2020年11月28日土曜日

前便の続き+チリ小説2冊

授業の準備もあと少しのところまできた。

今回のコースにあたってまず参考にしたのは、放送大学の大学院のテキストである。

宮下史朗・井口篤『中世・ルネサンス文学』放送大学教育振興会、2014年。

執筆者は上記に加えて3名、つまり合計5名で、専門はフランス、イタリア、英語(イングランド)という布陣である。

これを横に置きながら、では同じ時代をスペイン語世界から見たらどうなるのか、ということを考えながら進めることにした。

アーサー王がらみでは、昨年幸運にも小谷真理さんからいただいた『いかにしてアーサー王は日本で受容されサブカルチャー界に君臨したか』(岡本広毅・小宮真樹子編、みずき書林)は最高だった。『金マビ』も読んでいます。

そのほかには十二世紀ルネサンスに関する本もおおいに参考にさせていただいた。例えば以下の本だ。

伊東俊太郎『十二世紀ルネサンス』講談社学術文庫、2006

 


 

南仏のトゥルバドールについて、オック語のtrobadorに由来するということを踏まえたうえで、「私は、これはどうもアラビア語から来ているのではないかと思います」と伊東さんはいうのである(250頁)。

「このようにトゥルバドールのもとの意味も、彼らが用いた楽器[リュート]もアラビア起源であるとすれば、この南仏に新たに巻き起こった愛の詩と音楽はアラビア世界と深く結びついていることが示唆されます。(中略)この賢王(el Sabio)[アルフォンソ十世]の宮廷においては、アラビアと西欧の文化の交流が活発に行なわれていたことは、よく知られています。もっともそれは十三世紀のことになりますが、こうした交流がもっと遡ってスペインの地で早くから行なわれていたと想像してよいでしょう。」(251頁)

「ですからスペインのアンダルシアからカタルーニャを経てラングドック、プロヴァンスから、ずっとイタリアの北部まで、文化的にひとつながりに連っていました。そして西欧中世の特色となった騎士道とか婦人に対する礼儀の理想は、イスラム教下のスペインで、一足先に形づくられていたのですね。」(264)

ヨーロッパで最も早く紙の生産をしていたのがやはりアラビア世界経由でのスペインであったというのは印刷術の歴史の中でよく知られている(アンドルー・ペティグリー『印刷という革命』)。そして紙工場があったのは地中海に近いバレンシアの街で、そこをエル・シードが立ち寄っていたりするのが面白い。

そして、伊東さんによれば、騎士道のあの愛の礼儀もまたスペインを通過しているということなのだ。スペインは騎士道のパロディが書かれるにふさわしい土地だったと言えばいいのだろうか。

ところで「騎士道」と日本語に訳したのは誰なのだろう。「道」をつけたところに興味がある。

 -----------------------

そんな合間にチリの小説。

Nona Ferández, La dimensión desconocida, Literatura Random House, 2017 


チリの軍事独裁のことと関わる小説では、ずいぶん前にも書いたかもしれないが、以下の本についてまとめないと、と思いながら。

Arturo Fontaine, La vida doble, Tusquets, 2010.

 


2020年11月22日日曜日

スペイン・ルネサンス

スペイン・ルネサンスの授業を楽しみながらやっている。「楽しみながら」の中に、半分か半分以上の痩せ我慢が入っている。

セルバンテス『戯曲集:セルバンテス全集第5巻』水声社、2018年。

書影だけ見ても厚さはわかるまい。1000ページをこえている。


「ペドロ・デ・ウルデマーラス」と「嫉妬深い老人」が面白かった。ペドロ・デ・ウルデマーラスは、『ラテンアメリカ民話集』(三原幸久編訳、岩波文庫、2019年)にも入っているような、民話によく出てくる悪漢(ピカロ)。

「嫉妬深い老人」は幕間劇で、『模範小説集(邦題『セルバンテス短篇集』岩波文庫)』のなかの一篇「やきもちやきのエストレマドゥーラ人」とベースは同じ話。

若妻を閉じ込めておく老夫だが、しかしどんな鉄壁の防御にもすきがある。「やきもちやき…」では黒人奴隷が、そして「嫉妬深い老人」では隣家の女が、欲望をもてあます若妻のために手助けするのだ。

小説でも演劇でも、間男を連れ込む/忍び込む手練手管が見せどころということ。エンタメ要素が多いにある。

「やきもちやき…」を読んだときに、これは「やきもち」というレベルではないと思ったが、多分それもあって、こちらの劇作品の訳者は「嫉妬深い」にしたのではないか。女性の性欲を支配しようとしてもできない男の哀しみ。
 

スペイン・ルネサンスを冠した本といえば、やはり以下のものは抜きにはできない。

 

 

増田義郎『新世界のユートピア スペイン・ルネサンスの明暗』中公文庫、1989年。

この本は、そもそもは1971年、つまりはなんと今から50年前に研究社から出版されたものなのだ。それに驚いてしまうが、18年後に書かれた文庫版のあとがきで、増田義郎(1928-2016)は、こういう風に書いた当時のことを振り返っている。

「(前略)戦後まもなく、ふとしたことからスペイン語圏に興味を持ったひとりの人間が、スペイン、中南米、アメリカ合衆国で、本や史料をさがし、読みあさったあげくに、その読書のあとを辿って書いた、スペイン・ルネサンス試論である。スペインの歴史や文化には、われわれを引きつける興味ぶかい事実がたくさんあること、また十六世紀スペイン史は、近現代史の焦点となる多くの問題点をはらんでいることなどを世間に訴えたかったのだろう。」

増田がこの本で言及している騎士道物語、半世紀前には翻訳がなかったが、『ティラン・ロ・ブラン』『アマディス・デ・ガウラ』『エスプランディアンの武勲』までが日本語で読める。

すごいことだ。

2020年11月21日土曜日

村上龍『アメリカン★ドリーム』/アンドレス・フェリペ・ソラーノ『熱の日々』など

村上龍の『アメリカン★ドリーム』(講談社文庫、1985年)を読んでいたら、へえと思うような内容が。


「(前略)横田基地の周辺を描いたこの小説[『限りなく透明に近いブルー』]では、アメリカ兵から麻薬を貰い、アメリカ兵の性器を受け入れ、アメリカ(イギリス)の音楽を好む日本人の若い男女が描かれていた。/それが、「日本は今だに占領されている」という意識を持つ批評家を不愉快な気分にさせたのは当然だ。恐らく私のこのデビュー作は、後年、日本の「被占領性」を露呈したものとして、判断が下されるだろう。」(134ページ)

ちなみに、ここの「批評家」とは柄谷行人のことである。この話はいろんなところで見聞きした記憶がある。村上龍はバブル時代に、『Ryu's Bar』というテレビ番組とかもやっていたし、そこだったかもしれない。

そしてもっと面白いのが以下の一節。

「当時、江藤淳は、「…………ブルー」を酷評した。「植民地文学」「サブ・カルチャー」という言葉が使われた。江藤淳もさぞかし不愉快だったのだろう。気付いていたからだ。「植民地文学」と「サブ・カルチャー」しか残っていないと気付いていたからである。江藤淳は、もし小説家だったら、三島、川端に続いて自決していただろう。入水か薬物と言うオーソドックスな方法で。私達は江藤淳氏死すの報に接していたはずだ。それほど鋭い人物である。」(135ページ)

江藤淳(1932-1999)が田中康夫の『なんとなく、クリスタル』を評価し、村上龍の『限りなく…』を酷評したのは知っていたが(この辺りは加藤典洋『アメリカの影』に詳しい)、村上龍は江藤淳に言われたそのことに応答しているわけだ。

このときの村上龍には想像できなかったが、江藤淳は本当に自殺する。

江藤淳のいう「植民地文学」というのは、「宗主国文学」というのがあって、それより低いものとしてある植民地の文学ということだ。

自分たちの日常を取り巻くあらゆるモノ(言葉や思想も)が自分のものではない占領状態にある。それを低レベルだとして、そこから抜け出して自己を打ち立てることが、優れた素晴らしいこととしている。憲法改正みたいに。

で、村上龍は江藤に対して、こう言うのである。「私は、最近、自分の役割が少しずつわかってきた。私は、日本の「被占領性」をさらに露呈させるために、小説を書くのである。」 

日本が占領されていることを明かしだてて、批評家連を苛立たせようというのが村上の試みというわけで、なるほど、そうしてみると、占領するアメリカを追い出した国であるキューバの音楽にいれこんで、ミュージシャンを連れてきたり、キューバ音楽本を出したりすることはそういうふうに読める。ほら、キューバはこうしているよ、日本にはできないでしょ、という。

キューバに絡んだ日本の作家というと、村上龍の20歳年上の小田実(1932-2007)はキューバ訪問のあと、ベ平連へ。

-------------------------------------

以下は、最近届いたコロンビア作家の本。

アンドレス・フェリペ・ソラーノはコロンビア出身の作家。1977年生まれ。彼は2013年から韓国に住んでいる。その彼が韓国におけるコロナウィルスとのたたかいを本にした。

Andrés Felipe Solano, Los días de la fiebre: Corea del Sur, el país que desafió al virus, Editorial Planeta, 2020.

 


 

柳美里さんの受賞した全米図書賞の最終候補の一冊だったのが、コロンビアの作家ピラール・キンタナの本。

Pilar Quintana, La perra, Literatura Random House, 2020[初版2017].

2019年にはバスケスの短篇集が出ていました。

Juan Gabriel Vásquez, Canciones para el incendio, Alfaguara, 2019.


--------------------------------

岩波の世界』12月号、藤沢周さんが書評欄『読書の要諦』で、ガレアーノ『日々の子どもたちーーあるいは366篇の世界史』に触れてくださった。ありがとうございます。出版されてからそろそろ1年。この1年が過ぎつつある。この1年が。

2020年11月19日木曜日

アンゴラ作家ジョゼ・エドゥアルド・アグアルーザ『忘却についての一般論』

アンゴラのポルトガル語作家ジョゼ・エドゥアルド・アグアルーザの本が日本語になった。

ジョゼ・エドゥアルド・アグアルーザ『忘却についての一般論』(木下眞穂訳)、白水社、2020年)


実はこの本のことは知っていて、翻訳が出るとは思っていなかったので、スペイン語版を入手していた。2015年にアルゼンチンで出て、2017年にスペインでも。

José Eduardo Agualusa, Teoría general del olvido(Traducción de Claudia Solans), Edhasa, Barcelona, 2017. 


この本の存在を知ったのは、キューバのアンゴラ派兵のことを調べている時に読んだ論文がきっかけで、未読のままアンゴラ関係の本と一緒にしまわれていた。

その論文ではこの本の一節をエピグラフに置いていたので目を引いた。以下のような一節だ。

「あんたやあんたのお仲間は『社会主義』だの『自由』だの『革命』だのごたいそうなことを言って口が満たされるんだろうさ。だけど、その傍らで人が痩せ衰え、病気になり、大勢が死んでいる。演説は栄養にはならないよ。(中略)あたしに言わせればね、革命ってのは、まず国民を食卓に座らせることを先にしようって、そういうものでなくちゃね」(『忘却についての一般論』103ページ)

作者は1960年生まれ。アンゴラに生まれ、ポルトガルやブラジルにも住んだことがある。

キューバのアンゴラ派兵は1975年11月。ポルトガルのカーネーション革命が1974-1975でポルトガルの独裁が終了でアンゴラ独立なのだが、直ちに内戦突入。スペインではフランコがこの年に死んで、西サハラの独立が1976年。

イベリア半島の独裁終了がアフリカの内戦につながり、それが冷戦の代理戦争のように見えながら、キューバの場合には血の同盟としての派兵が行われ(カストロの演説「キューバはラテンアフリカである」)、そう、それは「カルロータ作戦」という、キューバで19世紀に蜂起した女性奴隷の名前から取られた作戦名だった。

その後キューバでは例えば、エリセオ・アルベルト(1951-2011)の『カラコル・ビーチ Caracol Beach』(1998)がアンゴラ帰還兵の物語。さらにはカルラ・スアレス(1969-)の『英雄の息子 El hijo del héroe』(2017)となる。

いや、エリセオ・アルベルトやカルラ・スアレスの前に、アンヘル・サンティエステーバン(1966-)の『真夏の日の夢 Sueño de un día de verano』が1995年に出ている。

『忘却についての一般論』はポルトガル語では"Teoria Geral do Esquecimento"。

-----------------

ついこの前は、都内のとある中高一貫校で模擬授業をやってきた。いろんな大学から様々な専門分野の先生がやってくるという催しで、オンラインの先生もいたようだが、半数くらいは対面授業でやったようだ。高校では教壇にアクリル板は置いてあって、マスク必須だったけれども、いつものように授業が行われている。こちらは久しぶりの対面型の講義で、目の前に顔があることはありがたいと思った。

秋が深まったと思ったら、ここ数日はやたらに温度が高い。写真は11月なかば。

 


2020年11月1日日曜日

11月の本探し(アレクシスとカルペンティエル)

去年の秋に取ったメモを読み返していて、その時に読んでいた本を探そうとしたらなかなか見つからず、けっこう焦ってしまった。本の大きさや書影を思い違いしていて、余計に時間がかかった。こういうときのために、ブログに書いておくとあとあと自分が助かる。

1956年パリで開かれた第1回黒人作家芸術家会議でハイチのジャック・ステファン・アレクシス (Jacques Stephen Alexis, 1922-1961)は、「ハイチの驚異的リアリズム(Du réalisme merveilleux des Haïtiens)」と題した講演を行った。

『プレザンス・アフリケーヌ』誌(8-10、1956年6月-11月)に掲載されている。

 

 

なんだか、アレホ・カルペンティエル(Alejo Carpentier, 1904-1980)の「驚異的な現実 lo real maravilloso」と関わっていそうな感じがする。

カルペンティエルがこの用語を使ったのは、1949年に発表した『この世の王国』の序文である。

アレクシスの講演にはカルペンティエルへの言及はない。

で、この両者を比較分析したのが、アルゼンチンのカリブ文学研究者グアダルーペ・シルバ(Guadalupe Silva)の論考である。

題して、「驚異的な現実をめぐるカリブ言説ーージャック・ステファン・アレクシスとアレホ・カルペンティエル(El discurso caribeño de lo real maravilloso: Jaques Stephen Alexis y Alejo Carpentier)」。

なかなか見つからなかったこの文章、以下の本にある。

Guadalupe Silva y María Fernanda Pampín(Compiladoras), Literaturas caribeñas: Debates, reescrituras, tradiciones, Editorial de la Facultad de Filosofía y Letras, Universidad de Buenos Aires, 2015

 


この論文を紹介する余裕は今はないのだが、一応おさえておくこととして、カルペンティエルは『この世の王国』を書くにあたって、「ハイチ民族学研究所(el Instituto de Etnología Haitiana)」とコンタクトを取っている。

この研究機関は1941年設立。創立者はジャン・プリス(プライス)・マルス(Jean Price-Mars, 1876-1969)、ジャック・ルーマン(Jacques Roumain, 1907-1944)、そしてピエール・マビーユ(Pierre Mabille, 1904-1952)である。

アレクシスの講演はスペイン語に翻訳されていて、こちらはネットで見つかる。