2023年2月27日月曜日

2月27日 La casa verdeの難所(5)

さらにLa casa verdeについて。

1部4章Cでアドリアン・ニエベスは伍長と使用人を置いて一人で逃げて、最終的にはフシーアとラリータに助けられる。

2部0章もまた難所である。

小型船がサンタ・マリア・デ・ニエバに着いてフリオ・レアテギが下船し、彼を出迎える面々がいる。現在形を中心に、過去形が入ってくる。フリオはイキートスからやって来たようである。

ファビオ・クエスタ:かつてイキートスにいてホテル経営をしていたが、現在サンタ・マリア・デ・ニエバの行政官。前任者はフリオ・レアテギ。

以下の3名はすでに出てきた。

マヌエル・アギラ

ペドロ・エスカビーノ

アレバロ・ベンサス

フリオ・レアテギは彼らと一通り挨拶し、その後、ファビオ・クエスタとともに伝道所の住居へ向かう。マザー・グリセルダに迎えられた後、待っている間に二人の男は会話を続ける。

No había duda, don Fabio estaba contento en Santa María de Nieva, con qué orgullo contaba las cosas de acá, ¿era esto mejor que administrar el hotel?, si hubiera seguido allá, en Iquitos, tendría ahora una buena situación, don Fabio, es decir, económicamente. Pero el gobernador ya estaba viejo y, aunque le pareciera mentira al señor Reátegui, no era hombre de ambiciones. ¿Así que no aguantaría ni un mes en Santa María de Nieva?, don Julio, ya veía que aguantó y, si Dios lo permitía, no saldría nunca más de aquí. ¿Por qué se empeñó tanto en este nombramiento?, Julio Reátegui no acababa de entenderlo, ¿por qué quiso reemplazarlo, don Fabio?, ¿qué buscaba?, y don Fabio ser, que no se riera, respetado, sus últimos años en Iquitos habían sido tan tristes, don Julio, nadie podía saber las vergüenzas, las humillaciones, cuando él lo llevó al hotel vivía de la caridad. Pero que no se pusiera triste, aquí en Nieva todos lo querían mucho, don Fabio ¿no consiguió lo que buscaba? Sí, lo respetaban, el sueldo no sería gran cosa, pero con lo que el señor Reátegui le daba por ayudarlo le bastaba para vivir tranquilo, también esto se lo debía, don julio, ah, no tenía palabras. (p.143)

「間違いない、ドン・ファビオはサンタ・マリア・デ・ニエバにいられて満足している、こちらでの出来事をさぞ誇らしく語っている、ホテルを経営するよりこっちのほうがいいのかね?、もしイキートスに居続けたらいまごろいい状況になっていたはずだねドン・ファビオ、経済的にという意味だが。しかし行政官はすでに年齢も年齢で、レアテギ氏には本心には聞こえないが、野心のある人間ではなかった。だからサンタ・マリア・デ・ニエバでは一ヶ月ともたないでしょうですってドン・フリオ?、もったことがすでにわかったでしょう、もし許されるならここから二度と出るつもりはない。なぜ彼がこのポストにこれほどこだわったのか?フリオ・レアテギにはそれがわかっていなかった、なぜ自分の後任になりたかったのだねドン・ファビオ?、何を求めていたんだね?するとドン・ファビオは、笑わないでください、尊敬されたかったのですよ、イキートスの最後のころはかなり悲しいものでしたからドン・フリオ、誰一人として恥辱や屈従を知らず、彼[フリオ]がホテルに連れていったとき、施しで暮らしていた。しかし悲しくならんでいい、ここニエバではみんなが必要としてるよドン・ファビオ、探していたものを得たのではないかね?確かに尊敬されていた、給料は大した額ではないが、レアテギ氏が手助けでくれたものでやっていくのに十分だった、このこともあなたのおかげですドン・フリオ、ああ感謝しきれません」

いずれにしても自由間接話法は訳しにくい。呼びかけ語がない場合には地の文に近づけ、呼びかけ語の前後で口語っぽさを出している。

Julio Reátegui cierra los ojos, don Fabio queda pensativo, su mano lenta, afectuosamente recorre la calva: de veras, ¿sabía don Julio que murió la madre Asunción?, ¿recibió su carta? La había recibido y la señora Reátegui escribió a las madres dándoles el pésame, él añadió unas líneas, una buena persona la monjita y don Fabio había hecho algo que no era muy legal, poner a media asta la bandera de la Gobernación, don Julio, para asociarse al duelo de alguna manera y ¿la madre Angélica estaba bien?, ¿siempre fuerte como una roca, esa viejecita? Se oyen pasos y ellos se ponen de pie, van al encuentro de la superiora, don Julio, madre, una mano blanca, era un honor para esta casa tener de nuevo aquí al señor Reátegui, qué contenta estaba de verlo, por favor, que se sentaran y ellos justamente estaban hablando, madre, recordando a la pobre madre Asunción. (p.144)

「フリオ・レアテギは目を閉じ、ドン・ファビオは考え込み、片手はゆっくり優しく禿げた頭部を撫でる--本当に、ドン・フリオはマザー・アスンシオンが死んだことを知っていますか?手紙は受け取りましたか?手紙は受け取り、レアテギ夫人がマザーたちにお悔やみの手紙を書き、彼が数行付け加えた、修道女は善人だったな、ドン・ファビオはあまり合法とは言えないことを行なった、役所で半旗にしましてねドン・フリオ、何らかの形で追悼に加わろうとしまして、マザー・アンヘリカは元気かな?いつも岩みたいに強靭だな、あの方は?足音が聞こえ、彼らは立ち上がり、修道院長を迎えに行き、ドン・フリオ、マザー、白い手、レアテギ氏をこの館に改めて迎えるのは光栄で、お目にかかれて大変嬉しいです、お願いですから腰掛けてください、すると彼らはちょうど話していましてね、マザー、かわいそうなマザー・アスンシオンを思い出していましてね」

ここではドン・フリオやドン・ファビオが呼びかけ語ではない局面でも使われているように見えるが(1行目と4行目のドン・ファビオと2行目のドン・フリオ)、発話のように訳したり。地の文と思考や会話の継ぎ目を曖昧にしつつ。

だんだん自由間接話法の訳し方の話になっている・・・・・・




2023年2月23日木曜日

2月23日 La casa verdeの難所(4)

1部3章Cは出だしから当惑させられるのだが、何行か読んでいくと場面がつかめる。ボルハの駐屯地での志願兵(大尉が言及していた)の訓練をささっと描写しているのだ。志願兵がボルハに着いた直後のことで、それが終わって以下の場面になる。

Y una mañana viene el cabo Roberto Delgado, un paso adelante el recluta que era práctico y Adrián Nieves a sus órdenes, mi cabo, él era. ¿Conocía bien la región, río arriba? y él como esta mano, mi cabo, río arriba y también río abajo y entonces que se preparara que se iban a Bagua. Y él llegó el momento Adrián Nieves, ahora o nunca. Parten a la mañana siguiente, ellos, la lanchita, y un sirviente aguaruna de la guarnición. (p.99)

「するとある朝、ロベルト・デルガード伍長がやってきて案内人の志願兵は一歩前へ、するとアドリアン・ニエベスが、お申し付けください伍長、自分です。その地域、上流をよく知っているか?すると彼は、お安い御用です伍長、上流と下流も、するとバグアに行くから用意しろ。すると彼は、好機だアドリアン・ニエベス、いま行かなければ二度とない。彼ら、小型船、駐屯地のアグアルナ族の使用人は翌朝出発する。」


こうして出発した彼らの道中の描写には別の話が入り込んでくる。

El cabo Roberto Delgado viaja contento, habla y habla, llegó un teniente costeño que quiso conocer el pongo, ellos es peligroso, mi teniente, ha llovido mucho, pero él quiso, y fue y la lancha se volcó y se ahogaron todos y el cabo Delgado se salvó porque se inventó una terciana para no ir, habla y habla. El sirviente no abría la boca, mi cabo, ¿el capitán Quiroga era selvático?, Adrián Nieves era el que le conversaba. (下線引用者、p.99)

ロベルト・デルガード伍長は旅行を楽しみ、話が止まらず(habla y habla)、その話の一つが沿岸地方出身の中尉(teniente)のことだ。そこは点過去形(llegó)が使われている。habla y hablaの後のllegóのところが最初はどうしてもわからなかった。一旦わかってしまうと楽だ。

pongo[ポンゴ]は「川の狭くなった危険なところ」を意味する単語で、語源はケチュア語である。フランス語ではcluse(横谷)。「横谷」があるということは、「縦谷」もあるということで、これは「横谷」だろう。

結局3人(デルガード伍長、案内人、使用人)は2日かかってウラクーサに到着。

1部3章Cのことはここまでにしておいて、続く1部4章は、1部3章と同じ配列。

A 伝道所

B フシーア

D アンセルモ

C デルガード伍長ら(ウラクーサ)

E リトゥーマ


Cパートは伍長、ニエベス、使用人がウラクーサに泊まった翌朝のことだ。ここははっきりと前章の続きとわかる。

Y a la madrugada se levantan para seguir viaje, bajan el barranco y la lanchita no está. Comienzan a buscarla, Adrián Nieves de un lado, del otro el cabo Roberto Delgado y el sirviente y, de repente, gritos, piedras, calatos y ahí está el cabo, rodeado de aguarunas, le llueven palos, también al sirviente y ahora lo han visto y los chunchos corren hacia él, miéchica, Adrián Nieves, te llegó tu hora, y se tira al agua: fría, rápida, oscura, no saques la cabeza, más para adentro, que lo agarre la corriente, ¿flechas?, se lo jale río abajo, ¿balas?, ¿piedras?, miéchica, los pulmones quieren aire, la cabeza anda mareada como un trompo, cuidado con el calambre. (p.129)

「すると明け方彼らは起床して旅を続けようと、崖をおりると小型船がない。探しはじめ、アドリアン・ニエベスはいっぽうへ、ロベルト・デルガード伍長はもういっぽうへ、そして使用人も、すると突然、怒鳴り声、石、裸の男たち、するとそこに伍長がいたので、アグアルナ族に囲まれ、棒で叩かれ、使用人も叩かれ、すると彼も見つかって、先住民たちは彼に向かって駆け出し、くそ、アドリアン・ニエベス、これで最期だ、そして水に飛び込む--冷たく、流れは早く、暗く、おまえ頭を出すんじゃない、もっと深く、流されろ、矢か?下流まで引っ張られろ、銃弾か?石か?くそ、肺が空気を欲しがっている、頭がコマのように回っている、痙攣に気をつけろ。」


ここにきてわかるのは、「くそ、アドリアン・ニエベス、これで最期だ」のところが、ニエベスが自身に向かって言っていることだ(te llegó tu hora)。そうすると、このエントリーの上の方で引用した、Y él llegó el momento Adrián Nieves, ahora o nunca.のところは、上では「すると彼は、好機だアドリアン・ニエベス、いま行かなければ二度とない」と訳したが、ここは伍長がニエベスに言っているとも、またニエベスが自身に言っているとも読めてくる。ニエベスが自身に言っているとすれば(そのように読んだ方がいいと思うが)、ニエベスは今の境遇から逃れたいと思っているともとれる。

こうしてCパートに絞って読んできて、文体的な特徴がかなりつかめた。




2023年2月22日水曜日

2月22日 La casa verdeの難所(3)

 続いて1部3章では、パートが入れ替わっている。今まで3番目にあったサンタ・マリア・デ・ニエバの白人事業者たちのパートではない。小型船で軍人がどこかに到着したところから始まるパートが4番目に来ている。現在形の描写を中心としてそこに過去時制が混ざってくる文体的な特徴から見て、ここは2章のCと共通する。なので以下のように並んでいる。

A 伝道所

B フシーア 

D アンセルモ

C デルガード伍長(ボルハの駐屯軍から移動)

E リトゥーマ


それにしてもこのCパートはわかりにくい。1部1章Cに戻ってみると、舞台を読み違えていたことに気づいた。サンタ・マリア・デ・ニエバではなく、ボルハの駐屯地と思われる。

この1部1章Cで出てくるのは

el cabo Roberto Delgado(デルガード伍長):Bagua出身

el capitán Artemio Quiroga(キローガ大尉)

二人はボルハの駐屯地にいる。ボルハはサンタ・マリア・デ・ニエバからマラニョン川を下ったところにある。

下った、と書いたが、そもそもマラニョン川の流れる方向が感覚的につかみにくい。リマの右上(北東)のアンデス山脈の中のChingalpoあたりが源流で、そこから北西の方角に流れている。その後、このCにも出てくるバグア(Bagua)近くから北西に向かって下っている(Baguaはマラニョン川沿いの村ではない)。それからマラニョン川は最終的にはアマゾン川になる。

バグアあたりからますます下りながら(と言ったって、どれくらいの傾斜なのかわからないが)、ウラクーサ(Urakusa)やサンタ・マリア・デ・ニエバを通っていく。ちなみにUrakusaはUracuzaという綴りでも見つかる。

ウラクーサにはアグアルナ族が居住している。

1部1章Cは最初はサンタ・マリア・デ・ニエバでの話だと思っていたが、上に書いたようにボルハの駐屯地である。デルガード伍長がキローガ大尉に休暇申請して、案内人を連れて行きたいと希望すると、大尉と伍長のあいだで以下のように「会話」する。

Entre los reclutas que llegaron la semana pasada había un práctico, que se llevara a ése y a un sirviente que fuera de la región. Eso sí, tres semanas, ni un día más y el cabo ni uno más, mi capitán, se lo juraba. Choca los talones, saluda y en la puerta se detiene con perdón, mi capitán, ¿cómo se llamaba el práctico? Y el capitán Adrián Nieves y el cabo ya se estaba yendo que él tenía trabajo atrasado. (p.48)

「先週着いた志願兵の中に案内人がいるから、そいつと、その地方出身の使用人を連れて行け。そう、[休暇は]3週間で1日も延ばすな、すると伍長は1日も延ばしません大尉、誓います。踵を鳴らして敬礼して、ドアのところで立ち止まり、すいません大尉、案内人はなんという名前ですか?すると大尉はアドリアン・ニエベス、すると伍長はすでに出て行くところで、仕事が遅れているのです。」

こうして、1部1章Cから1部2章Cの最後(「ウラクーサで伍長と案内人とボルハの駐屯軍の使用人に起きたことを知らないのか?つい先週のことだよドン・フリオ、そして彼は何だ、何があったんだ。」)の繋がりが確認できて、これでようやく1部3章Cに入れる。

もちろん「繋がり」と言っても、読後に頭にふわっと残るストーリー展開が、その後の方でふわっと繋がっていくので、章ごとのCだけを取り出して繋げても繋がらない。




2023年2月21日火曜日

2月21日 La casa verdeの難所(2)

前のエントリーの続き。

サンタ・マリア・デ・ニエバで繰り広げられる白人たちの会話は、このパートの冒頭では4名だったのだが、途中から増えている。白人たちはアグアルナ族と取引をしようとしていたのだが、ese par de tiposに邪魔をされた経緯をJulio Reáteguiに訴えている。訴えの場面から出てくるのが以下の2名。

Bonino Pérez

Teófilo Cañas

しかしそこにはさらに、intérprete(通訳)とアグアルナ族のJumもいる(もっと言えば、Jumのほかに老人の小男もいる)。Bonino Pérezは、アグアルナ族がいくらでゴムを売ったのかを訊くと、Jumは通訳を介して、質が良ければキロあたり2ソル、普通のなら1ソルと答える。その続きが以下のようになる。ここでも線過去形が出てくるのが特徴。Bonino Pérezとフルネームを使うので地の文のように始まるが、動詞は線過去lo sabíaで、すぐ後にhermanoと呼びかけ語が使われている。

Bonino Pérez lo sabía, hermano, la puta que los parió, qué cabrones tan cabrones, y al intérprete: malos peruanos, ellos lo vendían a veinte el kilo, los patrones cojudeándolos, que no se dejaran, hombre, que llevaran el caucho y las pieles a Iquitos, nunca más comercio con esos patrones: tradúcele eso. Y el intérprete ¿diciéndoles?, y Bonino sí, ¿patrones robándoles diciéndoles?, y Teófilo sí, ¿malos peruanos diciéndoles?, sí, sí, ¿patrón cojudeando diciendo? y ellos sí, sí, carajo, sí: diablos, ladrones, malos peruanos, que no se dejaran, sí, carajo, sin miedo, traduciendo eso. (p.74)

ここでpatronesはese par de tiposのことを指しているのだろう。

考えてみれば、この本の1部0章にあたるところ、すなわち冒頭でも現在形の中に線過去形が入ってくるのが特徴だった。

El sargento echa una ojeada a la madre Patrocinio y el moscardón sigue allí. La lancha cabe- cea sobre las aguas turbias, entre dos murallas de árboles que exhalan un vaho quemante, pegajoso. Ovillados bajo el pamacari, desnudos de la cintura para arriba, los guardias duermen abrigados por el verdoso, amarillento sol del mediodía: la cabeza del Chiquito yace sobre el vientre del Pesado, el Rubio transpira a chorros, el Oscuro gruñe con la boca abierta. Una sombrilla de jejenes escolta la lancha, entre los cuerpos evolucionan mariposas, avispas, moscas gordas. El motor ronca parejo, se atora, ronca y el práctico Nieves lleva el timón con la izquierda, con la derecha fuma y su rostro muy bruñido permanece inalterable bajo el sombrero de paja. Estos selváticos no eran normales, ¿por qué no sudaban como los demás cristianos? Tiesa en la popa, la madre Angélica está con los ojos cerrados, en su rostro hay lo menos mil arrugas, a ratos saca una puntita de lengua, sorbe el sudor del bigote y escupe. (下線部引用者, p.13)

ここの後半は以下のように訳せるだろう。

「案内人のニエベスはハンドルを左手で握り、右手ではタバコを吸い、てかてかに光る顔立ちは麦わら帽子の下でも変わらない。この密林の連中は普通じゃない、なぜほかの人間のように汗をかかないのだ?マザー・アンヘリカは船尾で体を硬直させたまま、両目を閉じており、顔には少なく見積もっても千本の皺が刻まれ、ときどき舌先を出しては上唇のあたりの汗をすすって吐いている。」

そしてこの後、地の文のように始まって動詞が線過去になる特徴的な文体が再び現れる。

El moscardón bate las alitas azules, despega con suave impulso de la frente rosada de la madre Patrocinio, se pierde trazando círculos en la luz blanca y el práctico iba a apagar el motor, sargento, ya estaban llegando, detrás de esa quebradita venía Chicais. (下線部引用者、p.13)

「アブが青い羽をばたつかせ、マザー・パトロシニオのピンク色の額からすっと飛び立って、円を描きながら白い光の中に消え、案内人はエンジンを切ろうとして、軍曹、もう着きますよ、その小さくて狭い谷の向こうがチカイスですから。

現在形は描写に使われ、線過去形は思ったことや言ったことに使われている。こうして整理してみると、1部2章Cはだいぶわかりやすくなってくる。

そして1部2章Cの最後は以下の通り。

¿No sabía lo que pasó en Urakusa con un cabo, un práctico y un sirviente de la guarnición de Borja? La semanita pasada, nomás, don Julio y él qué, qué había pasado. (p.75)

「ウラクーサで伍長と案内人とボルハの駐屯軍の使用人に起きたことを知らないのか?つい先週のことだよドン・フリオ、そして彼は何だ、何があったんだ。」





2023年2月19日日曜日

2月19日 La casa verdeの難所 (1)

Mario Vargas LlosaのLa casa verde(1966)には難所がある。

この小説はまず、全体が4部とエピローグに分かれている。要するに5部ある。ここにすでにこの本の読み方が示されているようだ。一冊の本に5つの小説が入っていることだ。

実際、この「部」にあたるところを、スペイン語では、Uno, Dos, Tres, Cuatro, Epílogoと書いてある。つまり「1部」をPrimera parteとは表記していない。

そしてその各部が概ね4つの章に分かれている(そうではないところもあるが)。章はスペイン語ではCapítuloである。1章はCapítulo I, 第2章はCapítulo IIと、章番号にはローマ数字を使っている。

こんな表記の仕方はどうでもいいと言えばいいのだが、のちのちのために書いておく。

さらにその章の中は、概ね5つのパートに分かれている。ここも5である。パートと言っているが、これは便宜的な言い方である。パートが変わるごとに1行空いている。1行の空白があり、人物・舞台が違ってくるので、パートの見分けがつかない人はいない。

実はこれでもまだ説明は終わっていない。実は各章の頭には、数字の振られていないパートがある。ここは数字が振られていないので、便宜的に0章とする。

Kindle版を使って読んでいるのだが、1部の目次を見ると、以下のようになっている。


Uno

 Capítulo I

 Capítulo II

 Capítulo III

 Capítulo IV


Unoと書かれたページをめくると、いきなり文章が始まり、そこは章番号が置かれていない。だから0章と理解しているのだが、しばらく進むとその部分が終わり、1章がはじまる。

つまりこの0章にあたる部分は目次には見えない、隠された部分である。小説家がこういう隠された部分を置いたら、なんらかの意味づけがあるとみて間違いないだろう・・・5つあるが、4に見せている。

さて、次いで章のなかにある5つのパートについての説明が必要だ。便宜的にアルファベットを使う(La casa verdeのスペイン語版ウィキペディアはこの方式を使っている)。


A 伝道所(サンタ・マリア・デ・ニエバ)

B フシーア(マラニョン川を航行中)

C 兵舎(ボルハ)

D アンセルモ(ピウラ)

E リトゥーマ(ピウラのマンガチェリーア地区)


以上が1部の1章にある5つのパートである。かっこの中は物語が展開する場所である。ピウラが2つのパートで使われている。つまり5つに見せて4つでもあるのだ。5であり、4でもある。全体が4部+エピローグであることと同じだ。


さて、現在解読に苦労しているのは、Uno(日本語だと1部)のCapítulo II(日本語だと2章)である。

1部2章の5パートは次のようになる。


A 伝道所(1章の続き)

B フシーア(1章の続き)

C フリオ・レアテギを中心として白人行政官や事業者たち(サンタ・マリア・デ・ニエバだが1章とは続いていない)

D アンセルモ(1章の続き)

E リトゥーマ(1章の続き)


かっこの中に書いたように、1章でAに該当するパートは、2章のAに物語としては続いている。BDEも同様である。ところがCパートは続いていない。だからややこしい。登場人物を挙げる。


Julio Reátegui

Manuel Águila

Pedro Escabino

Árevalo Benzas


彼らはビールを飲んでいる。


Él mismo sirve los vasos; la espuma blanca burbujea, se infla y rompe en cráteres:(...)(La casa verde, Debolsillo, p.71。以下スペイン語の引用ページは、Penguin Random Houseのポケット版[Debolsillo]の、2022年刊行の12版に基づく )

「彼自ら[フリオ・レアテギのこと]がコップに注ぐ。白い泡ができて膨らんで壊れてクレーター状になる。」


近くにアグアルナ族が見える。


un grupo de aguarunas muele yucas en unos recipientes barrigudos,(...) (p.71)[英訳 a group of Aguarunas are grinding cassava into some fat-bellied receptacle,]

「アグアルナ族の一団が下部の膨らんだ容器でユカをすり潰している、」


分かりやすいのはこれくらいだ。続きは以下のようになる。

Arriba, en las colinas, la residencia de las madres es un rectángulo ígneo y, en primer lugar era un proyecto a largo plazo y aquí los proyectos no prosperaban, Julio Reátegui creía que se alarmaban en vano. Pero Manuel Águila no, nada de eso, gobernador, se pone de pie, ellos tenían pruebas, don Julio, un hombrecillo bajo y calvo, de ojos saltones, ese par de tipos los habían maleado. Y Arévalo Benzas también, don Julio, se pone de pie, dejaba constancia, él había dicho detrás de esas banderas y de esas cartillas hay otra cosa y él se opuso a que los maestros vinieran, don Julio, y Pedro Escabino golpea la mesa con su vaso, don Julio: la cooperativa era un hecho, los aguarunas iban a vender ellos mismos en Iquitos, se habían reunido los caciques en Chicais para hablar de eso y ésa era la verdadera situación y lo demás ceguera. (La casa verde, Penguin Random House, p.72、下線引用者)

[英訳 Up above, on the hillside, the nuns' Residence is a fiery rectangle and, in the first place, it was a long-term project and projects didn't do too well here, Julio Reategui thought that they were worrying over nothing. But Manuel Aguila no, nothing like that, Govenor, he stands up, they had proof, Don Julio, a small man, short and bald, with bulging eyes, those two guys had subvertied them. And Arevalo Benzas too, Don Julio, stands up, there was proof, he had said that there was something else behind those flags and those books and he had been against the teachers' coming, Don Julio, and Pedro Escabino bangs his glass on the table, Don Julio: the cooperative was a fact, the Aguarunas were going to sell for themselves in Iquitos, the chiefs had got together in Chicais to talk about that, and that was the way things were and a person had to be blind.(The Green House, HarperCollins Publishers, p.47)]



地の文は現在形で示されている(出だしのes)。一方、線過去があるが、その箇所は人物の言ったこと・思ったことを示していると理解できる。Dijo queとかが省略されている文体だ。


しかしその中で2行目のJulio Reátegui creíaのところは線過去だ。Julio Reáteguiとフルネームで書かれているので誰かからの呼びかけではなく、地の文のようだ。それ以外の人物を見れば、地の文ではフルネーム表記で進んでいることがわかる。


こういうところでつっかえてしまってなかなか進まない。


ここも後から振り返ると、ペドロ・エスカビーノが言っていることは重要で、「協同組合」に腹を立てている。「協同組合は既成事実で、アグアルナ族はイキートスで自分たちで商売しようとしている、すでにチカイスで首長たちが集まってそのことを相談している・・・」と。


この「協同組合」をスペイン語で言うのがアグアルナ族のフムだ。