2017年12月31日日曜日

さらにキューバ本3冊

①John A. Loomis, Revolution of Forms: Cuba's Forgotten Art Schools(Updated Edition), Princeton Architecture Press, 2011(初版1999), New York.


1961年にハバナの西、ゴルフ場だった場所に建設が着手された国立芸術学校(美術、音楽、舞踊、演劇部門に特化したもの)。

65年に建設計画は中絶し、そのまま見捨てられた。設計したのはキューバの建築家リカルド・ポーロ(Ricardo Porro, 1925-2014)。

彼は革命が成就すると滞在先のベネズエラから戻った。しかしその彼も66年にはヨーロッパへ脱してしまう。

この本はこの学校の建築計画から辿ったもの。スペイン語の翻訳も出ている。

出典は不明だがホセ・マルティの「形式の革命が本質の革命」がエピグラフ的に引かれている。

ここには本の紹介があり、ここから芸術学校建設のドキュメンタリー(ウンベルト・ソラス監督、Variaciones)を見つけた。ただのドキュメンタリーではないのが良いのだが。

日本では岡田有美子さんと服部浩之さんがキューバの芸術について書いていて、ここで読める。引き続き注目したい。

②Birkenmaier, Anke and Esther Whitfield(ed.), Havana beyond the ruins: Cultural Mappings after 1989, Duke University Press, Durham and London, 2011.



たくさん出ている「1989年以降のキューバ本」の一つ。

ラファエル・ロハス、アントニオ・ホセ・ポンテといった面々の他に、オルランド・ルイス・パルド・ラソ(Orlando Luis Pardo Lazo, 1971-)の写真が何枚か入っている(例えばハバナのロシア正教会)。

③最後は料理本。

Ana Sofía Peláez and Ellen Silverman, The Cuban Table, St. Martin's Press, New York, 2014.


映画『ムーンライト』や『シェフ 三ツ星フードトラック始めました』でキューバ料理レストランやキューバ・サンドイッチが出てくる。ウィキペディアにもキューバン・サンドイッチの項目がある。

というわけでレシピを見ながら年末年始に何か一つ作ってみよう。

2017年12月20日水曜日

キューバ・立憲モダニズム

キューバのモダニズムを建築や都市計画から論じた本。

Hyde, Timothy, Constitutional Modernism: Architecture and civil society in Cuba, 1933-1959, University of Minnesota Press, Minneapolis, 2013.



著者は1933年から1959年までを立憲モダニズム(Constitutional Modernism)とする。

軍曹時代のバティスタが起こした軍事クーデターが1933年。そしてカストロの革命が1959年。

その間の1940年に制定された憲法がキューバ人にとって市民の目覚めとなるような内容だった。

そしてこの憲法に基づいたモダニズムを立憲モダニズムとして建築や都市計画が論じられる。

著者はキューバ・ハバナにある有名な3つの建築物をまず示す。

一つはハバナのカテドラルだ。18世紀に建設されたバロック様式の教会。これはスペイン統治時代を象徴する。

次いで、旧国会議事堂(カピトリオ)だ。両大戦間期の1929年に立てられたこの建築物はアメリカ合衆国の国会議事堂を模している。砂糖景気によってもたらされた富が原資である。この建築物はキューバの独立がかりそめのものであり、アメリカ合衆国による「統治」が背景にあることを証明する。
  
そして三つ目、これが立憲モダニズムの象徴となるのだが、それは現在のキューバ内務省の入っている建物である。ゲバラのレリーフが正面に飾られているので、観光客は一度は目にする。

この建物は1953年(※)に建てられ、元は会計検査院が入っていた。著者によればこの建物が1940年憲法による市民社会の形成を象徴するものだ。

※訂正:会計検査院の建設は1954年(2018/1/11訂正)

ウェブではかつての写真も出てくる。ゲバラのレリーフがない方がずっといいように見える。

2017年12月18日月曜日

遅れた本・言葉と警察

探している時に見つからなかった本たち

まずはブラジルのアロルド・ジ・カンポス。

Haroldo de Campos, Brasil transamericano, El cuenco de plata, Buenos Aires, 2004.



ポルトガル語からスペイン語への翻訳はアマリア・サト(Amalia Sato)さん。彼女はアルゼンチンで雑誌「TOKONOMA」を刊行している。カンポスはブラジルのモダニズム詩人、翻訳家。具象詩運動の創設者。

この本はカンポスによるブラジル文学論。

それからこれも探している時には見つからなかった。メキシコのユーリ・エレーラの本。

Yuri Herrera, Señales que precederán al fin del mundo, Periférica, Cáseres, 2010.


このメキシコ作家の別の本をすでに持っていたはずで、しかもこのブログの何処かで書いたと思ったのだが見当たらない。本屋で手にとって買った記憶まであるような気がしているというのに、記憶違いだったようだ。

アメリカ合衆国に移住した兄を探す妹マキナ(Makina)の話 。

1970年生まれ。この作品が2011年のロムロ・ガジェゴス賞の最終候補作。受賞したのはリカルド・ピグリア『夜の標的』。

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最近は言葉に対する警察的態度のことを考えている。

外国語の本を読んでいると、ほとんどの場合ディスアビリティを感じる。単語がわからなくて辞書を引いたり、文法的にわからないと思ったりする。

でもわからないという感覚、それが強いる無能感は言葉から自由になれる大きなチャンスである。

警察官がいないような。監視を受けていないような。わからない(ディスアビリティ)は完全なる自由である。

言葉に対する警察的態度はディスアビリティ・パーソンにとって最も辛いことである。

ディスアビリティは言葉の周りで起きる。言葉に対する警察的態度は手がつけられないほど威力を発揮する。言葉、言葉、言葉(シェイクスピア)。

言葉を使った文学はディスアビリティを解放しない。

そうではない言葉、言葉によって人が自由になれたりする言葉、警察にならずにわたしを生かしてくれる言葉たち。

音であり舞踊であるような言葉は必ずしも詩だけではない。

無能な人のつぶやき、赤ん坊の泣き声のような、誰の記憶にも残らない意味になりかけの塊だって言葉なのだ。

「詩はそれを書いた人のものではなく、それを必要とする人たちのものだ」とは、アントニオ・スカルメタの『イル・ポスティーノ』に出てくる言葉。
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訃報:キューバの評論家デシデリオ・ナバーロ(Desiderio Navarro)が12月7日に亡くなった(69歳)。文化批評のみならず、東側知識人の翻訳などをやっていた人。
彼の編んだ本をこの前買ってきていた。Criteriosという雑誌。
言論誌「Pensamiento crítico」の編集長だったフェルナンド・マルティネス(Fernando Martínez Heredia)も今年亡くなった。 この件については改めて。 

2017年12月3日日曜日

パフォーマンス、歌・踊り、映画

劇団ユヤチカニ、アナ・コレーア(Ana Correa)さんのパフォーマンス『ナイフのロサーRosa Cuchillo』を上智大学で観た。

内戦で息子を失った母の物語。暴力の記憶。ペルーでは市場のような公共空間で演じられている。

2012年のブラウン大学でのパフォーマンスはこちら

演目と併せて現地での活動などをまとめた映像が流された。

1980年から2000年あたりにかけてがペルーの暴力の時代。アルベルト・フヒモリが大統領だったのが1990年から2000年。

センデロ・ルミノソの暴力とそれを鎮圧する軍の暴力。

日本大使公邸占拠事件は1996年から97年。真実和解委員会が設置されたのは2001年。

ユヤチカニとはケチュア語で「思い出す」という意味。

アンデスの伝統文化と現代の都市文化の混合がパフォーマンス時の音楽や服装などに見られた。

象徴的な機能を使い、暴力によって破壊されたもの(人間、文化など)を修復しようとする。

続いて、ペルー出身で秩父在住のイルマ・オスノさんの歌と踊りとトークを國學院大学に観に行った。イベントのタイトルは『アンデスをわたる声ーペルー、アヤクーチョ地方のことば・うた・おどり』

イルマさんの音楽の源泉をわかりやすく説明してくれたのち、3曲を披露。

水の儀式があり、その時に歌われるのはハラウィ「水の歌」。

ホセ・マリア・アルゲダスの言葉が数多く引用された。



ケチュアの人々たちにとって音楽のミューズは川に住む人魚。太鼓の中にもやどり、演奏者にインスピレーションを与える。

ハサミ踊りはアルゲダスの短篇で読んだことがある。この踊りは男性しかやってはいけないものだという。

ペルーの民族音楽家たちのドキュメンタリー映画があることを知った。『Sigo siendo(Kachkaniraqmi)』で、山形国際ドキュメンタリー映画祭やセルバンテス文化センターではすでに上映されている。トレイラーはこちら

タイトルの意味はケチュア語の挨拶で、久しぶりに会った者同士で交わされる言葉だ。

「いろいろあったけれども、わたしは変わることなくいますよ、元気ですよ、生きていますよ」。

そして、東京大学駒場キャンパスで開催された「ラテンシネクラブ第一回上映会&トーク」に出かけ、アルゼンチン映画『沈黙は破られたー16人のニッケイたち』を観た。

ドキュメンタリー映画で、トレイラーはこちら

軍政期のニッケイ失踪者16人の物語。

このドキュメンタリーは、これまで伝えられずにきたニッケイ失踪者の物語を明かすものである。つまり、軍政期にニッケイ人にこんなことが起きたいたのか、である。

こんなことが起きていたのを知っていたのは当事者だけだ。社会全体に沈黙があったわけだ。その沈黙を破ったのはもちろん当事者、ニッケイの家族たちであるが、この映画自体も沈黙を破った当事者である。タイトルには二重の意味が込められている。

2017年12月2日土曜日

言葉、言葉、言葉

11月14日、セルバンテス文化センターで行われた、コロンビアの作家エクトル・アバッド・ファシオリンセの講演会に行った。

講演題目は「コロンビアの狂気を生きのびるには」というもので、大江健三郎の『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』を踏まえているとのことだった。確かどこかで、日本の作家では川上弘美を愛読していると書いている。

医師にして人権活動家であった父親を準軍部隊に暗殺された彼が、和解、氷解というような言葉でその出来事を語るようになるまでに30年が経過している。

エクトルの娘、ダニエラが彼女にとっては祖父のその死をドキュメンタリーにして、それも上映されたようだ。残念ながら見ることはできなかったそれは、「影への書簡(Carta a la sombra)」。
 
その父との思い出を語ったのが『El olvido que seremos』(2006)。



この本と読み比べられるのは、例えば同じコロンビアの作家ピエダー・ボネット(Piedad Bonnett, 1951〜)である。

彼女は息子を失っている。その経緯を記したものが以下の『名付けられないもの(Lo que no tiene nombre)』(2013)。


この2冊があがれば、弟の死を描いたフェルナンド・バジェホ『崖っぷち』(松籟社)もまた同じ系譜ということか。
 
毎年リレー講義で1回限りの授業があるが、そこでこのような作家たちをあげて、書けるもの、書けないもの、なぜ書くのか、誰に書くのか、というテーマで話している。上の2冊も翻訳されてほしいものだ。