2021年5月9日日曜日

マリアーナ・エンリケス/5月9日

マリアーナ・エンリケスはアルゼンチンの作家。1973年生まれ。邦訳では『わたしたちが火の中で失くしたもの』(安藤哲行訳)がある。

彼女の本で、最近、国際ブッカー賞の最終候補作になったのが以下の短編集。リンクは2021年の4月の記事で、この本の初版は2009年。Anagramaで最初に出たのが2017年で、手元にあるのは2019年の第三版。

 

 

彼女の本では、別のを読もうと思ってとっくに届いているのが、以下の伝記もの。シルビーナ・オカンポの伝記でタイトルは『妹』。これは初版が2018年で、手元のは2020年の第二版。

 

  
 
 
他にもアルゼンチンの女性作家で伝記ものがあるのだが、それはまた別の機会に。

-----------------------
大学の授業は、2週間オンラインになって、週明けからは再び元に戻す予定。
 
東京の緊急事態宣言は3度目。
 
1度目は、2020年4月7日から5月25日まで。
2度目は、2021年1月7日から3月22日まで。
3度目は、2021年4月25日から。
 
不思議にも、昨年の6月から晩秋まではそれなりに余裕があったんですね。

オリンピックは中止以外の判断は考えられないが、中止にしたとしてもワクチン接種が劇的にスピードアップするとは思えない。ゆっくりワクチンを接種していくとなると、え、来年(2022年)もまだこのまま?
 
大学がオーソライズする留学(感染症危険レベルが1にならないとダメ)は当分無理と考えた方が良さそう。

2021年5月1日土曜日

パディーリャ事件から50年/4月終わりから5月にかけて

少しも考えたことがなかったのだが、キューバ関係のメーリングリストで、パディーリャ事件から50年が経過したことを知った。

詩人のエベルト・パディーリャが拘束を解かれ、UNEACのホールで自己批判をしたのが1971年4月27日だったので、それから半世紀が経過したということだ。

「カサ・デ・ラス・アメリカス」の季刊誌「カサ」の65-66号(1971年)にはその時のパディーリャの発言内容が載っている。

 

 

で、「カサ・デ・ラス・アメリカス」は半世紀にあたって、このパディーリャの発言も含め、当時の文書をまとめて一冊の本にしている。

Diario de Cubaでは、アントニオ・ホセ・ポンテがインタビューに答えている。彼によれば、パディーリャが話しているところをICAICが撮影していて、いまだに日の目を見ていないが、フィルムはあるとのことだ。

なるほど、ニュースで放映してもおかしくない内容だから、撮影が入っていて当然だろう。いずれどこかから流出するのだろうか。

しかしそれにしてもキューバ文化のデジタルアーカイブ化の進展はすごい。Lunes、Ciclón、 Mariel、Orígenesなど、主要雑誌が軒並みインターネットでタダで読める時代がやってきた。このRialta.orgを見ていたら、何日でも過ごせそうだ。

------------------

4月から対面ではじめた授業は、2週間やって再び2週間限定でオンラインになった。その後は緊急事態宣言が延長されても対面に戻す予定。もちろん、あくまで予定。

これほど悲観的な日々はなかなか経験できない。

2021年4月17日土曜日

プエルト・リコのレヴィ=ストロース/2021年4月半ば

1941年、レヴィ=ストロースは「ポール・ルメルル大尉号」に乗ってマルセイユを出て、マルチニークへ向かった。アンドレ・ブルトン、エメ=セゼール、ウィフレド・ラムらも乗っていた船である。

「徒刑囚」のように350人が詰め込まれ、不衛生に大西洋を一ヶ月を航海してようやくフォール・ド・フランスに入港。

『悲しき熱帯』でレヴィ=ストロースが当時を振り返る文章を読むと、その2年前、ヴィトルド・ゴンブローヴィッチがフロブリ号でグディーニャを出てブエノスアイレスに向かった時のことを『トランス=アトランティック』で書いているのとは随分違う。

「1939年8月21日、小生は、フロブリ号の船客として、ブエノスアイレスに入港するところ。グディーニャからブエノスアイレスまでの航海はすこぶる快適……上陸するのがもったいないほどだった。なにせ、二十日間にわたり、空と海のはざまで、記憶に値する何もなく、ひがな潮風に身をあずけ、波飛沫にさらされ、風に吹きさらされる日々だった。」(西成彦訳)

『悲しき熱帯』は紀行文、『トランス=アトランティック』は小説だ。だからといって、前者を真実らしさに満ちたもの、後者を虚構と見なすのはどちらも早計だろう。そんな簡単に読んではならないと思う。

レヴィ=ストロースは船中でアンドレ・ブルトンと知り合う。

「彼(ブルトン)と私とのあいだに、手紙の遣り取りによって、その後も続いた友情が始まろうとしていた。手紙の遣り取りは、この果てしない旅のあいだかなり長く続いたが、その中で私たちは、審美的に見た美しさというものと絶対的な独創性との関係を論じた。」(川田順造訳)

ますます紀行文が信じられなくなりかけるし、小説(虚構)のほうは、どこか読者を異世界に連れ込もうとしているようだ。

それはともかく、レヴィ=ストロースはマルチニークのあとニューヨークに向かうのだが、その間にプエルト・リコが挟まっている。

「こうして私は、純白に塗装したスウェーデンのと或るバナナ船で、プエルト・リコに向かった。」

この後、彼はブラジルでの調査資料(カード、日誌、ノート、地図、写真など)が原因でしばしプエルト・リコに足止めされることになる。

「入国管理当局は、私を格式ばったスペイン式のホテルに、船会社の費用持ちではあったが、監禁しておくことに決めた(中略)。そのホテルで私は、牛肉の煮込みやひよこ豆の食事をあてがわれ」た。

この食事からして、なるほどスペイン料理だなあと思ってしまう。ただそこはプエルト・リコである。

「このようにして、プエルト・リコで、私はアメリカ合衆国と接触したことになる。初めて私は、生ぬるいワニスとウィンター・グリーン(中略)の匂いをかいだ。この二つは、いわば嗅覚で感知しうる両極で、これらのあいだにアメリカ式快適さの様々な段階ーー自動車からラジオや菓子や煉歯磨きを経てトイレットに至るまでーーが並んでいるのである。(中略)大アンティール諸島というかなり特殊な背景においてではあったが、アメリカの町に共通して見られる或る様相をまず私が認めたのも、プエルト・リコにおいてであった。どこへ行っても、建物が軽快で、効果だの通行人の関心を惹くことばかりねらっている点で、いつまでも催されている万国博覧会か何かに似ていた。ただここでは、人々はむしろ博覧会のスペイン会場にいるような気がするのである。」

プエルト・リコにアメリカ合衆国をみて、さらにそこで箱庭のように保存されているスペインをみる。植民地状態が継続している。

「旅の偶然は、しばしば、事物のこのような二面性を見せてくれるものである。(中略)その後かなり経ってからのことであるが、私が初めてイギリス式の大学を訪れたのは、東部ベンガルのダッカにあるネオ・ゴティック様式の並ぶ構内においてであったため、今でも私には、オクスフォード大学は、泥と黴と植物の氾濫を制御するのに成功したインドのように見えるのである。」

ここでレヴィ=ストロースが言っている感覚は植民地の文化をやっているものにはお馴染みのものだろう。

植民地の方が宗主国の様式をより過剰に演出してみせる。マドリードの大学のキャンパスに足を入れると、なるほどここはハバナ大学だなと。

写真は2012年2月のプエルト・リコ(サン・フアン)。

 

-----------------

2021年度の授業が始まった。この4月、感染者の数は増えつつある中で、オンラインの授業もあるし、対面の授業もある。

2021年4月6日火曜日

マリア・フェルナンダ・アンプエロ『闘鶏』

マリア・フェルナンダ・アンプエロは、エクアドルのグアヤキル出身の作家。1976年生まれ。アルゼンチンのマリア・ガインサ(María Gainza)やアリアナ・ハルヴィッツ(Ariana Harwicz)と同世代。

マリア・フェルナンダの短篇集『闘鶏 Pelea de gallos』は2018年刊行。

 


 

映画『パラサイト』と同じように、このうちの短篇「競売」でも「臭い」が人を支配する。父が闘鶏をやっていたので、娘は幼い頃、父について闘鶏場へ通った。年配の男たちにからかわれたりしているうちに、闘鶏の雰囲気に慣れる。闘鶏場の臭い、死んだ鶏の臭いを忘れる事はない。というか嗅げば、その瞬間にわかる。

「数千キロ離れていても、その臭いならわかるだろう。私の人生の臭い、父の臭い。血の、男の、糞の、安い酒の、酸っぱい汗の、工場油の臭いがする。」

彼女は囚われている。工場の廃屋かどこかで目隠しをされ、毛布か何かを被せられている。銃口を突きつけられているのを感じる。

仕事に疲れ、ふとバーで一杯飲んだ。横の客と話をして、さらに疲れてしまった。タクシーに乗って、さあやっと家に帰れると思った。が、それが終わりの始まりだった。

運転手にピストルを向けられ、連れて行かれたのは町外れ。そこであの臭いが彼女の鼻に届く。「どこかに鶏がいる」

囚われているのは彼女だけではない。彼らは一様にタクシーに乗って脅されて連れてこられた。ある程度の金品を奪い取ることができるという予測のもと、タクシー運転手に選び出された。コロンビアなら「パセオ・ミジョナリオ Paseo millonario」と呼ばれる強盗。

しばらくすると「競売」が始まる。

裕福な男がせりにかけられる。住まいは「貧しい俺たちには覗くこともできない」ゲイテッド・コミュニティ。

複数の銀行口座、会社役員で企業家の息子、芸術品所有などなどの情報を聞き出す。銃で脅して暗証番号を聞き出し、有り金を全額を引き出させればまずは成功。屋敷に入りこみ、財産をまるごと盗むこともあるらしい。

さて主人公の女は?

------------------------

新年度がはじまった。

昨年度は困難や苦労にぶつかり、それはそれでよかった。あまりにも贅沢な経験だったと思う。

自分一人では生活が難しい人をできる限りで助けようと思って行動したし、日頃は聞かない話を聞いたりする時間をたくさん持つようにした。これまでにないことだ。

懐かしい人から連絡があって、話をしたりしたし、これはオンライン効果。

この春、同年代の同僚がこの世を去るという信じられない悲しい出来事があった。

写真は一週間前の桜。


 

2021年3月22日月曜日

キューバ映画『クンビット Cumbite』/ジャック・ルーマン『朝露の主たち』

キューバ映画の『クンビット』をみた。

監督はトマス・グティエレス=アレアで、1964年の映画。

 



15年間、キューバの砂糖黍農場で働いたハイチ人マヌエルは故郷のフォンルージュに戻った。

帰ってみると、村は土地の争いで揉め事があり、血が流れ、それ以降、人々は真っ二つに分かれている。しかも雨がまったく降らず、旱魃に苦しみ、このままでは滅亡の危機さえある。

マヌエルの父と母は息子の帰郷を喜ぶが、マヌエルは帽子を編んで街に売りにいく生活ではやっていけないと将来を案じる。水はどうしたら手に入るのか?どこかに水源があるはずだ。探索するが見つからない。

村人たちは宗教儀礼で雨乞いをするばかりだ。映画では、この儀礼の場面にたっぷり時間をとって見せてくれる。

100分程度の映画だが、雨乞い、埋葬など、儀礼の部分に相当の時間を使っている。撮り方には、なんとなくその後のアレア作品『低開発の記憶』の冒頭シーンを思わせるところがないではない。

マヌエルはそうした宗教的な慣習をあまり信じていないようにも見える。軽蔑しているわけではないようだが。映画では、そうしたマヌエルの合理的思考はキューバで培われたようにも見せている。キューバ人監督だからなのかな、と思ってしまったのだが、さて。

実はこの映画を見ようと思ったのは、この映画の原作がハイチの作家ジャック・ルーマンの『朝露の主たち』であることを知ったからである。そして教えてもらったのだが、この小説には翻訳があるという。

なんと!と思ってすぐに入手した。

ジャック・ルーマン『朝露の主たち』松井裕史訳、作品社、2020年。

 


ざっと読んだ限りだが、マヌエルの理知的な考えの背後にキューバがあるのは原作を踏まえているとみて良いようだ。

例えば、以下はマヌエル(映画ではスペイン語なのでマヌエルだが、原作はマニュエル)と恋人のアナイサ(同様に原作はアナイズ)との会話。

--------------
「フォンルージュまで水を引くとなると大仕事になる。みんなが力をあわせる必要があるし、和解しないとそれは無理だろう。ひとつ話をしてあげよう。キューバでは初め、何ら抗議することも抵抗することもなかった。ある人は自分を白人だと思っていて、またある人は自分を黒人だと思っていて、両者のあいだにはちょっとした不和があった。砂みたいにバラバラで、主人たちはその砂の上を歩いていた。でも自分たちがみんな似通っているとわかると、ウエルガをするために結束すると……」
「『ウエルガ』って言葉、なに?」
「君たちはむしろストライキって言うだろうね」(97-98ページ)
--------------

こんなふうにマヌエルはキューバの経験をハイチに持ち込もうとする。引用にあるように、マヌエルはスペイン語をかなり使う。15年キューバにいたからスペイン語が出てきてしまうのだ。

アナイサは敵対するグループの娘なので、彼女との将来を夢見るマヌエルだが、前途多難である。アナイサはマヌエルに会うために人目を避けつつも、実はマヌエルに引かれている。

いよいよマヌエルは泉を山で発見する。その噂は村を流れ、大騒ぎになる。「あいつはキューバから魔法の棒を持ち帰った。それで地面を叩いて水を見つけたのさ」と解釈する村人もいる。

ここで映画のタイトルの「クンビット」の話になる。「クンビット」とは、クレオール語で集団農業労働を意味する。翻訳書の解説によれば、この単語はスペイン語のconvite(招待)が語源とのこと。

善人マヌエルは、敵味方なしにみんなで水路を村に引こうと提案する。「クンビット」をしよう、と。父親は反対する。血が流れたんだぞ、協力なんてしたくない。敵方も折れてくれない。

「血は死、水は生命」との言葉を持って、話をしに行ったマヌエルなのだが、その帰り道に襲われてしまう。

が、このマヌエルの犠牲によって村は結束し……となる。

2021年2月11日木曜日

朝鮮戦争とコロンビア

朝鮮戦争にコロンビアが出兵していたことは、ガルシア=マルケスが記事に書いている。以下の本で読むことができる。

 


 

この記事は1954年12月、「朝鮮から現実へ De Corea a la realidad」と題して3回にわたって連載されたものだ。日本語訳では108ー122ページ。

以下の原書では、315-328ページ。



「国内では馴染みのなかった『帰還兵』という言葉が、第一次の派遣隊の帰国後間もなく流行語になった。」(108ページ)

ずいぶん昔にバランキーリャで知り合った方もこの戦争の帰還兵veteranosだった。1948年のボゴタ暴動以降、内戦に突入したこの国の人がはじめて国外の戦争に出かけていった。

「(…)一九五一年六月十九日、釜山で下船した彼らは、小柄で抜け目のない韓国大統領李承晩のじきじきのお迎えを受けたのだった。韓国の国家元首は、歓迎の挨拶をしたが、千六十三名の人間を共産主義者と戦うために派遣した、南米の国の名を公式の場で口にしたのは、おそらく、彼の生涯でこの時が初めてであったろう。」(109ページ)

最終的に戦争に送られたのは4000名に及ぶ。戦死したもの、負傷したもの、前線にはいかなかったもの、さまざまだ。

彼らがどのようなルートで韓国まで行ったのか。ガルシア=マルケスは、コロンビア兵が横浜で日本人女性と出会ったことに言及している。「太平洋方面に駐留中、コロンビア兵士はヨコハマで、少なくとも五日間の自由行動が許された」(111ページ)。では日本まではどうやって?

ずいぶん前のエントリーで紹介したフアン・ガブリエル・バスケスの短篇集『Canciones para el incendio』(2019)でわかった。

 

短篇「蛙 Las ranas」は朝鮮戦争の「帰還兵」の物語である。それによると、バスに分乗してボゴタから太平洋岸のブエナベントゥーラに行き、そこでアメリカのAiken Victoryに乗っている。船はハワイ・ホノルルを経由して、横浜に立ち寄り、そして釜山に着いたということになる。

もちろんその中には、どんな戦争にもいるように、兵士とは言えない者たちも含まれている。バスケスの短篇は、書いてしまうのはもったいない驚くべき内容だ。タイトルにある蛙は、ここでは、妊娠検査薬以前に用いられた方法で使用する生き物として登場する。

しかしこの短編集、すごい話ばかり……

2021年1月13日水曜日

『シャドー・ディール 武器ビジネスの闇』

あっという間に1月も半ばだ。

配給会社のご好意で、映画『シャドー・ディール』を観せていただいた。

この映画はベルギー人のヨハン・グリモンプレ監督による軍需産業の内幕を暴いたドキュメンタリーである。

監督はこの映画をエドゥアルド・ガレアーノに捧げていて、作品中で彼の『日々の子どもたち』と『鏡たちーーほとんど世界中の物語』からいくつかのエピソードが、ガレアーノの声で読まれる。

挿入される映像のうち一つは、グリモンプレ自身のサイトで見ることができる。

映画は多くのインタビューで構成されるが、マイケル・ハートと、そしてなんとヴィジャイ・プラシャド(『褐色の世界史』)も出ていて、プラシャドはかなり長く話している。

ブッシュの記者会見で靴を投げたジャーナリストも登場する。

1月30日からシアター・イメージフォーラムで公開。

--------------------------------------

東京外国語大学出版会から出た本が届いた。

アルベール・サロー『植民地の偉大さと隷従』小川了訳、東京外国語大学出版会、2021年6月

 

表紙の写真、右のメガネの男が1922年植民地大臣のサローである。