2022年8月10日水曜日

8月10日

8月6日、キューバのマタンサスにある石油施設が落雷が原因で大火災が起きている。貯蔵タンクが次々に爆発、崩壊して死者や行方不明者も出ている。

吹き上がる不吉な黒煙と炎を動画で見ると、マタンサスの美しい光景を翻訳したばかりの身には辛い。

レオナルド・パドゥーラの『わが人生の小説』に描かれるマタンサスのユムリの谷にも酸性の雨が降った。それどころか、100キロ離れているハバナにも石油の臭いや煙が届いていて、マスクが必要になっている。ちなみにキューバではマスクのことをmascarillaという時もあるが、会話で出てくるときにはnasobucoと言っている。


長年付き合いのある友人宅は、この爆発とは無関係に、この7月以降、燃料不足で停電が続き、日中はほとんど電気が来ていなくて水も不自由している。CUC(キューバの兌換ペソ)が廃止されてからのインフレもひどく、生活苦の状態にある。スマホのチャージは外国にいる友人にやってもらっている。停電状態が解消される見込みはなく、抗議行動も続くだろう。


「パセリの虐殺」に関する本をリサーチしていたら、以下の本が見つかった。ハイチの作家ルネ・フィロクテット(René Philoctète、1932-1995)の小説『Le Peuple des terres mêlées』。

原書はフランス語で、「混じり合う土地にいる人びと」といった意味。ハイチ人もドミニカ人もいる国境の土地ということだろう。手元にあるのはスペイン語版で、タイトルは『虐殺の川(Río Masacre)』と訳されている。

原作が出たのは1989年らしいが、スペイン語に翻訳されたのは2012年。この作家はあのフランケチエンヌ(1936-)やジャン=クロード・フィニョレとともに、ハイチで文学運動「螺旋主義」を立ち上げた人だ。フランケチエンヌを代官山で見たのはいつのことだったか。1999年?2000年?

いま手元にないので確かめられないが、もしかすると国書刊行会から出ているハイチ短篇集『月光浴』にこのフィロクテットの短篇も入っているかもしれない。

いま、スペイン語で書かれたパセリの虐殺の小説を読んでいるが、なかなか進まない。気が重くて仕方がない。下の本の表紙の写真も……





この本は見ての通り、ほぼ正方形である。授業のない時期になるとなんとなく本の整理になって、その時困るのは、本棚に収まらない大きさの本で、スペイン語圏の本ではアルファグアラ出版(Alfaguara)から出ている本は高さが24センチあるので厄介。現代文学を読むのならアルファグアラのを入手しないことはないし、本棚を選ぶならこの高さのが入るのがいいのだが……

日本の学術書ではA5判が21センチで、これはだいたいアナグラマ出版(Anagrama)の高さ(実際にはアナグラマは22センチ)。

ボラーニョはアナグラマからアルファグアラに移ったので、要するに判型が大きくなった。エメセ(Emecé)のボルヘス全集は高さが24センチくらい。

2022年8月1日月曜日

8月1日 

今年(2022年)の1月8日、中東文学の研究会で発表した内容が公開されました。

ここからPDFでダウンロード可能。研究会のホームページの入り口はこちら

当日の発表内容ばかりでなく、質疑応答部分もしっかりテープ起こしされているので、臨場感があるというか、自分の口頭発表の原稿だけの掲載ではないのが大変ありがたい(時間をかけて丁寧に作ってくださって感謝)。

近況では、ここ2年(3回!)オンラインで開かれているオープンキャンパスに、コロンビア・メデジンの大学に留学中の学生が参加して手伝ってくれた。日本の昼の12時がコロンビアの夜10時という時差、これが感覚的にほとんど分からなくなってきた。こんな時差でしたっけ?

下の写真は2018年に行ったときに撮ったメデジンの現代美術館入り口。





そしてその1週間後、「吼えろアジア 東アジアのプロレタリア文学・芸術とその文化移転 1920-30年代」を聞きに立命館大学(京都・衣笠)まで出かけてきた。

ソ連、中国、朝鮮半島、日本におけるプロレタリア文学・芸術の伝播や拡がりについて学ぶところが多かった。

ハイブリッドで、しかも日英同時通訳付き。

合間に日本のプロ文研究をされている方にお話を伺ったが、日本語の雑誌のバックナンバーも米国でどんどんデジタル化されて公開されているとのことだった。自分もそのことでは、長年集めてきて、まだ整理のついていない雑誌の束がある日、ネット上で公開されているのに気付くことがあるような予感がする。自分だって恩恵を受けているわけだから、残念がってもいられない。

雑誌の網羅的な研究で個人でできることは少ない。そもそも読了することすらかなわないわけだから。だったらきちんと整理してどこかに大量アップロードしたいところだが、そういう資料整理のプロの手助けが必要だ。もちろんこんなことを書いている間に読んだ方がいいのだ。昔、新しい資料に出会うたびにコピーに躍起になっていた頃、コピーもいいけどその場で読んだ方がいいよと、今は亡くなったとある先輩の研究者にアドバイスを受けたものだった。それはまったくその通り!

前にどこかのエントリーで書いたパディーリャが公開で行なった自己批判の様子はYoutubeに上がっていた。2分に満たない映像だが、こちら

1ヶ月拘束されていたことを思うと、想像していたよりもパディーリャはしっかりしている。そもそも釈放された時点で心身ともに疲弊しきっていたら、あれだけの長い自己批判はできないだろう。それに彼の手元には原稿らしきものが見えず、あれほどの濃い内容を即興で話したことにも驚いてしまう。

日々進むアーカイブ化は、ここ15年くらいかけて収集してきた資料への取り組み方を再考させずにはおかないし(15 年何をやっていたのだ?)、時間が過ぎるその度に自分にできることの少なさを痛感する(これから何ができるのだ?)。と言ってやめてしまうわけにもいかないし、どうしたらよいものか。キューバの文学誌史、などというものに興味を持ったがゆえの落ちて楽しい泥沼である。

No hay momento en el que no desespere ni quiera morir, y eso me da un placer infinito.