アルゼンチン出身のエステル・アンドラディ(Esher Andradi)は、1983年にベルリンに渡った。1995年にアルゼンチンに戻りブエノスアイレスにいたが、2002年から再びベルリンに住んでいる。
エステルさんはドイツに来たばかりの時、ラテンアメリカ文学の研究を志し、エレナ・ポニアトウスカについて博士論文を書いた。
指導してくれたのはアレハンドロ・ロサーダ、アルゼンチン出身でベルリン自由大学のラテンアメリカ研究講座を担当していた。しかしその彼は1985年、ハバナの飛行機事故で亡くなってしまう。
その後エステルさんは研究ではなく、創作作家の道に進んだ。雑誌や新聞に記事やクロニカを書いたり、ラジオ向けの台本や小説、詩も書いている。
その彼女が2015年に出した本が以下のもの。
Esther Andradi, Mi Berlín: Crónicas de una ciudad mutante, La Mirada Malva, Granada, 2015.
ベルリンの壁があった時代、崩壊、その直後、そしてごく最近(21世紀)の4部に分かれ、彼女がこの4期にわたって書き継いで来た「記録(クロニカ)」の集成である。
2006年の新しいベルリン中央駅の開業を題材にとった劇作品『我ら、中央駅の子どもたち』(『クリスチーネ・F』を参照している)についての解説は、その近くに滞在した者にとってとても魅力的だ。
10年近く前の2009年に書かれ、メキシコの「ラ・ホルナーダ」紙に載った「Berlín mestizo(混血のベルリン)」はとても短いが、以下のようなベーシックな情報に満ちている。
ベルリンには50万人の外国人が暮らしている。それは人口の13パーセント以上である。2007年の統計では18歳以下の若者の40パーセントが別の国を出身とする両親を持っている。チリ人の亡命者は東側に暮らし、70年代には東ベルリンで最も大きなラテンアメリカコミュニティを形成していた。二番目に大きなラテンコミュニティはキューバ系である。西ベルリンにはブラジル、アルゼンチン、ペルーなどからの移住者が暮らした。現在およそ3万人がスペイン語を話す。
スペイン語人口には諸説あって、2018年のベルリンでは15万人とも20万人とも言われている。
この作家についてはまだ興味深い作品があるので、また別の機会に。
0 件のコメント:
コメントを投稿