スペイン女王イサベル2世(1833-1868)を母、フランシスコ・デ・アシスを父。キューバに旅行。


Anne Maudsley グアテマラを旅行(1893-1894)。


Eva Canel 1857-1932。スペインのアストゥリアス出身、ハバナで没。独立戦争時のキューバに滞在し、記録を残す。


Margherita Arlina Hamm アメリカ合衆国出身。1867-1907。日清戦争の頃には韓国に滞在。プエルト・リコで米西戦争を取材。

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2019年11月21日木曜日

キューバ文学:イグナシオ・カルデナス・アクーニャ


イグナシオ・カルデナス・アクーニャの小説『日曜日の謎』は、1969年のキューバ作家・芸術家協会(UNEAC)の文学コンクールで受賞作(Premio Cirilo Villaverde)となった作品。

Ignacio Cárdenas Acuña, Enigma para un domingo, Editorial Atom Press, Inc., 2011.


受賞は1969年だが、初版は1971年のようである。というのは、ここに書影を掲げているのは2011年に出版された40年記念版であるから。

この作品が重要なのは、その後のキューバの警察・推理小説の流れを生む発端となったからである。

1924年生まれのイグナシオ・カルデナス・アクーニャは織物工場で働きながら電気工学を学んだ。

内務省が警察文学賞を開始するのは1972年。当初は治安・警察部門に勤めている者にのみ開かれていたが、その後、誰でも応募できるようになった。 

2019年11月11日月曜日

ラテンアメリカ・カリブにおけるユダヤの響き

この前、オペラ版『パサジェルカ』をみる機会があった

のちの加害者と被害者の対面は、南米ではチリ独裁時代の拷問者と被害者ののちの対面劇を描いたアリエル・ドルフマン『死と乙女』でも見られる。

少し局面は違うが、被害者と傍観者を描いたものとしては、フリオ・コルタサルの「ふたつの切り抜き」という短篇だろうか。

『愛しのグレンダ』(野谷文昭訳、岩波書店)に入っているこの短篇では、軍政期に拉致されて殺害されたアイーダ・レオノラ・ブルステイン・ボナパルテの母親が書いた新聞への投書を読む二人のアルゼンチン人の話である。

二人の芸術家はパリにいて、この投書を読んでそわそわする。一人は彫刻家、もう一人は小説家。

 「アウシュヴィッツじゃガス室に入れられる前に子供たちにはキャラメルが配られたからね」

こう彫刻家がいうように、殺されたアイーダはユダヤ人だった。

母親(ラウラ・ベアトリス)は軍を訴える。するとさらに迫害は強まり、「ユダ公のクズめがよくもアルゼンチン軍相手に殺人罪の訴訟なんて」と父親の方が連行される(その後死ぬ)。

この短篇では軍政期のアルゼンチンで多くのユダヤ人が迫害を受けたことがわかる。そして以下の本を見たら、コルタサルのこの短篇も入っていた。

IIan Stavans(ed.) The Scroll and the Cross: 1,000 years of Jewish-Hispanic Literature, Routledge, New York and London, 2003.



ロルカの「ユダヤ人の墓地」(『ニューヨークの詩人』所収)、ボルヘス「隠れた奇跡」のほか、ユダヤ系作家1000年の歴史。この本にはユダヤ・ディアスポラの年表が付いている。

イラン・スタヴァンスはこの本よりも前に、ラテンアメリカ・ユダヤ作家アンソロジーを出している。

Ilan Stavans(ed.), Tropical Synagogues: Jewish-Latin American Writers, Holmes & Meire, New York / London, 1994.


慌ててブログを読み直したら上記の本はすでにこちらで紹介済み。

さらに本を整理したら、ラテンアメリカ・ユダヤ作家のアンソロジーとして以下の本も出てきた。

Rita Gardiol(ed.), The Silver Candelabra & Other Stories: A Century of Jewish Argentine Literature, Latin American Literary Review Press, Pittsburgh, 1997.

Marjorie Agosín(ed.), The House of Memory: Stories of Jewish Women Writers of Latin America, The Feminist Press, New York, 1999.

カリブ地域におけるユダヤ人の歴史についての本は以下のものがある。

Harry A. Ezratty,  500 years  in the Jewish Caribbean: The Spanish and Portuguese Jews in The West Indies, Omni Arts, San Juan, Puerto Rico, 2002.

2019年11月4日月曜日

フェルディドゥルキストたちよ(ボラーニョ)/キューバ映画

ボラーニョが書いた書評やエッセイ、講演録その他は、これまで『Entre paréntesis』というタイトルの本にまとめられていた。

Roberto Bolaño, Entre paréntesis: Ensayos, artículos y discursos(1998-2003), Edición de Ignacio Echevarría,  Anagrama, Barcelona, 2004.

序文は編者のイグナシオ・エチェバリーアが書いている。

366ページもあり、フォントも小さくてぎっしり詰まっている。



版元が変わり、新しくなったのが以下の本。

Roberto Bolaño, A la intemperie: Colaboraciones periodísticas: Discursos y conferencias: Lecturas y relecturas, Alfaguara, Barcelona, 2019.

新しいエディションの序文はホルヘ・ボルピである。

フォントは大きいが、付録に視覚資料も数ページあって、500ページ近い。この2冊には同じテキストが収められているのではないし、順序も違う。


 つい読んでしまったのが、カタルーニャ語の『フェルディドゥルケ』が出版された時に書かれたボラーニョの歓喜の文章。

「フェルディドゥルキストたちよ、すべてに敗北したわけじゃない。数ヶ月前、ほとんど誰にも気づかれなかったのだが、明暗に満ちた今世紀においてもっとも輝かしい本の一冊が世に出たのだ。Quaderns Crema社の『フェルディドゥルケ』 、1937年に初版が出たウィトルド・ゴンブローヴィッチの最初の小説のことだ。ブエノスアイレスのカフェ・レックスの集いの中で行われたスペイン語への翻訳こそは、間違いなく過度と寛容というもののなんたるかを示す画期的な出来事であり、つまるところ、我が世紀における文学というものの悦びのなんたるかを示す画期的な出来事なのである。」

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東京国際映画祭でキューバ映画(実際にはキューバが制作の映画ではないが)を一本見た。

オリヴィエ・アサイヤス監督『WASP ネットワーク』2019年

WASPといっても「ホワイト・アングロサクソン…」ではなく、スズメバチの方。

何の予備知識もなく見ていたが、途中で「5 héroes cubanos(5人のキューバの英雄)」の話だと気付いた。

1990年代、アメリカに渡って反カストロ組織に潜入し、組織が企てるキューバ政権打倒テロ計画を防いだキューバ人の物語である。

監督は『パーソナル・ショッパー』を撮った人。

2019年10月27日日曜日

キューバ文学:革命小説2冊(アルベルト・モリーナとルイス・ロヘリオ・ノゲーラス)

1970年代のキューバ文学において主流だった革命小説を2冊。

Alberto Molina, Los hombres color del silencio, Letras Cubanas, La Habana, 1979.



序文を書いているのはホセ・アントニオ・ポルトゥオンド。

1970年代初頭に内務省が主催した警察小説文学賞では、アルマンド・クリストバル・ペレスの"La ronda de los rubíes"とホセ・ラマドリー・ベガの"La justicia por su mano"の二作が受賞している。

この二作は内務省に籍のある軍人(二人とも中尉だったらしい)による小説であるのに対し、このアルベルト・モリーナや同じ賞を受けているロベルト・ペレス・バレーロ(受賞作は"No es tiempo de ceremonias")は文民(モリーナは学校の先生でもあった)によって書かれている。

アルベルト・モリーナは1949年生まれ。

もう一冊はルイス・ロヘリオ・ノゲーラスの本。

Luis Rogelio Nogueras, Y si muero mañana, Letras Cubanas, La Habana, 1984.


この人は1976年にGuillermo R. Riveraと共作による"El cuarto círculo"で内務省の文学賞を受賞している。

本作は1978年のシリーロ・ビジャベルデ賞の受賞作。ロシア語、ベトナム語、その他多くの言語に翻訳されたヒット作とのことである。

ルイス・ロヘリオ・ノゲーラスは1944年生まれで1985年没。

2019年10月19日土曜日

近況

気がついたら10月も半ばになっていた。

カルラ・スアレスの『ハバナ零年』は、信じられないほど書評に恵まれ、現在までで15本を数える。こちらを見るとわかる。

書いてくださった方、ありがとう!

今、売っている集英社の文芸誌「すばる」2019年11月号に、カルラ・スアレスの短篇「飛びたい」を翻訳掲載した。




表紙に何もそのことが載っていないのは残念だが、それは仕方ないとして、すでにリスボンの彼女の元にもこの雑誌は届いたと連絡があった。

「どのページかわからないけど嬉しい、ありがとう!」ということでした。

台風19号のニュースも彼女に届き、こちらの状況を心配してくれた。

キューバつながりで、もう一つ。

味の素食の文化センターが編集発行の食文化雑誌「Vesta(ヴェスタ)」2019年秋号(116号)にキューバの調味料について書いた。

食文化について何かを書いたのは初めてのような気がする。とても楽しい仕事だった。



2019年9月24日火曜日

[追記2020年2月8日]フランス語のニコラス・ギジェン/モンパルナス墓地のコルタサル

フランス語版のギジェンはもっていなかったので、入手した。

2016年に出た以下の本はClaude Couffonによる校註版。

Nicolás Guillén,  Le Chant de Cuba : Poèmes 1930-1972, Le Temps des Cerises, Montreuil, 2016.



下の写真は2019年9月のモンパルナス墓地のコルタサルとキャロル・ダンロップ。

8年前(2011年2月)に来ているから無理して行くことはなかったのだが、行ってみると、8年前にはなかったアウロラ・ベルナルデス(2014年没)もここに眠っていることがわかった。こういうこともあるんですね。


[2020年2月8日の追記]
2011年2月のモンパルナス墓地の写真が見つかった。2月27日に訪れていることがわかった。


2011年の段階では、手前の方に四角い空洞がある。アウロラ・ベルナルデスの埋葬後はそこが埋められ、上の写真のように何かしらの文章が書かれ、彼女の名前と生没年が右に刻まれている。つまり、もともとアウロラが入る予定だったということなのか?

その後、さらにネットで検索して、新しく刻まれた文章を調べたら、以下のようなものだった。

Estimados admiradores de Julio Cortázar y de su obra
gracias por respetar la claridad
y la calma de esta tumba.

ま、要するにたくさんの人が訪れているので、場合によって汚されたりうるさかったりするから、そういうのはやめようね、ということだ。

2019年9月17日火曜日

ロルカとキューバ(再び)

この夏、鼓直さんの仕事を見直す機会があり、その中ではレイナルド・アレナス『めくるめく世界』がやはり貴重だと思っていたが、ふとそのときにロルカの詩集『ニューヨークの詩人』のことも、キューバがらみということで思い出した。

この詩集は色々な意味で貴重なのだが、ロルカとキューバといえばこんな本があったのを忘れていた。


Miguel Iturria Savón(selección, prólogo y notas), Miradas cubanas sobre García Lorca, Renacimiento, Sevilla, 2006.

この本はロルカのキューバ滞在を振り返ったもので、書いているのは編者を除けば当時を知る人が多い。

José María Chacón y Calvo(ホセ・マリア・チャコン・イ・カルボ)
Juan Marinello(フアン・マリネーリョ)
Emilio Ballagas(エミリオ・バジャガス)
Lino Novás Calvo(リノ・ノバス・カルボ)
José Lezama Lima(ホセ・レサマ・リマ)
Nicolás Guillén(ニコラス・ギジェン)
Dulce María Loyonaz(ドゥルセ・マリア・ロイナス)

そしてGuillermo Cabrera Infante(ギジェルモ・カブレラ・インファンテ)。

ニューヨークのハーレムに絶望してハバナで歓喜したロルカ。

歓喜したのはロルカだけではなく、ハバナもそうだった。

アンダルシアの境界線はハバナにある。
アンダルシアの詩人が港にあらわれると、
街路は歓喜にあふれ、バルコニーの
どの植木鉢も、急にゼラニウムの花を
咲かせたのである。
       (ガストン・バケーロ)


2019年9月16日月曜日

ワユーの文学

コロンビアとベネズエラの先住民文化ワユー(グアヒラ)の文学資料集が手に入った。

Juan Duchesne Winter(compilador)、Hermosos invisible que nos protegen: Antología Wayuu, Universidad de Pittsburgh, Pittsburgh, 2015.


本の紹介ビデオがYoutubeに映像が上がっていた。こちら

2019年9月15日日曜日

マヤコフスキーとアメリカ(3)

その後、マヤコフスキーのアメリカ紀行の日本語版を眺めてみた。

マヤコフスキー『私のアメリカ發見(鹿島保夫訳)和光社、1955年。



マヤコフスキーはディエゴ・リベラの案内でメキシコシティを見聞していく。

「わたしたちは、駅からホテルにいき、手廻り品をほっぽり出しておいてメキシコ博物館へ出掛けた。ディエゴは、数百の崇拝者たちに答えて挨拶をおくり、親しい人たちと握手を交し、反対側を歩いている人たちと大声で叫びあいながら、黒雲の勢いで歩く。わたしたちは古代絵画や、円形絵画や、石版画や、メキシコのピラミッドのなかから発掘されたアッテカ人(古代メキシコ人)の暦や、面が二つあって一方の顔がもう一つの顔と並んでいるといった風の偶像を見た。わたしたちはこれらのものを展観したが、それはわたしには無駄なことではなかったと思う。パリ駐在メキシコ大使で、メキシコの有名な短篇小説家であるライエス氏が、わたしに今日のメキシコ芸術のイデーが、ヨーロッパから導入された亜流折衷主義的諸形式でなくて、古代の種々雑多な荒けずりな芸術から出発していることを、早くも前もって教えてくれていたのである。このイデーは、植民地奴隷の闘争と解放のイデーの、自覚された部分には、おそらくまだなっていないようだが、しかし、その一部分ではある。粗野で特徴的な古代美術と最新のフランス近代絵画とのコンビネーションをディエゴは、メキシコ文部省の全建築物の壁画という、まだ完成を見ていない仕事のなかでもくろんでいる。それは、メキシコの過去・現在・未来の歴史を描いた数十枚の壁画である。自由な労働、古代の風俗、とうもろこしの祭り、死と生の魔神のダンス、自然からあたえられた果物と花の贈物などが描かれている原始的な天国の図。」(32-33頁)


ディエゴとマヤコフスキーが訪れた「メキシコ博物館」は、おそらく今の国立人類学博物館のことだろう。

「メキシコの有名な短篇小説家であるライエス氏」とは、メキシコの文人アルフォンソ・レイエス(1889-1959)のことである。なるほどマヤコフスキーはパリでレイエスからすでにレクチャーを受けていたわけである。

「アメリカ風のカフェ〈サンボーン〉の巨大な建物は、外庭の上に硝子屋根をつけて組立てられたもので、ただそれだけのものである。」(45頁)

「サンボーン」とは「Sanborns」というチェーンのカフェだが、1903年から開業しているということで、なんとすでに100年以上の歴史があるのだ。

「メキシコ・シティは、自動車事故の件数からいって世界一の都市である。」(49頁)

これもまた驚くには当たらない表現だが、すでにこのときからそうだったのだ。



2019年9月14日土曜日

溢れ出る新しい過去、今だから言える過去

1960年代、70年代のラテンアメリカ文学がどのようなエピソードに満ちているのかを若いジャーナリストが調べて書いた。

著者は1969年生まれ、バルセロナ出身。年齢と場所を生かした、古いけれども新しい「あのブームの時代」の語り直し。

この本は、2014年に最初の版が出たのだが、その後新しいデータなどが発見されたので、この2019年に改訂版が出た。最初の版を見ていないのだが、こちらは560ページもある。

鈍器とまでは言わないが、分厚い。

有名な写真(カルロス・バラル、ガルシア=マルケス、バルガス=リョサが写っているものとか)も収められているが、著者が2005年にメキシコのガルシア=マルケスを訪問した時のスナップ写真とかもあったりする。

Xavi Ayén, Aquellos años del boom: García Márquez, Vargas Llosa y el grupo de amigos que lo cambiaron todo, Debate(Penguin Random House Grupo Editorial), Barcelona, 2019.



さてその一方で、当事者が、今だから(こそ)言える過去を本にしたのがこちら。

語り手は、レジス・ドブレとエリザベス・ブルゴスの娘ローランス・ドブレである。1976年パリ生まれ。

このドブレとブルゴスの二人にも、上の本のように「あのドブレ、あのブルゴス」とつけてもいいような気がするが。

題して『革命家の娘』。



Laurence Debray, Hija de revolucionarios, Traducción de Cristina Zelich, Anagrama, Barcelona, 2018.

この本についてはまた別の機会に。

2019年9月12日木曜日

マヤコフスキーとハバナ(2)

マヤコフスキーの乗った蒸気船は大西洋を18日間で渡り、ハバナに着いた。

1万4千トンの「Espagne」号。

船旅は穏やかだったようである。

「静かな海は退屈だ。18日間、僕たちはとてもゆっくり、まるで鏡の上のハエのように動いた。」
 
「1等の客は好きなところに嘔吐する、2等は3等の上、そして3等は自分の上に。」

1等で旅をするのは商人。国籍はトルコで、英語だけを話し、メキシコに住み、パラグアイとアルゼンチンのパスポートを持ってフランスの会社で働いている。

「奇妙な連中だ」

船内では「Adiós, Mariquita linda」が歌われている。

マヤコフスキーは1等旅客だった。

ハバナに着いた途端に雨が降る。

「これまでに見たことのない熱帯のにわか雨が落ちてきた。雨とは何か?空気にいくらかほとばしる水が混じり合ったもの。熱帯の雨は大量の水にいくらかほとばしる空気が混じったもの。(中略)僕は雨を避け、二階建の商店に逃げ込む。」

すると、そこはウィスキーだらけだった。キング・ジョージ、ブラック・アンド・ホワイト、ホワイト・ホース。

ということは、前のエントリーで引用した詩「ブラック・アンド・ホワイト」はウィスキーの銘柄から取られているのか。その詩の中に「コラリオ colario」という単語があったが、マヤコフスキーによれば、これはハバナで見た花のことらしい。

商店の背後には売春宿や酒場など、港町らしい店が広がっているが、その向こうには「綺麗な、世界で最も豊かな街」がある。しかしその豊かさを所有しているのはアメリカ合衆国であることにも気づく。

たった1日でメキシコのベラクルスへ出発。そして鉄道でメキシコシティへ向かう。駅で迎えてくれたのはディエゴ・リベラである。

「というわけで僕が最初にメキシコシティで知ったものは、絵だったのである」

マヤコフスキーのアメリカ紀行は『僕のアメリカ大陸発見』というタイトルで出ている。スペイン語版は以下の通り。上の引用もすべてこの本からとった。日本語訳は出ていないようである。 (←その後、『私のアメリカ発見』(鹿島保夫訳、和光社)として出ていることがわかりました。)

Vladimir Mayakovski, América, Traducción de Olga Korobenko, Gallo Nero, [出版地不明、出版社はスペイン], 2011.



最後のページにこの本を買った本屋のスタンプが押してあった。Prometeo Libros, Honduras y Gurruchaga。ブエノスアイレスの本屋だ。

2019年9月11日水曜日

マヤコフスキーとハバナ

マヤコフスキーがハバナに降り立ったのは、1925年7月初頭のことだった。

7月3日付の手紙で「いま、僕たちはキューバ島(タバコの島)に近づいているところだ」と書いている。

立ち寄っただけで、すぐにメキシコに行ったようだ。というのも7月9日にはメキシコシティに着いているからだ。メキシコシティではディエゴ・リベラと会っている。

とはいえ、ハバナで見た光景を詩にした。

タイトルは「ブラック・アンド・ホワイト」という。『マヤコフスキー選集』(飯塚書店、1964年)で読むことができる(小笠原豊樹、関根弘訳)。

「もしも
    ハバナを
        ちらりと見れば、
 極楽の国、
     満ちたりた国。
  棕櫚の下、
     一本足で
        立つフラミンゴ。
 べダドいちめん
        コラリオの
            花が咲く。
 ハバナでは
     あらゆるものの
           区別が明瞭。
 白人にはドルがあり、
         黒人にない。(後略)」

マヤコフスキーの似顔絵を、キューバの画家マリオ・カレーニョが描いた。

それから36年後の1961年、ロシアの詩人エフトウシェンコもハバナに降り立った。そして「マヤコフスキーへ」という詩を書いた。

「ハバナを ひと目 みるならば
 至るところ 街角に立っている
           ぼくの友だちー」
 (『エフトウシェンコ詩集』草鹿外吉訳、飯塚書店、1973年)

このエフトウシェンコという人、スペイン語では、Yevtushenkoと書く。

[この項、続く]

2019年9月9日月曜日

テスティモニオ論(ベアトリス・サルロ)


記憶というのは、自身の出来事や他人の出来事を記録し、保存し、再生する力のことである。

そして、個人や共同体、あるいは国家の統合が、そうした「記憶」の力に依存しているということを私たちが受け入れるのなら、過去というものが現在に対して執拗に働きかけてくることにブレーキはかけられない。

ラテンアメリカにおいては、誘拐、行方不明者、強制的亡命、拷問、政治的迫害など、国家テロが大きな破壊をもたらしてきた。

果たして集合的な記憶を練り上げることは可能なのだろうか。

民主的な制度の再構築は、言説を取り戻すことによって可能になる。

国家テロの被害者の語り、彼らが味わった恐怖によって構成される物語、これらは重要な証拠である。

「記憶産業」とツーリズムが結びつく時代にそれらはどのように働くのか。

というのが、ベアトリス・サルロの以下の本の主題。

Beatriz Sarlo, Tiempo pasado: cultura de la memoria y giro subjetivo. Una discusión, Siglo veintiuno editores, Buenos Aires, 2012(初版2005).


目次は以下の通り。

1. Tiempo pasado
2. Crítica del testimonio: sujeto y experiencia
3. La retórica testimonial
4. Experiencia y argumentación
5. Posmemoria, reconstrucciones
6. Más allá de la experiencia

謝辞によれば、本書はベルリンの高等研究所(Wissenschaftskolleg)のプロジェクトとして書かれた。当初は60年代、70年代の知識人の伝記を書こうとしていたが、自伝や証言録を読み進めるうちに、理論面に関心が移った。

本の表紙の人はアッバス・キアロスタミ

副題にある「giro subjetivo(主観的転回)」について、ラテンアメリカのドキュメンタリーを論じたこの論文(GIro subjetivo en el documental latinoamericano)も参考になりそうだ。

ベアトリス・サルロはアルゼンチンの批評家(1942年生まれ)。著書多数。

後期の授業はこれを読む。

2019年8月31日土曜日

Pensamiento Crítico (ゲバラ特集)ともう一つ

Pensamiento Crítico, octubre/9, 1967が届いた。表と裏もこんな表紙になっている。

出版の時期からして死の直後。

巻頭言の出だしはこうだ。

「今日、司令官エルネスト・”チェ"・ゲバラが死んでいないということは、皆にとって明らかなことである」



内容はゲバラの演説集で、目次は以下の通り。


この雑誌のコレクションも続ける意味があるかわからない。いずれデジタル版が公開されてしまうだろうが、それでもまあやれる限りはやってみたい。

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最近は新聞を読むには覚悟がいる。そんな中でも今日、8月31日付『朝日新聞』朝刊は読み応えがあった。

書評欄で紹介されている本がどれも素晴らしいもので、正直言ってどれも読みたいと思った。

例えばモリス・バーマン『デカルトからベイトソンへーー世界の再魔術化』(文藝春秋、柴田元幸訳)を評した都甲幸治の言葉から引こう。

「文化人類学者ベイトソンの『AA』に関する議論を引きながらバーマンは言う。こうした弱い自己[例えばアルコール依存者は酒を止めようと思っても、意志に身体は抵抗し、意志は負けてしまう、そういう弱い自己のこと:引用者]こそが、現代の多くの問題解決へのヒントになるのではないか。」

「(アルコール依存者の更生団体では)参加者は自分が無力であることを認め、大きな力に身を委ねることを学ぶ。(中略)大きな力とはなにか。神かもしれない。あるいは動植物すべてを含めた命の拡がりかもしれない。それがなんであれ、無力の自覚とともに、自己は身体と和解する。そして世界と和解する。」

バーマンの文章からは以下の引用がある。「本当に生きること、黄金を獲得することは、自分自身の本性の命じるところに従って生きることによってのみ成し遂げられるのであり、そのためにはまず魂の死の危険に真向から向きあわなければならない。」

続いて、鷲田清一の『折々の言葉』では、高見順の言葉が引用される。

権力を持つと日本人は残虐になるのだ。権力を持たせられないと、小羊の如く従順、卑屈」になる、と。

これは高見順の『敗戦日記』の昭和20年10月5日に記されていると言う。高見順といえば、『いやな感じ』(共和国)が出ている。

そんな弱い自己、強いものには卑屈なくせに、弱いものには残虐な日本人(ああ、本当にそうだと思ってしまう)はどうしたら良いのか。

再び読書ページに戻ると、ブレイディみかこが坂口安吾を引用している。

生きよ堕ちよ、その正当な手順の外に、真に人間を救い得る便利な近道が有りうるだろうか。」
 
これは『堕落論』からだが、「続堕落論」にはこうあると紹介される。

「堕落自体は常につまらぬものであり、悪であるにすぎないけれども、堕落のもつ性格の一つには孤独という偉大なる人間の実相が厳として存している。」
 
安吾の「孤独という偉大なる人間の実相」と、一番最初に引いたバーマンの「魂の死の危険に真っ向から向き合う」が響き合う。

まるで文芸誌のように新聞を読んでしまった。

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Pensamiento Crítico、ゲバラ特集の巻頭言はこう結ばれる(大意)。

Pensamiento Crítico誌は、追悼の意味を込めて、本号にチェの最も重要な仕事のいくつかを収録する。チェの文章は、武器のみならず知性をチューニングする必要な作業において避けて通れない階段なのである。

ここでチェの文章は階段に例えられているが、それを読むことは、当時は「のぼる」ことを指していたはずだ。しかし今の時代にチェの文章、あるいはそれに類する文章を読むことは、孤独という実相や魂の死の危険に向き合うこと、つまり、階段を「くだる」ことを指していると思う。

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続いて、朝日の書評欄で本田由紀が評していた今村夏子『むらさきのスカートの女』(朝日新聞出版)を読んだ。これについてはまた別の機会に。

2019年8月25日日曜日

メキシコシティの文学

「メキシコシティ」というのは英語なのだが、飛行機のアナウンスで「当機は間もなくメキシコシティに着陸します」というのを聞き慣れている。それを聞くと、なんとなくわくわくする。

やはり日本語でもメキシコの首都はメキシコシティなのだ。

スペイン語では「D.F.(デー・エフェ)」と言えばメキシコシティの意味だった。

DとFはDistrito Federal(連邦区)からだが、そう言えば『連邦区マドリード』という小説もありました。あれも当然、デー・エフェである。マドリードって連邦区だったんですね。

それが今や「CDMX」(Ciudad de México)である。そうなってみると、DF時代が懐かしくなってくるのだろう。

メキシコDF本がかなり出ている(ような気がした)。

そのなかで短篇アンソロジーを一冊。



Bernardo Esquinca y Viente Quirarte(ed.), Ciudad Fantasma: Relato fantástico de la Ciudad de México[XIX-XXI], Almadía, Ciudad de México, 2017.

19世紀から21世紀までのメキシコシティを舞台とする「ゴシック・幻想短篇選集」。

古いところでは、アルフォンソ・レイエス、カルロス・フェンテス、ホセ・エミリオ・パチェコら。

新しいのは、どれも知らなかったけれど、ベルナルド・フェルナンデス、ゴンサロ・ソルテロとか。

「Espejos(鏡)」という短篇が面白かったビビアナ・カマチョ(Bibiana Camacho, 1974年生まれ)は短篇集が同じ出版社から出ていた。授業で一つくらい使えないかなあと思って読んでいる。スリラー短篇だから読みやすいのだが、ちょっと進むとどぎつい表現があって、というパターンが多い(当たり前だが)。

Bibiana Camacho, Jaulas vacías, Almadía, Ciudad de México, 2019.




ボラーニョが通っていたという「カフェ・ハバナ」にも行ってみた。店は広々としていて、壁にこんなプレートがかかっていた。


シウダデラ市場から歩いて行けるとは知らなかった。ブカレリ通りとモレーロス街の角。ここからソナ・ロサまで歩いていけないこともない。その途中にあるソナ・ロサ北東部には新しい路面店が次々にできているようで、いい雰囲気があった。

メキシコシティの石畳の街路を歩いていると、ふとベルリンではないかと思う時がある。目をつぶって連れてこられたら、ベルリンとメキシコシティのどちらか言い当てることができるだろうか。どう似ているのかというと、どちらの街も「ゆるい」。

ゆるいっていい単語だなあ。

下はほとんどひと気のないシウダデラ市場。

2019年8月21日水曜日

キューバン・ビルボード

誰かがやっていると思っていたが、やっぱりそうだった。

キューバ革命のスローガンが書かれた看板コレクション。

例えば「ヒロン海岸ーアメリカ大陸における帝国主義の最初の敗北」とか「祖国か死か」と書かれた看板(ビルボード)は、ホセ・マルティ国際空港からハバナ市街に行くまでのあいだでも目に入ったりして、資本主義社会から行くとレアな風景である。

これを集めて本にした人がいる。OSPAAALやICAICが製作したポスターを集めた本はたくさんあるが、普通は野外に置かれる看板を集めた本は記憶がない。

著者はバルセロナ自治大学の先生。500枚以上の画像が載っている。著者自らが撮った写真と、キューバ共産党出版部の協力を得てデジタル化された画像の両方である。



Alfons González Quesada, Cuba en vallas: El imaginario de la Revolución Cubana a través de sus vallas políticas, Pol-len Edicions, Barcelona, 2016.

「偉大な革命は、新しいシンボルの創造を通じてその力を正当化しようとしてきた。旗、賛歌、典礼、祝典といったものは、古い秩序を拒み、それを乗り越え、新しい時のはじまりを予告した。キューバ革命もまた例外ではない。半世紀にわたってキューバ島に配置された看板や壁画は、革命のイメージを強固にすることに貢献してきたのである。(中略)著者アルフォンス・ゴンサレス・ケサーダは幾度となくキューバを訪れて看板や壁画を撮影しただけでなく、壁画のデザイン、印刷、配置などを請け負ったキューバ共産党出版部のコレクションにもあたり、デジタル化したのである。」

400ページ近い画集なので、とても重い。

2019年8月15日木曜日

メキシコ文芸誌の続き

前回のエントリーで「Granta en español」13号の表紙を載せたが、これはメキシコ特集。中身はどういうものかは裏表紙を見るとわかる。


日本で知られている作家となると、ボラーニョやフアン・パブロ・ビジャロボスぐらいかもしれないが、マリオ・ベジャティン、グアダルーペ・ネッテル、アルバロ・ウリベ(コロンビアの大統領ではない)、バレリア・ルイセリ、ファビオ・モラビトも書いている。

雑誌はほとんど買うのをやめてしまったが、つい買ってしまったのが「Letras Libres」(248号)。「バルガス=リョサの未発表短篇」という広告につられた。


 大西洋を挟んだ友人に知らせたら、「読みたい読みたい読みたい」と連絡があった。

よく見かけたのが「La Tempestad」。最新号の147号には廣瀬純さんの文章も載っていました。

そうそう、拾い読みしていてためになる本を一冊見つけた。『セルバンテスの人々ーースペイン語の人類史』。

これはスペイン語が好きな人には面白い。スペイン語の歴史ではなくて、スペイン語を話す人の歴史。テネシー生まれのウィリアム・ウォーカーの話が出てくる。この人はニカラグアを征服した変わり者だけれど、知っていますか?アレックス・コックスが映画にしているようです。
 
Juan Ramón Lodares, Gente de Cervantes: Historia humana del idioma español, Penguin Random House, 2019(初版2001)



著者フアン・ラモンさんは残念なことに若くして事故で亡くなってしまった。

そういえば、メキシコシティ南部の地区「ハルディネス・デル・ペドレガル」についてメモが残っている。ペドレガルと聞くと色々思い出す人もいることだろう。また今度書くことにしよう。

8月17日(土曜日)、こんなイベントに出ます。

2019年8月14日水曜日

エレナ・ポニアトウスカ

メキシコの「ラ・ホルナーダ」紙(2019年8月8日付)に、メキシコ大統領アンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドールが作家のエレナ・ポニアトウスカと肩を組んでいる写真が載っていた。彼女の国立宮殿訪問を報じる記事だ。



記事は電子版の方が詳しい。

その後本屋で、彼女の新作を見つけた。メキシコの建築家5名についてのエッセイ風テスティモニオ(証言)。インタビューも引用されている。

Elena Poniatowska, De la tierra al cielo: Cinco arquitectos mexicanos, Seix Barral, 2019.



5名の建築家は以下の順番で並んでいる。

ルイス・バラガン(1902-1988)
テオドロ・ゴンサレス・デ・レオン(1926-2016)
アンドレス・カシージャス・デ・アルバ(1934-)
ディエゴ・ビジャセニョール(1944-)
フランシスコ・マルティン・デル・カンポ(1957-)

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バラガン邸の入り口はこんな感じ。たまたま誰もいない瞬間。



屋上の壁にはバラガン・カラーのピンクが使われている。


たまたま手に入れた文芸誌「Granta en español」(第13号)も同じような色合い。



2019年8月9日金曜日

信じがたい本屋

メキシコシティの本屋でとても素敵なのは、La increíble librería(信じがたい本屋)。

ローマ・ノルテを歩くと見つかる。



本棚はこんな感じ。





J.M. セルビン『D.F. コンフィデンシャル』という本。(J. M. Servín, D.F. Confidencial: Crónicas de delincuentes, vagos y demás gente sin futuro, Editorial Almadía, 2010.)


夕立の降る季節。日中の公園、木漏れ日がとても気持ちいい。

無料の書評紙「Criticismo」も置いてあった。