2020年5月30日土曜日

テスティモニオ(証言文学)[5月31日追記]


原文がスペイン語で日本語訳のある「テスティモニオ」について聞かれることが多いので、参考までに挙げておきます。

ミゲル・バルネ(語り手 エステバン・モンテーホ)『逃亡奴隷 キューバ革命に生きた一〇八歳の黒人』(山本満喜子訳)、学藝書林

ドミティーラ/M・ヴィーゼル『私にも話させて アンデスの鉱山に生きる人々の物語』(唐澤秀子訳)、現代企画室

オマル・カベサス『山は果てしなき緑の草原ではなく』(太田昌国・新川志保子訳)、現代企画室

エリザベス・ブルゴス(語り手 リゴベルタ・メンチュウ)『私の名はリゴベルタ・メンチュウ マヤ=キチェ族インディオ女性の記録』(高橋早代訳)、新潮社

エレナ・ポニアトウスカ『トラテロルコの夜 メキシコの1968年』(北條ゆかり訳)、藤原書店

イサベル・アジェンデ『パウラ 水泡なすもろき命』(管啓次郎訳)、国書刊行会

テスティモニオについて考えるために、手に入りやすいものでは、以下の2冊。

宮島尚子『トラウマ』岩波新書
中西正司・上野千鶴子『当事者主権』岩波新書

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俗語が頻出するキューバの小説を読んでいたら、その作家は俗語を使うときに、きちんと《 》でくくってくれる。

Diccionario del español de cuba, Gredosを引いて調べてみた。





hachero: Persona que posee amplios conocimientos o habilidad especial para realizar una actividad determinada
pira: ir en pira aで使う。Marcharse de un lugar con prepicitación
pinchar: Trabajar
curralar: Trabajar
jeva(jeba): Mujer
chiva: Persona que delata a alguien
bisne: Negocio ilícito
surnar: Dormir
estar al quilo: Gozar de buena salud
barretín: Conversación larga y tediosa. Asunto difícil, molesto y complicado
avión: Golpe que se da a alguien con la intención de hacerle daño

2020年5月27日水曜日

あれから2ヶ月

卒業式から2ヶ月がすぎた。

この週末はラテンアメリカ学会が立命館大学で開催されるはずだった。この分でいくと秋の学会も難しいような気がする。

イスパニヤ学会は関西外国語大学で10月10日・11日に開催されることになっているが(発表者募集中)、果たしてどうなるのだろう。

 勤め先の大学では、このセメスターのオンライン授業もそろそろ折り返し点が近づこうとしている。緊急事態宣言が解除され、現在は臨時休館している図書館ももうすぐ開くらしい。レポートや論文のことを考えたら図書館が閉まっていたらどうしようもない。僕が住んでいる地域の公共図書館は今週には限定的だけれども開館することになった。このことには心底ほっとする。

映画館ではなんと、6月頭に池袋の新文芸坐では『蜘蛛女のキス』が上映される。こぞって出かけるというわけにはいかないけれども、少し光が見えてきた。

この前、バルセロナの文学研究者が、Zoomによる作家(メキシコ人でバルセロナ在住)のトークに招待してくれて、深夜だったとはいえ、こんな機会はなかなかないので頑張って参加した。

その作家の話はまた別の機会に書くつもりだけれども、スペイン、ギリシャ、米国などなど、様々な地域の人が参加してーーメインの聴衆はその研究者が指導する大学院生だったーー、僕も勢いに乗って質問したりした。楽しかった。

スペイン、とりわけバルセロナは長く厳しい封鎖生活を送っているわけだが、Zoom越しに見える彼ら、彼女らの部屋は白く白く光っていて、建物のデザインにしても陽光の強さにしても、こちらは深夜の寝巻き姿だったこともあって、とりわけ眩しい思いがした。
 
こんなオンラインのトークなら、割合簡単に催すことができるのではないか、そしてやるだけの価値がある、というのが参加しての実感だ。

ではできるのか?と自分に問うてみて、そんな余裕はとてもじゃないけれどもない、というのもまた実感だ。

緊急事態宣言、またそれに類する危機的な状況というのは、とりわけ弱いものに直撃する。もとより日頃から脆弱だったが、なんとか持ちこたえていた「何か」に負荷がかかって、その負荷を受け止めるのは弱いものだ。雇用の現場に限ったことではなく、それは強者と弱者のいるどんなところにも起こり得る。これもまたこの2ヶ月、考えさせられた。

大学のHPにある案内を見て寄付をした。微々たる額だが、それでも下手をすればこのさきしばらく教室とは縁のない日々が続く可能性もある。困っている学生たちのためにできることのうちの一つではある。でも学生たちのためだけではないように思っている。もっと先のための、今は言葉にならないが、何かのとっかかりを掴みたいからだ。

下の写真は5月の半ばすぎの東京外国語大学。天気は不穏で、緑の濃さが印象的。

2020年5月12日火曜日

4月終わりから5月にかけて

4月×日には、本当に久しぶりに大学に行った。どうしても持ち帰っておきたい資料があって、迷っていたのだけれど、気になるならやっぱり行くしかない。天気はいいし、電車に乗客が多いようなら途中で引き返そうと思っていたところ、がらがらで長い椅子の両端それぞれに1人が座っていればいい方だった。久しぶりの大学は新緑で、樹々の葉は鮮やかに輝いていて、ひと気はない(それでも授業日ではあり、何人かの先生方とすれ違った)。郵便物を本当に久しぶりにチェックした。

オンライン授業の開始とともに、Moodleを使い始め、勤務先ではもともとのメール、学務情報システム、それにGoogle フォームを使っている。非常勤先では、ZoomもあるけれどもGoogle Meetも使ってみたりしている。一つのツールに慣れすぎると、他のツールのハードルが高くなるので、慣れないうちに色々と手を出すのがいいのかもしれない。

と思っていたところ、4月×日にはSkypeでオンライン同窓会をやる機会があった。海外にいる人とも繋いだ。オンライン同窓会が増えているというのがここにもきたわけだ。そりゃそうだ、世界どこでも在宅なのだから。

それより前だったか、後だったのか、覚えていないのだが、授業では疫病と文学の話をまくらにしていて、そういう状況で『デカメロン』の設定を考えてみたりすると、結構よくわかったりする。

あれはペストで荒廃したフィレンツェを逃れた10名の若者が物語を語り合う設定で、必ずしも旧知の者同士による同窓会ではないのだが、それでもやはり危機的な状況下で一つの場所に集まり、それぞれが語り合うというところ、今なら誰でもZoomのあの画面を思い出してもいいように思う。集まるのが10人というのもまたZoomの一画面におさまりがよく、この際、それぞれの近況やこんな話あんな話を語り合うオンライン飲み会は、デカメロンなのだと思いたい。

5月に入るといよいよ髪の毛は伸びるし、丸一日PCに向き合っていて腱鞘炎みたいに右手が痺れる。ある明け方、信じたい肩と首の激痛で目が覚めた。PC作業が続いているせいだと思う。その後、鍼治療を受けた。ストレッチポールを使って休めたりもしている。もはやこの新しい、PCに向かい続ける生活をこのままでは続けられないことのサインだ。考えなければいけない。このあとだって、対面式の授業ではできないことが続く。考えなければいけない、というよりは、考え方を変えなければいけないということだ。

そんな中、『群像』6月号が届いた。在宅で編集の方は大変な苦労をされていると聞いた。今回の特集は「翻訳小説」で、翻訳小説70人アンケートというのがあり、そこには私も僭越ながら寄稿した。 というわけで、70人の方々のアンケート結果を興味深く読んだ。そうしたらなんと・・・ それはともかく、今号は他にも現代の(世界)文学について色々な方が書いていて、いや、文芸誌なのだから毎号そうなのだが、いつも以上に面白く読んだ。



近所の散歩は相変わらず続けていて、いよいよ歩いていける範囲のスーパーマーケットは制覇した。歩いていて気づくのは、飛行機がめっきり飛んでいないこと。4月の頭ごろ(この辺りの記憶も曖昧だ)はもっとたくさん飛んでいたような気がする。が、いつの間にか見なくなった。次にどこかに出かけるのがいつのころになるのか見当もつかないが、かといって、これほど素早く変わり続ける世界においては、悪い方に向かってであれ、良い方に向かってであれ、その変化の素早さに変わりはないと信じている。


気がつけば、在宅生活は6週間をこえた。