「カサ・デ・ラス・アメリカス」は革命20年の時にレコードを出した。
LP2枚組で、様々な作家が自作の詩やエッセイを朗読している。
Disco I.
Escrito en el año 2000 (fragmento) / Pablo Neruda
Cuba 65 / Jaime Sabines
Cuba-Angola / Jan Carew
Décima de decimero / Aquiles Nazoa
La vida cotidiana en Cuba durante el bloqueo (fragmento) / Gabriel García Márquez
Testimonio / Benjamín Carribon
Don Quichotte / Paul Laraque
La marcha / Roque Dalton
Disco II.
Revolución, guerra de Reconquista / Alejo Carpentier
Declaración pública de amor / Thiago de Mello
Vengan a ver / Alfredo Gravina
Fidel ; Habana revisited / Juan Gelman
Tengo ; La sangre numerosa ; Responde tú ... ; Se acabó / Nicolás Guellén
Hotel El Colony / Efraían Huerta
Este enseñó que la revolución se hace hacibendola / Luis Vidales
El vigía / Alejandro Romualdo
Habanera /Alfonso Chase
ジャケットはこれ。
レコード盤には、「エグレム・レコード制作」とある。キューバの国営レコード会社だ。
El mundo cambia constantemente.
ラテンアメリカ文学、キューバの文学、カリブの文学などについてメモのようなものを書いています。忘れないように書いているというのもあるけれど、忘れてもいいように書いている。書くことは悪魔祓いみたいなもので、書くとあっさり忘れられる。それがいい。
Escribir es un acto de exorcismo. Escribir cura, alivia.
2018年11月23日金曜日
2018年11月16日金曜日
フリーダ・カーロ展&ドイツ語で読む『エプタメロン』
この夏、ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館でフリーダ・カーロ展を見てきた。
その時のカタログがこれ。
Claire Wilcox & Circe Henestrosa, Frida Kahlo: Making her self up, V&A Publishing, 2018.
彼女の絵画だけでなく、彼女が身につけていた衣装や装身具、コルセット、薬、糸、その他小物類などが並べられていた。
メキシコシティの彼女の『青い家』の衣装箱(?)が開けられたのが2004年だか2005年。
そこには数百の小物、6000枚の写真、12000の文書などが入っていて、それを全て分類して、ようやく今回の展覧会が催されたということらしい。
ただ展示場はスペースが狭くて、ちょっともったいない印象。もっと広いところで見たかった。ドレスはきちんと見ることができたが、そのほかの小物はゆっくり眺めることもできず。
El Paísのこの記事などが参考情報。
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フリーダ展を見たのももう数ヶ月前の夏の思い出だが、『君の名前で僕を呼んで』は夏の思い出映画である。
その意味では『悲しみに、こんにちは』とか『海辺のポーリーヌ』と重なるといえば重なる。
全く前後関係を抜きに素晴らしかったシーンをあげると、母が夫と息子(エリオ)をそばに寄せて『エプタメロン』を朗読するところがあって、そこだけは忘れたくない。
真夏の停電の夜、家族が過ごしている別荘には『エプタメロン』のオリジナルのフランス語版がなく、仕方ないわねえ、と言いながら、母親はドイツ語で朗読し、それを夫と息子のために英語に翻訳していく。
考古学者である父が教える大学院生オリヴァー(24歳)に惹かれているエリオ、17歳。この思いをどうしたものだろう。エリオは、母に寄り添って聞くとはなしに聞いている。
いつしか母の朗読する内容は、エリオの内面の恋の感情と重なってくる。「おや、この話、僕の話と似てるじゃないの」
しかもドイツ語から英語に翻訳する時に一瞬の間が必然的に生じ、その静けさがうまい具合に、エリオにも、そして見ている我々にも、なにがしか考える隙間を与えてくれるのだ。
1983年に17歳だったエリオは今、50歳を超えている。一体その後どんな人生を歩んだのだろう(映画はフィクションだけれども)。
その時のカタログがこれ。
Claire Wilcox & Circe Henestrosa, Frida Kahlo: Making her self up, V&A Publishing, 2018.
彼女の絵画だけでなく、彼女が身につけていた衣装や装身具、コルセット、薬、糸、その他小物類などが並べられていた。
メキシコシティの彼女の『青い家』の衣装箱(?)が開けられたのが2004年だか2005年。
そこには数百の小物、6000枚の写真、12000の文書などが入っていて、それを全て分類して、ようやく今回の展覧会が催されたということらしい。
ただ展示場はスペースが狭くて、ちょっともったいない印象。もっと広いところで見たかった。ドレスはきちんと見ることができたが、そのほかの小物はゆっくり眺めることもできず。
El Paísのこの記事などが参考情報。
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フリーダ展を見たのももう数ヶ月前の夏の思い出だが、『君の名前で僕を呼んで』は夏の思い出映画である。
その意味では『悲しみに、こんにちは』とか『海辺のポーリーヌ』と重なるといえば重なる。
全く前後関係を抜きに素晴らしかったシーンをあげると、母が夫と息子(エリオ)をそばに寄せて『エプタメロン』を朗読するところがあって、そこだけは忘れたくない。
真夏の停電の夜、家族が過ごしている別荘には『エプタメロン』のオリジナルのフランス語版がなく、仕方ないわねえ、と言いながら、母親はドイツ語で朗読し、それを夫と息子のために英語に翻訳していく。
考古学者である父が教える大学院生オリヴァー(24歳)に惹かれているエリオ、17歳。この思いをどうしたものだろう。エリオは、母に寄り添って聞くとはなしに聞いている。
いつしか母の朗読する内容は、エリオの内面の恋の感情と重なってくる。「おや、この話、僕の話と似てるじゃないの」
しかもドイツ語から英語に翻訳する時に一瞬の間が必然的に生じ、その静けさがうまい具合に、エリオにも、そして見ている我々にも、なにがしか考える隙間を与えてくれるのだ。
1983年に17歳だったエリオは今、50歳を超えている。一体その後どんな人生を歩んだのだろう(映画はフィクションだけれども)。
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