2026年4月18日土曜日

4月18日

授業の始まりや身内のことで若干慌ただしかったのだが、日常に戻りつつある。4月前半の気候や気圧の激しい移り変わりも毎年のこととはいえ、年度始まりがこんな天気だとちょっときつい。

スペインの出版社Tusquets(トゥスケッツ)の創設者ベアトリス・デ・モウラが87歳で亡くなった。Tusquetsといえば、村上春樹のスペイン語版も全部(?)出している出版社だ。レオナルド・パドゥーラもたぶんそう。ベアトリスはもともと、出版社ルーメン(Lumen)で働いていたが、ルーメンの経営者であり編集者であるエステル・トゥスケッツと意見が合わなくて、ここを出て自分でトゥスケッツを立ち上げたのだ、その時の夫オスカル・トゥスケッツとともに。このオスカルはエステルの弟である。文芸記者のフアン・クルスがベアトリスにインタビューしたものが本になっていて、これを読むと1960年代以降のスペインの出版のことがわかる。

2026年4月3日金曜日

4月3日

4月2日木曜日、キューバで2010人の政治犯が釈放されるとのニュース。この中にアートアクティビストのルイス・マヌエル・オテロ・アルカンタラが含まれているのかどうかは不明。ついこの前にも彼がハンガーストライキをはじめたという知らせがあったのだが。

2026年4月2日木曜日

4月2日

翻訳している本の中に実在する映画のシーンが出てくると、当然その映画を見る、あるいは見直す。フアン・ガブリエル・バスケスの『歌、燃えあがる炎のために』を訳しているとき、その中の一篇、「空港」にロマン・ポランスキーの『ナインスゲート』の話が出てきたので、やはり見直した。『ローズマリーの赤ちゃん』とか『フランティック』もついでに。『ナインスゲート』で確かめたかったのは、若きバスケスがこの映画にエキストラ出演していたのか否かである。それとおぼしきシーンをスローモーションで何度も何度も見直した。結果は映画を見て確かめてもらいたい。で、いま読んでいる本では『パルプ・フィクション』のワンシーンが取り上げられている。サミュエル・L・ジャクソンのシーンである。この映画といえばこのジャクソンの長台詞と、ジョン・トラボルタがユマ・サーマンと踊っているところだろう。あとは冒頭と最後のファミレスのシーンか。それで見直して驚いたのが、この映画にはブルース・ウィルスが出ていたのだった。まったく記憶になかった。不思議だ。それからタランティーノも。

国際ブッカー賞でロングリストに残っていたアルゼンチンのガブリエラ・カベソン・カマラの「We are Green and Trembling」(Robin Myersによる英訳。原作タイトルは「Las niñas del naranjel」)はショートリストには残らなかった。

4月1日はいわゆる仕事始めみたいなものなので気分良くいきたいところとはいえ、去年は悪天候で、雪のようなものがちらつく寒い日だった記憶があるが、今年2026年も重い空の一日だった。夕方からは雨も寒さも一段と厳しくなった。

2026年3月28日土曜日

3月28日

メキシコの新聞にキューバのディアス・カネルのインタビューが載っている。これが3月26日木曜日付で、トランプは翌27日、次はキューバだと発言。誰も望んでいないことが起きようとしている。

2026年3月25日水曜日

3月25日

ウォルフガング・パーレンはオーストリアに生まれ、メキシコで没したシュルレアリスト芸術家である。メキシコで雑誌を出し、先住民文化を収集していた。メキシコシティのサン・アンヘルにアトリエがあった。彼の環大西洋をまたぐ芸術家たちとの広い付き合いは相当に面白いものだ。植民地的欲望に取り憑かれたコレクターとしての彼および彼の作品をいかに脱植民地的にアプローチするかということを焦点に当てた発表のある研究会があってコメントを用意した。パーレンもいた1940年のメキシコのシュルレアリスム展について、ル・クレジオの『ディエゴとフリーダ』とギジェルモ・デ・トーレの『前衛文学史』は対照的に評価しているが、これと似たような関係がカルペンティエルとオクタビオ・パスのそれぞれのシュルレアリスム論にも見出せる。先住民文化の収集者といえばカルロス・フェンテスの「チャック・モール」とカルペンティエルの『失われた足跡』だ。パーレンはすでにこの二人の小説家によって戯画化されていたのだった。かたやメキシコのアマチュア骨董品コレクター、かたやニューヨークに住むラテンアメリカ音楽学者として。


2026年3月20日金曜日

3月20日

ホセ・レサマ=リマには妹エロイーサがいた。彼女はついこの前と言ってもいい2010年、91歳でマイアミで亡くなった。マイアミにいる彼女に宛てて、兄ホセは1960年代を通じ、亡くなる1976年まで手紙を書き続けた。その手紙に基づいて、彼の晩年を再現したドキュメンタリーが『エロイーサへの手紙』だ。60分に満たない短い映像だが、丁寧に作り込まれている。『パラディーソ』の刊行やそれが巻き起こしたスキャンダル、表舞台から徐々に姿を消しながらも、コルタサルのおかげで欧米で評価されたことなどが、多くの証言者から語られる。バルガス=リョサの証言はだいたいどこかですでに彼が言っていることとはいえ貴重だし(彼の甲高い声)、私も愛読した文芸評論家エンリコ・マリオ・サンティやアントニオ・ホセ・ポンテも熱く語っている。映像の中で、レサマ=リマがレイナルド・アレナスと映っている写真が出てくる。4人が映るその写真のアレナスはかなりいい男である。長袖の縦縞のシャツの裾を細身のズボンにいれ、後ろで手を組み、少しカールした黒髪が額にかかっている。真面目な目線がこちらのレンズを向いている。右横の白いシャツ姿のレサマは、いつもの通りちょっとしかめっつらで別の方に目を向けている。全員革靴を履いているから、何かのイベントに出かけようとしているのだろうか。ひょっとするとレイナルド・アレナスが『夜明け前のセレスティーノ』でUNEAC文学賞を受賞したときのセレモニーに向かう時かもしれない。そうか、今年2026年はレサマの没後50年である。

【追記】

Marysolのキューバ映画修行 2021年5月19日付にこのドキュメンタリーの詳細な内容が書かれています。

Marysolさん、ありがとうございます。

2026年3月19日木曜日

3月19日

今日、3月19日、勤務先の大学の桜が咲いた。朝は二、三輪だったらしいのだが、午後になってますます花が開いてきた。このところ中村彝記念館と佐伯祐三記念館に立て続けに行った。あのあたりの桜も咲いているだろう。1920年代にこの二人の画家がそれぞれ建てたアトリエ付きの住宅が記念館になったもので、無料で開放されている。行った日にはどちらとも訪問者がいたので、近隣に住む人が散策のついでに立ち寄るだけではなく、遠方からも訪れている人が多いのだと思った。アトリエには家具その他の調度品がそのままの様子で並べられ、絵の方はレプリカがあるだけだが、本物は美術展で見れば良いのである。画家の生涯が短くビデオでまとめられている。佐伯祐三は下落合、目白の風景を描いている。新宿区と豊島区にまたがるこの地域は、1920年代から30年代の池袋モンパルナスの画家たちがいたところだし、もっと後には手塚治虫のトキワ荘も南長崎で、ここには落合南長崎という、新宿区と豊島区の地名を合体させた駅がある。山手通り(環6)は関東大震災後に造られた道路だという。この二つの記念館は、その山手通りの東側、下落合の聖母病院を挟むように位置している。聖母病院の向かいには旧聖母大学、現在は上智大学の校舎が建っている。カトリック系で、国際聖母病院という名前の時代もあったので、聖母病院には、いまはどうなのかはわからないけれども、かつてはハイカラな雰囲気があったらしい。高齢者福祉施設も併設されているから、ここで産まれた人は、ゆりかごから墓場まで…… もできなくはないのだろう。近辺を散策し、聖母病院通りを下ると下落合駅である。神田川沿いに散策は続く。この川沿いの桜も、今日はもう咲いているだろう。