2015年4月26日日曜日

ロシア生活百科事典とシベリアの女

キューバ人作家によるソ連ものの本が二冊届いた。

ひとつはホセ・マヌエル・プリエト(1962〜)の本である。

Prieto, José Manuel, Enciclopedia de una vida en Rusia, Mondadori, Barceona, 2004.

1997年に初版が出ているようだ。170ページほどの本。

日本語に訳せば、『ロシア生活百科事典』となる。実際、アルファベット順でAからZまでの項目が立っている。

Aの項目にあるのは、Ábaco, Aglaia y Mishkin, Aldea, Aqua vitaeの四つ。

Bの項目にあるのは、Babionki, Baden Baden, Biblioesfera, Bogatir, Boogie shoes, Bosques de coníferas, Brillant corners, Brodiaga。

本当は項目を一つくらい翻訳しようと思った。しかし読んでみて、ロシア語が頻出するので、一筋縄ではいかないことがわかった。項目に上がっている単語すら何のことなのかわからない。ロシアの地名、作家名に限らず、ロシア語を、普通のアルファベットに置き換えたと思われる単語があちこちにちりばめられている。

たとえば、My zhibiom pod soboyu nie shuya strani.とある。

この文の場合、あとにスペイン語で、Vivimos sin sentir el país bajo nuestros pies.とあるので、「我々は足下に国があるのを感じないで生きている」という意味なのだろう。

ぱらぱらめくった限りでは、舞台はサンクトペテルブルク、時代は1991年、外国人男がロシア女性と出会うという物語が断片化されて書かれていることがわかる。

 もう一冊は、ヘスス・ディアスの本。1941年ハバナに生まれ、2002年にマドリードで死んだ作家。

マドリードでは、亡命キューバ人雑誌『Encuentro de la cultura cubana』を立ち上げ、編集人をつとめていた。

亡命前は、作家としても映画監督としても活躍していた。小説では『Los años duros』(1966)が革命派の作品として知られている。亡命したのは1989年前後だったはずで、その後、『La piel y las máscaras』などの作品がある。経歴を見たら、ハバナ大学やベルリンの映画学校で教えていたことがあることがわかった。

その彼がソ連ものを書いていて、それが今回届いた本。

Díaz, Jesús, Siberiana, Espasa Calpe, Madrid, 2000.

裏表紙の内容紹介によると、キューバの黒人が鉄道建設のルポを書こうとシベリアに赴き、出会ったスペインとロシアのハーフの女性に恋に落ちるというものだ。『シベリアの女』はそのハーフの女性を指すのだろう。ディアスは1977年にシベリアに足を運んでいる。

小説は、ツポレフ140に乗って、ハバナを出発してモスクワに向かうシーンから始まる。

2015年4月23日木曜日

キューバのソ連時代[4月24日追記]



キューバに関する文献が届いている。

「Revista Iberoamericana」243号はキューバ、ドミニカ共和国などの文学が特集。Gustavo Perez-Firmat, Rafael Rojasなどの名前がある。

 そのなかで、特にいま気になったものは以下の論文。

Damaris Puñales-Alpízar, "Soy Cuba, Océano y Lisanka: De lo alegórico a lo cotidiano. Transformaciones en las coproducciones cubano-soviético-rusas", Revista Iberoamericana, 243号(2013, abril-junio).

 これはキューバとソ連の合作映画に関する研究論文で、3本の映画が分析されている。『Soy Cuba』, 『Océano』, 『Lisanka』である。

『Soy Cuba』は日本語の字幕がついたものも売られている(確か)1960年代の映画で、これは革命プロパガンダ映画であり、しかも芸術性も高い貴重な映画だ。残りの2本は21世紀に入ってからのもので、未見である。現地に行かないかぎり、簡単には手に入らないのではないか。

 『Soy Cuba』について、それなりに書かれているので参考になる。

 近年、キューバのソ連時代(こういう言い方でいいのかどうかわからないが、ついそう言いたくなる)についての研究が盛んに行なわれている。

 そのなかの文献で必読は以下のもの。

 Jacqueline Loss, Dreaming in Russian: The Cuban Soviet Imaginary, University of Texas Press, 2013.

とくにこのなかの第3章では、ソ連経験のある作家の小説作品を中心に論じられる。

 そして、ロシア経験のある作家のなかでも、ホセ・マヌエル・プリエトJosé Manuel Prietoの存在を際立たせている。

 1962年ハバナ生まれ。シベリアの首都と言われるノヴォシビルスクで技術系の勉強をする。合計で12年間ソ連に住み、その後メキシコシティへ移っている。

 この作家のことは前から調べていた。彼の作品で重要なのは以下の2冊だと言われている。

Livadavia, Mondadori, 1999.

Rex, Anagrama, 2007.

 そこへきて、以下のタイトルのものが見つかったので注文しておいたら届いた。

 Treinta días en Moscú(モスクワでの30日), Mondadori, 2001.

 タイトルからして、プリエトがソ連にいたときのことを書いているのかと思ったら、どうやらそうではなさそうだ。2000年の7月に一ヶ月滞在したときのことらしい。

 これを見て、ハッと思い出した。先日メデジンで会ったエクトル・アバッド・ファシオリンセの『オリエントはカイロに始まる』の執筆経緯である。

 出版社のオファーである都市に滞在して、その都市を書くという企画ものだ。エクトルは東京かカイロかを迷ってカイロを選んだ。

 ホセ・マヌエル・プリエトはこの企画に乗って、かつて自分が住んだロシアからモスクワを選んだのだ。

 ちなみにサンティアゴ・ガンボア(コロンビア)は北京を選んで書いている。

 推測だが、プリエトは、ベルリンの壁崩壊以降のソ連を見ようと思って、モスクワを選んだのではないか。

 ホセ・マヌエル・プリエトはまとめて読みたい。どうしても読みたい。

 さらにもう一冊届いた。

 Ariana Hernández-Reguant(ed.), Cuba in the special period: Culture and Ideology in the 1990s, Palgrave macmillan, 2009.

 これをめくっていたら、目次に以下の論文があった。

 Jacqueline Loss, "Wandering in Russian"

先にあげたキューバのソ連時代の研究書の著者の論文だ。タイトルもとてもよく似ている。本のほうは「ロシア語で夢を見る」で、こちらの論文は「ロシア語でさまよう」である。

 こうしてつながった。

 さらにもう一冊届いた。

Holly Block(ed.), Art Cuba: The New Generation, Harry N. Abrams, Inc., 2001.

 先日どこかで触れた、カルロス・ガライコアの作品なども収録する美術書である。このなかには、Tania Brugueraというこのまえハバナで一時的に拘束されたパフォーマーも含まれている。

[追記]

 上の文章を書きながら、もう一冊キューバのソ連時代の本があったはずだと思っていたが、見当たらなかった。調べてみたらKindle版でもっていた。

 編者はなんとJacqueline LossとJosé Manuel Prietoの二人だった。

 Cavier with Rum: Cuba-USSR and the Post-Soviet Experience, Palgrave macmillan, 2012.

 
 

2015年4月17日金曜日

続いている本

読めもしないのに、相変わらず本だけは届き続けている。

今日はそのうちの2冊をメモがわりに。

Yoani Sánchez, Cuba Libre: Vivir y escribir en La Habana, Debate, 2010. México, D.F.

著者ジョアニ・サンチェス(1975生まれ)は、キューバのブロガー、活動家である。彼女の日記(ブログにのせたもの)を一冊にまとめたもの。島のなかから発信を続ける、いまや著名すぎるほどのジャーナリスト。共産主義キューバのメディアのイメージを根底から覆した人といっていいと思う。

目次を見ると、2007年から2009年までのもののようだ。

2012年か13年、彼女ははじめて国を出て、文字通り世界を駆け巡った。行く先々で講演、インタビューなどを受けた。彼女を囲んでのディスカッションも数多く開かれた。その模様はYoutubeや、その他さまざまなメディアが生で放送した。

数ヶ月に渡ったかと思われる講演旅行後、彼女はキューバに戻り、いままた発信を続けている。この前のパナマでのオバマ、カストロ会談も間近で見たはずだ。

そしてもう一冊。

Antonio José Ponte, Villa Marista en plata: Arte, Política, nuevas tecnologías, Editorial Colibrí, Madrid, 2010.

アントニオ・ホセ・ポンテの文章には何年か前に出会って、どぎもを抜かれたというか、脳天くい打ち的なショックを受けた。

時に、とても難しい文章を書く人だ。しかしどの文章も考え抜かれた末に書かれていて、奥の深さに恐ろしさを覚えた。これほどの文章家を生み出すキューバよ、おまえはいったいどうなっているのだ!
 
1964年にキューバに生まれた人だから、いま51歳ということになる。亡命してマドリードに住んでいる。

 この本はフィデル・カストロが表舞台から去った時期のことを扱っている。上のジョアニ・サンチェスの本とほぼ同時期といってもいいだろう。それだけでなく、キューバ国家による暴力を視覚的に表現したアーティストたちのことを書いてもいて、その作品の写真なども載っている。

本のタイトル、ビジャ・マリスタは反体制派の送られた場所で、カルロス・ガライコアの作品であるビジャ・マリスタの模型の写真を見ることができる。

 この本は古本で買ったのだが、著者のサイン本だった。しかも、本からは葉巻の匂いが漂ってきて、キューバにいるような気さえしてくる。
 

2015年4月12日日曜日

El trabajo en progreso(追記あり)

処理できない状態が続いているなかで、忘れないようにしておきたいいくつかの事柄。

 ひとつは、キューバの反知性主義について。

 人を知性的なものに向かわせるボルヘスの話をしていたときに、反知性主義の話題が出た。最近では『日本の反知性主義』という本が出ている。

 しかし反知性的な人を「愚弄」することは最も反知性的な態度であるということであって、では知性的に行動することはいったいどういうことなのかを考えている。

 そのとき思い出したのだが、昨年キューバの島内外で反知性主義が討論されたことがあり、ぜひその流れをきちんと読み直しておきたいと思っている。
 
 議論の発端は島内からで、以下の記事。Juventud Rebelde掲載。書き手は従兄弟のことを書いた。フーコーもうまく発音できないし、ブコウスキーとチャイコフスキーも知らないが、彼なりに知性、分別にたどり着いているという点として、従兄弟のことを賞賛した。

http://www.juventudrebelde.cu/opinion/2014-08-09/gramsci-y-las-cosas-de-intelectuales/
 
 これを受けて、島内部からも大きな反論があったようで、そこにはレオナルド・パドゥーラのような作家も含まれているらしい。が、その記事は見つかっていない。いっぽう、島外部の反応は次の3つ。
 http://www.cubaencuentro.com/opinion/articulos/antintelectualismo-o-contra-algunos-intelectuales-320160
http://www.librosdelcrepusculo.net/2014/08/sobre-el-antintelectualismo.html
http://www.librosdelcrepusculo.net/2014/09/sobre-el-antintelectualismo-ii.html

 ざっと読んだのだが、このあたりをきちんとつかむためには、グラムシはともかくとして、リチャード・ホフスタッター(アメリカの反知性主義)、ラッセル・ジェイコビーなどが言及されているので、じっくり取り組まないといけない。

 フェルナンデス=レタマールの話は出てきていないようだが、ヨーロッパ的知性を体現していたこの詩人が革命後に反知性・野蛮なるものへと進んでいったことと合わせて、どうしても関心がある。

 もうひとつ、どうしてもフォローしておきたいと思っているのが、アルゼンチンのホテル・バウエンのことだ。

 2001年というと、9.11があるが、アルゼンチンの経済危機(債務不履行)が起きたのもこの年だ(12月)。

 これ以降、多くの企業が倒産し、経営者が給与未払いのまま逃亡したりということが起きたが、その後、労働者による自主経営の道がとられた企業があった。

 このような経緯の一端は、廣瀬純、コレクティボ・シトゥアシオネス『闘争のアサンブレア』(月曜社)などにより、すでに日本語でも読むことができる。

 この本にホテル・バウエンが言及されていたかどうかは覚えていないが、このホテルは経営者を追い出し、労働者による自主経営を果たした事例としてシンボル的な存在だったかと思う(というかそういう紹介がどこかでされていた)。

 知り合いが泊まったのがホテル・バウエンということもあり、やけに記憶に残っている。

 しかしふと新聞記事をネットで見ていたら、2014年の(つまり昨年)裁判で、経営者側が勝利し、ホテルを明け渡すよう労働者に命じる判決が下されていることがわかった。

 その後、どうなっているのだろうか?経済危機後には、街に出て段ボールを回収するカルトネーロCartoneroたちを支援する出版社が生まれ、Washington Cucurtoなどがかかわっていた。
 
 ホテル・バウエンに対する判決はその後のアルゼンチンの反動の動きなのか?
 
 2001年以降の、つまり経済危機後のアルゼンチンの文学については、La joven guardiaという短篇集が出ていて、ここにはそのWashinton Cucurtoも書いていたはずだ。といっても積ん読になっているのだが、ホテル・バウエンのさしあたっての顛末を知り、いてもたってもいられなくなり、アルゼンチン文学の21世紀についての資料を、今更ながらサーベイしている。

 もっと早くに手を付けておくべきだった……

[追記]
 そしてもう一つ。上のことを書いてから思いだしたことがある。

 人文系学問分野をまとめる表現として使われる用語について、スペイン語ならHumanidades、英語ならHumanitiesがある。
 
 これまでわたしは人文系学問のことを、スペイン語ではHumanidadesと表現するのが普通のことだと考えていた。それに対して、社会科学はCiencias Socialesである。

 あることがきっかけで、人文系学問を指すスペイン語として、Ciencias Humanasという表現があることを教えられた。つまり人文科学である。

 もっと具体的に言うと、仕事上の資料に、Ciencias SocialesとCiencias Humanasを使うという話が出て、わたしとしては、Ciencias Humanasという表現が受け入れられず、Humanidadesという表現ではだめなのかと疑問を投げた。しかし最終的にはCiencias Humanasを使うことになった。

 今回はただの一般向け資料の表現上の問題と考えて、強く主張することはしなかった。

 しかし、人文系学問が「科学」を標榜するとしたら、いったい科学を相対化するのは誰がやるのだろうか?というのがわたしの疑問である。

 かつて、10年近く前に、ある人(経済学者である)から、「学問は、それが科学であるかぎり普遍性がある」と言われた。「文学であれ、経済学であれ、それが科学であるかぎりにおいて建設的な議論が可能だ」ということだった。

 たしかにそうかもしれないが、社会科学は自然科学を模倣することをつとめ(つまり、科学になろうとし)、そのことで多くの問題を引き起こしてきたことも事実である。人種概念や経済学の一部がそうだ。

 だから科学は相対化されなければならないはずだが、そのために役割を果たせるのが人文系学問ではないのだろうか?

 わたしは自分の考えていることはごく当たり前のことだと思っているが、案外そうではないのかもしれない。