2015年7月31日金曜日

フェルナンデス・レタマールの世界文学論(3)

(続き)

レタマールは、そのときまでに書かれた文学理論が結局、書き手になじみのある文学に由来するものであって、アリストテレス、ロシア・フォルマリズム、チェコ構造主義、スペイン文体論研究、北米の新批評、ルカーチ、ブレヒトなどによる「普遍的」理論は、書き手が選んだ「ある特定の文学」によって描き出されているのだと指摘する。

以下、レタマールの考えの要約。

ラテンアメリカ文学理論は、他の、とくに宗主国の文学によって鍛えられた文学論を移植してできるものではない。

そういった宗主国の文学理論というものは、我々が苦しんできた文化的植民地主義のもう一つのあらわれであり いまだに我々は政治・経済的植民地主義の後遺症に苦しんでいる。

というわけで、我々が直面する最初の問題は、宗主国の文学とは異なる現実としてラテンアメリカ文学が存在するのかどうかということだ。そしてこの問題は、「ラテンアメリカ」というものがあるのかどうかという文学外の問題に我々を連れてゆく。

ラテンアメリカ文学の存在は、まずもって「ラテンアメリカ」が存在するか否かにかかっている。

ラテンアメリカがスペインの植民地であるかぎり、真のラテンアメリカ文学はなく、それはアメリカ大陸におけるスペイン文学、地方文学である。

ラテンアメリカの独立が、ラテンアメリカ文学の存在にとって必須条件である。しかしこの独立とやらが薄っぺらだったから、マリアテギが言うように、ラテンアメリカ文学はスペイン文学のままであり、言ってみれば植民地文学なのだ。

ホセ・マルティによれば、ラテンアメリカの作品はあるが、体系として、一貫したものとしてのラテンアメリカ文学というのは、自立した世界としてラテンアメリカがないかぎりは、存在しない。

ブルジョワ的企図のなかでラテンアメリカが存在することはない。というのは、我々の国々は政治・経済・文化的にスペインから独立したが、それは結局、イギリス、アメリカによって支配されるためであった。そのことが19世紀の後半に分かっていたのはホセ・マルティだけである。ダリーオは分かっていなかった。

マリアテギは文学の発展段階を次のように見ている。
①植民地期
②コスモポリタン期
③ナショナル期

マリアテギは、モダニズムによって、ラテンアメリカの文学がコスモポリタニズムに突入したと見ている。

しかし、モダニズム以前の、「モデルニスモ」をもってラテンアメリカ文学はコスモポリタン期に入ったという見方もできる。

コスモポリタン期に入ったことは、ラテンアメリカが現代世界(el mundo moderno)に参入したことを意味する。

現代世界とは、レーニンの言う資本主義の最高の段階(『帝国主義論])のことであり、アメリカ帝国主義がラテンアメリカ、キューバを襲った。

ダリーオやロドーはラテン的伝統を持ち出すことによって、ラテンアメリカの現実を擁護しようとした(レタマールはダリーオ、ロドーに対してはやや否定的)。

コスモポリタン期がモダニズム期にまで継続したかどうかは見方が分かれる。マリアテギ、セサル・バジェホ、ネルーダ、ギジェン、カルペンティエルらはすでにモダニズム期は、ラテンアメリカにおける「ナショナル期」であると見なしている。そのナショナルとは、「ラテンアメリカ・ネイション」である。

しかしそのネイションはブルジョア的企図のもとではなく、社会主義革命によってのみ実現する。キューバ革命はその実例の一つである。

 ペドロ・エンリケス・ウレーニャはすでに1926年にラテンアメリカ文学が隆盛を迎えることを予告していた。そして1972年にはマリオ・ベネデッティがそのことを確認している。

カルロス・リンコン(コロンビア)、ネルソン・オソリオ(チリ)といったマルクス主義批評家がラテンアメリカ文学理論の不在をなげいている。

社会主義革命が進行しつつあるいま、ラテンアメリカ文学の境界線を定め、特徴を記述する必要がある。ラテンアメリカ文学理論が必要な時代である。

西洋の伝統もまた我々の伝統であるが、その伝統に関して、ラテンアメリカ特有の差異を指摘しなければならない。 ラテンアメリカ文学理論の創出こそ、いま我々が集団で取り組まなければならない課題である。

要約は以上。

この試論では、レタマールが考えるラテンアメリカ文学理論については展開されていないのが残念だ。また、キューバ革命を端緒として、今後ラテンアメリカに社会主義革命が続発していくことが前提になっている。1972年の講演であるという時代的制約、そしてイデオロギー的硬直と限界があることは確かだ。

しかし、ゲーテや『共産党宣言』で述べられている「世界文学」を批判するときのポイントは、現在のカサノバなどの「世界文学論」を批判するときにも使えそうだ。たとえば以下のような。

・文学理論の「普遍性」とは、当該理論家の恣意的な選択による「普遍」でしかない。
・ヨーロッパ中心主義の「普遍」には要注意だ。宗主国のものだからだ。
・ラテンアメリカは「資本主義の最高の段階」、すなわち帝国主義が訪れた地域である。
・ラテンアメリカの文学は植民地期からコスモポリタン期、そしてナショナル期という流れをたどっている。そのことを踏まえたラテンアメリカ文学理論が必要である。
・ 世界の文学は、世界がひとつではないことが明らかである以上、同質のものではないことに留意するべきである。
・ラテンアメリカ文学は西洋の伝統を含みつつ、異なった様相を呈している。

2015年7月29日水曜日

キューバ文学(9)ゼロ年代の作家たち

キューバの新世代作家の短篇集が届いた。こちら

Padilla Cárdenas, Gilberto(ed.,), Malditos bastardos: Antología, Editorial Cajachina, 2014.

タイトルにある"bastardos"というのは非嫡出子のことで、ラテンアメリカ文学では最近あちこちで聞かれる「非正統文学」たらんとする作家たちの短篇集である。若手ばかりである。「糞ったれの私生児ども」という感じか。

本の表紙ではこちらのほうが目立つのだが、副題がある。

「ペドロ・フアン・グティエレスでも、ソエ・バルデスでも、レオナルド・パドゥーラでもない10人のキューバ作家たち」

この3人は国際的に評判の作家ばかりで、それ以降の世代を集めたものである。
この記事によれば、ゼロ年代(Generación Cero)と呼ばれている。

今後のために名前と生年、そして短篇タイトルを挙げておこう(タイトルは仮訳である。内容を読んでいないので間違っているかもしれない)。

アメル・エチェバリーア・ペレー(Ahmel Echevarriá Peré)、1974年生まれ。
 「島」Isla

ホルヘ・エンリケ・ラへ(Jorge Enrique Lage)、1979年生まれ。
 「ゲームの外で」Fuera del juego
  確かこの人の短篇はひとつ読んだことがある。

オスダニー・モラーレス(Osdany Morales)、1981年生まれ。
 「ジム・ジャームッシュへの永遠の愛の告白」Declaración de amor eterno a Jim Jarmusch

ラウル・フローレス(Raúl Flores)、1977年生まれ。
  「エクストラ」Extras

ミチェル・エンシノサ・フー(Michel Encinosa Fú)、1974年生まれ。
 「栄光の男」Nuestro hombre en la gloria
  ※グレアム・グリーンの「ハバナの男 Nuestro hombre en La Habana」を踏まえているのか?

アベル・フェルナンデス・ラレア(Abel Fernández-Larrea)、1978年生まれ。
 「Roadkill raccoon」路上轢死したアライグマ?
  たまたま見つけたインタビューはこちら。 なんとソ連にまつわる話を書いている作家だ。

エリック・J・モタ(Erick J. Mota)、1975年生まれ。
  「昔とは違うんだ」Las cosa ya no son lo que eran antes

レグナ・ロドリゲス・イグレシアス(Legna Rodríguez Iglesias)、1984年生まれ。
 「計画」La planificación

アニスレイ・ネグリン(Anisley Negrín)、1981年生まれ。
 「正午の島」Isla a mediodía
    ※コルタサル?

オルランド・ルイス・パルド・ラソ(Orlando Luis Pardo Lazo)、1971年生まれ。
 「キューバン・アメリカン・ビューティ」Cuban American Beauty

2015年7月21日火曜日

キューバ映画(5)『交換します Se permuta』

キューバ映画『交換します』

監督:フアン・カルロス・タビーオ
制作:1983年
原題:Se permuta

年頃の娘と2人暮らしのグロリアはグアナバコアというハバナ中心から少し離れたダウンタウンに住んでいる。

娘に言い寄る男が工場で働く労働者では、いい生活は望めない。母親はベダードというハバナの高級地区に引っ越したいと夢を見る。

革命下のキューバでは不動産はすべて国家のものであり、勝手な売買は不可能である。そこでキューバ人たちが行っているのは、お互いの合意のもとでの「住宅交換」である。

自宅前に「交換します Se permuta」と看板を出して、引っ越し先探しをしていることを告知する。

こうしてグロリアは、逆にグアナバコアに引っ越しした家族を探し出し、一回目の引っ越しでベダード地区への引っ越しに成功する。

すると娘に早速、白人の広告マンが言い寄り、相思相愛の仲になる。グロリアが夢見ていた社会上昇ストーリーが目に見えるところにあらわれたわけである。

ちなみに娘はハバナ大学に通い、都市計画を勉強中の大学生である。

さてこの娘と恋人が結婚するとなると、直に子どもも生まれるだろうし、大きな新居が必要になる。母グロリアは新たな引っ越しを考え、周囲を探す。

こうして、グロリアは一家AをB宅に引っ越させ、一家BはC宅に引っ越させ、一家CはD宅へ、と複雑な引っ越し計画を立て、みんなが満足する予定だった。

ところがそうは問屋がおろさず、最終的には当初の娘と恋人が別れてしまい、新たな男と未来を描き、当初の引っ越しの目的がなくなってしまう……

この映画は、もとは演劇作品(交換 La Permuta)で、前のエントリーで書いた『ある程度までは Hasta cierto punto』のなかの劇中劇として部分的には「映画化」されていたものだ。

2015年7月20日月曜日

キューバ文学(8)革命とヘミングウェイ[2016.6.10追記]

2015年7月20日にキューバは米国と正式に国交回復。

1959年から62年までのキューバとアメリカの関係を簡易年表にしてみた。

こうしてみると、キューバと米国との関係がヘミングウェイの死と微妙にからんでいるように見える。


1959年
1月1日      バティスタ国外逃亡、革命成就。
1月8日    カストロ、ハバナ入城
4月15日             カストロ訪米
5月〜10月   ヘミングウェイ、スペインに滞在(11月初め、キューバへ)。
   
1960年
2月      ソ連ミコヤン、キューバ訪問。ヘミングウェイ邸も訪問
5月15日     ヘミングウェイ、カストロと会う
10月      ヘミングウェイ、アイダホ州へ帰国。その後、精神的不安定
11月      メイヨー・クリニックへ

1961年
1月3日    米国がキューバとの国交を断絶
1月下旬     ヘミングウェイ、メイヨー・クリニック退院
4月16日   カストロ、社会主義革命宣言
4月17日    CIA傭兵部隊がヒロン海岸侵攻(ピッグス湾事件)
4月下旬     ヘミングウェイ、再び入院。6月末退院  
7月2日      ヘミングウェイ、自殺

1962年
10月22日  キューバ・ミサイル危機

2015年
7月20日    キューバと米国、国交回復
  
 ちなみにヘミングウェイの誕生日は明日、(1899年)7月21日。

-------------------------------------------------
[2016年6月10日の追記]

 「Casa de las Américas」116号(1979年)に以下の論文が載っている。

Mary Cruz, Un cuento cubano y revolucionario de Ernest Hemingway: Veinte años antes y veinte años después, pp.126-133.

この論文は同じ著者による本から抜粋掲載されたものだが(本は未入手)、ヘミングウェイが書いた短篇がとりあげられている。その短篇は「Nobody ever dies(邦題:誰も死なない)」のこと。

邦訳は『ヘミングウェイ全集 第1巻』三笠書房に入っている。

この短篇はもともと「コスモポリタン」誌に1939年3月に発表されていたが、同誌は1959年、キューバ革命から数カ月後に同じものを再掲載した。

内容はスペイン内戦で怪我をした男がキューバへ戻り、そこで過ごしたつかの間の日々を描いたもの。この短篇には後のキューバ革命の萌芽が見られるというのが再掲載した「コスモポリタン」誌の見解。

ヘミングウェイとキューバの関係を考えるにあたって貴重なテキストになりそうだ。


        

2015年7月14日火曜日

キューバ文学(7)ヘミングウェイ

キューバ文学(6)で、カブレラ=インファンテから見たヘミングウェイについて触れた。

ノルベルト・フェンテスの『ヘミングウェイ キューバの日々』を見たところ、カブレラ=インファンテの書いたエピソードがそのまま載っていた。

バー、フロリディータでキューバ人作家リサンドロ・オテロと友人がヘミングウェイに話しかけると、「仕事をしているときに邪魔をするな」と言われ、あこがれていた作家の横柄な態度にがっかりする。

そのときヘミングウェイは、オテロといたキューバ人にふざけてパンチを放つそぶりを見せ、男がうまくかわすと、ボクサーになればいい、と言った。その後、ヘミングウェイが自邸フィンカ・ビヒアに彼らを招待し、後日訪れる。

カブレラ=インファンテの「自伝」では、彼もこのときにバーにいてヘミングウェイを見、また後日一緒にフィンカ・ビヒアに行ったことになっているのだが、フェンテスの本ではそのようには書かれていない。

カブレラ=インファンテは見てきたようなことを書くのが得意だから、ここもそういうことかもしれない。ただ彼がキューバを去ったあと、マドリードでヘミングウェイと会話をしたことが記されている(pp.285-286)。むしろ、「自伝」によればカブレラ=インファンテは映画『老人と海』(1958年)の撮影の取材をしていたようなのだが、この話はフェンテスの本には出て来ない。

いっぽう、『ヘミングウェイ キューバの日々』にはニコラス・ギジェンやカルペンティエル、サムエル・フェイホー(画家)のヘミングウェイ観も載っている。

ギジェンの詩「西インド会社」の冒頭をヘミングウェイは翻訳したらしい。「ヘミングウェイは実際にはキューバ人を知らなかった」(p.250)。

うかつなことに、エドムンド・デスノエスがヘミングウェイをどう見ていたのかもある。先日、『低開発の記憶』に関する論文を書いたところだった。この本も参考になったはずだ。

デスノエスによれば、「ヘミングウェイが旧スペイン植民地キューバに住まいを定めたのは、そこで、スペインと同じ言語が話され、スペイン文化の多くの要素が保たれているからだった。キューバは、スペインを愛するアメリカ人にとっては理想の住みかだった」(p.270)。

また、ノルベルト・フェンテスによれば、「キューバは、スペイン内戦の以前から、ヘミングウェイの関心おくあたわざる争乱、革命の地でもあった。1930年代初め、彼がキューバで学んだものは、『アフリカの緑の丘』のなかの会話に、要約したかたちで表現されている」(p.270)。

(続く)

2015年7月13日月曜日

アルゼンチン・ユダヤ系家族ドキュメンタリー

アルゼンチン出身のピアニスト、マルタ・アルゲリッチのドキュメンタリー映画がある。

『アルゲリッチ 私こそ、音楽』(2014)

監督はアルゲリッチの三女ステファニーである。

母を何年かかけて追ったもので、ワルシャワ、ジュネーヴ、ブエノスアイレス、そして別府のアルゲリッチ音楽祭のシーンも出て来る。新幹線で食事していたり、旅館でマッサージを受けながら、母娘で人生を語ったりしていたり。でも、面白いのは、一切その土地に関する説明が出て来ないことだ。

音楽家で旅をするのが普通とはいえ、世界こそ我が家というなんともスケールの大きい一家。

監督のステファニーのインタビュー(スペイン語)はこちら

マルタ・アルゲリッチがスペイン語を話すシーンはブエノスアイレスで少しだけ聞ける。散歩しているのは、パレルモの公園ではないか。

ステファニーによれば、アルゲリッチは話せるのに、ほとんどスペイン語を話さないそうだ。フランス語と英語が主だ。

彼女がブエノスアイレスにいたのは、14歳のとき、グルダを師事する予定でヨーロッパへ渡るまで。

アルゲリッチのような有名人ではないが、同じような内容の、アルゼンチンのユダヤ系出身の家族ドキュメンタリーとして、『パピローセン Papirosen』(2012)がある。

ガストン・ソルニッキ Gastón Solnicki(1978年生まれ)が自分の一族を撮ったもので、これは制作に10年以上をかけている。トレイラーはこちら

Papirosenはイディッシュ語でタバコを意味するとか? イディッシュ語のタンゴにPapirosenという曲がある。

2015年7月10日金曜日

フェルナンデス・レタマールの世界文学論(2)

(続き)

フェルナンデス・レタマールは、ゲーテとエッカーマンが対話した1827年1月31日を「あの記念すべき」日だとしている。

エッカーマンがゲーテの家に行くと、ゲーテは中国の小説を読んでいた。ゲーテはその小説についてコメントしたあと、自分の『ヘルマンとドロテーア』と比較して以下のように言った。

「詩は人類共通の遺産である(…)。国民文学は今日たいして意味がない、現代は世界文学 literatura mundial の時代であって、われわれは皆、その時代の到来を早めるように貢献しなければならない。」

フェルナンデス・レタマールはこのあと、さらに重要な引用を行なう。

この対話から21年後、ゲーテの熱狂的な信奉者であるマルクスとエンゲルスは『共産党宣言』(1848)で、 ヨーロッパのブルジョアのなした偉業、世界市場の巨大産業の創出、生産と消費が地球規模になったことについて述べたのち、以下のように言っている。

「このことは物質的な生産物のみならず、知的生産物についても言えることである。ある国の知的生産物はあらゆる人々の共通の遺産になる。国の窮屈さや排他性というのは日ごとに不可能になっている。数多くの国民的で局所的な文学から、世界文学 literatura universal が形成されているのだ。」(下線引用者)

これはレタマールが引用した『共産党宣言』の一節である。ここから先はレタマールの文章を引用する。

 「ヨーロッパの資本主義の拡大は、世界文学の生まれる前提条件となった。というのは、それは「世界の世界化」を用意したからである。しかしその前提条件は、資本主義の枠組みの内側で達成されることはできないであろう。その仕事はまさしく――さしあたり、未だ不完全な方法ではあるが――その枠組みを破壊するはずのシステムが行なうことになる。『共産党宣言』の冒頭にある有名な一節を忘れてはならない。「ヨーロッパに幽霊が徘徊している。」今日我々が知っているように、その幽霊を待っていたのは、ヨーロッパ以外の多くの道であった。
 したがって、いまだひとつの世界は存在していない。1952年に人口学者のAlfred Sauvyが「第三世界」という表現を発明したとき――その才知あふれる名称の誤りにかかわらず、幸運に恵まれた表現であった(今日我々はほとんど納得がいかない)――、実にさまざまな思想家や指導者によってこの表現が広く受け入れられ広められたことは、世界の同質性が存在していないことを確認することであるだろう。まだこれ[世界の同質性]が存在していないとき、当然のことながら、世界文学であれ、普遍的な general 文学であれ、それはまだ存在していないのである。
 さて、懸案の問題である世界文学がまだ存在していないとするならば、どうして、それを対象とする理論が、観察が、啓示がすでに存在できるというのか?

(続く)

2015年7月9日木曜日

キューバ文学(6)カブレラ=インファンテ

カブレラ=インファンテの「自伝」とされるのはこの本

Cabrera Infante, Guillermo, Cuerpos divinos, Gakaxia Gutenberg/Círculo de Lectores, Barcelona, 2010.

没後出版のため、未定稿だが、拾い読みをする限り問題はない。

「エル・パイース」によると、妻ミリアム・ゴメスは、読むのが怖い、自分がどんな風に書かれているのか心配だと言っていた。

1958年の革命直前から1962年までを扱い、二部構成の555ページ。

1962年、ブリュッセルにいるときに書き始めた作品。

文体がところどころ凝っていて、さらりと読み進められるわけではない。

登場人物の名前は、存命であれば仮名で、没後に本名にしていたという。カブレラ=インファンテは2005年に他界したので、それ以降に他界した人名は仮名のままだ。 

レアンドロ・オテロという人が出てくるが、リサンドロ・オテロ(1932ー2008)のことだろう。

1958年にまだキューバに住んでいたヘミングウェイとのエピソードが20ページほどある。バー、フロリディータでダイキリを飲んでいるヘミングウェイに話しかけるシーン。

今度時間のあるときに、ノルベルト・フェンテス『ヘミングウェイ キューバの日々』(晶文社)と照合してみよう。

2015年7月6日月曜日

キューバ映画(4)『ある程度までは Hasta cierto punto』[7月21日追記]


キューバ映画:『ある程度までは』(Hasta cierto punto)
監督: トマス・グティエレス・アレア
制作年:1983年

革命政権下における「マチスモ」について考察した映画。

映画内で、演劇とインタビュー映像がそれぞれ展開する入れ子構造になっている。

オスカルは劇作家で、監督のアルトゥーロの指示のもと、映画脚本を執筆しようとしている。撮ろうとしているのは「マチスモ」をテーマにした作品で、取材のためにハバナの港湾労働者にインタビューして、その模様を撮影する。この映像が映画内で流れる(入れ子構造①)。

オスカルもアルトゥーロも革命下では知識人階級に属し、比較的裕福な暮らしをしている(革命前はブルジョア階級)。それぞれ妻もいる。オスカルの妻はオスカル作の劇作品を演じる女優である。この劇作品も映画内で演じられる(入れ子構造②)
 
オスカルとアルトゥーロには先入観があった。それは、港湾労働者たちは「マチスモ」的価値観を持っているというものだ。革命が進み、マチスモは徐々になくなりつつあるが、労働者階級では、男が優位で、女を所有物として扱うという考えがしつこく残っているはずだと考えていた。

ところが取材で知り合った港湾労働者は想像とは違い、温度差はあるものの、男女平等を志向している。なかでも組合の会議で発言した女性にオスカルは目を奪われる。

サンティアゴ・デ・クーバ出身の彼女(リーナ)はシングルマザーで、女手ひとつで10歳の息子を育てていることがわかる。予想と違う展開にオスカルはアルトゥーロと揉める。

取材を続けるうち、オスカルはリーナに心を奪われる。リーナもオスカルに惹かれてゆく……

マチスモを乗り越え、革命理念を実現していたと思い込んでいたオスカルは、とっくにマチスモを乗り越えていたリーナとの恋愛を通じ、自分こそマチスモを体現していることに気づく。

 オープンエンドな結末である(先行研究でもそう解釈されている)。

リーナは前の恋人(子どもの父親)とひょんなことで再会し、関係を強要される。しかしリーナが男と会っているのをたまたま見てしまったオスカルは嫉妬に狂う。

その後、 飛行機に乗客が乗る場面が挿入され、リーナがサンティアゴへ帰ったようにも見える。しかし、オスカルの想像のようにも見える、はっきりとは確定できない場面である。

そしてオープンエンドであることを示すもう一つの理由。

劇中で演じられる劇は、フアン・カルロス・タビーオ(アレアの弟子)が制作した本物の演劇(La Permuta)である。この演劇もマチスモをテーマにしている。

(ちなみに劇中に流れるインタビュー映像も、本物の労働者へのインタビュー映像である。)

この演劇作品の最後は、主人公の女性が「台本」通りに演ずることを拒否して、台本を観客に向かって投げるところで終わる。つまり、あとは観客が決めなさいということだ。

この演劇の結末と重ねると、リーナとオスカルの結末は、映画を見た我々が決めなさいということだ。

映画の冒頭にはバスクの詩が引かれる。これは一つの結末を示している。


「Si yo quisiera, podría cortarle las alas y sería mía, pero no podría volar y lo que yo amo es el pájaro」

「できることなら、翼を切って自分のものにしてしまいたい、でも飛ぶことはできなくなるだろう。ぼくが愛していたのは鳥なのに。」

以下は余談。

映画のなかで、オスカルとリーナが高級ホテル「ハバナ・リブレ」で密会し、翌朝、オスカルがリーナをタクシーに乗せて自宅まで送る場面が出てくる。

このシーンを見たウェンディー・ゲーラはブログで、昔はこういうこともできたと言っている。つまりキューバ人が「ハバナ・リブレ」に泊まり、国内通貨でタクシーに乗ったりすることは、いまではありえないが、かつてはそうではなかったのだ、と。

[7月21日の追記:7月21日のエントリーを書くときに少し調べた結果、フアン・カルロス・タビーオの映画『交換します Se permuta』は、このエントリーの『ある程度までは』の劇中劇「La Permuta」が映画化されたのだということがわかった。制作年も同じ年(1983年)。ただ、両方ともが同じ内容のものだとは見ているときにはわからなかった。

2015年7月5日日曜日

フェルナンデス・レタマールの世界文学論(1)[7月11日修正]

読書メモ

Fernández Retamar, "Para una teoría de la literatura hispanoamericana"

・文学理論は後発であり、ラテンアメリカ(ここではスペイン語圏アメリカのこと)にはほとんど存在しない。文学史記述もまた20世紀に入ってから、最初は外国人によって書かれた。
 →Alfred Coester, Literary history of Spanish America, 1916.

・ラテンアメリカで最初の試みはコスタリカの研究者。
 →Roberto Brenes Mesén, Las categorías literarias, 1923.

・次ぐアルフォンソ・レイエスのEl deslinde: Prolegómenos a la teoría literaria(1944)は野心的。

・キューバ人ホセ・アントニオ・ポルトゥオンドは1945年Concepto de la poesíaを出版。これは大学へ提出した卒業論文だったが、副題の「Introducción  a la teroría literaria」は本にするとき削除。[この部分、7月11日に修正]

・これまで(このフェルナンデス・レタマールの論文が発表されたのは1972年)にラテンアメリカで書かれた唯一の理論書は以下のもの。
 Félix Martínez Bonati(チリ), La estructura de la obra literaria, 1960.

・そもそもどのようなものを文学理論とみなすべきなのか。学術書だけか?
 ラテンアメリカの場合、学術専門書や体系的な講義にとどめるべきではない。アルフォンソ・レイエスやポルトゥオンドはもちろんこと、エンリケス・ウレーニャやマリアテギなども入れるべき。さらに非ラテンアメリカの人びと、チェコやフランスやソビエトの研究者の著作も考慮するべきだ。

 さらに、作家たちの文章も考慮に入れるべき。ホセ・マルティ、ルベン・ダリオ、ボルヘス、カルペンティエル、レサマ=リマ、オクタビオ・パスなどなど。
 そもそも作家、批評家、理論家の仕事はラテンアメリカではあまり区別しないのが普通だ。(といっても、忘れてはならないが、作家の言う事を文字通りにはとるべきではない。)

・ラテンアメリカで書かれた文学理論書と、ラテンアメリカ文学理論書は区別するべきである。
 上に挙げた先駆的作品は「一般的な generales」文学理論書である。

・ポルトゥオンドはRené Wellek & Austin Warrenの「文学理論」を参照しているのだが、この理論書では「国民文学」研究にとどまらず、「ヨーロッパ的伝統」から論じられるべきとしている。

 しかしポルトゥオンドはここで、「ヨーロッパ的伝統」にのみ限定してはならず、「普遍的な universal」視点から研究するべきだとする。この点についてはWellekも同じような考えをしていたようで、Wellekも文学理論研究を、文学の原理や範疇、基準などを研究するものと定義している。

 そしてもっとも重要なこととして、レタマールがいよいよ指摘するのは、「そもそも理論研究が普遍的有効性をもつためには、文学が「普遍的」でなければならない」ということである。文学作品が普遍的でないときに理論を創出したとしても、それは個々の文学作品を通じて理論的実体が抽出されるというよりは、文学に対する理論の押しつけであり、となれば、それは理論ではなく、規範であろう。

・レタマールはここでゲーテを引く前にこう問うている。

「さてでは、そのような[普遍的な文学理論を抽出できるような]普遍的な文学、世界文学というものが、機械的な付加物ではなく、体系的な現実として、すでに存在しているのだろうか? 」

(続く)

キューバ映画(3)『疎遠』続き

映画『疎遠』の続き

この映画では、母の帰国から息子がボランティアに出発するまでの24時間を使って、革命のディスコースが提示される。


1959年以降の革命キューバのディスコースは「マルクス主義的近代」と呼ばれることがある。

この映画はそのなかでも、女性の役割について描いたものだとされる。

ブルジョア価値観を象徴するスサーナは母で、白人である。
革命価値観を象徴するアレイダは同士で、混血である。

母が連れて帰ってきた姪アナとレイナルドが二人だけで話す場面が長い。

再会場面では素っ気なかった二人だが、スサーナとアレイダがそれぞれ用事でいなくなると、アナとレイナルドが親密な関係にあることが示されて、どきりとさせられる。つまり、素っ気なかった再会は、実は見せかけ、あるいは照れ隠しだったのだ。

この長いシーンで、2人のキューバ人女性の作品が引用される。

ひとつはオマーラ・ポルトゥオンドの歌「20年 Veinte años」だ。

もうひとつは、ルールデス・カサルスの詩だ。

アナはレイナルドにとって幼なじみ。Intimacyそのものだ。

アナとレイナルドのあいだに、かつて恋愛関係があったこと、のみならず、母スサーナとの関係にも近親相姦があったかのような親密さが読み取れる。

最後、この2人と決別してレイナルドはボランティアへ出発する。 ブルジョア的価値観を背景にした親密さ、それはもう捨て去らなければならない。

しかし監督のヘスス・ディアスはこの映画のあと数年でキューバを去り、この映画をノベライズした『肌と仮面 La piel y la máscara』を出版する。同じようなストーリーながらも、キューバを出てから書いたこの小説はテイストが異なるのだ。ディアスの革命への考え方が変わったからだ。

この点についてはまたいつか。

2015年7月4日土曜日

キューバ映画(2)『疎遠 Lejanía』

アメリカとの国交回復ということで、もう一本、アメリカ、亡命を描いたキューバ映画を。

映画:『疎遠(Lejanía)』
監督:ヘスス・ディアス
制作年:1985年

レイナルドが16歳のとき、両親は親戚とマイアミに亡命した。

両親はレイナルドも連れていくつもりだったが、訳があって息子を連れて行けず、旅立つ。
 
それから10年が過ぎ、突如、母(スサーナ)が姪(アナ)とともに、1週間帰国するという。

連絡をもらったレイナルドは困惑する。

両親に捨てられたかっこうのレイナルドはグレた。盗み、アルコール、親戚との暴力沙汰……

そんな彼も、アレイダとその娘のアレハンドラと出会い、いまは新しい生活を築きつつある。昼は仕事、夜は学校へ行っている。

レイナルドは近々、ボランティアで地方へ3か月でかける予定だった。

母の突如の来訪に出発をどうするか悩む。

帰って来た母は、10年ぶりの家を見て驚く。

もとは豪華な調度品があったが、ほとんどなくなっている。埃だらけの作り付けの棚、簡素な部屋。聞くと、売ったとのことだった。金には困らないようにしてあったはずだが……

母は息子が離婚歴のある子持ちの黒人女性と結婚したことが気に入らない。

その会話を再現しよう。

母: アレイダはお皿洗わないの?
息子: いや、ぼくが洗って、彼女は料理をする。ぼくは買い物係で彼女は掃除係だ。
母:どうして離婚暦のある女の人と結婚したの?
息子:好きになったからさ。悪いの?
母:いえ、そうは言ってないわ。未婚の女の子ならよかったんだけど。
息子:もうそういうことは言わないんだよ。
母:彼女の仕事は何かしら?
息子:研究所で働いている。化学を専攻してる。
母:あら、そうなのね。あなたは子どもとは仲がいいのね。
息子:ああ、まるで自分の子のようさ。
母:ねえ、アレイダって黒人よね?(Aleida tiene pinta, ¿verdad?)
息子:黒人?
母:ちょっと黒いじゃない(medio mulatica)。
息子:それがどうしたの、ママ?
母:なんでもないわ。うちの家族にはいなかったから。
息子:うちの家族って……


10年のうちに息子は、すっかり「革命生活」に同化している。困難はあれども、革命を信じている。

母はそれが信じられない。

(続く)

2015年7月2日木曜日

キューバ、米国と正式に国交回復。ぴったりの映画『ハロー ヘミングウェイ』(キューバ映画1)

いまこそ見るべき映画。

キューバ映画『ハロー ヘミングウェイ』

原題:Hello Hemingway
監督:Fernando Pérez(フェルナンド・ペレス)
制作年:1990年

物語の設定は1956年。

公立高校に通う女の子イラリアの物語だ。

父親が逃げたために、生後間もなくイラリアは孤児院に預けられる。そのとき、出生証明書や洗礼証明書とは異なる姓で登録されたことが、あとあと響いてくる。

イラリアの母は、娘を孤児院から引き取ったものの、女中の仕事だけでは生計を立てられず、兄夫婦を頼ることにする。

こうしてイラリアから見て叔父夫婦との同居生活が始まる。そこには祖母と叔父夫婦の娘もいる。合計6人の所帯である。この家が、ヘミングウェイ邸のすぐ近く にあるという設定で、イラリアと従姉はヘミングウェイ邸に忍び込んでプールで泳ぎ、執事に睨まれ、ヘミングウェイには微笑まれたこともある。

祖母と母の協力でイラリアは高校に通うことができ、優秀な成績をおさめている。密かに思いの通じ合っている同級生ビクトルがいる。

イラリアはのちのちアメリカ合衆国の大学に留学したいと考え、先生に相談すると推薦状も得られ、審査を次々パスしていく。

アメリカへの留学に期待を寄せるイラリアは『老人と海』を読み進め、舞台となったコヒマルをビクトルや、もう一組の恋人たちと一緒に訪れたりする。

コヒマルへのダブルデートで行動をともにした友人役のエステラに、なんと現在は作家のウェンディ・ゲーラが起用されている(彼女については別のエントリーで触れた)。

前半はおおむねハッピー、ときにコメディタッチで展開する。プレスリーの歌を歌ったり、ヘミングウェイのブロマイドを部屋に飾るイラリア、イラリアの制服の布地を買うために大切な宝石を質に入れる祖母、従姉とのハバナ散歩などなど。

が、残念ながら後半は悲しい展開だ。

そもそもイラリアと母は、叔父夫婦宅に居候をしているようなもので、イラリアは、自分が穀潰しにすぎないことに気づいていく。哲文学部に進みたいと叔母と祖母に言うと大笑いされ、将来を考えてもっと実用的なことを勉強しろと言われる。

従姉には、早く学校をやめて働くように諭される。

アメリカ留学のことをビクトルに告げると、予想とは異なり喜んでくれず、結局、失恋する。

叔父マノーロが職(警察)を首になり、酔っぱらって帰宅したあと、家で大暴れして、家族に暴力をふるう。

居場所のないイラリアは住み込みで働いている母をたずねるが、その母からは「おまえに読み書きを教えたのは私だ」と恩着せがましいことを言われる始末。

いよいよ留学審査の最終面接の日が来る。周りは育ちのよいお嬢ちゃんお坊ちゃんばかりだ。その面接で、前述した姓の登録名が問題になり、担当の女性から、もう一通、しかるべき地位の人物からの推薦状が必要だと告げられ、合格は保留にされる。

保留とはいえ、イラリアに推薦状を書いてくれる人間が思い浮かばないのだから、事実上の不合格だ。

イラリアは思い切ってヘミングウェイを訪ねてみる。大雨のなか、崖をのぼり、苦労して玄関までたどりつく。しかし、応対に出た執事に、ご主人様はアフリカへ旅行中だと告げられ、最後の可能性は断たれる。

おりしも高校では自治会の再結成をめぐり、学生代表のビクトルは学校当局と揉めている。バティスタ政権末期で、革命運動が始まっており、カストロらの進軍の噂が高校生にも届いている。ビクトルの行動は革命運動と呼応するものだ。

イラリアは迷った末、ひとりで学校に入る。つまりビクトル派を裏切った。その後、ビクトルは警察に連行される。

高校を止めたイラリアは、結局、カフェの給仕係になる。

街は復活祭休暇で賑わうなか、イラリアは働いている。すると、アメリカ留学の審査官の女性がイラリアを認め、声をかけ、二言三言言葉を交わす。しかしイラリアは憤懣やる方ない様子で女を睨んだままだ。

奨学金は得られず、恋人も失ったイラリアはコヒマルの海辺で『老人と海』の一節を口にする……

さてこの映画におけるヘミングウェイとはアメリカ合衆国のことである。この映画は1990年に撮られている。冷戦が終わってキューバが苦境に陥ったときだ。

監督フェルナンド・ペレス(『永遠のハバナ』)は、そのときのキューバの状況にそくして、過去を参照しながら未来を思い描き、この映画を撮ったはずだ。いつかキューバはアメリカともう一度和解する、そのとき、キューバ人は言うだろう。「ハロー、アメリカ合衆国」と。

 映画から四半世紀が過ぎた。もはや「ハローヘミングウェイ(アメリカ合衆国)」は同じ意味をもたないかもしれないが、やはりキューバ人にとってアメリカは隣人なのだ。イラリアにとってヘミングウェイが隣人だったように。