2016年12月28日水曜日

キューバ映画(14)『De cierta manera』(1977)

タイトルは英訳では「One way or another」。

監督を務めたのは女性のサラ・ゴメス(Sará Gómez)。しかし完成前の1974年、彼女はわずか32歳で亡くなる。すでに何本も短篇映画を撮っていた彼女の最初の長篇映画は未完成に終わる。

トマス・グティエレス=アレアやフリオ・ガルシア・エスピノサが加わって完成させたのが1977年。
 
1962年、ハバナのスラム街ミラフローレス地区は、そこに暮らす人々の手によって新しい街区に作り変えられようとしていた。

映画はこの都市開発の現場をドキュメンタリー映像によって見せる。そこに、マリオとジョランダという男女の恋愛がフィクション映像として挿入されてくる。

ドキュメンタリー映像に挟まれることで、フィクションである「男と女のロマンス」はキューバの現実に接続される。

用いられるドキュメンタリー映像には、サンテリーアやアバクアなどアフロ系宗教儀礼もあり(監督のサラ・ゴメスはアフロ系)、キューバ文化の多様な側面を見せる教育的・啓蒙的機能も持っている。

女性教師ジョランダは中流階級出身。革命理念の実現に邁進するが、これまでに出会ったことのない貧困地区の子どもたちを見て当惑する。

工場労働者マリオは典型的なマッチョだが、ジョランダと出会い、新しい価値観に目覚めていく。

革命による男女の価値観の変化という主題をもっとわかりやすくしたのが、グティエレス=アレアの『Hasta cierto punto』だろう(2015年7月6日のエントリー)。

この映画はそこに人種(アフロ系)も持ち込んでいる。会話がとても聞き取りにくいので内容が理解不足のところもある。もう少し調べてみたい。

(この項、続く)

2016年12月26日月曜日

キューバ映画(13)『革命の物語』(Historias de la Revolución)

1960年のキューバ映画『革命の物語』を見た。

こちらの文章を参考に、幾つか情報を整理しておく。

公開は同じ年の12月30日。

ICAIC(キューバ映画公社)が最初に製作した映画ということになっているが、実際にはこの映画よりも前に完成していた映画がすでにあったらしい。

内容的に革命を扱ったこちらを先に公開するのが適切とみなされ、結果としてこれがICAIC「最初の」映画になった。

監督はトマス・グティエレス=アレア。1928年生まれの彼が最初に撮った長篇映画でもある。

映画は3部構成で、1957年のハバナを舞台とする「負傷者」、1958年ごろのシエラ・マエストラで展開する「反逆者たち」、そして最後は1958年12月の「サンタ・クラーラの戦闘」。最後のパートで革命が成就する。

こういう構成はロッセーリーニ『戦火のかなた』を参考にしたものだ。

構想ではもう2つのエピソードが加わるはずだった。その部分の監督としてはあの有名なホセ・ミゲル・ガルシア・アスコー(José Miguel García Ascot)が予定されていたが、結局別の映画を撮ることになる(『Cuba 58』というもので、これについてはまた改めて紹介する)。

「負傷者」はのちの『低開発の記憶』と似て、富裕層の青年が革命運動に距離をとることによってもたらされる悲劇。「反逆者たち」と「サンタ・クラーラの戦闘」はそれぞれ山中と都市での反乱軍とバティスタ軍の戦いで、一見戦争映画といった趣き。

映画は最後、革命に勝利したものの、反乱軍にいた夫が戦死したことを知った妻の表情を映して終わる。

涙を流してうつむいていた妻テレサは、涙を拭いて正面を見据える。つまり、犠牲はあったが革命による美しい未来を信じる肯定的人間を描いて終わるわけだ。

音楽が素晴らしい。カルロス・ファリーニャス(Carlos Fariñas)、 アロルド・グラマヘス(Harold Gramatges)、レオ・ブローウェル(Leo Brower)。

2016年12月19日月曜日

シンポジウム「社会主義リアリズムの国際比較」

12月18日はこのイベントに足を運んだ。

4名の発表はどれも興味深いもので、勉強になった。

キューバでも公式芸術としての社会主義リアリズムが取りざたされたこともあるので発表を聞きながら色々と考えた。チェ・ゲバラの「キューバにおける社会主義と人間」などがある。

考えているのは、以下の3点。

社会主義における芸術のあり方:統治サイドから発せられる言葉に対して芸術論を展開する知識人がどういう役割を果たすのかなど。これはキューバの場合、1961年6月に勃発し、それ以降、未だになんだかんだと話題になる。

社会主義リアリズムとは何か:これは難しい。革命を支える「大衆」(ゲバラ)に何らかの現実と未来を、「真実さ」とともに伝える可能性をめぐる議論につながる。ゲバラは19世紀リアリズムを資本主義と結びつけている。

社会主義における芸術と政治:一旦作り出された芸術が現実の政治と関わってしまう事態。検閲がある時、くぐり抜けるレトリックとその読み解きの問題。

スペイン語圏やラテンアメリカで言えば、 フランコやピノチェト、軍政、独裁などの時期に取り組まれた芸術様式について考えたくなる。

ビクトル・エリセやグティエレス=アレアのリアリズムはどうだろうか。

アヴァンギャルド芸術家が社会主義下の国で何をなすか。伝統芸術、古典との距離感。キューバの場合、植民地状態から抜け出す民族的自立の中での芸術。

というわけで、キューバ革命成立後の映画などをみはじめている。

2016年12月14日水曜日

キューバ文学(40)

 キューバで手に入れた本から。

Ramírez Cañedo, Elier(Compilación), Un texto absolutamente vigenge: A 55 años de Palabras a los intelectuales, Ediciones Unión, 2016.

1961年6月16日、23日、30日にハバナの国立図書館で行われた知識人たちとの議論を経てフィデル・カストロが出した答えが「知識人への言葉」。2016年はそれから55年。

この本には、カストロのその言葉が巻頭に収められているほか、アンブローシオ・フォルネー(ホルヘ・フェルネーの父)、フェルナンデス=レタマールやナンシー・モレホン、フェルナンド・ロハス(ラファエル・ロハスの兄でキューバ文化省副大臣)などの論考やインタビューが入っている。

「55年」という数字に何か意味があるのかと思って開いてみたが、そうでもない。初出のものはほとんどなくて、これまでに発表されたものを2016年に集めたということ。

Richard Ruiz Julién, Kilómetro 0: La desintegración de la URSS: una visión desde Cuba, Editorial José Martí, 2015.

ソ連崩壊をどう受け止めたのか、について考えた著者がソ連に関わりのあるキューバ人にインタビューし、それをまとめたもの。

Rodríguez Febles, Ulises, Minsk, Ediciones Unión, 2014.

著者は1968年生まれ。インタビューは例えばここで
ミンスクは小説中の人物がオートバイにつけた名前。
書評は例えばこのサイトで。キューバとソ連の関わりについての情報やコラムが満載。

(この項、続く)

2016年12月6日火曜日

キューバ映画(12)『ハバナ』(Jana Bokova監督)

1990年、チェコ人の女性監督Jana Bokovaによって『ハバナ(Havana)』というドキュメンタリーがBBCの協力も得て制作された。

1989年より前のキューバ国内を映したものとして極めて貴重である。また、マイアミを訪れたレイナルド・アレナスのインタビューが含まれていることもこのフィルムの価値を高めているようだ。

アレナスの姿は、すでにネストル・アルメンドロスの『インプロパー・コンダクト』(1984)で見ることができる。『ハバナ』で話している内容もほとんど同じである。

キューバの文学者からの引用を挟みながら話は進む。アレナスの「パレードが始まる」、ピニェーラの「山」、ニコラス・ギジェンの「ソン、ナンバー6」、カルペンティエル「種への旅」、レサマ・リマ、カブレラ・インファンテなどが引用される。

インタビューされる作家としてドゥルセ・マリア・ロイナスが出てくる。1902年生まれの詩人がベダード地区の大邸宅の中で孤独に暮らしている様子だ。こんな風に外とは隔絶して死んでいった白人たちは大勢いたのだろうと思った。このシーンだけはYoutubeにある。後半バックに流れるのはエルネスト・レクォーナのCrisantemoだ。

作家パブロ・アルマンド・フェルナンデスも出てくる。 カストロの演説が聞こえてきたり、7月に行われるカーニバルの映像もあるし、その他アフロキューバ文化の音楽や踊り(ルンバ)も見ることが可能だ。

映像は飾り気もなければ工夫もなくて、とても質素だ。『インプロパー・コンダクト』のような政治的主張が中心にあるのではない。とはいえ冒頭はハバナの古いビルで起きた床崩落の話だから気が滅入る。

最後のシーンでハッとした。アレナスの「パレードは終わる」の朗読とともに、ハバナのマレコン(海岸通り)が映されるからだ。

ジュリアン・シュナーベルの『夜になるまえに』を見た人は驚くだろう。アレナスが病院からニューヨークの自宅に帰宅するところとまるで同じなのだ。引用されるところも全く同じ。

朗読の仕方は『夜になるまえに』のハビエル・バルデムよりも慎ましく、映画全体と同じ様に素人っぽい。シュナーベルは間違いなくこのドキュメンタリーを見ただろう。そして同じことをやるしかなかったのだと思う。

2016年12月4日日曜日

ポスト11月25日

1956年11月25日はグランマ号がメキシコを出発した日だった。
2016年11月25日はブラック・フライデーだった。

SNSでは、反資本主義と闘った人物が最も資本主義的な日に死んだアイロニーが話題になった。

その11月25日のフィデル・カストロ死去以降、様々な発言がなされているが、リンクをまとめておく。

カサ・デ・ラス・アメリカスが出した声明はこちら

Cubaencuentroにはかなりの記事がアップされている。

ジョアニ・サンチェスのツィッターはこちら

ラファエル・ロハスの『エル・パイース』紙掲載原稿はこちら

スラヴォイ・ジジェクの『エル・ムンド』紙掲載原稿はこちら。タイトルは「遅れた20世紀の終わり」。

ホブズボームは「短い20世紀」(1914から1991)と呼んだが、2016年までと考えればほぼ100年である。

ジジェクは言う。「私がキューバに批判的なのは、アンチ共産主義者だからではない、私が引き続き共産主義者だからだ。」

バルガス=リョサ、エクトル・アバッド・ファシオリンセ他、ラテンアメリカ作家たちのコメントはこちら

ラウル・リベーロはこちら

フアン・クルスはこちら。ピニェーラに言及。

ソエ・バルデスはこちら

El nuevo heraldのキューバ関係はこちら

(随時更新予定)

キューバ文学(39)アントニオ・ホセ・ポンテ新作間近

アントニオ・ホセ・ポンテが新作を発表するらしい。

題して、『テンペスト、プロスペローの蔵書』(La Tempestá, una biblioteca de prósperos)。

プロスペローと訳したが、小文字で始まっているし複数形なので多義的に使われているのだろう。

『Diario de Cuba』によると、ラテンアメリカにおける『テンペスト』の読みに始まり、ルベン・ダリーオ、レサマ・リマ、エンリケ・ロドー、カルペンティエル、フェルナンド・オルティス、アントニオ・ベニーテス・ロホ、リディア・カブレラ、カブレラ・インファンテ、レイナルド・アレナス、フェルナンデス・レタマールをめぐる文学論とのこと。

この本をめぐって12月8日にNYUでトークショーを開く。聞き手は当然、開口一番彼が何を言うのかを期待してしまうのだが。
 

カリブ文学(2)文献紹介

Alonso, Vitalina, Ellas hablan de la Isla, Ediciones Unión, La Habana, 2002.

スペイン語圏カリブ女性作家のインタビュー集。登場するのは以下の作家たち。

イルダ・ペレラ(Hilda Perera, 1926年生まれ、ハバナ、キューバ)

ミレヤ・ロブレス(Mireya Robles, 1934年生まれ、グアンタナモ、キューバ)

ニチョラサ・モール(Nicholasa Mohr, 1935年生まれ、ニューヨーク)

ウバ・デ・アラゴン(Uva de Aragón, 1944年生まれ、ハバナ、キューバ)

フリア・アルバレス(Julia Álvarez, 1950年生まれ、ニューヨーク)

エスメラルダ・サンティアゴ(Esmeralda Santiago, 1948年生まれ、サントゥルセ、プエルト・リコ)

マイラ・モンテーロ(Mayra Montero, 1952年生まれ、ハバナ、キューバ)

フディット・オルティス・コフェール(Judiht Ortiz Cofer, 1952年生まれ、オルミゲーロス、プエルト・リコ)

マリセルマ・コスタ(Marithelma Costa, 1955年生まれ、サン・フアン、プエルト・リコ)

アーチイ・オベハス(Archy Obejas, 1956年生まれ、ハバナ、キューバ)

クリスティーナ・ガルシア(Cristina García, 1958年生まれ、ハバナ、キューバ)

カルメン・ドゥアルテ(Carmen Duarte, 1959年生まれ、ハバナ、キューバ)

序文の一部はここで読める。