2016年11月30日水曜日

キューバ映画(11)Viva(ビーバ)[一部書き換え]

2015年のキューバとアイルランドの合作映画。



監督:パディ・ブレスナック(Paddy Breathnach)
プロデューサー:ベニチオ・デル・トロ(Benicio del Toro)
主演ではないが、ホルヘ・ペルゴリアが出ている。

トレイラーはこちら

ヘススはハバナのダウンタウンに一人で暮らす貧しい18歳の青年。細身で涼しい顔をした男の子だ。

彼は近所の婦人のヘアカットや、ドラァグ・クィーンのスタイリストをやって生計を立てている。

そんな彼もドラァグ・クィーンになることを決意する。密かに踊りを練習していたのだ。源氏名はビーバ。たまたま目にした雑誌のタイトルからとった。

キャバレーでデビューしたその日、酔っ払いの中年男が観客に混じっている。ヘススは夢中になって踊り、観客の方に歩み出す。目の前の中年男はヘススが誰だかを認めると、急に殴りかかる。息子だったからだ。

かつてはボクサーとしてその名を知られたが殺人を犯した父親は、刑期を終えて町に舞い戻ってきていた。しかしヘススに父親の記憶はない。随分前に亡くなった母親からもほとんど聞いていない。父親なんていないものと思っていた。気まずい二人の共同生活が始まる。

毎晩酔っ払って帰って来る父。息子の作る料理に文句をつける父。息子の大切なレコードを破壊し、ドラァグ・クィーンの仕事を禁ずる父。まさに暴君。
 
映画の中で父親は「ああ、ここは世界一のスラム街だ」と窓の外を見ながら言う。このスラム街はやはりセントロ・ハバナなのだろう。

そういえば、今回のキューバ滞在中にセントロ・ハバナにいる友人の家にタクシーで出かけた時、運転手は行くことをひどく嫌がった。道は傷んでいるし、迷宮的な区画だからだ。それでも友人を拾ってルートを説明してもらってからは機嫌が直った。また別の機会に乗ったタクシー運転手は、半世紀近く住んでいるからこの地区で知らない道はないと自慢していた。

健気な息子は父親に何を言われても従う。それはなぜか。父親が癌を患い、余命いくばくもないことを知ったからだ。つまり父親は死ぬために自分の家に戻ってきたのだった。

ヘススには友人がいる。一人は近所の幼馴染の女の子。しかしこの子は妊娠している。妊娠させた男には捨てられた。もう一人の友人は警官の目をかすめ、観光客を騙しては金をせしめて楽しく暮らしている奴。そしてヘススが「お母さん(ママ)」と呼ぶ年配のドラァグ・クィーン。彼らとの付き合いが支えといえば支えだ。

とはいえ、仕事を辞めてしまったのでヘススは食うのにも困っている。「お母さん」はヘススのことを心配し、我が家まで訪ねてくるが、父親に邪魔される。こんな状態で金をどうするかといえば売春しかない。自分の体を求めてくる男ならいくらでもいる。

体を売った金で父を食わせたところで病気が治るわけではない。とうとう父を病院に連れて行く日がやってくる。

薬は投与されるが食事は大したものが出ない。息子はここでも苦労して食事を用意して持って行ってやる。もはや食べることもままらならない父親はタバコだけを欲しがる。

うまくいかなかった二人にも和解の空気が流れる。

死ぬ前に自宅に戻ることをせがむ父親の願いを息子は叶えてやる。妊娠している例の幼馴染が介護を手伝ってくれる。

最後の力を振り絞って父親と息子は飲みに出かけ、仲良く語り合う。女が好きな父親と男が好きな息子との和解だ。この時息子はドラァグ・クィーンの仕事を続けることを父に告げ、父も許す。

こうしてヘススは見事に踊り、拍手喝采を浴びる。それを見つめる父親。あとは想像通りの締めくくりだ。息子に看取られて父は幸せに死ぬ。

エンド・クレジットが流れながら、その後のヘススの日常が示される。

ある日の朝、ヘススは洗濯物を干している。すぐ横では例の幼馴染が赤ちゃんを抱いてあやしている。ヘススも赤ちゃんを可愛がる。そして観光客から金をせしめている愉快な友人が「仕事」に出かけようとしている。血の繋がらない大人たち3人と赤ん坊の4人暮らし。

父親亡きあとの新しい家族の形だ。

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この映画にはポスト・フィデル・カストロ時代のキューバが描かれていると思った。あるいはそういう映画にしようとしている製作者の意図を感じた。

特に最後のシーンで。

父なき時代の家族、あるいは父のいらない家族。もちろん映画のワンシーンはあまりに理想化されすぎているのだが。

自立した子供にとって父親は不在である。不要である。ヘススにとっての父親のように。しかしそんな父親も帰ってくる。死ぬために。さあ葬ってくれと。

生物学上のであれ、育てのであれ、父親というものは英雄であると同時に好き勝手に振る舞う暴君である。ヘススの父親が名ボクサーであり殺人者であったように。父親は良いこともするし、悪いこともする。

英雄であるがゆえに放蕩の限りをつくす暴君も死ぬ時は我が家に帰ってくる。

自立した子供に父親が帰ってくる時、それは死という形をしている。

葬るのは残された者がやることだ。

果たしてどうやって父を葬るのか。

通夜は9日間続くというが、これはカリブの文化を踏襲したものだ。

[この項、続く]

2016年11月19日土曜日

キューバ文学(38)アントニオ・ホセ・ポンテの詩

Vidas paralelas (La Habana, 1993) 

Se apaga un municipio para que exista otro.
Ya mi vida está hecha de materia prestada.
Cumplo con luz la vida de algún desconocido.

Digo a oscuras: otro vive la que me falta.

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Canción

Pasé un verano entero escuhando ese disco.
Para que la emoción no se le fuera
lo escuchaba una vez cada día.
Si me quedaba hambriento salía a caminar.

A su manera la luz cantaba esa canción,
la cantó el mar, la dijo
un pájaro.
Lo pensé en un momento:
todo me está pasando para que me enamore.

Luego se fue el verano.
El pájaro
más seco que la rama
no volvió a abrir el pico.

(Ponte, Antonio José, Asiento en las ruinas, Renacimiento, 2005[初版1997]より)

2016年11月15日火曜日

キューバ、8ヶ月が過ぎて

オバマ訪問とニアミスした3月から8ヶ月が過ぎようとして、再びキューバを訪れることに(今回は自分の用事ではないけれど)。

3月のスピーチのスペイン語版はこちらで読める。

これから目を通したいのは以下の記事やコラム。

まず、ジョアニ・サンチェスが11月8日付のウェブ紙に書いたもの。

オバマ時代の終わりー失われた貴重な時 

3月に彼女が書いた記事はこちら

エル・パイース紙も、トランプの勝利によってキューバへの緊張緩和政策は一旦中断すると書いている。

ヌエボ・ヘラルド紙も同様の記事。

イバン・デ・ラ・ヌエスが書いたものはこれ

ウェンディ・ゲーラはこれ

ラファエル・ロハスも何か書いているかと思えば、新著の紹介だった。この本も是非読んでみたい。

バランキーリャのエリベルト・フィオリージョはエル・ティエンポ紙で「ナルキッソス・トランプ」 。

エクトル・アバッド・ファシオリンセはツイッターで、カルロス・モンシバイスを引いた。

「何が起きているか分からない時代になったのか、それとも、何が起きているか分かった時代は終わったのか。」

この記事によれば、移民の国外追放で影響を受けるキューバ人は3万5000人にのぼる。

ついでにスペイン人女優がキューバのドキュメンタリーを制作したことを知った。プロデューサーはジュリアン・シュナーベル。タイトルは『キューバ、祖国か死か (Patria o muerte: Cuba, Fatherland or Death)』。ウェンディ・ゲーラも登場するようだ。

トレイラーはこちら

2016年11月6日日曜日

キューバ文学(37)ロベルト・G・フェルナンデス

キューバ生まれでマイアミ在住のロベルト・G・フェルナンデスにはスペイン語と英語の作品がある。1951年生まれ。

手元にあるのは以下の本。

Fernández, Roberto G., Cuentos sin rumbos, New House Publishers, Miami 1975.
---, En la ocho y la doce, Houghton Mifflin Company, Boston, 2001[初版1986].
---, Raining backwards, Arte Público Press, Houston, 1997[初版1988].
---, Holy Radishes!, Arte Público Press, Houston, 1995.
---, El príncipe y la bella cubana, Verbum, Madrid, 2014.

初版が1988の『Raining backwards』と1995の『Holy Radishes!』が英語で、それ以外はスペイン語。

英語執筆を選んだのは、この時期にマイアミに起きていた反スペイン語運動と関わっている。1980年に反バイリンガル条例が制定されている(1993まで)。

マイアミのキューバ・スペイン語に関する論文もある。

"English Loanwords in Miami Cuban Spanish", American Speech, Vo. 58. No.1(spring, 1983), pp.13-19.

彼は自己翻訳(西⇄英)はしていない。

この作家について、2年前の環カリブ研究会で発表したが、まだ文章化していない。

[この項、続く]

2016年11月3日木曜日

赤道ギニアから、モロッコからのスペイン語文学

手元にある赤道ギニアの本を整理した。

Landry-Wilfrid Miampika, Patricia Arroyo(eds.), De Guinea Ecuatorial a las literaturas hispanoaficanas, Editorial Verbum, Madrid, 2010.

Juan Tomás Ávila Laurel(Edición de Elisa Rizo), Letras transversales: obras escogidas, Editorial Verbum, Madrid, 2012.

Raquel Ilombe Del Pozo Epita, Ceiba II(Poesía inédita), Editorial Verbum, Madrid,
2014.

以上の3冊はベルブム出版のスペイン語圏アフリカ叢書から。

Donato Ndongo-Bidyogo(ed.), Antología de la literatura guineana, Editora Nacional, Madrid, 1984.

Donatoさんには2007年の小説『El Metro(地下鉄)』があって、マドリードでのゼノフォビアをテーマにしている。1950年生まれ。

Guillermina Mekuy, Las tres vírgenes de Santo Tomás, Santillana, Madrid, 2008.

ギジェルミーナさんは若手の女性作家。5歳でマドリードにやってきた。1982年生まれ。

ほぼ同世代だが、8歳でモロッコからカタルーニャに渡ってカタルーニャ語で書いているNajat El Hachmiさんも注目している。

バルセロナ大学でアラブ文学を専攻した。1979年生まれ。未見だが『Jo també sóc catalana(私もカタルーニャ人)』(2004)というのがある。

[この項、続く]