2023年11月14日火曜日

11月14日 カヴァフィス

カヴァフィスの詩集は2種類の翻訳が出ている。

『カヴァフィス全詩』池澤夏樹訳、書肆山田、2018年
『カヴァフィス全詩集』(第二版)、中井久夫訳、みすず書房、1991年


とある人は「若者がジョン・ダンとカヴァフィスを知らないと国の未来は暗い」と言っていた。

「蝋燭」という詩のスペイン語版はここに載っている。池澤夏樹によると1893年8月に書かれた詩。

Los días del futuro están delante de nosotros
como una hilera de velas encendidas
-velas doradas, cálidas, y vivas.
Quedan atrás los días ya pasados,
una triste línea de veles apagadas;
las más cercanas aún despiden humo,
velas frías, derretidas, y dobladas.
No quiero verlas; sus formas me apenan,
y me apena recordar su luz primera.
Miro adelante mis velas encendidas.
No quiero volverme, para no verlas y temblar,
cuán rápido la línea oscura crece,
cuán rápido aumentan las velas apagadas.


未来の日々はぼくたちの前にある
火の灯った一列の蝋燭のように
黄金色の、熱い、生きている蝋燭たち。
ぼくたちの後ろ側に過ぎ去った日々がある
消えた蝋燭の悲しい列。
いちばん近い蝋燭はまだ煙が出ている
冷たくなって、溶けて、折れ曲がった蝋燭たち。
その蝋燭は見たくない。その形状にぼくは辛くなる
最初に放っていた光を思い出すと辛くなる。
前にある、ぼくの火のついた蝋燭を見る。
振り返って、見て震えたくない。
暗い列はどれほどの速さで育つことか
消えた蝋燭はどれほどの速さで増えることか。




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一ヶ月に一回ぐらいしか更新できなくなっている。そのあいだにも思うことはあるのだけれども書けない内容の方が多い。こういうのは結局ストレスになってよくない。カモフラージュしてでも書くべきなのだろうなあ。小説とか詩とかが書かれているのもそういう面はあるだろうし。カヴァフィスの詩も部分的に自分の代理なのかもしれない。

2023年10月15日日曜日

10月15日 近況 コロナには罹らないに限る

ついにここにもCovid-19がやってきて、授業最初の1週間にぶつかってしまった。かかるものではなくて、息切れはするし、頭の回転も戻らないので、10月12日に授業があったのにその日が何の日なのかについて言うのを忘れてしまい、もったいないことをした。

10月14日土曜日は例の講座の司会があった。コロナで横になっているうちに季節が変わってしまった。


以下は、最近届いた本。

Julio Cortázar, Carlos Fuentes, Gabriel García Márquez, Mario Vargas Llosa, Las cartas del Boom, Edición de Carlos Aguirre, Gerald Martin, Javier Munguía y Augusto Wong Campos, Alfaguara, 2023.

562ページ・・・


手にするだけでお腹いっぱいの感じ。ぱっと見、手紙の書き方の勉強になったりして。

ガルシア=マルケスからバルガス=リョサへの手紙(1967年5月12日付):

Mi querido Mario:

De acuerdo con todo lo que me dices en tu carta. (...) Como primer paso, y ya con plena conciencia de trabajo, en este mismo correo he aceptado la invitación al congreso de Caracas en agosto, torciendo mi principio de no asistir a esta clase de eventos estériles. Ahora hay un buen motivo, aunque solamente nosotros lo sepamos: vamos a poner las primeras bases del plan.(pp.215-216)

2023年9月15日金曜日

9月15日 近況:3年半ぶりのキューバ

前回キューバに行ったのが2020年2月終わりから3月頭で、この2023年9月の訪問が3年半ぶりだった。

今年の頭にメキシコシティに行った時にも思ったが、海外に行くときに感覚的にこなしていたことがコロナで期間があいてしまったのと、(たぶんこちらの方が大きいが)加齢が原因でできなくなっていたり忘れていたりで、着いてから、ああそうだった!ということがあった。

エアカナダのフライトがなくなってしまった。東京ートロントは復活しているが、トロントーハバナがない。だからアエロメヒコで行った。

往路はメキシコシティで一泊しなくてはならず、午後12時台に着くとはいえ、シティのどこかのホテルなりなんなりに身を落ち着けるのは午後3時を回り、翌朝のハバナ行きが午前11時発だから、どこに行くにも交通渋滞を覚悟しなくてはならないメキシコシティなので、できることは少ない

そもそもアエロメヒコの場合、帰りのメキシコシティー東京のあの深夜便(夜12時前後発)は、乗る前も降りた後も身にこたえる。

東京ーメキシコシティは、往路がおおよそ13時間、復路が14時間。メキシコシティーハバナは往路と復路が2時間半プラマイ10分。

平日の夕方、ハバナの街に人が少ないなと思ったが、そうか、かつてのように人びとは公園のWi-Fiスポットを目指していないのだ。スマホで4Gに繋いでいる。そして1990年に生まれたあのCUC(兌換ペソ)が2020年末をもって消えてしまった。前回訪問時にまもなく無くなると聞いてはいたのだが、いよいよ二重通貨時代が終わり(通貨統一 unificación monetaria)、何がやってきたのか。

何人かの友人はこの3年半の間にキューバを出てしまった。インフレ、燃料不足による停電などで状況は90年代初頭よりも悪い、そして治安も悪化しているというのを聞いて、行く前にかなり構えてしまったのだが、確かにそのように見える面はあったかもしれない。いや、わからない。

こういうのは脅かしすぎになるのが常で、でもそれがそうだと確認するには行ってみなければわからない。少なくともいわゆるラ米の「ビオレンシア」はないという点は変わっていないと思ったが。

夏のカリブはハリケーンがあるので、この時期にカリブ海に出かけるのは控えていたが、もはや行くには時期的にここしかなく、覚悟を決めて行った。

沸騰的暑さは7月より楽になったというのだが、9月に入ってもかなりの暑さで、朝の9時から夕方5時くらいまではきつかった。基本、ハバナは自分の用事がすべて徒歩で回れるから良いのであって、2月から3月なら30分から1時間くらい歩くのが気持ち良いが、今回はそうもいかず、夕方の5時過ぎから、完全に暗くなる8時あたりがゴールデンタイム。

FOCSAのビルはいつ見ても場違いなのか似合っているのか迷ってしまう。ハバナのどこでもそうだが廃墟感が漂って、1階の店舗は半分くらいしかやっていない(ように見える)。




G77プラス中国のサミットがちょうどこの9月15日・16日とハバナで開催されることになっていて、空港から市街までの幹線道路にはその旗が飾られている。日本の商店街の街灯に夏祭りの旗を飾るのとは規模が違うし、この暑さでよくやったものだ。

それにしてもこのサミットに関する日本語の報道は日経新聞がちょっと書いているくらいで、ほとんど見かけない。もちろんキューバの人にこんな国際イベントがもたらしてくれるものはほとんどゼロだろうが、世界に起きつつある状況の中で、先進国の果たしている貢献的な役割は極めて小さく、グローバルサウスという言葉だけが一人歩きして、ノースの人たちは今やこの用語を濫用し戯れている。こうしていつもレッテルばっかりが流布してしまう。自分も気をつけないといけない。

そう、気をつけないといけないというなら、キューバは2021年1月12日にトランプ・米国によってテロ支援国家に指定されているので、キューバに渡航歴があると米国にESTAだけでは入れず、別に査証が必要になる。米国国土安全保障省のHPは日本語でも読めてその辺りのことが書かれているが、旅行代理店でもキューバ渡航を希望する人にはまずこのことが伝えられる。

これはこれで相当に意味が大きい。査証の取得には費用も時間もかかるわけで、若い人や研究者や今後米国に行きたいと思っている人にとってハードルが一気に高くなる。キューバに行ったばっかりに、米国に観光旅行に行くのに数万円かけて査証なんか取りたくはないでしょう。選ぶというのはこういうことで、自販機のジュースをどれにするかのようではない踏み絵を踏まされる。

自分にとって、今回のキューバ渡航によって晴れて米国にESTAでは入国できなくなったことは一つの成果である。いっそのこと、米国人との付き合いにも、米国映画の鑑賞にも、米国小説の読書にも、世界各地のディズニーランドの入場にも、場合によっては米語の発話にも査証を課して欲しいものだ。米国も米国人によるキューバへのアクセスに待ったをかけるべきだろう。プリンストン大学その他多くの大学が保有するキューバ関係のアーカイブを手放すとか。そういえば、ハバナシンドロームの原因がコオロギの鳴き声というのは十分にありえる話だ。テロ支援国家なのだから。ホテル・カプリやナシオナルで起きたらしいのだが、米大使館員はここに住んでいるのかもしれない。

キューバ渡航の場合、出発空港でツーリストカードを確認される。5、6年前に行った時、ラ米各地を回っていく予定だったのでこれを持たずに行って、最後どこで手に入るかなとどきどきしてしまったが、パナマの空港で買った記憶がある。この時は搭乗の際、キューバ人の列とそれ以外の人の列を作らされた。

今回、日本の空港でチェックインの時にこのツーリストカードの「発券日」はいつなのかを聞かれ、どうもそれをシステム上で入力しないと先に進めず、チェックインができないようだったのだが、ツーリストカードに発券日は書いていないので、その場で係員と相談の上、「適切と思われる日」を入力することで解決した。多分どんな日が入力されていても大丈夫だと思う。

さらにさらに思い出してきたが、ハバナの空港でキューバ運輸省の手続きを義務付けられた。入国前、つまり出発する時までに済ませることも可能なのだが、知らなかった。

その場で係員がWi-Fiに繋いでくれて、スマホからいっぱいデータを入力しなければならない。税関申告書とコロナ絡みで健康に関する申告書を兼ねているようで、2022年1月から始まったとのこと。スマホがなかったらどうなるのだろう。空港のWi-Fiではメキシコシティの空港は簡単に繋がり、街中も「メキシコシティの人なら誰でもWi-Fi」というのがあって観光客フレンドリーだ。

以上は手続き的なことを忘れないようにと書いたメモだが、それはともかくも、短い滞在の間に、いつもの通り、あらかじめ連絡を取っていた人と楽しく話をすることができた。知り合ってもう25年くらい経つけどぜんっぜん変わらないよね、白髪が増えた以外は(笑・・・と言われたり、ひょっとして会えるかなと思っていた人にも会えたりした。イグナシオ・セルバンテスのピアノからアルジェリア、アンゴラまであれこれ話したが、あと3日は欲しいと思った。

出版状況は3年半前からほとんど変わっていない。つまり出ていない。コロナ以降もっと悪い。もともとがらんどうの本屋はもっとがらんどうである。




下の本は、雑誌「Pensamiento crítico」刊行50年を記念して開かれたコロックを収録したものだが、出たのは2019年。



キューバの古本ブームというのは確かに一時期あって、時期としては稀覯本を巡るアクション映画の『ナインスゲート』(ポランスキー)の頃だと思う(2002年)。

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出発直前に、こちらの司会を務めた。今年度4月に始まったこの催しもようやく後半戦に入りつつある。しかし土曜日の午後というのは、自分の所属する学会の大会開催日と重なっていまして、それが少々・・・ 

もちろん講演はどれも素晴らしく、拙い司会で申し訳ない。次回は10月14日。若い聴衆がもっと(×10)増えて欲しいのだが、土曜日の15時だから難しいか。

2023年8月13日日曜日

8月13日 死者たちの夏2023 動画配信について & 文学のカウボーイ

今年はロベルト・ボラーニョが亡くなって20年ということだ。亡くなったのが7月15日だから、その日付周辺の新聞や雑誌にそれなりに記事が見つかる。La Vanguardia紙(ウェブ版)では、「文学の侍、ボラーニョが亡くなって20年」というタイトルがある。侍ときたか。ぼくからすればカウボーイかな。古くささとかっこよさと空想上の存在という意味で。

2023年は、関東大震災から100年で、雑誌『現代思想』の9月の臨時増刊号は総特集が「関東大震災100年」である。

2ヶ月前に催した「死者たちの夏2023」も、主催した「ジェノサイド・奴隷制研究会」は、関東大震災100年のこの年に照準を合わせて活動していた。

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このイベントはせんがわ劇場で3日間にわたって催されました。

今回、その動画を有料配信することになったので告知します。

どうか予告編の動画をご覧ください。

当日の雰囲気、いや、この映像は当日とは別のもの、とてつもなく素晴らしい作品だと思います。予告編のYoutubeから販売サイトの情報も見つかります。どうぞよろしくお願いします。
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そして今年はレイナルド・アレナスの生誕80年でもある。1943年7月16日に生まれ、1990年12月7日に死んだキューバの作家で、誕生日近辺の7月半ば、わずかの記事がこのことに触れていた。

アレナスとボラーニョは年齢で言えば10歳しか違わないのに、作家としての活動期間はほぼ重ならない。アレナスが作家アレナスだったのは1970年代から80年代で(90年より前の作家の感じがする)、ボラーニョが作家ボラーニョだったのは1990年以降(で、21世紀には入っていないような感じがする)。

面白いのは、アレナスが読まれたのは90年代で、ボラーニョが読まれたのは21世紀に入ってからということ。






2023年7月8日土曜日

7月8日

2本のドキュメンタリーをみた。

1本は西サハラ友の会経由で『銃か、落書きか

もう1本はプエルト・リコの歌手バッド・バニーの『停電(El Apagón)

それから、ジョン・ハーシー『ヒロシマ』のスペイン語版が届いた。

John Hersey, Hiroshima, Penguin Random House, 2022[初版2016]



スペイン語に翻訳したのはフアン・ガブリエル・バスケス。コロンビアの小説家。手元の2022年版は7刷。

日本語版は法政大学出版局が出版した第一号の本(1949年)。増補版が2003年に出ている。



ほかにも書き足しておきたいことがあるのだがとりあえずここまで。

2023年7月1日土曜日

7月1日 近況

フアン・ガブリエル・バスケスの『密告者』(服部綾乃、石川隆介訳、作品社)には、第二次世界大戦中のコロンビアに移住したドイツ人移民の中にいたナチ信奉者、あるいはそう目された者たちが出てくる。

カリブ沿岸の都市バランキーリャにはナチ党の支部があったと書かれている。これは史実と一致する。バランキーリャにおけるナチに関して多くの記事があるが、しかしそれらが報じられたのは、このバスケスの小説が出て以降のように思われる。少なくともこの小説が出るまで、というよりこの小説が日本語で翻訳されるまで知らなかった。

バスケスのこの小説はおそらく多くのコロンビア人にとっても貴重な内容なのだが、一見難しい語りの手法をとっている。

第4部でコロンビアにおける有力な人物(ガブリエル・サントーロ)が実は、あるドイツ人をナチ信奉者だと「密告した張本人」であったことが暴露されるシーンが出てくる。

そこはテレビ番組におけるインタビューの再現形式になっている。インタビュアーは番組進行役で、その人のセリフはイタリックになっていて、答えるのはアンヘリーナである。アンヘリーナが暴露する側である。

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【原文】
¿Estaba ella al tanto de la reputación de Gabriel Santoro?
  No. Bueno, cuando Angelina lo conoció, Gabriel estaba metido en una cama como un niño, y eso no realza la apariencia de nadie, hasta el presidente se vería disminuido y común reducido al piyama y las cobijas. Angelina sabía, (後略)

【英訳】
 Was she aware of Gabriel Santoro's reputation?
 
No. Well, when Angelina met him, Gabriel was tucked up in bed like a baby, and that doesn't enhance anybody's appearance, even the President would look diminished and common reduced to pyjamas and bedclothes. Angelina knew, (後略)

【久野による仮訳】
ガブリエル・サントーロの評判について彼女は知っていましたか?

いいえ。実はアンへリーナが彼と知り合った時、ガブリエルはベッドに赤ちゃんのように入っていて、そうなっているとどんな人もぱっとせず、大統領だってパジャマと毛布だけの小さな普通の人に見えてしまうものです。アンへリーナは知っていました、(後略)

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ここは三人称に対する問いかけになっている(彼女は知っていましたか?)。これをそのまま読めば、インタビュアーは、インタビュー相手とは別人の「彼女」がガブリエル・サントーロを知っていたかどうかを聞いていることになる。

それに対しての答えも、そのまま読めば、質問されている人とは別人の「彼女」のことについて答えている。その別の人とはアンへリーナで、アンへリーナがガブリエル・サントーロと知り合った経緯を話している。

スペイン語文法の人称を正確に反映させて読もうとすれば読もうとするほど、ここは三人称に引っ張られる。スペイン語の授業などでこの小説のこの部分を取り上げればそう読む人は出てきておかしくない。

しかしここでインタビューされているのはアンへリーナであり、アンへリーナが自分のこととして答えている場面なのだ。このインタビューの再現は以下のように書かれている方が理解しやすい。

¿Estaba usted al tanto de la reputación de Gabriel Santoro?(あなたはガブリエル・サントーロの評判を知っていましたか?)
 No. Bueno, cuando lo conocí, Gabriel estaba metido en una cama como un niño, y eso no realza la apariencia de nadie, hasta el presidente se vería disminuido y común reducido al piyama y las cobijas. Yo sabía, (後略)(いいえ、実は私が知り合った時、ガブリエルは……)【下線部が変更箇所】

こう書かれていればインタビューで交わされた会話のそのままの再現なのだとわかる。

スペイン語でこの本を読む人たち(あるいは欧米言語一般の読者:いわゆる標準ヨーロッパ言語[SAE]のこと)は三人称が用いられても、不思議な印象はないのだろうか?それともここの場面に見られるバスケスの手法は実験的になるのだろうか。

あらためてこの場面を整理すると、この物語の語り手である一人称の「yo(英語のI)」がこのインタビューをテレビで直に見て、その内容が重大であるために書き起こしている。つまり重要なのは、インタビューを見ている人「による」再現になっていることだ。

画面の中にインタビュアーとインタビューされるアンへリーナがいて、インタビューが始まる。これを語り手の「私」から見た語りとして地の文にするとどうなるか。

Yo vi en la televisión que el entrevistador le preguntaba a Angelina que ella había estado al tanto de la reputación de Gabriel Santoro. Vi que ella decía que no,  bueno, cuando Angelina lo conoció...(私はテレビで、インタビュアーがアンへリーナに、ガブリエル・サントーロの評判を知っていたかを尋ねるのを見た。私は見た、彼女がいいえ、実は知り合った時……と言うのを見た。)

おそらくこうなるのではないか。スペイン語の時制は想像なので間違っているかもしれない。ただ、欧米言語で物語る場合には、このようにして語り手というのが絶対的に存在し、その枠は揺るがない。したがって語り手が私という一人称であれば、その人物が他人の行為について見聞きしたものは、基本的に従属節的になる。場合によっては主節を省いて従属節の部分だけをそのまま書き込んでいく。つまり自由間接話法である。

この時に欧米言語では人称は間接話法のものがそのまま残る。会話を再現しているのは「私」であって、「私が見たもの」が大きな枠として設定され、その目線から再現される以上、テレビの画面の中での出来事は三人称で語られる。「私」はインタビュアーにも、アンへリーナにもなれない。

非欧米言語話者、日本語話者(日本語は主題優勢言語。SAEは主語優勢言語や主語卓越言語と言われる)として読むと、人称が不自然に見えるが、欧米言語の語りの規範からすれば三人称であって当然なのだと考えられる。あくまで「私」が、インタビュアー(彼)のアンへリーナ(彼女)に対する質問とその答えを再構成しているからである。

ところでSAEを主語卓越言語とする言語類型論についてだが、小説を読む上でSAEは「人称卓越言語」と言ったほうがわかりやすいかもしれない。卓越性があるのが主語か主題かというよりも、問題は人称ではないだろうか。主語は人称に依存しているので。

邦訳は工夫がなされていて、インタビューの再現形式であることがわかるようになっている。 ここは訳者を相当に悩ませたところに違いない。

 



角田光代の『八日目の蝉』は基本的に一人称で書かれている小説だが、冒頭部分に、三人称(希和子)で書かれているパートが置かれている。以下、引用。

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    玄関に突っ立ったまま、台所の奥、ぴたりと閉まった襖に希和子は目を向けた。色あせ、隅の黄ばんだ襖を凝視する。
 何をしようってわけじゃない。ただ、見つめるだけだ。あの人の赤ん坊を見るだけ。これで終わり。すべて終わりにする。明日には、いや、今日の午後にでも、新しい家具を買って仕事を探すんだ。今までのことはすっかり忘れて、新しい人生をはじめるんだ。希和子は何度も自分に言い聞かせ、靴を脱いだ。(中公文庫、7-8ページ)
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「何をしようってわけじゃない」から「新しい人生をはじめるんだ」までは希和子の内面の声(独白)であることは無理なくわかる。三人称の地の文に、その人の声が一人称で入ってきても、日本語では主語を示さなくてもわかるし、原文でその部分はカギカッコで括られていない。しかしスペイン語版では以下のようになる。

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 Paralizada en el espacio que queda junto a la puerta donde se dejan los zapato, [Kiwako]dirige la mirada al fusuma de detrás de la cocina, cerrado a cal y canto. Está descolorado, con las esquinas amarillentas.
  《No voy a hacer nada malo. Sólo quiero verlo aun momento. Sólo me gustaría ver a su bebé; eso es todo. Después pondré punto y final. Mañana... No, esta misma tarde compraré muebles nuevos, buscaré un trabajo. Lo olvidaré todo y empezaré una nueva vida.》Kiwako se lo repite a sí misma varias veces.(La cigarra del octavo día, Galaxia Gutenberg, p.7)
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希和子の独白は一人称で、しかもカギカッコ(二重ギュメ)で括られている。カギカッコがなくてもわかりそうなものだが、地の文が三人称である以上、そこにいきなり一人称が使われたら、一人称で語られた小説ととられてしまうだろう。希和子(三人称)から語るのが地の文の規範だ。


2023年6月18日日曜日

6月18日 社会主義から自由主義へ

エドマンド・ウィルソンの『フィンランド駅へ 革命の世紀の群像』(上下、みすず書房)は社会主義思想の展開を物語った本である。

フィンランド駅とは、レーニンが1917年4月に到着した駅で、フィンランドにあるのではなく、現在のサンクトペテルブルク、つまりロシアの駅でフィンランド鉄道が建てた駅らしい。

フィンランドとロシアということでは、映画『コンパートメントNo.6』が記憶に新しい。1990年代にフィンランド人女性がモスクワに留学する話から始まって、失意の旅行で乗った鉄道のコンパートメントで知り合うロシア人男性との関係を描いたもの。

このエドマンド・ウィルソンに向こうを張った本がバルガス=リョサの『部族の呼び声(La llamada de la tribu)』(2018)である。社会主義思想ではなく自由主義思想の展開をバルガス=リョサが叙述する。

序文によれば、「そうは見えないが自伝的な本である。私の知的・政治的な歴史、マルクス主義とサルトルの実存主義に感化された青春時代から、アルベール・カミュ、ジョージ・オーウェル、アーサー・ケストラーのような作家の読書によって得られた民主主義の再評価を通じて、成熟して以降の自由主義までが語られる。」(p.11)

とりあげられる人物は、アダム・スミス、オルテガ、ハイエク、ポパー、レイモン・アロン、アイザイア・バーリン、ジャン=フランソワ・ルヴェル。

「私のキューバとの、そしてある意味で社会主義との断絶は、その頃は超有名だった(今ではほとんど誰も覚えていないが)パディーリャ事件が原因だった。キューバ革命の熱心な賛同者だった(商務省の副大臣までのぼりつめた)詩人のエベルト・パディーリャが、1970年に政権の文化政策を批判しはじめた。最初は公的メディアで辛辣に攻撃され、その後CIAのエージェントだと馬鹿げた告発によって収監された。パディーリャと友人である我々5名(フアン・ルイス・ゴイティソロ、ハンス・マグヌス・エンツェンスべルガー、ホセ・マリア・カステレと私)は憤激してバルセロナの私のマンションで抗議の手紙を認め、それに世界中の多くの作家が賛同してくれた。」(p.17)

しかしその手紙が原因でバルガス=リョサを貶めるキャンペーンが行われ、数年間をかけて彼は自由主義思想に傾いていく。

「[それは]疑念と再考の時期で、その間に少しずつ私は理解していった。ブルジョア民主主義だと言われるものの『形式的な自由』とは、その背後に富者による貧者の搾取が隠されているようなただの見せかけではなく、人権間の境界、表現の自由、政治的多様性であるということを。そして共産党とその大物たちに代表される唯一の真実の名の下での権威主義的で抑圧的な体制は、あらゆる批判を封じ、ドグマ的なスローガンを押しつけ、不服従者を強制収容所に送ったり行方不明にできるということを。」(p.17-18)



【自由間接話法 文献続き】

若島正『ロリータ、ロリータ、ロリータ』作品社、2007年

この本の10章「『私の』部屋」(211-239ページ)はナボコフの自由間接話法について

井尻直志「小説の文体としての自由間接話法 スペイン語の場合」沖縄外国文学会、2019年34号、31-46ページ。

スペイン語作家から主として論じられるのはやはりバルガス=リョサ。


【近況】

「死者たちの夏2023」を受けて、今日は日本社会文学会の大会に行こうと思ったが難しそう。ハイブリッドだから自宅からでもと思ったが、すでに締め切られていた。残念。


2023年6月7日水曜日

6月7日 千歳船橋、ソフト/クワイエット

明後日から始まる「死者たちの2023」のお稽古を見学させてもらいに、千歳船橋まできた。

6月のこの時期は夕方が長い。久しぶりに小田急線に乗った。軽食をとろうとぶらぶらした。もちろん小田急OXがあった。

よそ者だから、メキシコシティのコヨアカンとかブエノスアイレスのパレルモのような緩さを体感できた。


映画『ソフト/クワイエット』は原題は"Soft & Quiet"。

実際にはワンショットではないのかもしれないが、女性たちが白人至上主義団体の活動を始めて仲間と集い、そこから仲間の家でワインでも飲もうと買い出しに行き、そして惨劇……が90分間切れ目なく続く。ドキュメンタリーのように登場人物たちのすぐ近くにカメラがあって彼らを追いかけてゆく。

差別行動は「上品に、そして静かに(ソフト&クワイエット)」進められる。それを黙認していては、その差別を追認することにほかならない。監督が映画を撮った理由はこれだ。映画の中で白人至上主義者として出てくるのは白人で、彼女らはラティーノ、黒人たちを言葉で差別しているが、その後実際に暴力を行使して死に追いやる相手のことについては言葉では名指さない。

ところでこの「ワンショット」という手法は、バルガス=リョサが自由間接話法を使うときの小説(『小犬たち』)と似ている。群像劇で、その登場人物たちが空間を移動しながらぺちゃくちゃおしゃべりをしたり、風景が目に入ったり音が聞こえてきたり、そしてそれにも反応していく様子を、ピリオドも少なくして段落を変えず、全体をまずは地の文として、そこに複数の人の声を紛れ込ませていくスタイルは、ある種ワンショット的である。

中編『小犬たち』(『ラテンアメリカ五人集』集英社文庫所収)を久しぶりに読み直して、スピード感あふれる流れるような自由間接話法(文体)だった。ただこういう小説スタイルはある種の実験というか、一回限りという感じもする。

ある論文で知ったのだが、自由間接話法が用いられると、そこは読書のスピードが落ちるそうだ。不思議なものだ、『小犬たち』を日本語で読んでいる限りではそういう感じがしない。原文で読んでもスピードは落ちないような気がする。読者に対しては注意力をある程度保たせるように強いるが、それがうまくいけば、スピード感が出る。

とはいえ長編を書くには自由間接話法だけでなく、また別の語りの手法、つまり地の文によって物語そのものを展開していく必要もあるし、そういう時には直接話法を織り交ぜたりするしかないのかな、と思う。




『ソフト/クワイエット』のHPに載っている監督の言葉を引用する。

「典型的な植民地主義を描いた物語にはしたくないという思いがありました。植民地主義が持つ憎しみを受け入れやすくした表現や、今なお続いている植民地主義者たちの犯罪行為を和らげ、赦免するために書かれた偽りのストーリーアークを映し出したくなかったからです。私は憎悪犯罪をありのまま描き出し、観客が1秒たりとも気を抜くことができないような映画を作りだしました。そうでなければ、この映画は偽りということになります。」

観客が1秒たりとも気を抜けないようにすること。なるほど。
 
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この前の星泉さんによるチベット文学講座は大変勉強になった。
大学HPに掲載されています。
 

2023年6月5日月曜日

6月5日 大雨その後

大雨で大学の桜の木が折れた。




相変わらずの自由間接話法。文献整理として。

ミハイル・バフチン『マルクス主義と言語哲学 言語学における社会学的方法の基本的問題[改訳版]』(桑野隆訳)、未来社、1998年。

前に挙げた工藤庸子『恋愛小説のレトリック』では「(前略)自由間接話法では、時制の一致による半過去の存在と人称代名詞や所有形容詞などの変換が、語り手の視点の存在を裏づけているわけで、つまり語り手の存在感だけを問題にするならば、直接話法<自由間接話法<間接話法と定義することができるでしょう」(p.172)として、その後バフチンを参照して、「要は『他者の言葉』との関係なのです。」と述べ、バフチンが上に挙げた本で言っている「疑似直接話法」のことに触れる。「語り手と作中人物がほぼ同じ資格において共存する。ただし両者が一体化しているわけではむろんない。あいだに微妙な距離があり、この距離は、あいまいであるがゆえに、いかようにも機能する」(p.172)。

この「あいまい」さは、語り手の作中人物に対する感情移入や、あるいは「風刺」や「アイロニー」をまとう場合もある。工藤も引用しているところだが、バフチンは言う。「フローベールは、自分が嫌悪の情をもよおし憎んでいるものに目を注がずにはいられない。しかしそのばあいにもかれは、みずからを感情移入し、この憎み嫌悪すべきものと自己を同一化する能力をもっている」(『マルクス主義と言語哲学』p.242)



もっと新しいのは以下の本。

平塚徹編『自由間接話法とは何か 文学と言語学のクロスロード』ひつじ書房、2017年。



この中の赤羽研三「小説における自由間接話法」(49-97ページ)の中では例えば以下のようなところに着目している。

「さらにSILにおいては、すでに述べたように、倒置形の疑問文、感嘆文、不完全な文といった間接話法では取り込めない発話も取り入れることができる。(中略)受け手に何かを訴えるというより、表出される情動の強度のほうに重点が移っているように思われる。強い情動が込められているということは、疑問符や感嘆符が多用されるところにも現れている。」(65-66、強調引用者)

 


「(前略)単純過去で非人称的に語っていた書き手自身が、エンマの思いをあたかも自分の思いのように発しているのだ。地の文と作中人物の発話の境界が取り払われてしまっているために、書き手自身もエンマの声に同調し、自分でも意識せずに突然自然に思いが噴出したという印象をもたらしている。書き手はここではもはや語り手という媒介者を通して、作中人物の意識を言語化し誰かに伝えているというより、その意識の現われを「直接的に」自分の声のように受け止めているというふうなのだ。言ってみれば、書き手はその存在に憑依したように言葉にしているのである。」(p.68、強調引用者)

 

 「情動のこもったSILは、非反省的意識に属することが多いのである。(中略)SILの文体論的特性は、この「非反省的意識」に関わるときにより強く現われるのだ。」(p.69、強調引用者)

 

論文では以下の2本。

橋本陽介「『物語世界の客体化』からみる自由間接話法の言語間比較」『慶應義塾大学藝文学会』2009, Vol. 96:165-181

溝上瑛梨「自由間接話法と語りのフレーム」『言語科学論集』2016, 22:107-127


2023年5月28日日曜日

5月28日 『TAR /ター』とアマゾン、そして近況

映画『TAR /ター』の主人公リディア・ターはベルリン・フィルではじめて女性で首席指揮者になった人物だ。映画はできるかぎり現実世界との連続性を持たせようと、実在の人物によるターへのインタビューが冒頭シーンに据えられている。

仮構は仮構として面白いと思ったのは、アメリカ生まれの彼女はペルー・アマゾン、ウカヤリ(Ukayalí)地方に住む先住民シピボ=コニボ族(Shipipo-konibo)の音楽の専門家ということである。5年間アマゾンで調査をした経験が、彼女が出版しようとしている本で書かれている。

そのペルー音楽は映画でも流れる。Elisa Vargas Fernándezの「Cura Mente」という曲だ。Youtubeには、映画制作よりも昔の映像がある。例えばこれとかこれ

シピポ=コニボ族の住むウカヤリは行政単位としては県のようだが、その首都はプカルパ(Pucallpa)である。バルガス=リョサの作品に慣れ親しんでいればよく聞く地名で、『ラ・カテドラルでの対話』でアンブローシオがアマーリアと行った場所だ。

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バルガス=リョサの方の進展で言うと、『果てしなき饗宴』から、その翻訳者工藤庸子の『恋愛小説のレトリック』(東京大学出版会、1998)を経由して、そこから芳川泰久『『ボヴァリー夫人』をごく私的に読む』(せりか書房、2015)へ。



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近況としては、昨日今日と気圧低下できついけれど、そう、先週末に3年ぶりにスペイン語文学研究会が復活して4時間を超えた。この分なら午前午後から続く5、6時間くらいの研究会ができる環境になってきたということで、楽しみだ。

ラテンアメリカ学会が6月3日・4日(明治大学駿河台キャンパス)。

同じ6月3日には、東京外大で市民講座、星泉さんによる「犬から目線で楽しむチベット文学」がある。

6月9日・10日・11日は調布のせんがわ劇場で「死者たちの夏2023」。

そしてその次の週末の土曜日6月17日は再び東京外大で市民講座、「イスラームのいま」。なおかつ、この土日は西洋中世学会が明治大学駿河台キャンパスで。

『緑の家』論を書きたいものだ、いつか必ず!


2023年5月22日月曜日

5月22日 『果てしなき饗宴』(続き)【6月5日追記】

『果てしなき饗宴』(原書1975、邦訳1988)についての続き。

バルガス=リョサがなぜフロベールを気に入っているのかがわかる箇所。

彼はまずヌーヴォー・ロマンの大部分の作家の作品には退屈してはいたが、こうした作家がフロベールの意義を認めていることもあることは知っていて、研究書や論文を通じて新しい小説群とフロベールの関係を学び、中でもナタリー・サロートの論文「先駆者フロベール」を読んで、反論したい箇所が山ほどあって、それがこの『果てしなき饗宴』を書かせているとも言える。ちなみにナタリー・サロートのことは、『プリンストン大学で文学/政治を語る』でも言及している(p.21-22)。曰く「私は、ヌーヴォー・ロマンの作家たちの大部分は、今ではほとんど読まれていないと思います」(p.22)

バルガス=リョサにとってフロベールへの愛着が揺らぎのないものになったのは、フロベールが「騎士道小説を書くのはぼくの昔からの夢なんです」(『果てしなき饗宴』p.49)と言っているところとも思える。

またフロベールには、『ボヴァリー夫人』を書いているときに『ドン・キホーテ』を再読し、スペイン旅行の計画もあったらしい(結果的には実現しなかった)。(p.91)

そしてなるほどな、と思ったのは、この本の第三部で『ボヴァリー夫人』においては「凡庸さ」が美として描かれていることを称賛しているところである。

「『ボヴァリー夫人』では、両極【引用者注--英雄か怪物のこと】から等しく離れた中間地帯、地味で平坦でみじめな凡人の生活をふくむ曖昧な一帯が「美しさ」を産出するところに変貌する」(p.248)

バルガス=リョサが英雄的怪物、怪物的英雄を描いているようでいながら、実は「凡庸さ」好みの一面があることを証明する箇所である。

さて、自由間接話法についてバルガス=リョサは以下のように言っている。

「フロベールがもたらした偉大な技法、それは、「全知の語り手」を登場人物にかぎりなく近づけて、両者の境界線がついに見えなくなるところまでもってゆき、そこにひとつの両面性をつくり出し、語り手の言うことが、「不可視の報告者」に由来するものか、それとも頭のなかで独白をつぶやいている登場人物に由来するものか、読者が判定できぬようにしてしまうという方法である。」(p.241、ゴチックは邦訳では傍点強調)

そして例(下の引用の下線部)を挙げる。

「(前略)動詞を省略しただけで、登場人物の内面生活がほんの一瞬、稲妻が光るように垣間見えることもある。《ルオー爺さんにしてみれば、もてあまし気味の娘が片づくことに不服はなかった。娘は家にいても役に立つというほどのこともないのだ。だがその点、爺さんは内心あきらめていた。なにせうちの娘は頭がよすぎるから、農業なんてお天道様に呪われた仕事なんざやるがらじゃない。百姓家業に百万長者が出たためしはないのである》引用部分の冒頭とおわりの部分で話しているのが、「全知の語り手」であることは、まちがいない。」(p.243、ゴチックはバルガス=リョサによる強調で邦訳では傍点、また下線部は引用者による)

この引用部分については、引用の冒頭部分(「ルオー爺さんにしてみれば」から「ほどのこともないのだ」までは「全知の語り手」によるものだが、その先では徐々に語り手がルオーに近づいていく。バルガス=リョサは原文の"intérieurement"(内心)に注目してそう言っている。

そしてバルガス=リョサは自身が傍点強調している「お天道さまに呪われた仕事」について、「これは、ルオー爺さんその人が、頭のなかでぼやいた台詞のように感じられるではないか。もちろん結論の部分(《百姓家業に百万長者が出たためしはないのである》)では、これとちがって、明らかに「全知の語り手」が、話を引きついでいる。自由間接話法のおかげで、『ボヴァリー夫人の散文は、伸縮自在の柔軟性を与えられ、叙述のリズムや統一を乱すことなく、空間や時間の変化を自由にこなせるようになった。」(p.244)

『ボヴァリー夫人』から原文で引用すると以下の箇所。

“Le père Rouault n’eût pas été fâché qu’on le débarrassât de sa fille, qui ne lui servait guère dans sa maison. Il l’excusait intérieurement, trouvant qu’elle avait trop d’esprit pour la culture, métier maudit du ciel, puisqu’on n’y voyait jamais de millionnaire.”(抜粋:: Flaubert, Gustave  “Madame Bovary – Bilingual French-English Edition / Edition bilingue français-anglais (French Edition)”。 

スペイン語では以下のようになっている。

"Al tío Rouault no le hubiera disgustado que le liberasen de su hija, que le servía de poco en su casa. En su fuero interno la disculpaba, reconociendo que tenía demasiado talento para dedicarse a las faenas agrícolas, oficio maldito del cielo, ya que con él nadie se hacía millonario. "

「お天道様に呪われた仕事」の「呪われた」(maudit(仏)、maldito(西))が口語表現ととれるところから、ここをルオー爺さんの台詞のように読み取ろうというのがバルガス=リョサ。

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[6月5日追記]

『果てしなき饗宴』からさらに重要と思われるところは以下。

「『ボヴァリー夫人』においては、自由間接話法のシステムが用いられるのは、ほとんどいつも、現実から何かの刺激を受けた人間の精神が、記憶を通して過ぎ去った経験を甦らせるさまを見せるためである。さらに、あらゆる感覚や感情、強烈な印象をもたらした出来事などは、それ自体で孤立した存在ではなく、あるプロセスの開始、すなわち、時間が経ち、新しい経験があるたびに、追憶によってあらたな判断や意味がそれにつけ加えられてゆくプロセスの開始に当たるのだということを示唆するときにも、自由間接話法が使われる。」(p.260-261)




2023年5月21日日曜日

【イベント告知】死者たちの夏2023:6月9日、10日、11日音楽会と朗読会

実行委員のひとりとして関わっているイベントの告知です。


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死者たちの夏2023 ジェノサイドをめぐる音楽と文学の3日間 


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100年前の首都圏で、日本人はなぜ、ふつうに人間に対するように、朝鮮人に向き合うことが出来なかったのか。 


人を「殺害可能」な存在とみなすために、どのような偏見や妄想が準備されたのか。


私たちは7年前の夏に相模原市の障害者施設で殺傷事件が起きたときにも同じ問いを自分にぶつけた。 


世界には残虐な行為があふれている。いまも、さまざまな場所で、人間が人間を殺している。なぜ? 


たしかに、人間を戦争に向かわせ、ジェノサイドに向かわせるのに、言葉や音楽は大きな力を発揮する。


しかし、そこに気づかせてくれるのも音楽、そして文学なのだ。


西 成彦 


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◉会場:調布市せんがわ劇場 東京都調布市仙川町1-21-5/京王線仙川駅徒歩4分
◉チケット:一般3,200円(自由席・前売当日共)/学生1,800円(学生証提示) (席に限りがありますお早めのご予約を!)
◉リピーター料金:(チケット半券提示で)各回 500円割引
◉お問い合わせ:2023grg@gmail.com (「死者たちの夏2023」実行委員会)


◉チケット予約はこちら:リンクに飛べない方は以下のURLから
https://forms.gle/g4x5toLi8bWPJANy6





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1)音楽会
2023年6月9日(金)
開演19:00 開場18:30
イディッシュソング(東欧ユダヤ人の民衆歌曲)から朝鮮歌謡、南米の抵抗歌へ


(演奏曲目)
Yisrolik, Papirosn (たばこ売りの戦争孤児の歌/イディッシュソング)
N’kosi Sikelel iAfrica (アフリカ黒人解放運動アンセム)
Der Graben (塹壕/第一次大戦の悲惨さを問う反戦歌)
鳳仙花 (韓国初の近代歌曲かつ抗日運動のアンセム)
不屈の民 (南米民主化運動の世界的アンセム)
平和に生きる権利 (チリ民主化運動に命を捧げたビクトル・ハラの名曲) ほか




◉出演:こぐれみわぞう(歌、チンドン太鼓)
大熊ワタル(クラリネット ほか)
近藤達郎(ピアノ、キーボード ほか)
◉解題トーク:東 琢磨、西 成彦


◉チケット予約はこちら

HPはこちら


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2)&3) 朗読会
2023年6月10日(土) 開演14:00 開場13:30
ホロコーストの記憶との闘い


(朗読テキスト)
チェスワフ・ミウォシュ「カンポ・ディ・フィオーリ」
ヴワディスワフ・シュレンゲル「向こう側が見える窓」
パウル・ツェラン「死のフーガ」「暗闇」「白楊」
後藤みな子「炭塵のふる町」
シャルロット・デルボー「マネキンたち」
ドヴィド・ベルゲルソン「二匹のけだもの」 ほか

(キーワード) ワルシャワ/アウシュビッツ/ヒロシマ/ナガサキ/ウクライナ


2023年6月11日(日)
開演14:00 開場13:30 ポストコロニアルを生きる道


(朗読テキスト)
エドウィージ・ダンティカ「骨狩りのとき」
エドゥアルド・ガレアーノ「日々の子どもたち」
エドゥアール・グリッサン「苦しみの台帳」
ダヴィッド・ジョップ「アフリカ」
ダニエル・キンテーロ「度々の実践について」
アブドゥラマン・A・ワベリ「いくつもの頭蓋骨が」
目取真俊「面影と連れて」 ほか


(キーワード) ハイチ/マルティニーク/ペルー/アルゼンチン/ルワンダ/オキナワ


◉出演:新井 純、門岡 瞳、杉浦久幸、高木愛香、高橋和久、瀧川真澄、平川和宏(50音順)
◉解題トーク:久野量一、大辻 都、西 成彦 ほか
◉演出:堀内 仁 
◉音楽:近藤達郎


◉チケット予約はこちら


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◉照明・舞台監督:伊倉広徳
◉音響:青木タクヘイ(ステージオフィス)
◉舞台美術:菅野 猛
◉衣装:ひろたにはるこ
◉撮影:片桐久文 
◉プロデューサー:瀧川真澄
◉協力:立命館大学国際言語文化研究所、劇団もっきりや、株式会社ヘリンボーン、俳協、有限会社プロダクション・タンク


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「死者たちの夏2023」実行委員会
◉実行委員長
西 成彦 (ポーランド文学、比較文学)
◉実行委員(50音順)
石田智恵 (南米市民運動の人類学)
大辻 都 (フランス語圏カリブの女性文学)
久野量一 (ラテンアメリカ文学)
栗山雄佑 (沖縄文学)
近藤 宏 (パナマ・コロンビア先住民の人類学)
瀧川真澄 (俳優・プロデューサー)
寺尾智史 (社会言語学)  
中川成美 (日本近代文学、比較文学)
中村隆之 (フランス語圏カリブの文学と思想)
野村真理 (東欧史、社会思想史)
原 佑介 (朝鮮半島出身者の戦後文学)
東 琢磨 (音楽批評・文化批評)
福島 亮 (フランス語圏カリブの文学、文化批評)
堀内 仁 (演出家)
◉補佐
田中壮泰 (ポーランド・イディッシュ文学、比較文学)
後山剛毅 (原爆文学)
◉アドバイザー
細見和之 (詩人・社会思想史)





2023年5月18日木曜日

5月18日 『ウェストサイド物語』とジャニー喜多川

ジャニー喜多川(1931-2019)のことが取り沙汰されているが、この事件は日本の芸能界にとって大きな転換期になるかもしれない。

ジャニー喜多川の死、そして彼の暗部が明かされるのとほぼ同時期に、奇しくも『ウェストサイド物語』のリメイク版ができている。

ブロードウェイのミュージカルを元に映画化されたのが1961年。そしてスピルバーグによるリメイクが2021年。この間にジャニーズ事務所の誕生から隆盛、そして衰退がある。

ジャニーズ事務所の設立は1962年。ジャニー喜多川が『ウェストサイド物語』を少年たちと見に行って、それに感銘して少年アイドルグループによる芸能界への参入に至ったのは有名な話だ。

矢野利裕の『ジャニーズと日本』(講談社現代新書、2016年)にはその辺りのことが書かれている。1962年のNHKの『夢であいましょう』に田辺靖雄のバックダンサーとしてジャニーズのタレントが出演したのが最初らしい(同書、p.39)。

この本にはジャニー喜多川の経歴が書かれているが、その中で驚いてしまった箇所がある。

日系2世としてロサンゼルスに生まれたジャニー喜多川は、アメリカ人として朝鮮戦争に従軍していたのだ(同書、p.20)。おそらく朝鮮半島では国連軍所属のさまざまな出自の兵士、米軍ではプエルト・リコ出身の兵士にも会っただろう。

ジャニー喜多川がいたのはロサンゼルスというラティーノたちの多い都市である。ロサンゼルスでは劇場でアルバイトをしていたという。

間違いなく1940年代、50年代のロスのメキシコ系移民への差別は目の当たりにしているのだ。日系、ラティーノ系の入り混じるエンターテインメントの都市にいたら、カタコトのスペイン語くらいできたとしてもおかしくない。

アメリカ時代の長かったジャニーはもしかすると、ミュージカル版の『ウェストサイド物語』すら見た経験があり、それが映画化されたのでジャニーズ少年野球団と一緒に見にいったのかもしれない。

ジャニーは物語の題材がプエルト・リコ移民に対するヘイト・クライムだということが、すぐにわかっただろう。日系2世としての彼が感情移入したのは、もちろんプエルト・リコ移民だったにちがいないからだ。

アメリカ文化を日本に持ち込んだその出発点が、『ウェストサイド物語』(=移民差別映画)を見たことにあるというジャニー喜多川の立身出世物語には、自らも移民でありおそらく差別を受けたジャニーなりの葛藤が隠されていると読み取りたい。



 

2023年5月16日火曜日

5月16日 村上春樹とガルシア=マルケス

村上春樹の『街とその不確かな壁』にガルシア=マルケスが引用されている。『コレラの時代の愛』の一節だ。

丁寧にも村上春樹は、その場面が小説の終わりの方に出てくることを教えてくれているが、かなり唐突な印象を与える引用であることは間違いない。

『街とその不確かな壁』も同じように終わり部分に差し掛かっていて、ストーリー展開としては、ここがこの小説の最後の大きなターンと言える。

引用部分は、老齢になったフロレンティーノ・アリサがついに初恋の相手であるフェルミーナ・ダーサとマグダレナ川の船旅に出た場面である。フロレンティーノにとっては50年越しの恋が、夫を失ってフェルミーナが未亡人になったことで叶えられそうになる。二人はコレラ危機の中で船旅に出る。そしてマグダレナ川に出没する女の亡霊伝説が言及されるのだが、そこが春樹小説で引用される。

その亡霊は「白い服を着た」「溺死した女 una ahogada」と書かれている。実は先日の学部のゼミ生の発表を聞いてハッとしたのだが、そうか、これはコロンビア版の「泣く女 la llorona」伝説だったのだ。

死んだ女が川辺りに現れる--そうして見ると、この春樹の小説で、『コレラの時代の愛』の引用後すぐに出てくる場面は面白くなる。だからこそ最後の大きなターンなのだ。

その場面ではこの小説の重要なモチーフである川が出てきて、その川辺で45歳になった男(「私」)と少女との再会が起こる。17歳の少年時の束の間の恋は、その少女が忽然と消えることで少年の心に傷を残す。

その後、少年だった「私」は、フロレンティーノ・アリサのように彼女を思いに思い続ける。彼女はどうなってしまったのか?小説では簡単にはわからない。

でも『コレラ』からすれば、おそらく白い服を着て(春樹の小説では淡い緑のワンピースだが)川べりに出没する亡霊になったのだ。そんな亡霊の存在を信じたいという作者によってG=マルケスが引用されている。

16歳のこの少女は、17歳の「私」と連絡を絶ったあと死んだということだ。






2023年5月14日日曜日

5月14日 『ケルト人の夢』と『緑の家』

フシーアについては、立林良一の論文「『緑の家』におけるフシーアの人間像と文体」がある(東京外国語大学大学院外国語学研究科言語・文化研究会『言語文化研究』4号、71-79、1986)。この論文でも、このブログでかつて触れたバルガス=リョサのHistoria secreta de una novelaが参照されている。

しかしそれにしても、その後の『楽園への道』と『ケルト人の夢』が書かれたいま、フシーアという人間にバルガス=リョサが関心を抱いたことは改めて考えてみたくなる。

研究者のエフライン・クリスタルは、『緑の家』をコンラッド『闇の奥』のアマゾン版とみて、フシーアをクルツと重ねている。

「クルツと同じようにフシーアは外国人ながら先住民の領土を作り上げ、クルツと同じようにボートによる死の旅に出て、大きな川を下ってジャングルの中心地から移動していく(後略)」(Efraín Kristal, From utopia to reconciliation, The Cambridge companion to Mario Vargas Llosa, p.142)

クリスタルはそして、『緑の家』の白人ゴム事業者フリオ(・レアテギ)は、『ケルト人の夢』に出てきた実在のフリオ(・C・アラナ)のことだとしている。

この指摘はかなり面白いが、残念ながら、Historia secreta de una novelaの中にはフリオ・C・アラナの名前は出てこず、フリオ・レアテギは実在した人物として言及されているので、そう簡単にこの2人のフリオを直結はできない。もし50年代、60年代にバルガス=リョサがフリオ・C・アラナに言及していた資料でも出てきたら、うれしい悲鳴をあげる研究者は多いだろうが。

バルガス=リョサはこの小説を書いているとき、パリにいてルプーナの木がなんなのかまったくわからずにパリの植物園で調べて書いたり、フシーアの病気についてはフローベールのエジプト紀行から想像を膨らませていた。

史料があることを前提に書いていった実在のゴーギャンやケイスメントと、伝説上の存在であるフシーアをつなぐ点線を、クルツや以前言及したフィツカラルドを介在させながら浮かび上がらせてみたいものだ。

Historia secreta de una novelaでは、ゴム・ブームそのもの、そしてその期間にあった白人からの暴力のことはまったくと言っていいほど触れられていない。バルガス=リョサがアマゾンをめぐってその時見るもの・聞くもの・読むものというのは、面白いことに、これから書こうとする内容(つまりその後『緑の家』になるもの)に事前に影響を受けている。

もちろんまず見ることがあってそれから書くわけだから、書くことはあくまで見たあとに事後的に起こる。しかしそれでも、時間的には見る行為の後にやってくる書く行為は、見る行為に事前に力を及ぼしうる。書こうとしていないこと(言語化できないこと)は目に入らないものであって、ここがまた面白いところだ。

しかしだからこそ、フィクションとしての『緑の家』にはそうしてこぼれ落ちていった言語化されなかった(見えなかった)ものの痕跡が多々見つかるのではないか、ということだ。フシーアはもちろんのこと、フムしかり、先住民に対する暴力もしかり。

そう、それからクリスタルは、歴史的に存在した娼館としての「緑の家」を建てた者もまたケイスメントと同様、クィアであったと見ている(この部分はあまりにあっさり書かれているので、何を根拠にしているのか、まだよくわからない)。


「『ケルト人の夢』のアマゾンセクションはゴム・ブームの全盛期のことだが、これはゴム・ブーム後に時代が設定された『緑の家』の前史なのだ」(p.142)

つまりバルガス=リョサが見たのは、暴力が起こったあとの静けさだったのかもしれない。



2023年5月13日土曜日

5月13日 バルガス=リョサと通底器(vasos comunicantes)

バルガス=リョサは『若い小説家に宛てた手紙』のほぼ最後の11章で「通底器」を取り上げている。スペイン語ではvasos comunicantesというこの用語はバルガス=リョサが小説の分析の際にとくに好んで言及する手法である。当然それは自らの小説にも生かされていく。

ではこの「通底器」をいつからこの作家が言っていたのかということについて文献を探ってみたところ、一次資料は見つからなかったのだが、少なくとも研究者が引用していることを参照すれば、1969年8月11日ウルグアイの共和国大学(Universidad de la República)で行なった講演が最も古いのかもしれない。

この講演録はモンテビデオの「Cuadernos de Literatura」(1969年第2号)に掲載されているようだ。この情報の出典は、José Luis Martín, La narrativa de Vargas Llosa: acercamiento estilístico, Editorial Gredos, 1974 である。

孫引きになるが、この上記研究書から引用しておくと、そこでバルガス=リョサは「通底器」について以下のように言っている。

Consiste en asociar dentro de una unidad narrativa acontecimientos, personajes, situaciones, que ocurren en tiempos o en lugares distintos; consiste en asociar o en fundir dichos acontecimientos, personajes, situaciones. Al fundirse en una sola realidad narrativa cada situación aporta sus propias tensiones, sus propias emociones, sus propias vivencias, y de esa fusión surge una nueva vivencia que es la que me parece que va a precipitar un elemento extraño, inquietante, turbador, que va a dar esa ilusión, esa apariencia de vida. (José Luis Marín, p.181)

その後、バルガス=リョサは『ガルシア=マルケス論ーー神殺しの歴史』でこの手法について再び言及する。この研究書は1971年に刊行され、昨年日本語に翻訳された(寺尾隆吉訳、水声社)。

vasos comunicantesの訳語は「連通管」になっている。以下、『大佐に手紙は来ない』の分析箇所である。

「(前略)これによって、楽観的理想主義の世界観(主人公の精神)を示す態度と、客観的現実によってこの世界観が容赦なく反駁される状況とが、作品内に交互に現れることになる。連通管の手法(二つ以上の異なる時間や空間で生起する状況、二つ以上の性質の異なる情報が一つの物語内で溶け合うことで、双方の現実が引き立て合い、修正し合いながら豊かさを増し、単なる寄せ集めにとどまらない新たな現実を作り上げること)によるこうした題材の組織(後略)」(『ガルシア=マルケス論』、p.247)

ちなみに「通底器」については、バルガス=リョサがカタルーニャ語による騎士道小説『ティラン・ロ・ブラン』に寄せた序文でも触れていることが別の文献(Inger Enkvist, Las técnicas narrativas de Vargas Llosa, Acta Universitatis Gothoburgenesis, 1987)でもわかっている。


この騎士道小説の日本語版の序文(『ティラン・ロ・ブラン』岩波書店)にもバルガス=リョサの序文は載っているのだが、これは2003年に書かれたものである。

このような流れを経て『若い小説家に・・・』の執筆に至っているようだ。

写真は、バルガス=リョサのガルシア=マルケス論の書影。この論文でマドリード・コンプルテンセで博士号を授与した。

 

Mario Vargas Llosa, García Márquez: Historia de un deicidio, Barral, 1971. 

この本はかつて神奈川大学の図書館で借りて読み、その後現物を入手した。

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村上春樹の『街とその不確かな壁』にガルシア=マルケスが引用されている。『コレラの時代の愛』の一節で、老齢になったフロレンティーノ・アリサがついに初恋の相手であるフェルミーナ・ダーサとマグダレナ川の船旅に出た場面である。

村上春樹は丁寧にもその場面が小説の終わりの方に出てくることを教えてくれているが、かなり唐突な印象を与える引用で、そこはマグダレナ川に出没する女の幽霊が言及されている。原文でも「溺死した女 una ahogada」の幽霊と書かれていて、実は昨日の学部のゼミ生の発表を聞いてハッとしたのだが、コロンビア版の「泣く女 la llorona」伝説である。

そうして見ると、この春樹の小説で、『コレラの時代の愛』の引用後すぐに出てくる場面が面白くなる。そこではこの小説の重要なモチーフである川が出てきて、その川辺で45歳になった「私」と少女との再会があるのだ。つまり、15歳のこの少女は死んでいたということになる。

2023年4月22日土曜日

4月22日 近況と『果てしなき饗宴』

4月21日、総合文化研究所で、大江健三郎追悼企画が催された。部屋は若い人から年配の人でぎっしり埋まり、しばらく体験したことのない、いい緊張感と柔らかさに満ちていた。

その前の4月15日のことも書きたいのだが、それは次の機会に。

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バルガス=リョサの『緑の家』で用いられている自由間接話法を考えるさいには、バルガス=リョサがフローベール『ボヴァリー夫人』を論じた『果てしなき饗宴--フロベールと『ボヴァリー夫人』を参考にする必要がある。

『ボヴァリー夫人』のことでは、芳川泰久氏(新潮文庫の翻訳者)が自由間接話法について書いている。彼は翻訳のさい、「できるかぎり原文を忠実に」「フローベールが打った文のピリオドの位置を変えない」で、つまり「句点を同じ位置に打つ、原文を勝手に切ったり、つなげたりしない」ようにしている。(カギカッコ内は新潮文庫版の芳川氏の解説から引用。以下も同じ)

彼によれば、これまでの翻訳はそうしたことをせずに文を切ってしまっている(原文にはない句点を打っている)。そうせざるを得なかったのは、話法の切り替わりが原因である。しかしその話法の切り替え--「間接話法の地の文で、カンマやセミコロンひとつで、それが自由間接話法に切り替わる」--がフローベールが挑んだ革命的な方法なので、むしろ翻訳はそれを伝えなければならないというわけである。

芳川氏の解説から自由間接話法の訳し方についてさらに引いておくと、「間接話法ではあっても、直接話法の言葉づかいを真似て訳そうと決め」「過去形の時制に縛られず(中略)一人称にはしない(中略)、かといって三人称のままにもし」ない。そして日本語には「そんな中間的な便利な言葉」があり、それを「使用した訳文」があるとのことだ。面白い。ちなみにその「便利な言葉」が何かは読むとすぐにわかる。さてなんでしょう?

芳川氏の訳文と話法に関する解説の箇所を読み、さらにバルガス=リョサがやはり注目している話法のところを『果てしなき饗宴』で確認してみた。

「いわゆる自由間接話法(中略)は、ある曖昧さをふくんだ叙述形式であることを、まず確認しておこう。語り手が登場人物にきわめて近いところで発言するために、読者はときおり、話しているのは登場人物にほかならないという印象を受ける(中略)。自由間接話法の本質は、この曖昧性、もはや語り手のものではないが、登場人物のものでもないらしい視点の混同、あるいは不確実性にある。」(『果てしなき饗宴』工藤庸子訳、p.234-235)

芳川氏の言うように、一人称でもなければ、三人称でもないように訳すべきと考える視点の曖昧さである。

原文で読んでいないので気づかなかったが、芳川氏の翻訳にある「傍点」は原文ではイタリックになっている箇所だ。バルガス=リョサは「イタリックは語り手の交替と視点の瞬間的な変化を意味している」と書き、イタリックにしたのは、自由間接話法を最初に実践したフローベールがその「試みの大胆さに気遅れし、混乱を避けようとしたのだろう」と言っている。

「物語はおかげで【自由間接話法のおかげで】軽快になるとともに凝縮され、同時に(中略)各部分(文章やパラグラフ)において、小説の総体が到達すべき全体性が、再現されることになる。ほんの短いテクストのなかで、同時に二つの観点から、つまり不偏不党の観察者と筋書に参加する登場人物の両方の観点から、ひとつの出来事が語られるのだ。」(p.236)






2023年4月19日水曜日

4月19日 ホセ・レサマ=リマ『パラディーソ』書評(「図書新聞」)

ホセ・レサマ=リマ『パラディーソ』(旦敬介訳、国書刊行会、2022年)の書評を「図書新聞」3588号に書いた。

手元には『パラディーソ』のスペイン語版は2種類ある。

José Lezama Lima, Paradiso, Cátedra, 2017(初版1980). 



このカテドラ版はソフトカバーで持ち運びにはいいし、序論もあるし註もいいのだが、どうにも文字が小さすぎるのが難点。持ち運ぶには大きいけれども、目にやさしいのは以下の「ユネスコ版」。

José Lezama Lima, Paradiso, ALLCA XXe, Nanterre, 1988. 



解説がキューバの批評家シンティオ・ビティエルで、巻末に資料(書簡など)がまとまっているし、大変に役立つのは、章ごとの「まとめ」というか「解説」がついていること。また本文には行数が10行ごとに振ってあるので、読書会や授業で使うならこちらが圧倒的にいい。

それから英訳。

José Lezama Lima, Paradiso(translated by Gregory Rabassa), Dalkey Archive Press, 1974. 





日本語版には詳細な家系図がついているが、それと比べるとかなり簡単な家系図がついている。ないよりはましか。

手元のレサマ関係論文では、Enrico Mario Santí, Bienes del siglo: sobre cultura cubana, FCE, 2002.や「Casa de las Américas」のレサマ特集とかキリがないほどあって、今回書評を書くのにあっちこっちから引っ張り出した。もっともどれもキューバ文学(史)視点のものばかりだから、より広い文脈で読みたい人には参考にならないかもしれない。

それからハバナという街と小説のことを絡めたエッセイであるアントニオ・ホセ・ポンテ「La Habana de PARADISO」(Antonio José Ponte, Un seguidor de Montaigne mira La Habana所収)。

そうそう、『パラディーソ』は日本語で翻訳が出る前から原書で少し読んでいたにもかかわらず、あることに気づかなかかったのは、まったく鈍感というか、本当に読んでいたのか自らを疑いたくなる。

それはキューバ文化関係のウェブマガジンとして有名で、よく見に行くrialta.orgのサイト名「リアルタ」のことだ。このリアルタこそ、『パラディーソ』の重要登場人物リアルタ(Rialta)からとられていたのだったなあ。

2023年4月3日月曜日

4月3日 近況

岩波書店が毎月出している小冊子『図書』4月号に「ラテンアメリカの冷戦と文学」という文章を書きました。岩波書店のwebマガジン「たねをまく」で読むことができます。




それから4月15日土曜日には、『思想』2023年2月号の執筆陣で「共同討議」が開かれます。案内はこちら

同じ4月15日にはもう一つイベントがあって、これは昨年から務めている東京外国語大学出版会の編集長としての仕事。

それが読売新聞立川支局との共同市民講座。その案内は大学のHPにも出ていて、先日読売新聞(3月28日付多摩版)でも案内が出ました。

その記事(学長談話)はこう始まっています。

世界は変わり続ける。この流動性のなかで私たちは、自分たちがどのような世界にいるのかを学びながら、それぞれがその場をよりよくしようと生きている。」

おや? 「世界は変わり続ける」? このブログのタイトルではないか。なぜだろう。ひょっとすると私が代筆したのかもしれない。

2023年4月2日日曜日

4月2日 『緑の家』とフシーア【4月10日追記】【4月16日再追記】

長々と些事を書き続けてきたバルガス=リョサの『緑の家』について、彼のその後の主だった作品に出てくる人物と絡めて系譜を作っておけば以下のようになるだろう。

フシーア→[ヘルツォークの映画『フィツカラルド(アイルランド系)]→ロジャー・ケイスメント(『ケルト人の夢』)

フシーア→ゴーギャン(『楽園への道』)→ロジャー・ケイスメント

ラ・セルバティカ(ボニファシア)→ウラニア(『チボの狂宴』)→フローラ・トリスタン(『楽園への道』)

リトゥーマは『誰がパロミノ・モレーロを殺したか?』『アンデスのリトゥーマ』『つつましい英雄』など、軽めの小説に。

その中で異彩を放っているのが先住民アグアルナ族フムで、バルガス=リョサが1957年にアマゾンへ行ったときに会った人物をモデルにしているが(『水を得た魚』より)、『密林の語り部』に繋がっているとみるべきか。


ちなみに『ラ・カテドラルでの対話』のベルムーデスはトゥルヒーリョ(『チボの狂宴』)へ。


フシーアについて調べていたら、イルマ・デル・アギラ(Irma del Águila)という作家が『フシーアの島La isla de Fushía)』という小説を書いている。このペルー出身の女性作家は『緑の家』と同じ年、つまり1966年に生まれ、それからちょうど半世紀後の2016年にこの本を発表した。書評などは出てくるがネット書店では入手できない。読んでみたいものだ。


そもそも『緑の家』ということでは、作者自身の講演録『ある小説の秘められた歴史(Historia secreta de una novela)』(1971、講演自体は1968年に行なわれた)が基礎文献である。


「この小説[『緑の家』]は、私の国でも極めて異なる二つの場所を舞台にしている。ひとつはピウラで、沿岸地帯の最北部、大きな砂漠に囲まれている街だ。二つ目はサンタ・マリア・デ・ラ・ニエバで、ピウラからかなり離れたアマゾン地帯の極めて小さな交易地だ。」


「我が人生におけるこの小説の起源は23年前の1945年、私の家族がはじめてピウラについたときにある(このことはもちろん疑いようがないことである)。わずか1年しか住まず、その後母と私はリマに引っ越した。ピウラで過ごしたその年は、まだ9歳の鼻垂れ坊主であった私にとって決定的であった。」


などと語り出されている。ピウラ、マンガチェリーア地区、「緑の家」。一方、サンタ・マリア・デ・ニエバは上述の通り1957年に訪れ、その訪問中彼の頭に刻まれたのは伝道所だ。この伝道所は1940年代にスペイン人の修道女によって建てられたものだ。彼女たちはアグアルナ族とウアンビサ族に布教(文明化)していたのだが、大雨でポンゴが急流と化すと身動きが取れなくなってしまった。ここでもやっぱりポンゴ。


フシーアだが、どこかで読んだ記憶の通り、トゥシーアという人物の伝説を作者は聞き及んでいる。第二次世界大戦中、日系ペルー人が強制収容されるときに、そこから逃げ出した人物で、彼は密林地区で女性をはべらせていたという。


「トゥシーアはアグアルナ族の服装を着て、先住民のように顔を塗り、体にはベニノキとルピーニャ、大きなパーティを開き、踊ってはマサト酒を飲んで前後不覚になるまで酔っ払っていた」


こんな伝説に惹かれるのだから、のちにゴーギャンに向かったのは当然と言えば当然か。





【4月10日追記】

『緑の家』のフシーアの存在はトリックスターのようである。先住民たちと連帯し、彼らに協同組合まで組織させ、白人を驚かせた。白人たちは彼の足取りはつかめなかった。おそらくフシーアは一度もその姿を白人たちの前にあらわさなかったのだろう。略奪資本主義に抗するその姿に反植民地主義的な文章を書いたゴーギャンを重ねるのは無理があるだろうか。そんな彼は最終的にサン・パブロ療養所に行き着くわけだが(ゴーギャンはマルキーズ諸島で死んだ)、ここはエルネスト・ゲバラが学生時代に訪れたところでもあった。ゲバラが見た療養所には、さまざまな出自の人がいたのだろう。


【4月16日追記】






上に引用したバルガス=リョサ『ある小説の秘められた歴史』の書影。

書誌情報は


Mario Vargas Llosa, Historia de una novela secreta, Tusquets Editor, Barcelona, 1971.


2023年3月18日土曜日

3月18日 『緑の家』と『フィツカラルド』

ヴェルナー・ヘルツォークは『フィツカラルド』の台本作家としてバルガス=リョサにオファーしたが、『世界終末戦争』を書いている途中だったので断られたという。フィツカラルドは、実在したペルーのゴム商人・探検家カルロス・フィツカラルドをモデルにして、ペルーには彼の名前がつけられた地名もある。

ヘルツォークがバルガス=リョサに台本をオファーしたのは『緑の家』を読んでいたからで、この小説と映画には共通点が簡単に見つかる。イキートスにいて製氷業で財を成そうとするフィツカラルドを高く買っている白人のゴム事業主がいて、フィツカラルドは彼から船を買って川を遡行するのだが、この白人事業主の名前はアキリーノである。

『緑の家』ではブラジル出身の日系人フシーアが、白人事業者たちを出し抜いて先住民族からゴムを買う。その時組んだのがアキリーノという男である。このことによってそれまでの搾取ができなくなった白人事業者は対策を講じるわけだ。しかもこの白人たちはアマゾンを統治する行政当局、軍隊、治安警備隊と行動をともにしている。

フィツカラルドには愛人モリーがいて、彼女が彼の事業(まずは船の購入)に資金を調達するが、その原資は娼館経営である。モリーはイキートスに先住民系の少女を「教育」する目的で娼館を建てており、そこで優雅に暮らしている。『緑の家』では、少女の社会包摂は伝道所が担っているわけだが、確かに娼館「緑の家」も同じ役割がある。ボニファシアは伝道所にも「緑の家」にも庇護を求めるのだ。

そして小説と映画の共通点というか、アマゾン地域を理解する上でもおそらく必須のタームが「ポンゴ」である。映画では「ポンゴの急流」として出てきて、この地を支配したい白人にとって、いや、そもそも先住民とその神話体系に基づいた生を支える重要な要素であることがわかる。ストーリーはこのポンゴがなければ成り立たない。

『緑の家』でもポンゴ(pongo)は使われ(『フィツカラルド』ほどではないにせよ)、このブログでもすでに説明したが、ケチュア語由来のこの語は、日本語では「横谷(おうこく)」と谷の形状を示す用語で、「川の狭くなった危険なところ」という意味だ。小説ではほぼ冒頭と言ってよい箇所、サンタ・マリア・デ・ニエバを説明するときに、「pongo de Manseriche(マンセリーチェのポンゴ)」とある。


アマゾン地域には「〇〇のポンゴ」がたくさんあって、映画では、フィツカラルドが命の次に大切にしている地図を開くと、ある地点に「〇〇のポンゴ」と書かれている(〇〇がなんだったかは覚えていない)。

フィツカラルドはポンゴを避けるために、先住民を使って船の山越えを達成するが、その後、先住民たちが船のロープを切り、船は操舵手なしにポンゴに突入してしまう。

ちなみにポンゴには「農場で働く先住民の使用人」という意味もあり、アルゲーダスの短篇に「ポンゴの夢」というのがあるが、このポンゴは使用人の方。





2023年3月14日火曜日

3月14日 バルガス=リョサ『緑の家』

【『緑の家』について最初に書いたエントリーを書き換えたもの】

この小説はまず、全体が4部とエピローグで構成されている。要するに5部に分かれている。ここにすでにこの本の読み方が示されていると考えられる。『緑の家』と題された一つの小説に、5つの小説が入っているということである。いや、5つとはいえないのかもしれない。4つの小説とエピローグと理解するべきか。

いま日本語で「部」と書いたが、スペイン語では「Primera parte(1部)」とは書かれてなく、ただ単に、Uno, Dos, Tres, Cuatro, Epílogoと書いてあるだけだ。「Libro uno(第1の書)、「Libro dos(第2の書)」と理解できる。

その5部は、それぞれが基本的に4つの「Capítulo(章)」に分かれている。1章はCapítulo I、2章はCapítulo IIと、章番号にはローマ数字を使っている。

こうして、5(部)と4(章)という二つの数字が出てくる。そしてこの「部」を見ると、Kindle版の1部は以下のようになっている。

Uno

 Capítulo I

 Capítulo II

 Capítulo III

 Capítulo IV


Uno(1部)と書かれたページをめくると文章が始まり、そこは章番号が置かれていない。便宜上その部分を0章として、しばらく進むとその部分が終わり、1章がはじまる。

つまりこの0章にあたる部分は目次には見えない、隠された部分である。小説家がこういう隠された部分を置いたら、なんらかの意味づけがあるとみて間違いないだろう。

どういうことか。1部には、トータルで5つの塊があるのだが、可視的には4章ということだ。逆から言えば、4章しかないが、実際には5つの塊がある。

本全体に言えることがここでも繰り返されている。

つまり、5つに見えもするし、4つにも見える。章の頭にある0章というのは厳密には章ではない。0+4章、つまりプロローグ+4つの章である。本全体が4つの小説+エピローグであることと対応しているのだ。

次いで章を見ていくが、一つの章は、5つのフラグメントに分かれている。ここもが出てくる。しかも4つのフラグメントになる章もある。またである。フラグメントと言っているが、これもまた便宜的な言い方である。章の中では、フラグメントが変わるごとに1行空いている。1行の空白があり、人物・舞台が違ってくるので、フラグメントの見分けがつかない人はいない。

次いで章を構成する5つのフラグメントについての説明が必要だ。便宜的にアルファベットを使う(La casa verdeのスペイン語版ウィキペディアはこの方式を使っている)。

A 伝道所(ペルーの奥地サンタ・マリア・デ・ニエバ)

B フシーア(マラニョン川を航行中)

C 兵舎(ニエバよりさらに奥にあるボルハの駐屯地)

D アンセルモ(ピウラ)

E リトゥーマ(ピウラのマンガチェリーア地区)

以上は、1部1章にある5つのフラグメントをわかりやすく説明したものだ。Aの伝道所はサンタ・マリア・デ・ニエバにあるスペイン人修道女がいる場所だ。Bのフシーアは日系人で彼は川を移動中。Cはボルハにある駐屯地の兵舎で展開する。Dはピウラに「緑の家」という娼館を建てたアンセルモに焦点を当てている。Eは同じピウラでもマンガチェリーア地区にリトゥーマが帰還したエピソード。

5つの物語ではあるが、例えばピウラが2つのフラグメントで使われている。5つに見せて4つでもある。ここも『緑の家』全体が4部+エピローグであることと同じように見える。

別の見方をすると、AとCは内容として繋がっている。そうとればやはり5つに見えて4つである。

この本は5なのか、あるいは4+アルファなのか、ということを意識して読む必要がある。