2026年8月24日月曜日

8月24日

『百年の孤独』セカンドシーズン第4話の最後は、途中でなんとなく予想がついたが、レメディオスの昇天だった。1時間の中に多くのエピソードを詰め込んでいる。鉄道敷設、フェルナンダの父の死(死体のクリスマスプレゼント)、メメとホセ・アルカディオの留学(二人揃ってミッション系の学校に進学する)、ヘリネルドの失恋(アマランタに告白して失敗)、バナナ会社の進出(ハーバート氏とブラウン氏)、マグニフィコ・ビスバルと孫の惨殺(名前は出てこず、バナナ会社の警備員に撲殺される)、レメディオスに恋した男の事故死(風呂場を覗いて転落死)、レメディオスの昇天(白いシーツに包まれて、垂直に浮かび上がって消える)といったあたりか。アウレリャノ大佐が「パナマ」と口にする。セットは豪勢でエキストラもたくさんいるし、色彩は豊かで音楽も鳴り響くから、映画館で見るともっと迫力があるだろう。映画館で一挙上映とかやってほしい。第5話はストライキやメメの帰還があるだろう。ベルギー人ガストンがどう出てくるか。

2026年8月23日日曜日

8月23日

『叛逆のサウンドトラック』の監督は『シャドー・ディール 武器ビジネスの闇』と同じ人だった。ヨハン・グリモンプレ。

『マイ・リトル・クィーンズ』の監督はクラウディア・レイニケ。この人はペルーに生まれてスイスで育った人。『アイム・スティル・ヒア』と展開が似ているので怖い。寅さんみたいなさすらいの男が二人の娘と事実上最後の再会になる数日を青春映画っぽく撮っているという作りだが、その男がなぜちゃらんぽらんなのか、なぜホラを吹くのか。ただのダメンズじゃない。ちょうど映画が取り扱う1990年代の初頭、毛沢東主義のセンデロ・ルミノソがJICAの技術者を殺害した事件があった。夜間外出禁止令の時間帯に外に出ることの怖さ。『ボサノヴァ 撃たれたピアニスト』も確か夜間にフラッとサンドイッチか何かを買いに出てしまってそれっきりになった話だった。アウレリャノ・ホセも夜間外出禁止令を破って外にいて撃ち殺された。

Netflixの『百年の孤独』セカンドシーズン第3話は、フェルナンダとホセ・アルカディオ・セグンドの結婚から鉄道敷設直前まで(12章、13章あたり)。マコンドではすでに映画館はあって、『ジキル博士とハイド氏』を上映している。フェルナンダがなぜ夫の放蕩生活や愛人問題を受け入れたのかが焦点だ。フェルナンダは一度はブエンディア家を出ていく決心をする。しかしそこにウルスラがあらわれる。ウルスラはフェルナンダの妊娠だけでなく、生まれてくるのは男だとも予言し、まともなブエンディア家の男を一緒に育てて教皇にしましょうとなだめ、それにフェルナンダは心を打たれるのだ。敬虔なカトリック信者であるフェルナンダとしてウルスラにそこまで言われては出ていけない。ウルスラにこうして権威づけされたフェルナンダはブエンディア家に君臨することになる。

2026年8月11日火曜日

8月11日

『百年の孤独』セカンドシーズン第2話は、休戦協定で拳銃自殺を図ったアウレリャノ・ブエンディアが急死に一生を得て自宅に運び込まれるところから。双子のアウレリャノ・セグンドとホセ・アルカディオ・セグンドが同じ愛人(ペトラ・コテス)と関係を持ち同じ性病に罹る。結局前者がペトラと関係を続け、動物の繁殖で大金持ちになり、後者に金を貸し、後者が船を曳いてくる。ここでフランスの娼婦が連れてこられるわけだが、これはヨーロッパからではなく、フレンチ・カリブのアフロ系の娼婦のことかもしれない。休戦協定と船の到着は、コロンビアの内戦の終わりとパナマの分離やその後の運河建設のこと(こんなことを言うのは不粋かもしれないけれども)。ボゴタというかアンデスの山出身のお嬢様フェルナンダ・デル・カルピオが登場してレメディオス・ラ・べジャとカーニバルで対決する。レメディオスを演じている俳優はシャキーラ似だ。まだ10章と11章の一部くらい。つまり小説の半分。

コロンビアのチョコー県を震源とする大きな地震があって、被害が拡大している。

2026年8月10日月曜日

8月10日

NETFLIXで『百年の孤独』セカンドシーズン(最終シーズン)が始まった。ファーストシーズンが8エピソードで、ホセ・アルカディオ・ブエンディアが死ぬまで。これは原作では7番目の章(ちなみにこの小説にはもともと章番号が付されていない)のこと。

セカンドシーズンも8エピソードからなるようで、最初のエピソードは内戦の休戦協定まで(ネールランディアでのパンヤの木の下で調停)だったが、このペースで大丈夫だろうか。

原作ではあまり記憶の残らないアウレリャノ・ホセがクローズアップされたのが第一話だが、いやいややっぱり違う。読む人が違えば記憶するところが違うのだ。自由党と保守党で割れるマコンドで孤独なアウレリャノ・ホセは生みの親ピラル・テルネラの家で昼寝した後に芝居を見にいって惨劇が起きる。母ピラルは息子の悲劇を予見して、カルメリタ・モンティエルという女がアウレリャノが帰ってくるのを待っているから帰っておいで、と言うのだが、それは聞き入れられない。ドラマを見たときに、原作にこんな女の人がいたかなと思ったら、ちゃんと原作には書かれている。

ドラマでは芝居のタイトルも『ゴート族の短剣 El puñal del godo』とメンションされていた【追記:これは間違い。タイトルはメンションされず、芝居の中でゴート人がメンションされている】。このホセ・ソリーリャの原作は、「ゴートgodo」が保守的なやつ(保守党の人)を指すので、政治問題化させないように『ソロの短剣 El puñal del Zorro』に変えられたという逸話が原作に書かれている。一方ドラマではアウレリャノ・ホセ(自由党支持)が芝居の途中に口笛を吹いたりして一人盛り上がっている。

ソリーリャの原作はモーロ人に土地を奪われた西ゴート人の話(8世紀の話)。ゴートが保守党を指すとなると、マコンドではモーロ人=自由党、西ゴート人=保守党になる。こんな内容は政治的すぎるというわけ。



2026年6月23日火曜日

6月23日

コロンビア大統領選が激戦で、1パーセントに満たない差で極右大統領が誕生しそうだ。8月7日が就任日。Abelardo De la Espriella。朝日新聞の表記ではアベラルド・デラエスプリエジャ。

2026年6月22日月曜日

6月22日

ケン・ローチの『オールド・オーク』を見てきた。『急に具合が悪くなる』にせよ、こういう映画が公開されていること(しかも結構ロングラン)はありがたい。

それにしても『急に具合が悪くなる』での三つの病ーー自閉症、乳がん死、認知症ーーに無縁で生きることは可能なのだろうか。これに類する病を含めたとしたら、ほとんど全員が関係してくるのではないか。と書いてみたもののそうでもないのかもしれない。大都会のど真ん中には、案外エアポケットのようにこんな人がいる空間があるのかも。

ケン・ローチは本作が最後になりそうという話もあるけれど、監督ではなくても彼のスタッフに企画はあるじゃんじゃないかと。

 

2026年6月21日日曜日

6月21日

この1ヶ月くらい、予想外のことが起きていて、そのことで進めるべきことが進まなかったり、逆にそれでも進められたこともある。災害ユートピアではないにしても、ショック状態に置かれたときだからこそ、居住いをただす気持ちになって取り組めることもある。そういうときだからこそ、言葉には敏感になる。

濱口竜介監督の『急に具合が悪くなる』を見てきた。『ドライブ・マイ・カー』から一段も二段も上にのぼったように感じた。現実世界で周りを見回すと、卑劣な悪、善意のふりをした悪しかないし。

言わずもがなとはいえ、映画では言葉が丁寧に誠実に取り扱われる。全ての言葉を詐術のために使う人、言葉をおためごかしとして使うことを身につけてしまった人に、この映画はどう映るのだろうなあ。

2026年6月21日は夏至。