2015年3月12日木曜日

メデジン(続き)

メデジンで作家のエクトル=アバッド・ファシオリンセに短時間だが話を聞くことができた。たまたま知り合いのつてで連絡がとれた。

2014年4月にガルシア=マルケスが亡くなったあと、雑誌の『ユリイカ』が特集号を計画した。そのとき、エクトル=アバッドが新聞に寄せた追悼文を翻訳することを思いついた。彼のブログに転載されていたのを読み、翻訳するにふさわしいと思ったからである。

編集部からエクトル=アバッドに連絡が行き、彼は快諾してくれた。そのころはベルリン自由大学に招かれていたが、その後、メデジンに戻っている。

ベルリン滞在中に仕上げたのが、最新作『ラ・オクルタ La Oculta』ということだ。8年ぶりの小説である。




 題名のラ・オクルタは牧場の名前で、メデジン郊外の設定らしい。

彼の作品に、カイロ滞在記をもとにして書かれた『オリエントはカイロにはじまる』(2002)というのがあるが、この本は出版社の企画だったということを教えてくれた。ある都市を選び、その都市をめぐって書くことを条件に、滞在費用は出版社がもってくれる。

彼は東京とカイロを候補としたが、滞在期間が長くとれるのがカイロだったので、東京はあきらめた。

そのとき彼が東京を選び、東京について小説を書いていたらどうなったのだろうか。

アルゼンチンのオリベリオ・コエーロ Oliverio Coelho(1977〜)は韓国に長期間滞在して、短篇を書いている。おそらく韓国滞在中に東京にも来たのだろう、東京が舞台の作品もある。

エクトル=アバッド・ファシオリンセの代表作は『El olvido que seremos』(2005)で、父をめぐる物語。

この作品の英訳者は、カナダ人のスペイン語文学翻訳者Anne Mclean。フアン・ガブリエル・バスケスの『物の落ちる音』を訳したり、コルタサルやハビエル・セルカス、エンリケ・ビラ=マタスなどを訳している有名翻訳家である。

彼女を含め、何人かのスペイン語文学翻訳者が一堂に会するシンポジウムが、今年の9月にメデジンで開催されるとのこと。行ってみたくて仕方がないのだが……




2015年3月7日土曜日

メデジンから

はじめてメデジンに来た。

数日間の滞在にもかかわらず、ほかでは経験できないようなことの連続だ。

メデジンの気候は「エテルナ・プリマベーラ Eterna primavera」と呼ばれる。「常春」とでも訳せるが、「常緑」という表現がいいかもしれない。一年中春のような気候だそうだ。

違いといえば、雨が降るか降らないかで、雨でも気温にさほど変化はない。到着した日は空港付近は雨と雷だったが、街に雨が降った様子はなかった。

朝晩は少し涼しく、日中は半袖でも大丈夫。長袖シャツ一枚あれば、もうあとは何もいらない。衣替えの必要がない。クローゼットには常に同じような洋服が並ぶことになる。

 面白いと思ったが、日の出と日の入りの時間も一年を通じて大した変化を感じないそうだ。実際には違いはあるはずだ。いまは6時過ぎに明るくなり、6時過ぎに暗くなる。



写真はマンゴーの樹の下から眺めた空。さわやかな風が吹いてとても心地がよい。
木陰でコーヒーを飲みながら本を開くと、いつもよりページが早く進んでいるような気さえする。

タクシーに乗るときに運転手さんに、ドアは優しく閉めるようにと注意を受けた。外国人はドアを力一杯閉めるために傷みが早いらしい。

このとき思い出したのは、キューバでタクシーに乗ったときのこと。がたのきている古いアメ車ゆえに、ドアの開閉には注意が必要だ。

運転手が必ずドアの開け閉めについて説明してくれる。たとえば、開けるときは窓越しに外からレバーを動かし、閉めるときは内側のレバーを握って優しく閉めること、と。あるとき、うっかり強く閉めたら、バックミラー越しに運転手さんに怒られた。

メデジンではMetroというと地上を走る電車のこと。車両が幅広いのが日本と違う。



 Metrocableというケーブルカーにも乗った。8人乗り。スキー場にあるリフトのようである。



 本屋は大学内にある本屋とモールの本屋に行ってみた。本を買ったらカフェで読む。たとえばこんなカフェなら、快適に過ごせてしまう。



ベレン図書館(Biblioteca Belén)は日本人(内藤廣氏)の設計によるものだ。詳しい話は以下のサイトを参考のこと。

http://arqa.com/editorial/medellin-r/biblioteca-belen


外観はこのような感じで、一目で気に入ってしまった。図書館側から通りを見ると以下のような風景。



メデジン郊外にも行ってみたくなるが、それはまた今度。