2019年1月27日日曜日

『ビール・ストリートの恋人たち』

ジェイムズ・ボールドウィンの小説『ビール・ストリートの恋人たち』の新しい翻訳が出たのを見つけ、早速読んだ。まもなく映画が公開されるので、その前に読んでおきたかった。

ジェイムズ・ボールドウィン『ビール・ストリートの恋人たち』(川副智子訳)、早川書房、2019年。



ニューヨークのハーレムに生まれ育った黒人のクレメンタイン、愛称はティッシュ。同じく黒人で同じくハーレム育ちのアロンソ、愛称はファニー。

この小説は若い二人の一途な恋愛小説だ。

ちなみにティッシュが女性でファニーが男性。なぜこういう愛称なのだろう?

幼馴染の二人はいつしか恋人同士になる。デートコースはスペイン料理店と、彫刻家になりたいファニーが作業場として借りているアパートだ。

結婚することに決めた二人は家を探すが、黒人であることが障壁となってなかなか貸してくれない。そこに来て、赤毛の警官ベルが登場する。彼はレイシストとして知られ、黒人少年を殺害した前歴があった。
 
ベルはファニーに目をつけ、なにやら企んでいるようだ。そもそも彼の担当区域はウエストサイドなのに、イーストサイドに来ている。たまたまファニーとティッシュが二人で商店で買い物をしていると、イタリア人のワルにティッシュは絡まれる。慌てて駆けつけたファニーがやり返すのだが、それを見ていたベルはファニーを逮捕しようとする。
 
幸い商店主がファニーとティッシュの味方になってベルを追っ払ったが、それはその後の悲劇の前兆だったのか。

ファニーは察知している。「あいつはおれをつかまえるつもりだ」

「彼[ファニー]はだれの黒んぼでもなかった。そして、それは、このくそったれな自由の国においては犯罪なのだ。この国では黒人は誰かのニガーでなければならず、だれのニガーでもなければ、悪いニガーとされる。」(55ページ)

ここは、ボールドウィン原作の映画『私はあなたのニグロではない』と重なる。

黒人差別の被害はファニーの幼馴染であるダニエルにも及んでいる。彼は冤罪で逮捕されて刑務所に入れられ、そこでのレイプの記憶がトラウマになっている。

ある日、そのダニエルをファニーとティッシュが慰めていると、警察がやってきて、ファニーは逮捕されてしまう。容疑はプエルトリコ人女性の強姦である。

ちょうど同情的なアパートの貸し手が見つかり、二人に前途洋々の未来が開けていたところなのに、以降ファニーとティッシュは拘置所のガラス越しの、受話器を持っての会話しかできなくなる。毎日のように拘置所を訪れ、ティッシュはファニーを勇気付け、またファニーもティッシュの訪問に勇気付けられ、二人は将来の夢を語り合う。

もちろんティッシュの家族(姉アーネスティン、父ジョーゼフ、母シャロン)はファニーを救い出そうと懸命の努力を払う。姉アーネスティンの助力もあって、弁護士ヘイワードが動いてくれる。
 
ティッシュは妊娠に気づき、ファニーに報告するとともに、両家族にも報告する。ファニーの家族の中では父フランクがジョーゼフとともに、ファニーのためにできることを探している。とりわけ金策である。

物語はその後、弁護士のたてた方針に従って、ティッシュの母シャロンがプエルトリコに赴き、ファニーが犯人だと証言した被害者プエルトリコ人女性と対決する。

プエルトリコ人と黒人ーー

シャロンは言う。「あたしはスペイン語を喋れないし、島の人間は英語を喋れない。でも、どっちも同じゴミの山にのっかってる。」 (256ページ)

ティッシュは思う。「ここ[NY]に恥があるとすれば、あたし自身が感じているような恥、あたしを”娘よ"と呼ぶ働き者の黒人の婦人たちの恥、あるいは、なにが起こったのかを理解できないままーーだれもスペイン語で彼女たちに説明してあげないからーー愛する人が収監されたことを恥じている誇り高いプエルトリコ人たちの恥。だが、そうした人々が恥いるのはおかしい。ほんとうにに恥じ入るべきは拘置所や刑務所の責任者のほうだ。」(15ページ)

ファニーを無罪だと証明できるのがプエルトリコ人と黒人(ダニエル)で、その二人はともに警察とは関わり合いを持ちたくない……

シャロンの冒険、父ジョーゼフとフランクの金策、そして徐々に近くティッシュの出産。

物語の途中では色々な歌が流れる。ビリー・ホリデイの「マイ・マン」。ロバータ・フラックの「コンペアード・トゥ・ホワット」。アレサ・フランクリンの「それが人生」。レイ・チャールズ。

そして、記憶に残るフレーズの数々。例えばーー

「他人に肉体があることにはじめて気づくのは衝撃的だ。相手も肉体をもっていることに気づいた瞬間から、その人は他人になり、そのことは自分にも肉体があることを気づかせる。人間はこの気づきとともに生き、この気づきが人生を語らせるのだろう。」(75ページ)

「人の心の働きは埃を集める物と似ている。物も心もそれ自体は、なにがなぜ、くっついてくるのかわからない。でも、なんであれ、いったんくっつくと、もう離れてはくれない。」(236ページ)

映画では多分このシーンは使うと思うのだが、どうだろう。

拘置所の二人のシーン。

「あたしたちは見つめ合う。見つめ合っているうちにファニーの背後のドアが開き、看守が現れる。なによりおぞましいのは、ファニーが腰を上げてうしろを振り向く、この瞬間だ。あたしもそこで腰を上げてうしろを向かなくてはならない。けれど、ファニーは冷静さを保つ。彼は立ち上がって拳を突き上げ、微笑んでみせる。あたしの目をじっと見据えながら、少しのあいだその場に立っている。なにかが彼からあたしへと伝わる。愛と勇気。そうよ、そうあたしたちはなんとかしてこれを乗り切る。なんとしてでも。あたしは立ち上がり、拳を突き上げる。」(254ページ)

映画では、シャロンのプエルトリコ訪問、ティッシュの拘置所での面会、そして悪役としての警官ベルのやりとりがどんな風に描かれるだろうか。楽しみだ。

2019年1月24日木曜日

サルトルとキューバ

サルトルのキューバ訪問の記録は以下の本にまとまっている。

Sartre Visita a Cuba: ideología y revolución: una entrevista con los escritores cubanos: huracán sobre el azúcar, Ediciones R, La Habana, 1960.


ところで、タイトルの「Sartre Visita a Cuba(サルトルはキューバを訪問する)」で、前置詞「a」は必要なのだろうか?

通常、というか、今のスペイン語では不要(のはず)。

スペイン王立アカデミーの辞書を引いても、「En sus vacaciones visitó París(休暇でパリを訪れた)」という例文が出てくる。

ただ、マリア・モリネールの辞書(Diccionario de uso del español、初版)の「visitar」を引くと、なんと、冠詞なしで用いられる固有名詞の時には「a」が必要というのが長らく王立アカデミーの説明だったそうである。知っていましたか?

「Visitó a París」とか「Visité a Inglaterra」というわけである。
 
ただし、モリネールは説明を付け加えていて、このように前置詞の「a」を使うのは言語純正主義者ぐらいで、通常は使われていないのだという。というわけで、「a」はなくていい。

でもネットで検索すると、visitarのあとの地名に「a」を前置させているケースは結構ある。

で、本の話をすると、この「Sartre Visita A Cuba」は冒頭にサルトルの文章「Ideología y Revolución」が載っていて、その後に、キューバ作家との対話が数十ページあって、これはかなり貴重な資料。

その模様を撮った写真は例えばこんなもの。真ん中の小さい写真は多分アントン・アルファ。



この中の、フランスの新聞に連載していた「Huracán sobre el azúcar」だけを取り出したのが以下の本。

Jean-Paul Sartre, Huracán sobre el azúcar, Editorial Prometeo, Lima,  出版年不明.


サルトルのキューバ訪問だけを集めたコルダの写真集もあったような気もするのだが、出てこない。買わなかったのかもしれない。

2019年1月3日木曜日

キューバ文学:El Puente 出版

革命後の「革命文学」研究の中で抜け落ちている文化運動についての研究が進んでいる。

María Isabel Alfonso, Ediciones El Puente y los vacíos del canon literario cubano: Dinámicas culturales posrevolucionarias, Universidad Veracruzana, Veracruz, 2016.



この本は、1961年から65年まで存在した出版社「El Puente」の活動を当時の資料を使って論じたもの。

El Puenteが出した雑誌の編集長はホセ・マリオさんで、この人はドキュメンタリー『Improper Conduct』でも証言している。

この出版社はアフロキューバ系ほか、かつては排除されていた人々の実験的な表現に力を入れていた。が、当時の主流な知識人たち、例えばヘスス・ディアスやその雑誌「Caimán Barbudo」から攻撃を受けていた。

そのためこれまであまり研究されることがなかった。しかしこのところーーと言ってもそれなりに時間は経っているがーー、例えばアントニオ・ホセ・ポンテなどもこちらで言及している。

この本はタイトルにあるように、革命文化の正典を作り上げようとする中にあって、El Puente出版の意義を認めようとしているものだ。文学のみならず、音楽や映画の事情もそれなりに触れている。

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12月31日の映画館はがらがら。


下は2019年1月2日の雑司が谷で。