2017年11月18日土曜日

キューバ本3冊

最近届いたキューバ本

①Eduardo Luis Rodríguez, The Havana Guide: Modern Architecture, 1925-1965, Princeton Architectural Press, New York, 2000.

タイトル通り、1925年から65年までのハバナのモダン建築が地区別、写真、キャプション、しかも番地付きで説明されている。

観光客でも知っている有名な大きなものでは、FOCSAやHotel Habana Libre、Hotel Riviera、アメリカ大使館、映画館のYara、国立図書館とかが載っている。

表紙写真の建物はSolimar Building。セントロ・ハバナでハバナ大学から7、8ブロックのところにある。SolimarとはSol(太陽)とMar(海)。1944年に建てられた。 



②Amelia Rosenberg Weinreb, Cuba in the Shadow of Change: Daily Life in the Twilight of the Revolution, University Press of Florida, Gainesville, 2009.


人類学者がハバナでのフィールドワークをまとめたもの。著者はテキサス大学の方。革命の終焉を間近にしているキューバ市民の生き延び方が丁寧に語られている。

観察した時代は1994年、2001年、2003年、2008年とのこと。そして著者は、キューバの人々を、「不満足な状態にある市民ー消費者」と名付けている。彼らはもっと良い何かを得ようとしており、そしてそれがどこか別のところで得られると考えているのだ、と。

③Julia E. Sweig, Cuba: What everyone needs to know, Oxford University Press, New York, 2016.

この本はアメリカ人が知りたいキューバの実情について、1問1答形式で書かれたもの。アメリカとの国交正常化交渉が開始されて改訂第3版が作られた。

例えば第一問目は「スペインの植民地下でのキューバの生活はどのようなものか? 」。答えが2、3ページにわたって書いてある。「ホセ・マルティって誰?」とか、「12月17日(2014年、国交正常化交渉が発表された日)の反応は、米国で、キューバで、ラテンアメリカで、世界でどうだったのか?」など。

表紙の写真はオバマが乗った飛行機がキューバに着くところをとらえたもの。


ただこの後トランプになって、フィデルがいなくなっている。

2017年11月14日火曜日

『コスタグアナ秘史』その後

日本コンラッド協会第3回全国大会で、フアン・ガブリエル・バスケス『コスタグアナ秘史』について話した時に使った本は以下の通り。

『ノストローモ』のスペイン語版。フアン・マテオス・デ・ディエゴ(Juan Mateos de Diego)の訳で、この人の訳が初めてスペイン語で出たのは1926年。そしてそれが、例えば下のように今でも売っている(Laertes出版、バルセロナ、1980年)。


普及版は、たぶんアリアンサ出版のポケット版。翻訳者はアルベルト・アデル(Arlberto Adell)。


バスケスが序文を書いているのが以下のもの。こちらは翻訳はオルガ・ガルシア・アラバル(Olga García Arrabal)。書誌データは、Joseph Conrad, Nostromo, verticales de bolsillo, Barcelona, 2007.


バスケスが書いた『コンラッド伝』はこれ。Juan Gabriel Vásquez, Joseph Conrad: El hombre de ninguna parte, Panamericana, Bogotá, 2004. この本を書いている時に、バスケスは『コスタグアナ秘史』となる作品があるべきだと思った。


『ノストローモ』を踏まえたボルヘスの短篇「グアヤキル」は『ブロディーの報告書』(岩波文庫、鼓直訳)に入っている。


歴史小説としてみた時、『コスタグアナ秘史』と実によく似た小説がある。それがこれだ。


ジュノ・ディアス『オスカー・ワオの凄まじい人生』(新潮社、都甲幸治・久保尚美訳)と『コスタグアナ秘史』は、奇しくも同じ2007年に出版されている。

そしてこの『オスカー・ワオ』はバルガス=リョサの『チボの狂宴』(作品社、八重樫克彦・八重樫由貴子訳)の「書き直し」でもある。

『コスタグアナ秘史』が『百年の孤独』や『ノストローモ』の書き直しであるように。

いずれ『コスタグアナ秘史』を『オスカー・ワオの凄まじい人生』と比較しながら、カリブの「書き直し」文学作品として論じようと思う。