2015年2月17日火曜日

カーニバル

2015年のカーニバルは2月17日(火曜日)で終わる。

明日はいよいよ灰の水曜日(Miércoles de ceniza)だ。


コロンビアでは大統領も額に灰の十字をつけていたりした。最初見たときは驚いたものだ。


火曜日の夜、「ホセリートの埋葬」の演し物を眺めていると、とてつもなく寂しくなる。


カーニバルも終わったなあとホテルに戻ると、よそ者にはもう何もやることがない。


昔、ある雑誌に少し書いたが(『群像』2010年11月号、「カーニバルと墓地」)、カーニバルの楽しさは土曜から火曜までの4日間ではない。


前年末の女王の戴冠にはじまり、1月半ばには女王によるカーニバル期間の開始を宣言するお触れがある。それから数週間をかけて街に雰囲気が醸成されていく。


夕方になると、空き地や公園で来るべき日に向けたパレードの予行演習が繰り広げられる。

週末にはあちこちに設けられた即席ディスコのスピーカーから、大音量で何種類もの音楽が同時に鳴り響く。


そのそばを、もううんざりだという目をして避けるように通り過ぎていく人たちがいる。

この週末ごとの即席ディスコでのお遊びが一番気分がいい。何しろカーニバルはまだ先で、いつまでもこの楽しさが続くような気がする。


もしもカーニバルを書くのなら、4日間よりも、このときのバランキーリャの潮風の心地よさや、のんびりとしたパレードの練習や、バスのなかで流れるラジオDJの「カルナバル・デ・バランキーリャアア」という絶叫のほうがいいと思っている。

といってそうそういいものは書けない。


エドウィージ・ダンティカの『アフター・ザ・ダンスーハイチ、カーニヴァルへの旅』がいまのところ日本語で読める最高のカーニバル紀行文学だ。

ハイチにはバランキラ大通りという通りがあって、それは対岸のバランキーリャからとられたそうだ。


バランキーリャはカーニバルが終わると、翌日から信じられないほど暑くなる。12月から吹き始めたカリブの潮風はもう吹かない。

2015年2月8日日曜日

愛しのキューバ(フアン・ゴイティソロ)

キューバと米国の交渉が始まったことに、スペインの作家フアン・ゴイティソロもエル・パイース紙のコラムでコメントしている。

題して「愛しのキューバ Queremos tanto a Cuba」。2015年1月15日付。

http://elpais.com/elpais/2015/01/15/opinion/1421341270_942571.html

4年前、マラケシュのフアン・ゴイティソロのもとを、カストロのかつての仲間が訪ねてきた。会ってみると、1961年にキューバを訪れたときに知り合った男だとすぐにわかった。

しばし語り合ったのち、男はゴイティソロにおおむね以下のようなことを聞く。「あなたはキューバの何に反対しているのか?いまは、60年代や70年代のような同性愛者の迫害もない、アフリカ系の宗教は自由に信じることができる。それなのになぜキューバ人に対して不信なのだ?」

ゴイティソロは答える。「私は権力を握り続ける体制とキューバ人一般を区別している。私が経験したキューバはいつも私のなかに生き続け、とても懐かしく思い出す。しかし体制に対する考え方は変わらない。そのことを短時間であなたに語ることはできない。」

ゴイティソロは男と語りながら思い出す。ビルヒリオ・ピニェーラ、レイナルド・アレナス、カルベルト・カセイ、カブレラ・インファンテを。彼らは最初は革命を信奉したが、のちに悲惨な目にあった作家たちだ。

アメリカとの国交正常化交渉はキューバの島に変化をもたらすのか。

ゴイティソロは、中期的にはよい変化をもたらすことになると考えている。

「キューバ社会は70年代から80年代にそうだったように一枚岩ではない。 人権活動家たちの勇敢な仕事は島のなかに小さな自由な空間を開いた。経済の自由化やパスポート発行といった控えめな政策もまた、拘束服から自由になることを望む市民社会にとって新たな道を切り開いている。」

言及される活動家はジョアニ・サンチェス(Yoani Sánchez, 1975〜)だ。彼女はブロガー、コラムニストとして島の内部から声を出し続けてきた。2年前だったかと思うが、島を出て、アメリカ大陸、ヨーロッパ各地を遠征し、至る所で講演会、シンポジウム、集会に参加、出席し、キューバの現状を訴えてきた。

「北米やヨーロッパからの多くの観光客との接触や、SNSを通じての外部との接触によって、70年代のスペインのように新しい、戻ることのできない状況が作られるだろう。」


ところで、「愛しのキューバ Queremos tanto a Cuba」というタイトルは、フリオ・コルタサルの本「Queremos tanto a Glenda 愛しのグレンダ」からとられているのだろう。

この表現がとても気になる。queremos(quererの1人称複数形)という動詞には「愛する」という意味と「欲する」という意味がある。


ということは、このタイトルは「おれたちはこんなにまでキューバが欲しい」という意味にもなる。

こんな表現が出てきてしまうところにキューバが抱える問題がある。

おれたちはこんなにもキューバを手に入れたい。

なぜキューバに関わった人は、キューバを欲しがり、自分のものに、独占しようとするのか。キューバをめぐる戦争はすべて所有権に関する争いだ。

ゴイティソロも結局キューバが欲しいのだ。「開かれた複数形の社会(una sociedad abierta y plural)」をのぞみながらも、「Queremos a Cuba(おれたちにキューバをくれよ)」と言ってしまう。この1人称複数形(われわれ)とは誰のことなのだろうか?ゴイティソロはスペイン人だ。キューバはスペインのものだった。

キューバに対する思いを、全体を所有することでない形で、つまり分有の思想で表現できないものか。

2015年2月4日水曜日

プロスペローとキャリバンの対話

亡命キューバ作家イバン・デ・ラ・ヌエスはエル・パイース紙に「プロスペローとキャリバンーー驚きの章」と題する文章を発表した。

内容はキューバとアメリカ合衆国の国交正常化交渉について。掲載は2014年12月21日付け。

 http://internacional.elpais.com/internacional/2014/12/20/actualidad/1419113292_523818.html

以下はその簡単な要約。
 
カリブの作家たちは、シェイクスピア『テンペスト』のプロスペローをアメリカ合衆国、エアリアルをヨーロッパ、キャリバンをキューバに割り振ってきた。

その構図で見ると、冷戦下プロスペローとキャリバンは対話不能だったが、エアリアルたるヨーロッパが、キューバのとりうる適切な未来モデルを提示する役割を果たしてきた。

その未来モデルとはヨーロッパが経験した、ソビエト化、スペイン民主化、ポスト共産主義ショック、社会民主主義の隆盛(フランスのミッテラン、スペインのフェリペ・ゴンサレス、スウェーデンのオロフ・パルメ)などだ。

ところが今回の動きはエアリアルの振る舞いをすべて無に帰した。

「『テンペスト』の三角関係に変更を加え、対話の不可能な二人、プロスペローとキャリバンに通訳者なしで会話をさせる決定」が下されたのだ、とイバンは言う。

従来の脚本では、国交正常化交渉はいちばん最後の場面として書かれていた。まずは複数政党制による選挙、経済封鎖の停止、そして国交正常化という順番だった。逆からはじまったこの劇は、今後、脚本なしの劇になる。

キューバとアメリカ合衆国では「人権」も「民主主義」も意味が違う。この会話が成り立つのかどうか。

今後はグアンタナモ基地の返還や、亡命キューバ人・反体制派が島の内部に生きていく場所があるのか、が問題になる。

だが、少なくともこの交渉はいい知らせだと受け取っている人が少なくない.......。

おおむね以上のような内容。イバンはいい知らせだと受け取りつつも、かなり慎重だ。

やはりスペインに亡命しているキューバ人としては、仲介者としてのエアリアル(=ヨーロッパ)に期待するところがあったのではないか。

その期待は挫かれ、プロスペロー(=アメリカ)との直接対話に持ち込まれたことに不安を感じ取っている(と、私は思う)。

イバンは、サルトルにも言及して、彼がキューバはアメリカ離れをしてフランス化するべきだと考えていたことを好意的に見ている。

やはりキューバがヨーロッパ抜きにアメリカ化していくことへの不安がイバンにはありそうだ。

キューバが対外関係を構築するとき、アメリカが前面にでてくるのなら、結局1898年の米西戦争後のプエルト・リコ領有と同じことになるのか。

米西戦争後のパリ条約にはアメリカとスペインが出たが、プエルト・リコもキューバも呼ばれなかった。

今回、ロシアはどうするのか。まさかロシアと米で調印することにはなるまいが。 

2015年2月1日日曜日

第二回国際カリブ学会について

アルゼンチンのコルドバで2015年4月8日から10日まで、カリブに関する国際学会が開かれる。


主催はアルゼンチンのラプラタ大学とコルドバ大学。

大会のURLは以下のとおりで、現在発表者を募集中。

http://ahbx.eu/ahbx/?p=8195

テーマ別に9セッションに分かれていて、発表者はセッションを第2希望まで選んで申し込む。

セッションのコンセプトを日本語で解釈してみた。

第1セッション:カリブの表象(Imágenes del Caribe)

  歴史、文学、文学批評などで、カリブがどのように表象されてきたのかについてを考える。
 →文学研究者や表象系の人が発表するとしたらここ。

第2セッション:試論の場としてのカリブ(El Caribe, un ensayo de ideas)

 カリブ論の検討がメイン。

 →グリッサン、クレオール論など思想的な観点でカリブを論じている人向き。

第3セッション:歴史から見たカリブ

 植民化、奴隷制、プランテーションなどカリブに共通する歴史経験を中心に考える。
 →歴史学者や経済学者など社会科学的観点からカリブを見ている人はここか。

第4セッション:フランス語圏カリブ
 その名の通りハイチやマルチニーク、グアドループ、仏領ギアナなどフランス語圏カリブについて。
 →文学でもOKなので、マリーズ・コンデの研究している人などはここにいける。

第5セッション:英語圏カリブ
 第四セッションと同じで、英語圏カリブなら何でも。

第6セッション: カリブの文学的伝統についての読みの系譜
 ここはややわかりにくい。 セッションの説明にはこのようにある。

「カリブ文学は、大陸他地域の文学と間ディスクール的、間テクスト的な結びつきを有し、共有する想像性(un imaginario compartido)に基盤を置いた文化的共同体を形成してきた。このセッションでは、カリブの文学的伝統の正統性に貢献した読みの系譜と行程を検討し、以下のプロセスを分析する。移住、主題の移転と変容、戦略、方法。」
 
ここでは移住(migración)だけが具体的に見える。セッションの説明にはさらに続く。以下のような項目を検討するとのこと。

・20世紀の終わりから21世紀初頭のカリブ文学の伝統の創造、選択、形成、変容プロセス。
・カリブにおける(あるいはカリブの)文学的キャノンの読み、脱構築、読み直し、再定義プロセス。
・新しい伝統の構築と正統化における未来性(futuridad)の系統、ジャンル、装置。
・カリブ文学のアーカイブ、コーパス、レパートリーと、他地域の文学との結びつき。
・文学的伝統と、パフォーマンス、ビデオ芸術、テクノ詩のような芸術的実践の交差。

→カリブの文学的伝統というのがどういうものなのか、ぱっとは浮かばない。

 カリブ文学がどのように語られてきたか、何をカリブ文学としてきたのかについて、つまり「カリブ文学」の表象を検討するということであれば、なんとなく分かるような気がする。

 「大陸他地域」とあるのは、アメリカ大陸であると考えていいので、《新大陸の文学》と《カリブの文学》のディスクールに共有するものがあり、そこから浮かび上がる《文化的共同体》。そのような共同体があることを前提として、ずれている部分を浮かび上がらせるセッションだろう。文学以外の芸術形式に関する研究も入っている。テクノ詩!


第7セッション:カリブという領土性[縄張り](Territorialidades del Caribe)

 「カリブ文学を省察するために、比較的静的な空間性を許容していた概念があったが、昨今のエクリチュールはそれらの概念を問題化している。とくにこれらのエクリチュールは、枠組みとしての(20世紀半ばごろに構築された)ラテンアメリカ主義という広大な企図によって引かれる線から外れている。ラテンアメリカの神話的都市(ハバナ)や島嶼主義(insularismo)というような想像的空間はとくに、昨今の美学的企図においては砕け、壊され、散種している。」

・崩壊した都市の形式(Formas urbanas disruptoras):都市、周縁、スラム、非場所。
・廃墟、タトゥー、重ね書き羊皮紙(パランプセスト)。島という身体を現在から再記述すること。
・散種された島。 21世紀のカリブ・ディアスポラのエクリチュールにおける島嶼主義の再検討。
・ 多様な、断片化された領土性と時間性。緊張と争い。
・他の芸術(映画、絵画、音楽)と文学との対話における現在の領土性
・ 現在のカリブ文学の検討。移住性、超国家性、潜在性という文脈における概念規定のリスク。

 →このセッションはかなり理論的である。島や都市を歴史のパランプセストとして読む、あるいはカリブを廃墟、スラム、非場所としてとらえる動きは昨今急速に進んでいる。

第8セッション:文学と革命
 文学と政治をテーマにして、作家や知識人とキューバ革命とのかかわりをさぐるもの。

→とくに「カリブ」という概念を考えるセッションではないが、キューバ革命を人文的な知がどのようにとらえてきたかを見直すのが主眼のようだ。

第9セッション:現代カリブ文化における亡命、ディアスポラ、境界。
移動の方法であるディアスポラや亡命は、(カリブ文化を描く)題材となるだけでなく、移動性、意味の交差、多様性を刻印された文化を形作っている。

・境界概念の問題化
・旅の詩学
・中心/周縁の関係
・帰還という神話
・文学、言語、国家の関係

→このセッションも理論的で、特定の固有名詞を論じる発表には向かないと思われる。

以上、9セッション。
発表希望者は要旨(300語)を2月16日までにcongresocaribe2015@gmail.comまで。

海外からの参加者はUS100ドルが必要。

発表言語の指定はないが、おそらくスペイン語。ポルトガル語もOKだと思う。