2026年2月5日木曜日

2月5日

詩に関連して以下の本:

伊藤整『改訂 文学入門』講談社文芸文庫

三好達治『詩を読む人のために』岩波文庫

池澤夏樹個人編集『近現代詩歌 日本文学全集 29 』河出書房新社

谷川俊太郎他編『詩 たのしいライト・ヴァース 世界編』河出書房新社

エドガー・アラン・ポオ『詩と詩論』創元推理文庫(これが2冊あった。誰かいりますか?)

吉本隆明『定本 言語にとって美とは何か II』角川ソフィア文庫

オルテガ『芸術の非人間化』荒地出版

このうち伊藤整からは、「第二章 悲劇と喜劇」のうち特に40-43ページ。そして「第十章 芸術の本質」から以下。

「19世紀までのように、人間が完全な独立した性格を持って自立していると考えられていた時は、詩歌の表現の意味も完了したはっきりしたものであった。しかし現代のように人間は独立しえない不完全なものと思われる時代では、意味や説明の完了した詩句は、人間性をかえって表現しないことになる。人間存在の不安な意識は、ある不明瞭な、そして不安定な表現の中にとらえられやすい。絵が写真的説明に満足できなくなったように、詩も意味を具体的に明らかにすることや、同じ韻律を繰り返すことは、かえって不満足な結果を生むのである。」(258ページ)

吉本隆明では特に「第V章 第一部 詩」から。

オルテガは特に「続芸術の非人間化」29-36ページ。

2026年2月4日水曜日

2月4日

ハバナに暮らしている人からメールが届きました。日本語圏でも知るべきことだと思うのでここで紹介します。

「しばらく前からここからは悲しいニュースしか出てこなくて。自然災害、いくつかのウィルスによる病気、失敗している経済政策による日常生活レベルの災害。いまはベネズエラでの出来事と米国の圧力で何もかもが悪化しているけれど、これはいまにはじまったことじゃない。幸運なことに、周りは概して落ち着いている。日々の暮らしに苦しんでいて、それ以上のことへの余裕がないというところ。でも起こりうることへの不安があるにはあって、良い方向に進むと考える人もいるし、悪い方向に進むと考える人もいる。90年代のようにゼロではないけれど、石油危機は悪化して、停電と自動車用の燃料問題も悪くなるばかり。個人営業店で物はたくさん売っていても、何もかも高くて、買える人と買えない人の差は拡大している。日常生活は困難に満ちていて、全体的に人びとは満足してはいない。悲しいことに」




2026年2月2日月曜日

2月2日

メキシコがキューバに人道支援として食糧や生活必需品を送ることになった。石油は米国の妨害で送れない。

2026年2月1日日曜日

2月1日

読売文学賞に柴崎友香の『帰れない探偵』。この本が素晴らしいことはもう知られているけれども、こうした大きな賞でさらに評価が高まるだろうから嬉しいのと、あまり知られていないこの本に合わせて催された柴崎選書フェアでは、フアン・ガブリエル・バスケスの『歌、燃えあがる炎のために』が含まれているので、ひときわ嬉しい。

前便で鶴田吾郎の「池袋への道」をSOMPO美術館で見たと書いたが、そのあと本棚を見ていたら、東京芸術劇場と豊島区が出した写真集・資料集『池袋への道』が出てきた。

2021年1月、森山大道の撮った「池袋」の写真展が東京芸術劇場が開かれて、その時に手に入れた本。そこに鶴田吾郎の「池袋への道」(1946年)が載っていた。麻生三郎の「子供像」(1950年)も。鶴田吾郎は「記録をひらく 記憶をつむぐ」の「神兵パレンバンに降下す」が1942年。

倉石信乃と森山の対談も収録され(対談は2017年に行われた)、森山が西池袋2丁目に住んでいて、そういう趣旨の対談だから当然なのだが、話題は池袋話で、森山は池袋は新宿とは違うのだと言っている。その後森山は病に襲われ、2020年に池袋を離れる。

2026年1月31日土曜日

1月31日

SOMPO美術館で「モダンアートの街・新宿」。夏に国立近代美術館で見た松本竣介や鶴田吾郎。鶴田は「池袋への道」(1946年)。ついこの前のアンチ・アクション展や春に埼玉県立美術館の「メキシコへのまなざし」で見た福島秀子、宮脇愛子、芥川(間所)紗織。1920年代から40年代の池袋・目白・下落合の風景。

早稲田大学の27号館の小さなスペースで在日朝鮮人二世の写真家・趙根在(1933-1997)の「写真が語るハンセン病問題の真実」。

2026年1月29日木曜日

1月29日

ハバナでジャズフェスティバルが始まったが(1月25日から2月1日まで)、エネルギー問題は解決していない。聞こえてくるのは悲観的なニュースだ。

2026年1月25日日曜日

1月25日

東京国立近代美術館で「アンチ・アクション展」。展覧会場をまわっていくと、見開き2ページの解説文をピックアップできて、全部で14篇の「別冊アンチ・アクション」が出来上がる。

「抽象絵画は外界を再現する役割から解放され、素材と空間により見る人との間に出来事を起こす場となったのだ。したがって見る側は、作品に何が描かれているかではなく、作者が画面上で何をどう行ったかに、まずは目を向ける必要がある」(江上ゆか「それぞれの(アンチ・)アクション=制作行為」) 

コレクション展では、新たに所蔵された岡崎乾二郎の以下の二つの作品が素晴らしい。

屋根の熱気に吹きつけられ、祖父の顔は頭蓋骨のようにもう色褪せて見える。ところで彼は何といったのでしたっけ?灼熱の焼きごてを眼に入れられようとしたときに。「僕の美しいお友達、火よ。もう少しやさしくお願いします」。大丈夫。安心なさって。姉は日傘を取りにいき、祖父は指先をまるく尖った舌で冷やしていた。」

「背後から火事が迫ってきたとでもいうの、この顔の青さは普通じゃないわ、どうしたの?ぽつりと答えます。「惜しいと思うほどの物は捉まえようと追いかけず、一生惜しんで思い出せるようにしておいたほうがいいんだよ」。そうか。胡瓜の漬け方を、老婦人から習ったときみたいに、熟した実がひとりでに落ちる音を聞いた。」