2018年9月19日水曜日

ヨーロッパで書かれたラテンアメリカ文学

前のエントリーにも書いたエステル・アンドラディさんが編んだ短篇集がある。

Esther Andradi(ed.), Vivir en otra lengua, Alcalá Grupo Editorial, Alcalá la Real, 2010.



ヨーロッパのどこかにいるラテンアメリカ作家14名がスペイン語で書いた作品を集めたもの。「外地」のラテンアメリカ文学である。

エステルさんは著者の経歴を詳しく書いてくださっていて、出身地とヨーロッパの居住地をまず示している。細かい情報だが、参考までに書き写しておこう。

オマール・サアベドラ・サンティス(Omar Saavedra Santis, 1944)はチリはバルパライソからベルリンへ。

エレーナ・アラウホ(Helena Araújo, 1939)はボゴタからローザンヌ。

ラミーロ・オビエド(Ramiro Oviedo, 1952)はエクアドルからフランス(ブローヌ=シュル=メール)。

アナ・ルイサ・バルデス(Ana Luisa Valdés, 1953)はウルグアイのモンテビデオからスウェーデンのストックホルム。

ビクトル・モントーヤ(Víctor Montoya, 1958)はボリビアからストックホルム。

ダビー・エルナンデス(David Hernández, 1955)はエルサルバドルからドイツはハノーバー。

テレサ・ルイス・ロサス(Teresa Ruiz Rosas, 1956)はペルー出身。ドイツはケルン。

ロサルバ・カンプラ(Rosalba Campra)はアルゼンチンのヘスス・マリアからローマ。

ルイス・プリード・リッテル(Luis Pulido Ritter, 1961)はパナマからベルリン。

レオナルド・ロッシエリョ(Leonardo Rossiello, 1953)はモンテビデオからウプサラ。

ルイス・ファヤー(Luis Fayad, 1945)はボゴタからベルリン。

ルイサ・フトランスキ(Luisa Futoransky, 1939)はブエノスアイレスからパリ。

アドリアナ・ディアス・エンシソ(Adriana Díaz Enciso, 1964)はメキシコのグアダラハラからロンドン。

最後がエステル・アンドラディ(Esther Andradi)。アルゼンチンからドイツ。

もちろん、上の中にはスペイン語以外でも作品を書いている人もいる。

序文の中で、エステルさんはルベン・ダリーオの一節を引いている。

「我々[ラテンアメリカ人]はパリに住んでいる。しかしパリは我々を知らない。」

2018年9月9日日曜日

変わり続けるベルリンの記録

アルゼンチン出身のエステル・アンドラディ(Esher Andradi)は、1983年にベルリンに渡った。1995年にアルゼンチンに戻りブエノスアイレスにいたが、2002年から再びベルリンに住んでいる。

エステルさんはドイツに来たばかりの時、ラテンアメリカ文学の研究を志し、エレナ・ポニアトウスカについて博士論文を書いた。

指導してくれたのはアレハンドロ・ロサーダ、アルゼンチン出身でベルリン自由大学のラテンアメリカ研究講座を担当していた。しかしその彼は1985年、ハバナの飛行機事故で亡くなってしまう。

その後エステルさんは研究ではなく、創作作家の道に進んだ。雑誌や新聞に記事やクロニカを書いたり、ラジオ向けの台本や小説、詩も書いている。

その彼女が2015年に出した本が以下のもの。

Esther Andradi, Mi Berlín: Crónicas de una ciudad mutante, La Mirada Malva, Granada, 2015.


ベルリンの壁があった時代、崩壊、その直後、そしてごく最近(21世紀)の4部に分かれ、彼女がこの4期にわたって書き継いで来た「記録(クロニカ)」の集成である。

2006年の新しいベルリン中央駅の開業を題材にとった劇作品『我ら、中央駅の子どもたち』(『クリスチーネ・F』を参照している)についての解説は、その近くに滞在した者にとってとても魅力的だ。

10年近く前の2009年に書かれ、メキシコの「ラ・ホルナーダ」紙に載った「Berlín mestizo(混血のベルリン)」はとても短いが、以下のようなベーシックな情報に満ちている。

ベルリンには50万人の外国人が暮らしている。それは人口の13パーセント以上である。2007年の統計では18歳以下の若者の40パーセントが別の国を出身とする両親を持っている。チリ人の亡命者は東側に暮らし、70年代には東ベルリンで最も大きなラテンアメリカコミュニティを形成していた。二番目に大きなラテンコミュニティはキューバ系である。西ベルリンにはブラジル、アルゼンチン、ペルーなどからの移住者が暮らした。現在およそ3万人がスペイン語を話す。

スペイン語人口には諸説あって、2018年のベルリンでは15万人とも20万人とも言われている。

この作家についてはまだ興味深い作品があるので、また別の機会に。

2018年9月6日木曜日

ベルリンのスペイン語文芸誌(2)

ベルリンで出ているもう一つのスペイン語文芸誌は以下の「alba(アルバ)」。版元のリンクはこちら


 
この第10号はメキシコ特集。

ユーリ・エレーラ(Yuri Herrera)とかイグナシオ・パディーリャ(Ignacio Padilla)とか、インタビューではグアダルーペ・ネッテル(Guadalupe Nettel)。

それに『巣窟の祭典』のフアン・パブロ・ビジャロボスも。

最初に雑誌を手にしたとき、機内誌なのかと思った。大きな版型で、紙面はドイツ語とのバイリンガルだったからだ。

大使館やその他大きな機関が援助しなければこれほど上質の紙を使ってはできないだろう。

前のエントリーで紹介した個人が作る小商いの雑誌とは対極的である。

巻頭はユーリ・エレーラの原稿だが、2016年にアンナ・ゼーガース賞を受賞したときの講演である。なるほど、と思って表紙を見たら、アンナ・ゼーガースの文章がスペイン語に翻訳されていたりする。

ドイツ語とスペイン語(文化)の架け橋としての雑誌である。

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ザクセン州のケムニッツで8月に反移民・極右のデモが起きたが、デモのきっかけになったのは、キューバ系ドイツ人が殺害されたことにある。DWスペイン語版の記事はこちら

2018年9月1日土曜日

ベルリンのスペイン語文芸誌

ベルリン発のスペイン語の文芸誌がいったい幾つあるかはわからないが、少なくとも2種類が手元に届いた。

そのうちの一つは「Madera」という雑誌。現在第4号まで出ている。一応隔月刊で、次は9月に出るらしい。

編集者はベルリン在住のカタルーニャ人オリベール。彼が原稿を集めて編集して、印刷も製本もすべて手作りだという。


第4号の特集は「私(Yo)」で、100人の書き手(ベルリン在住者もいればそうでない人もいる)が1ページから2ページほどのエッセイや小説を書いている。すべて、一人称単数の視点だ。

原稿の募集をしたところ、数百篇が届き、そこから厳選したのだそうだ。

オリベールさんは本も出している。

Mara Mahía y Oliver Besnier, Amenaza, Cuadernos Heimat, 2018.


スペイン出身のマイーアさんとの共同制作の小説。

ボラーニョはベルリンの若者たちにとってのヒーローだ。 そういえば、イグナシオ・エチェバリアもつい先日、この街にいたらしい。

憧れの存在ボラーニョ。編集部のInstagramを見るとよくわかる。

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とはいえ、ベルリンには大切な用事があった。

それはこれまでコレクションしていたキューバの文芸誌「Casa de las Américas」のうち、欠けていたバックナンバーのいくつかを閲覧することだった。

場所はイベロアメリカ研究所。アルゼンチンやスペインの研究者からその存在を聞いていて、初めて足を運んだが、確かに素晴らしい。 所蔵書類の豊かさでは、例えばプリンストン大学にはかなわないけれども、ここで数ヶ月過ごすことができたら何かしらの成果をあげられるに違いない。