2014年11月30日日曜日

Juego africano Part II

講読クラスで読んでいる短篇「Juego africano」についての続き。

作者はマルコス・ヒラルト・トレンテ Marcos Giralt Torrente。Giraltはカタカナにするのが難しい。1968年マドリード生まれ。




父が画家のフアン・ヒラルト(1940-2007)。たとえばこんな作品を遺している。




マルコスは1999年に『パリ』という小説でエラルデ賞(Premio Herralde de Novela)を受賞している。2011年に『人生の時 Tiempo de vida』で国民小説賞を受賞。この小説では父フアンとの関係を物語化したとのこと。下に掲げたが、本の表紙に使われている写真はきっと親子のものなのだろう。



マルコスの祖父はゴンサロ・トレンテ・バジェステルという作家。ガリシアのフェロル出身である。セルバンテス賞も受賞している(1985年)。彼の肖像は切手にもなっているそうだ。



そういえば、短篇Juego africanoの登場人物ロドリゴはガリシア出身で歴史物語や逸話を語って聞かせるのがめっぽう巧いという設定だ。祖父ゴンサロの小説にはガリシアの口承文芸が反映しているそうだ。

短篇の流れを整理しておこう。

語り手のスペイン人である「私」(男性)は外務省勤めの大使館員である。プエルト・リコのサン・フアンでのスペイン大使館勤務ののち、ケニアのナイロビ勤務を命じられる。

そんな彼が、休暇でラムという東アフリカ沿岸に面した島に訪れる。島といっても大陸の一部といってよいほど隣接するとても小さな島である。ソマリアまで100キロほどのところだ。逆に海岸を南下すれば、都市モンバサがある。ケニア第二の都市で、聞いたことのある地名だ。インド洋交易の中心だった。

いっぽうラム・タウンは奴隷貿易の中心で、新大陸への奴隷基地だった。中世イスラム建築が残っており、世界遺産登録もされている。ラテンアメリカやカリブの都市と同じく、植民地制度と関係の深い町だ。なにやら興味をそそられる。

下のページでラム・タウンの現在の雰囲気がわかる。

http://www.ide.go.jp/Japanese/Serial/Photoessay/200701.html

さて、語り手は休暇を終えてナイロビに戻ろうとするものの、管制塔の故障で何日間か、その島に滞在することになる。

ラム・タウンにスペイン人のロドリゴが住んでいることは、大使館勤務の人間であれば知っていることだった。しかしロドリゴはスペイン人コミュニティとは関わりをもたずに暮らしていた。語り手も、ラムに来たからといって彼を探そうという気持ちはまったくもっていない。

ところが語り手が泊まっているホテルのバーで飲んでいると、ウェイターのおせっかいで、たまたま同じ店にいたロドリゴと引き合わされてしまう。

挨拶だけで終わるかと思いきや、意気投合し、二人は飲み続ける。しかも、ロドリゴの誘いにのって、語り手は滞在の残りの期間を彼の自宅で過ごすことになる。

自宅にはスワヒリ人の妻がいて、甲斐甲斐しく夫の世話をしている。そして先に述べたとおり、ロドリゴは話がうまい。ガリシア人が出てくる物語を次々と聞かせる。

ロドリゴは自分のことはあまり語らない。船乗りだったことぐらいしかわかっていない。謎めいた男である。


さてこの話はどう展開していくのだろうか。とても楽しみである。下はラム・タウンの風景。

Lamu, Lamu Island, Kenya.jpg




2014年11月22日土曜日

Gustavo Eiriz、タンゴ

Gustavo Eiriz(ギター、歌) & 西原なつき(バンドネオン)によるタンゴを聴いた。3曲だけサッコ香織がピアノ参加。

覚えているかぎり曲目を挙げておく。順不同。

El esquinazo
Adiós nonino
Temblando
Flor de lino
Golondrinas
Milonga de los novecientos
Mi refugio
María/Sur
Los sueños
Grisel
Nada
El choclo
Oblivion
Libertango



Gustavo氏はYoutubeでかなり聴ける。
http://www.youtube.com/user/DjBydLo
http://www.youtube.com/watch?v=Ix28xIF-8hA&list=UUvWG-YYjMixk243wL7A6uTA



2014年11月21日金曜日

ボラーニョ(1)自伝、フィクション

ボラーニョを読んでいると、自伝的なエピソード、あるいは彼が仕入れ、彼がかかわったゴシップが書かれていると考えざるを得ないときが多い。少なくとも彼のそういうところが何かのとっかかりになるのかな、と思ってしまう。

とっかかりというのは、ボラーニョを研究ーーここで研究というのは、ちょっと真剣にボラーニョについて考えようとするぐらいの意味ーーするとすれば、そういうところに目がいきやすい部分のことだ。

これはたとえば、ガルシア=マルケスの『悪い時』について考えるときにとっかかりになるのは、多くの場合、コロンビアの「暴力の時代」であることと同じだ。

つまり、何かの作品に深入りしようとしたときに、誰にでも見える入り口=穴のようなものがあって、そういう穴から入るのを避けたがる人もいるし、とりあえずそこから入ってみようという人もいる。

で、ボラーニョ読解の場合、作品内部に横溢する彼の人生と不可分だと読ませている部分を突いていくとなれば、そういう研究の進んで行く先にはたぶん、自伝とは何か、小説とは何か、虚構とは何か、といった問題群があるのではないか。これはあくまで予想で、実際にある程度の蓄積のあるボラーニョ研究が本当にそういう風に進んでいるのかどうかは知らないが、そういう普遍的な問題に進んで行って欲しいと思う。

フィクションとは何か、というレベルで考えるとき、小説として読んでいるものと自伝として読んでいるものをどうやって区別するのか、という問題はとても面白い。

ボラーニョを読んでいると、作り物であると認定しながら読んでいるのか、それとも自伝=真実であると認定しながら読んでいるのか、そのあたりは微妙である。

どうしても真実めいた話としての推測を誘うところが彼の作品にはある。どんな読者もボラーニョにそういうところを見つけるのではないか。つまりそれが「とっかかり」なのだ。いまはまだまったく手探りで書いているが、清塚邦彦『フィクションの哲学』(勁草書房)を参考にしながら、ボラーニョの語りにおけるいくつかの水準を考えてみたい気は出て来る。それが生産的なことなのかどうかは分からないのだが。

いっぽうで、ボラーニョをそのような方向性の研究には限定しないというのもありなのではないかと思ってもいる。

中井亜佐子『他者の自伝ーポストコロニアル文学を読む』(研究社)では英語圏の旧植民地作家の分析が行なわれているが、このような方向の研究にボラーニョはまったく関与しないのかどうか。これについて考えてしまう。

この本の序文にはこうある。

「本書が扱うテクストの大半は、狭い意味での自伝、わたしたちとすでに自伝契約を取り交わしてしまったテクストではない。だがわたしたちは、『ポストコロニアル文学』という名で総称されるテクスト群の多くが契約違反を自ら促し、わたしたちを自伝的読解という誤読にいざなうテクストであることを、経験的に知っている。」(p.5)

彼女が論じる作家はナイポールやクッツェー、ラシュディであり、英語圏だ。

ボラーニョのテキストが伝統的な意味合いにおける「自伝」ではないのかどうか、つまり語りの水準におけるフィクション性の問題については、上に書いた方向性での研究に意味があるだろうと思っている。

いっぽうで、ポストコロニアル文学における「自伝的読解という誤読にいざなうテキスト」のなかにボラーニョが入らないとは言えないような気もする。

中井の序をさらに引こう。

「こうした英語作家の小説を読むとき、どうしたわけか、テクストそれ自体が、その外側に横たわる作者の「特殊な」体験を執拗に指示対象としているかのように見えてしまうのである。「普遍性」が西洋白人中流男性主体の属性であるならば、彼/女らの生は常に「特殊」で「私的」である。ただし、その特殊性には常に、彼/女らの文化アイデンティティの集団的特性が付与されるーーいったん抽出された「わたし」はたちまち「わたしたち」へと一般化されてしまうーーのだけれども。(中略)ポストコロニアル文学は、作者の人生というテクストの外部を参照することなしには読解不可能とみなされることになったテクストなのである。それらのテクストの多くは、暗黙のうちに自伝的に読まれることを承認してしまっている。それをポストコロニアルな自伝契約とでも呼ぶべきだろうか。」(p.6)

この文章はボラーニョよりも、フェルナンド・バジェホやレイナルド・アレナスを分析したものとして、より適切に当てはまるかもしれない。

キューバからの亡命を余儀なくされたアレナス、コロンビアからの離脱を演劇的に行なったバジェホ、二人のカミングアウト戦略などは、彼らの作品とは不可分である。

また、チリ、アジェンデ、ピノチェト、メキシコ、スペイン(カタルーニャ)というボラーニョの人生に付与される「特殊性」は、「私的」であると同時に「集団的」でありながらも、自伝的読解へと誘う。

フィクション性の問題という方向の研究が不可能ではないのは、ボラーニョの作品がスペイン語というメジャー言語によるものであることと無関係ではない。

そして、ポストコロニアル文学としての読み方が不可能ではないのは、ボラーニョ文学には植民地性(コロニアリティ)抜きには論じきれない何かがあるからではないか。

2014年11月20日木曜日

ベルシアーニ事件

前期の講読ではアラン・パウルスの短篇「El caso Berciani」を読んだ。冒頭を引用しよう。
 
De la estación terminal al vaciadero de desechos, una de dos: o se toma la avenida Pianetti o se toma el camino de cintura. Una de dos -y no hay otra opción. Años pasaron los automovilistas buscando la forma de unir ambos puntos; siempre fue en vano. Cualquier atajo, de los miles que se ensayaron, iba a morir en Pianetti o en el camino de cintura, (...).

ターミナル駅からごみ処理場までは、二通りしかない。ピアネッティ通りを行くか、シントゥーラ街を行くかだ。 二者択一で、他に方法はない。自動車ドライバーたちは何年ものあいだ、二つの地点を結ぶ方法を探し回っていた。いつも無駄に終わった。無数に試みられたどんな近道も、ピアネッティか、あるいはシントゥーラ街に行き当たったのである(後略)。

こんな出だしだからわくわくして読み始めてみたが、スペイン語としては挿入語句が多く、スペイン語に読み慣れていないと難解だったようだ。

固有名詞が頻出するわけでなし、新聞記事や海外事情の文章を読むよりは、辞書を片手に読めばいいような、こういう文章のほうが取り組み甲斐があるかと思っていた。

物語では、街を隅々まで知っているという都市計画者ベルシアーニが、二通りしかないそのルートについて、第三の方法を知っていると豪語した。そしてある日、そのルートを実際に車で走行して証明してやると息巻いて出発する。マスコミ連中にはトランシーバーなどで居場所を知らせるからと、ついてくることを禁じた。こうしてベルシアーニは妻に見送られ、ひとりで車に乗り込んだ。

最初は順調に進んでいたーーだれもが予想するルートを走行するーーが、あるとき騒音とともにベルシアーニからの通信が途絶え、それっきり彼は行方不明になってしまう。

警察は従順な妻、ユーゴからの亡命者である自動車整備士と接触し、捜査を進めるがいっこうにベルシアーニはあらわれない。愛人との逃避行に出たのだとマスコミの報道は加熱する。


写真はアラン・パウルス。弟はガストン・パウルス。Nine Queensなどの映画に出ている俳優。

2014年11月17日月曜日

文献探し

ゼミのページに投稿したものを以下に再録する。

ーーーー
外国語文献をどこで探すかですが、

http://www.jstor.org/

は外大図書館からログインできるので使えるかと思います。Roberto Bolañoで検索すると440件ヒットします。

このなかには書評Reviewなども入っているので、すべてが学術論文ではないですが、かなりの件数がヒットしているので、研究の蓄積はある程度ありそうです。Nueva canciónで検索すると2390件で、さらにChileを加えたら713件でした。

BorgesやCortázarだと相当な数になるでしょうね。José Emilio Pachecoは2259件。学術分野でどれくらいの価値をもっているのかを知るにも使えます。

もちろん論文といっても玉石混淆でしょうから、タイトルで自分のテーマに近いもの、あるいは興味を覚えたものをいくつか見てみるといいかと思います。

論文の最後にまとめて載っている文献目録を見て、複数の論文で引用されている文献があれば、それは重要なものと言えます。仮にそれが一冊の本であれば、今度はその本が日本のどこかの図書館にないかどうかを探してみる。

一案ですが、文献探しの旅に出てみてください。

追記:
文献探しのウェブサイトについて

https://ja.scribd.com/

このサイトは文章のYoutubeみたいなところです。

Juego africano

後期の講読テキストに選んだのは、Juego africano。作者はMarcos Giralt Torrenteという40代のスペイン人作家。タイトルに惹かれて数ページ読んでみて、これならいけるだろうと思った。前期に難しい短篇を選んだこともあって、少し手加減しなくてはと、なるべく読みやすいものを探すことにしていた。

マドリードの本屋ではスペイン作家のアンソロジーを探したところ、Cuento español actual(1992-2012)というCátedraから出ている本が見つかったので、これでよしとした。女性作家の短篇をなるべく読もうとしていたのだが、「アフリカ」という、実を言うとラテンアメリカ文学ではあまり見た事のない単語が入っていたので、やはりスペインなんだなと勝手に思い込み、これまでに味わったことない魅力に抗えなかった。

ちなみにこのアンソロジーのタイトルの単数名詞(cuento)に冠詞がついていないので、なんとなく座りが悪いような気がしていた。たまたま本を見せたスペイン人の先生もそのような印象を抱いたようだった。

短篇を読み進めてみると、大使館勤務の男がプエルト・リコからケニアへと赴任していき、そこで謎のスペイン人男性と出会うという展開だった。

tinieblaという単語が出て来る。África, tinieblaとくれば、コンラッド『El corazón de las tinieblas』を思わざるを得ない。

たとえばこんな一節がある

Ninguno de ellos hubiera tenido una palabra que decir a los otros en caso de ser vecinos en una ciudad española y, no obstante, todos coincidían en una cosa: creían estar perdiéndose algo fundamental.

アフリカに住んでいる数少ないスペイン人がどんな風に暮らしているのか。 というよりも、海外へ渡った植民者がどういう暮らしをしているのかを書いている。文体はかちっとしていて、読みやすい。

外国語で書かれたものを、文法やその他スペイン語力をつけることを目的として読むとき、読んでいる目の前の文章を100%理解することに一生懸命になりすぎる必要はないと考えている。日本語の文章を読むときにも、あんまり内容を理解しないまま先に進んでいき、あるところでハっと思って遡及的に読んで理解することはあるはずだ。

感覚的には80%ぐらいの理解度で読み進め、あとの20%はフリーハンドな状態にしておいたほうが、あとから読み直す楽しみも生まれるような気がする。