『マイ・リトル・クィーンズ』の監督はクラウディア・レイニケ。この人はペルーに生まれてスイスで育った人。『アイム・スティル・ヒア』と展開が似ているので怖い。寅さんみたいなさすらいの男が二人の娘と事実上最後の再会になる数日を青春映画っぽく撮っているという作りだが、その男がなぜちゃらんぽらんなのか、なぜホラを吹くのか。ただのダメンズじゃない。ちょうど映画が取り扱う1990年代の初頭、毛沢東主義のセンデロ・ルミノソがJICAの技術者を殺害した事件があった。夜間外出禁止令の時間帯に外に出ることの怖さ。『ボサノヴァ 撃たれたピアニスト』も確か夜間にフラッとサンドイッチか何かを買いに出てしまってそれっきりになった話だった。アウレリャノ・ホセも夜間外出禁止令を破って外にいて撃ち殺された。
Netflixの『百年の孤独』セカンドシーズン第3話は、フェルナンダとホセ・アルカディオ・セグンドの結婚から鉄道敷設直前まで(12章、13章あたり)。マコンドではすでに映画館はあって、『ジキル博士とハイド氏』を上映している。フェルナンダがなぜ夫の放蕩生活や愛人問題を受け入れたのかが焦点だ。フェルナンダは一度はブエンディア家を出ていく決心をする。しかしそこにウルスラがあらわれる。ウルスラはフェルナンダの妊娠だけでなく、生まれてくるのは男だとも予言し、まともなブエンディア家の男を一緒に育てて教皇にしましょうとなだめ、それにフェルナンダは心を打たれるのだ。敬虔なカトリック信者であるフェルナンダとしてウルスラにそこまで言われては出ていけない。ウルスラにこうして権威づけされたフェルナンダはブエンディア家に君臨することになる。