1966年1月3日から15日まで、ハバナで大きな会議が開かれた。
三大陸人民連帯会議(スペイン語では、Primera conferencia tricontinental de la Habanaという表記が見られる)。
キューバではこの会議によって、アジア・アフリカ・ラテンアメリカ人民連帯機構(OSPAAL:Organización de Solidaridad de los Pueblos de África, Asia y América Latina)が設立される。
この会議のことは、以下の本で詳述される(134-145頁)。
ヴィジャイ・プラシャド『褐色の世界史』(粟飯原文子訳)、水声社、2013年。
ゲバラのメッセージが引用されるが、全文は以下の本に収録されている。
「三大陸人民連帯機構へのメッセージ」『ゲバラ選集4』(該当部分の訳者は不明)青木書店、1969年、192-205頁。
ゲバラのメッセージの冒頭は以下のとおり。
「今次世界大戦が終わってから、はや21年たつ。ありとあらゆる言語で書かれたさまざまな刊行物が、日本の敗北に象徴されたこの終戦を祝ったものである。」
ゲバラはこの後、21年の平和の間に「楽観的な風潮」が生まれたが、それを「不当」だとみなす。その理由は朝鮮とベトナムである。
El mundo cambia constantemente.
ラテンアメリカ文学、キューバの文学、カリブの文学などについてメモのようなものを書いています。忘れないように書いているというのもあるけれど、忘れてもいいように書いている。書くことは悪魔祓いみたいなもので、書くとあっさり忘れられる。それがいい。
Escribir es un acto de exorcismo. Escribir cura, alivia.
2018年4月21日土曜日
2018年4月11日水曜日
キューバ革命と黒人(2)
前回の続き
ストークリー・カーマイケル他『アメリカの黒い蜂起』(太田竜編訳)、三一書房、1968年。
本書の第IV章「暴動から革命へ」には1967年の夏、ストークリー・カーマイケルがハバナで開かれたラテンアメリカ人民連帯機構(OLAS)第1回総会演説が載っている。151〜165ページ。
題して「第二のベトナムはアメリカ大陸だ!」
この機構の第1回総会は1967年7月末から8月10日までハバナで開かれた。
われわれはすでに、プエルトリコが合衆国の経済的・軍事的利益のための支配から解放され、独立する闘争を援助するために、われわれに要求している行動を実行することを誓ってきた。さらにわれわれは、キューバをこの半球における輝かしい希望の実例とみなしている。われわれは、自分たちの闘争を現在の地図に示されている通りの合衆国の国境の枠内に限定されたものとは考えていない。そうではなく、われわれは、フエゴ島からアラスカに至る真のアメリカ合衆国が実現し、かつて抑圧されていたものが、ともに決起して解放された人民となる日を展望しているのだ。(156ページ)
前のエントリーで挙げたリロイ・ジョーンズのキューバ旅行記にはこんな文章がある。
《革命》という観念は、わたしには縁どおいものだった。それは、われわれ北アメリカ人が、公立学校以来、《理性》の冷厳な光にかざして見るように教えられてきたあの、考えられないほどに空想的なおよび(または)絶望的な観念の一つであった。そしてその理性なるものこそは、わが国の略奪的な《支配階級》が、お抱えのジャーナリストたちに金を払って伝播させているあらゆる種類の嫌悪すべき嘘なのである。(中略)広島のことを、まるで誰か他のものがやったことであるかのようにわれわれが考えることを、あるいはまたグアテマラの《反革命》を《その国内部の》問題であると漠然とわれわれが信じることを可能にしたところの、あの精神の腐敗である。(102ページ)
1960年7月、ジョーンズはシエラ・マエストラで行われたイベントに行き、カストロの演説を聞き、カストロと少し会話をした。そのイベントにはフランソワーズ・サガンも行っていたようだ。
ストークリー・カーマイケル他『アメリカの黒い蜂起』(太田竜編訳)、三一書房、1968年。
本書の第IV章「暴動から革命へ」には1967年の夏、ストークリー・カーマイケルがハバナで開かれたラテンアメリカ人民連帯機構(OLAS)第1回総会演説が載っている。151〜165ページ。
題して「第二のベトナムはアメリカ大陸だ!」
この機構の第1回総会は1967年7月末から8月10日までハバナで開かれた。
われわれはすでに、プエルトリコが合衆国の経済的・軍事的利益のための支配から解放され、独立する闘争を援助するために、われわれに要求している行動を実行することを誓ってきた。さらにわれわれは、キューバをこの半球における輝かしい希望の実例とみなしている。われわれは、自分たちの闘争を現在の地図に示されている通りの合衆国の国境の枠内に限定されたものとは考えていない。そうではなく、われわれは、フエゴ島からアラスカに至る真のアメリカ合衆国が実現し、かつて抑圧されていたものが、ともに決起して解放された人民となる日を展望しているのだ。(156ページ)
前のエントリーで挙げたリロイ・ジョーンズのキューバ旅行記にはこんな文章がある。
《革命》という観念は、わたしには縁どおいものだった。それは、われわれ北アメリカ人が、公立学校以来、《理性》の冷厳な光にかざして見るように教えられてきたあの、考えられないほどに空想的なおよび(または)絶望的な観念の一つであった。そしてその理性なるものこそは、わが国の略奪的な《支配階級》が、お抱えのジャーナリストたちに金を払って伝播させているあらゆる種類の嫌悪すべき嘘なのである。(中略)広島のことを、まるで誰か他のものがやったことであるかのようにわれわれが考えることを、あるいはまたグアテマラの《反革命》を《その国内部の》問題であると漠然とわれわれが信じることを可能にしたところの、あの精神の腐敗である。(102ページ)
1960年7月、ジョーンズはシエラ・マエストラで行われたイベントに行き、カストロの演説を聞き、カストロと少し会話をした。そのイベントにはフランソワーズ・サガンも行っていたようだ。
2018年4月7日土曜日
キューバ革命と黒人
着手しつつある、キューバ革命と黒人について。
以下の文献から読んでいる。
リロイ・ジョーンズ『根拠地』(木島始、黄寅秀訳)、せりか書房、1968年
1960年のキューバ旅行記が入っている。空港にはカブレラ=インファンテが出迎えに行っている。
アンジェラ・デービス『アンジェラ・デービス自伝 上下』(加地永都子訳)、現代評論社、1977年
これもキューバ訪問記が入っている。
中島和子『黒人の政治参加と第三世紀アメリカの出発』みすず書房、2011年
これには「キューバ革命とアメリカ黒人」という項がある(pp.56-63)。
その他に、ロバート・L・ジェンキンズ『マルコムX事典』(荒このみ訳)、丸善雄松堂、2008年、にもキューバ革命に絡んだ項目がある。
ストークリー・カーマイケルもキューバへ行っている。1967年の夏に3週間。以下の論文が参考になりそうだ。
Sarah, Seidman, "Tricontinental Routes of Solidarity: Stokely Carmichael in Cuba"
この論文の参考文献に名前の出てくるカルロス・ムーア。 この人の本では『フェラ・クティ自伝』が日本語になっている。
カルロス・ムーア『フェラ・クティ自伝』(菊池淳子訳)、KEN BOOKS、2013年
以下の文献から読んでいる。
リロイ・ジョーンズ『根拠地』(木島始、黄寅秀訳)、せりか書房、1968年
1960年のキューバ旅行記が入っている。空港にはカブレラ=インファンテが出迎えに行っている。
アンジェラ・デービス『アンジェラ・デービス自伝 上下』(加地永都子訳)、現代評論社、1977年
これもキューバ訪問記が入っている。
中島和子『黒人の政治参加と第三世紀アメリカの出発』みすず書房、2011年
これには「キューバ革命とアメリカ黒人」という項がある(pp.56-63)。
その他に、ロバート・L・ジェンキンズ『マルコムX事典』(荒このみ訳)、丸善雄松堂、2008年、にもキューバ革命に絡んだ項目がある。
ストークリー・カーマイケルもキューバへ行っている。1967年の夏に3週間。以下の論文が参考になりそうだ。
Sarah, Seidman, "Tricontinental Routes of Solidarity: Stokely Carmichael in Cuba"
この論文の参考文献に名前の出てくるカルロス・ムーア。 この人の本では『フェラ・クティ自伝』が日本語になっている。
カルロス・ムーア『フェラ・クティ自伝』(菊池淳子訳)、KEN BOOKS、2013年
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