2017年12月31日日曜日

さらにキューバ本3冊

①John A. Loomis, Revolution of Forms: Cuba's Forgotten Art Schools(Updated Edition), Princeton Architecture Press, 2011(初版1999), New York.


1961年にハバナの西、ゴルフ場だった場所に建設が着手された国立芸術学校(美術、音楽、舞踊、演劇部門に特化したもの)。

65年に建設計画は中絶し、そのまま見捨てられた。設計したのはキューバの建築家リカルド・ポーロ(Ricardo Porro, 1925-2014)。

彼は革命が成就すると滞在先のベネズエラから戻った。しかしその彼も66年にはヨーロッパへ脱してしまう。

この本はこの学校の建築計画から辿ったもの。スペイン語の翻訳も出ている。

出典は不明だがホセ・マルティの「形式の革命が本質の革命」がエピグラフ的に引かれている。

ここには本の紹介があり、ここから芸術学校建設のドキュメンタリー(ウンベルト・ソラス監督、Variaciones)を見つけた。ただのドキュメンタリーではないのが良いのだが。

日本では岡田有美子さんと服部浩之さんがキューバの芸術について書いていて、ここで読める。引き続き注目したい。

②Birkenmaier, Anke and Esther Whitfield(ed.), Havana beyond the ruins: Cultural Mappings after 1989, Duke University Press, Durham and London, 2011.



たくさん出ている「1989年以降のキューバ本」の一つ。

ラファエル・ロハス、アントニオ・ホセ・ポンテといった面々の他に、オルランド・ルイス・パルド・ラソ(Orlando Luis Pardo Lazo, 1971-)の写真が何枚か入っている(例えばハバナのロシア正教会)。

③最後は料理本。

Ana Sofía Peláez and Ellen Silverman, The Cuban Table, St. Martin's Press, New York, 2014.


映画『ムーンライト』や『シェフ 三ツ星フードトラック始めました』でキューバ料理レストランやキューバ・サンドイッチが出てくる。ウィキペディアにもキューバン・サンドイッチの項目がある。

というわけでレシピを見ながら年末年始に何か一つ作ってみよう。

2017年12月20日水曜日

キューバ・立憲モダニズム

キューバのモダニズムを建築や都市計画から論じた本。

Hyde, Timothy, Constitutional Modernism: Architecture and civil society in Cuba, 1933-1959, University of Minnesota Press, Minneapolis, 2013.



著者は1933年から1959年までを立憲モダニズム(Constitutional Modernism)とする。

軍曹時代のバティスタが起こした軍事クーデターが1933年。そしてカストロの革命が1959年。

その間の1940年に制定された憲法がキューバ人にとって市民の目覚めとなるような内容だった。

そしてこの憲法に基づいたモダニズムを立憲モダニズムとして建築や都市計画が論じられる。

著者はキューバ・ハバナにある有名な3つの建築物をまず示す。

一つはハバナのカテドラルだ。18世紀に建設されたバロック様式の教会。これはスペイン統治時代を象徴する。

次いで、旧国会議事堂(カピトリオ)だ。両大戦間期の1929年に立てられたこの建築物はアメリカ合衆国の国会議事堂を模している。砂糖景気によってもたらされた富が原資である。この建築物はキューバの独立がかりそめのものであり、アメリカ合衆国による「統治」が背景にあることを証明する。
  
そして三つ目、これが立憲モダニズムの象徴となるのだが、それは現在のキューバ内務省の入っている建物である。ゲバラのレリーフが正面に飾られているので、観光客は一度は目にする。

この建物は1953年(※)に建てられ、元は会計検査院が入っていた。著者によればこの建物が1940年憲法による市民社会の形成を象徴するものだ。

※訂正:会計検査院の建設は1954年(2018/1/11訂正)

ウェブではかつての写真も出てくる。ゲバラのレリーフがない方がずっといいように見える。

2017年12月18日月曜日

遅れた本・言葉と警察

探している時に見つからなかった本たち

まずはブラジルのアロルド・ジ・カンポス。

Haroldo de Campos, Brasil transamericano, El cuenco de plata, Buenos Aires, 2004.



ポルトガル語からスペイン語への翻訳はアマリア・サト(Amalia Sato)さん。彼女はアルゼンチンで雑誌「TOKONOMA」を刊行している。カンポスはブラジルのモダニズム詩人、翻訳家。具象詩運動の創設者。

この本はカンポスによるブラジル文学論。

それからこれも探している時には見つからなかった。メキシコのユーリ・エレーラの本。

Yuri Herrera, Señales que precederán al fin del mundo, Periférica, Cáseres, 2010.


このメキシコ作家の別の本をすでに持っていたはずで、しかもこのブログの何処かで書いたと思ったのだが見当たらない。本屋で手にとって買った記憶まであるような気がしているというのに、記憶違いだったようだ。

アメリカ合衆国に移住した兄を探す妹マキナ(Makina)の話 。

1970年生まれ。この作品が2011年のロムロ・ガジェゴス賞の最終候補作。受賞したのはリカルド・ピグリア『夜の標的』。

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最近は言葉に対する警察的態度のことを考えている。

外国語の本を読んでいると、ほとんどの場合ディスアビリティを感じる。単語がわからなくて辞書を引いたり、文法的にわからないと思ったりする。

でもわからないという感覚、それが強いる無能感は言葉から自由になれる大きなチャンスである。

警察官がいないような。監視を受けていないような。わからない(ディスアビリティ)は完全なる自由である。

言葉に対する警察的態度はディスアビリティ・パーソンにとって最も辛いことである。

ディスアビリティは言葉の周りで起きる。言葉に対する警察的態度は手がつけられないほど威力を発揮する。言葉、言葉、言葉(シェイクスピア)。

言葉を使った文学はディスアビリティを解放しない。

そうではない言葉、言葉によって人が自由になれたりする言葉、警察にならずにわたしを生かしてくれる言葉たち。

音であり舞踊であるような言葉は必ずしも詩だけではない。

無能な人のつぶやき、赤ん坊の泣き声のような、誰の記憶にも残らない意味になりかけの塊だって言葉なのだ。

「詩はそれを書いた人のものではなく、それを必要とする人たちのものだ」とは、アントニオ・スカルメタの『イル・ポスティーノ』に出てくる言葉。
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訃報:キューバの評論家デシデリオ・ナバーロ(Desiderio Navarro)が12月7日に亡くなった(69歳)。文化批評のみならず、東側知識人の翻訳などをやっていた人。
彼の編んだ本をこの前買ってきていた。Criteriosという雑誌。
言論誌「Pensamiento crítico」の編集長だったフェルナンド・マルティネス(Fernando Martínez Heredia)も今年亡くなった。 この件については改めて。 

2017年12月3日日曜日

パフォーマンス、歌・踊り、映画

劇団ユヤチカニ、アナ・コレーア(Ana Correa)さんのパフォーマンス『ナイフのロサーRosa Cuchillo』を上智大学で観た。

内戦で息子を失った母の物語。暴力の記憶。ペルーでは市場のような公共空間で演じられている。

2012年のブラウン大学でのパフォーマンスはこちら

演目と併せて現地での活動などをまとめた映像が流された。

1980年から2000年あたりにかけてがペルーの暴力の時代。アルベルト・フヒモリが大統領だったのが1990年から2000年。

センデロ・ルミノソの暴力とそれを鎮圧する軍の暴力。

日本大使公邸占拠事件は1996年から97年。真実和解委員会が設置されたのは2001年。

ユヤチカニとはケチュア語で「思い出す」という意味。

アンデスの伝統文化と現代の都市文化の混合がパフォーマンス時の音楽や服装などに見られた。

象徴的な機能を使い、暴力によって破壊されたもの(人間、文化など)を修復しようとする。

続いて、ペルー出身で秩父在住のイルマ・オスノさんの歌と踊りとトークを國學院大学に観に行った。イベントのタイトルは『アンデスをわたる声ーペルー、アヤクーチョ地方のことば・うた・おどり』

イルマさんの音楽の源泉をわかりやすく説明してくれたのち、3曲を披露。

水の儀式があり、その時に歌われるのはハラウィ「水の歌」。

ホセ・マリア・アルゲダスの言葉が数多く引用された。



ケチュアの人々たちにとって音楽のミューズは川に住む人魚。太鼓の中にもやどり、演奏者にインスピレーションを与える。

ハサミ踊りはアルゲダスの短篇で読んだことがある。この踊りは男性しかやってはいけないものだという。

ペルーの民族音楽家たちのドキュメンタリー映画があることを知った。『Sigo siendo(Kachkaniraqmi)』で、山形国際ドキュメンタリー映画祭やセルバンテス文化センターではすでに上映されている。トレイラーはこちら

タイトルの意味はケチュア語の挨拶で、久しぶりに会った者同士で交わされる言葉だ。

「いろいろあったけれども、わたしは変わることなくいますよ、元気ですよ、生きていますよ」。

そして、東京大学駒場キャンパスで開催された「ラテンシネクラブ第一回上映会&トーク」に出かけ、アルゼンチン映画『沈黙は破られたー16人のニッケイたち』を観た。

ドキュメンタリー映画で、トレイラーはこちら

軍政期のニッケイ失踪者16人の物語。

このドキュメンタリーは、これまで伝えられずにきたニッケイ失踪者の物語を明かすものである。つまり、軍政期にニッケイ人にこんなことが起きたいたのか、である。

こんなことが起きていたのを知っていたのは当事者だけだ。社会全体に沈黙があったわけだ。その沈黙を破ったのはもちろん当事者、ニッケイの家族たちであるが、この映画自体も沈黙を破った当事者である。タイトルには二重の意味が込められている。

2017年12月2日土曜日

言葉、言葉、言葉

11月14日、セルバンテス文化センターで行われた、コロンビアの作家エクトル・アバッド・ファシオリンセの講演会に行った。

講演題目は「コロンビアの狂気を生きのびるには」というもので、大江健三郎の『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』を踏まえているとのことだった。確かどこかで、日本の作家では川上弘美を愛読していると書いている。

医師にして人権活動家であった父親を準軍部隊に暗殺された彼が、和解、氷解というような言葉でその出来事を語るようになるまでに30年が経過している。

エクトルの娘、ダニエラが彼女にとっては祖父のその死をドキュメンタリーにして、それも上映されたようだ。残念ながら見ることはできなかったそれは、「影への書簡(Carta a la sombra)」。
 
その父との思い出を語ったのが『El olvido que seremos』(2006)。



この本と読み比べられるのは、例えば同じコロンビアの作家ピエダー・ボネット(Piedad Bonnett, 1951〜)である。

彼女は息子を失っている。その経緯を記したものが以下の『名付けられないもの(Lo que no tiene nombre)』(2013)。


この2冊があがれば、弟の死を描いたフェルナンド・バジェホ『崖っぷち』(松籟社)もまた同じ系譜ということか。
 
毎年リレー講義で1回限りの授業があるが、そこでこのような作家たちをあげて、書けるもの、書けないもの、なぜ書くのか、誰に書くのか、というテーマで話している。上の2冊も翻訳されてほしいものだ。

2017年11月18日土曜日

キューバ本3冊

最近届いたキューバ本

①Eduardo Luis Rodríguez, The Havana Guide: Modern Architecture, 1925-1965, Princeton Architectural Press, New York, 2000.

タイトル通り、1925年から65年までのハバナのモダン建築が地区別、写真、キャプション、しかも番地付きで説明されている。

観光客でも知っている有名な大きなものでは、FOCSAやHotel Habana Libre、Hotel Riviera、アメリカ大使館、映画館のYara、国立図書館とかが載っている。

表紙写真の建物はSolimar Building。セントロ・ハバナでハバナ大学から7、8ブロックのところにある。SolimarとはSol(太陽)とMar(海)。1944年に建てられた。 



②Amelia Rosenberg Weinreb, Cuba in the Shadow of Change: Daily Life in the Twilight of the Revolution, University Press of Florida, Gainesville, 2009.


人類学者がハバナでのフィールドワークをまとめたもの。著者はテキサス大学の方。革命の終焉を間近にしているキューバ市民の生き延び方が丁寧に語られている。

観察した時代は1994年、2001年、2003年、2008年とのこと。そして著者は、キューバの人々を、「不満足な状態にある市民ー消費者」と名付けている。彼らはもっと良い何かを得ようとしており、そしてそれがどこか別のところで得られると考えているのだ、と。

③Julia E. Sweig, Cuba: What everyone needs to know, Oxford University Press, New York, 2016.

この本はアメリカ人が知りたいキューバの実情について、1問1答形式で書かれたもの。アメリカとの国交正常化交渉が開始されて改訂第3版が作られた。

例えば第一問目は「スペインの植民地下でのキューバの生活はどのようなものか? 」。答えが2、3ページにわたって書いてある。「ホセ・マルティって誰?」とか、「12月17日(2014年、国交正常化交渉が発表された日)の反応は、米国で、キューバで、ラテンアメリカで、世界でどうだったのか?」など。

表紙の写真はオバマが乗った飛行機がキューバに着くところをとらえたもの。


ただこの後トランプになって、フィデルがいなくなっている。

2017年11月14日火曜日

『コスタグアナ秘史』その後

日本コンラッド協会第3回全国大会で、フアン・ガブリエル・バスケス『コスタグアナ秘史』について話した時に使った本は以下の通り。

『ノストローモ』のスペイン語版。フアン・マテオス・デ・ディエゴ(Juan Mateos de Diego)の訳で、この人の訳が初めてスペイン語で出たのは1926年。そしてそれが、例えば下のように今でも売っている(Laertes出版、バルセロナ、1980年)。


普及版は、たぶんアリアンサ出版のポケット版。翻訳者はアルベルト・アデル(Arlberto Adell)。


バスケスが序文を書いているのが以下のもの。こちらは翻訳はオルガ・ガルシア・アラバル(Olga García Arrabal)。書誌データは、Joseph Conrad, Nostromo, verticales de bolsillo, Barcelona, 2007.


バスケスが書いた『コンラッド伝』はこれ。Juan Gabriel Vásquez, Joseph Conrad: El hombre de ninguna parte, Panamericana, Bogotá, 2004. この本を書いている時に、バスケスは『コスタグアナ秘史』となる作品があるべきだと思った。


『ノストローモ』を踏まえたボルヘスの短篇「グアヤキル」は『ブロディーの報告書』(岩波文庫、鼓直訳)に入っている。


歴史小説としてみた時、『コスタグアナ秘史』と実によく似た小説がある。それがこれだ。


ジュノ・ディアス『オスカー・ワオの凄まじい人生』(新潮社、都甲幸治・久保尚美訳)と『コスタグアナ秘史』は、奇しくも同じ2007年に出版されている。

そしてこの『オスカー・ワオ』はバルガス=リョサの『チボの狂宴』(作品社、八重樫克彦・八重樫由貴子訳)の「書き直し」でもある。

『コスタグアナ秘史』が『百年の孤独』や『ノストローモ』の書き直しであるように。

いずれ『コスタグアナ秘史』を『オスカー・ワオの凄まじい人生』と比較しながら、カリブの「書き直し」文学作品として論じようと思う。

2017年10月21日土曜日

近況2

先日は下北沢の本屋B&Bでトークイベントがあった。

青山南さんの新著『60歳からの外国語修行ーーメキシコに学ぶ』の刊行記念である。


その時に本を何冊か持って行ったのだが、そのうちの一冊は以下のもの。青山さんが著書で触れている。

Edmundo Valadés, El libro de la imaginación, Fondo de Cultura Económica,
México, D.F., 2015.



メキシコシティに関わったさまざまな文学者については、『エル・パイース』に記事がある。2016年3月30日付。題して、México era una fiesta.

ケルアックのメキシコシティ、『トリステッサ』。土曜の夜の雨のメキシコシティ。



ボラーニョがメキシコ時代に書いた詩「Lupeルーぺ」。この詩は売春婦を歌っている。

ボラーニョのメキシコ時代は以下の写真集が素晴らしい。

Dunia Gras, Leonie Meyer-Kleuler, El viaje imposible: En México con Roberto Bolaño, Tropo Editores, Zaragoza, 2010.



ケルアックとボラーニョのメキシコシティが時代を超えて重なり合う。

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来週は東京外大でこのようなイベントがある。 そして11月に入ると、12日には日本コンラッド協会第3会全国大会がある。こちら

2017年10月9日月曜日

近況

立命館の国際言語文化研究所の連続講座があった。

まず、『現代思想』2011年7月号の「特集 海賊 洋上のユートピア」を読んだ。ここには大西洋史における海賊、海に生きる人々を現代の我々がどう捉えるべきかが紹介されている。素晴らしい特集である。

コメントするにあたって以下の文献に目を通した。
①Francisco Mota, Piratas en el Caribe, Casa de las Américas, La Habana, 1984.



②Peter Linebaugh and Marcus Rediker, La hidra de la revolución: marineros, esclavos y campesinos en la historia oculta del Atlántico, Crítica, Barcelona, 2005.

③マーカス・レディカー『奴隷船の歴史』(上野直子訳)、みすず書房、2016.
ちなみに、この本はスペイン語版がある。手元にはないが書誌情報は以下のとおり。Rediker, Markus, El barco de esclavos: Una historia humana, Imagen Contemporánea, La Habana, 2011.

④ボルヘス『汚辱の世界史』岩波文庫


⑤Rafael Rojas, "El mar de los desterrados", Madrid habanece, Iberoamericana, Madrid, 2011.



このロハスの文章は、ラテンアメリカ文学が陸と海をどう見ているのか、ヒントを与えてくれた。

⑥レイナルド・アレナス 「海はぼくたちのジャングル、ぼくたちの希望」(坂田幸子訳、『ユリイカ』1999年9月号)



⑦エベルト・パディーリャの詩「海のそばの男 El hombre junto al mar」

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翌日は日本ケベック学会のシンポジウムに顔を出し、初めてケベックの文学について学ばせてもらった。1960年代の「静かな革命」、ガストン・ミロンという詩人など、まったく知らなかったが、面白い話がたくさん聞けた。 

しかし、「ヌーベル・フランス」のことを本当に何も知らずにここまで来てしまったが、アメリカ大陸の文学について再考する必要を改めて思い知らされた。

2017年9月28日木曜日

ペドロ・マイラル

Mairal, Pedro, La uruguaya, Libros del Asteroide, Barcelona, 2017.



ペドロ・マイラルはアルゼンチン出身。1970年生まれ。

見覚えがある名前だと思って手にとってみたら、いわゆる「ボゴタ39」の一人だった。

「ボゴタ39」とは、2007年のことだから、今から10年前、当時40歳以下の有望なラテンアメリカ作家たちとしてリストアアップされた(というか、コロンビアの年長作家がセレクトした)39名のことである。ボゴタのブックフェアやカルタヘナで開かれたHay Festivalの企画としてそのリストが発表された(はず)。

そのマイラルの新作がこの『La uruguaya ウルグアイの女』。

冒頭が、ブエノスアイレスはパレルモ地区のビリングウルスト街を下ってリベルタドール大通りを右に曲がり、船着き場(Buquébus)、つまりウルグアイ行きのフェリーに乗るところまで車で行くシーンだった。

ウルグアイのコロニアにいく主人公の若手作家。なぜか。ウルグアイの銀行で印税を受け取って戻ってくるためである。

アルゼンチンの銀行で下ろすとドルは公定レートでペソ化されてしまうので(pesificarという動詞がある)、ウルグアイに口座を作って向こうでドルで下ろし、アルゼンチンに戻って闇レート(ブルー Blueという)でペソに換金するわけだ。その方がいい。

これは確かにわかる。似たような経験をしている人は多い。

で、読み始めている。

2017年9月26日火曜日

フェデリコ・ジャンメール

Jeanmaire, Federico, Tacos altos, Anagrama, Barcelona, 2016.




アルゼンチン出身で『ドン・キホーテ』の研究でも知られている作家。1957年生まれ。

フェデリコ・ジャンメール。前回のハルウィッツに続き、この人もJeanmaireがどう発音されているのかは一応こちらで確認してみた。

この小説はすべて現在形で書かれている。

「私は中国人かしら?
 わからない。
 今はどうでもいい。
 結局のところ、男であれ、女であれ、人生のどこかで自分が誰なのかを発見する瞬間があると思う。」

引用の最後の部分、ボルヘスの「タデオ・イシドロ・クルスの生涯」に似たような表現があったはずだ。

この主人公は中国生まれでアルゼンチン育ちという設定。著者によれば「中国の小説」として書かれたという。

アルゼンチンで2013年12月に警察のストがあった。

ストをきっかけにスーパーマーケットで略奪が行われ、中国系の店が対象になった。報道に中国人が命を落としたというのがあった。しかしその報道はとても小さかった。誰も気にも留めないほどに。

それがこの小説の着想の原点だという。

中国人の死を報じる記事の小ささには何か意図があるだろう。

2017年9月23日土曜日

アリアナ・ハルウィッツ

アルゼンチンの女性作家アリアナ・ハルウィッツ。1977年生まれ。

Ariana Harwiczはどう発音しているのか。このインタビューで確認してハルウィッツとしたけれども、いかがでしょう?

ブエノスアイレス出身。

これまでに3冊出している。

Harwicz, Ariana, Matate, amor, Lengua de Trapo, Madrid, 2012.
---,  La débil mental, Mardulce, 2015. (出版社はアルゼンチンだが、出版社のHPを見るとスペイン部門があって、この本はそこに入っている。出版地は不明。印刷はスペイン)
---, Precoz, :Rata_, Barcelona, 2016. 出版社はこのように表記されている。







母親であることの意味を問い続けた三作。

2017年9月19日火曜日

イベリア半島の最東端から最西端へ

クレウス岬がイベリア半島の最東端であるのに対し、イベリア半島最西端はロカ岬である。

(イベリア半島最西端であるということは、ヨーロッパ大陸最西端でもある)

ポルトガルに行ったのはこの岬に行きたかったからではないのだが、せっかくなので行った。

リスボンからそれほど遠くない。シントラという町を過ぎるとカダケスに行った時のようにS字カーブの連続。ただしばらくは道路に平行して線路があった。観光用の一両列車とすれ違った。

シントラの南の方にエストリルという町があって、あちこち行っている時ここも通り過ぎた。

岬には石碑がある。風が強い。ガイドブックには足元に気をつけるようにとあってどきどきしたが、滑り落ちるようなところではない。


石碑には、どんなガイドブックにも書いてあるが、カモンイスの『ウズ・ルジアダス』の一節「ここで地終わり海始まる」が刻まれている。

2017年9月17日日曜日

フィゲラスの北風

ダリ劇場美術館があるフィゲラス(Figueres)。

バルセロナからRenfeのAVEに乗って1時間程度でFigueres Vilafant駅に着く。そこから美術館までは歩いて20分程度。



フィゲラスまで来ると、フランス国境まではほんの少し。

ダリはフィゲラスで亡くなり、その劇場美術館に彼の墓も作品の一部として展示されている。

そしてダリの別荘があったのはコスタ・ブラーバに面したカダケス(Cadaqués)。

カダケスは地中海に突き出した鼻のような岬の突端。この岬というか半島は、名前はクレウス半島(Cabo de Creus, Cap de Creus)という。イベリア半島の最東端(el punto más oriental de la península ibérica)である。

こちらはカダケスにいるダリの動画。ポルリガートという入り江に面した別荘は現在やはり博物館。

カダケスまではフィゲラスから車で1時間ぐらいかかる。地図で見ると近いけれども、日光いろは坂並みのS字カーブが続く。車酔いのする人にはちょっと辛い道のりかもしれない。

その立地上、かつては陸路よりも船による往来の方が普通だったという。

ロルカがカダケスにいるダリを訪ねた時の写真はネット上にたくさんある。例えばこれ

カダケスの夕暮れは素晴らしかった。2017年のディアーダ(Diada)の1日前の日曜日。

夏休みの終わりの最後の週末、そして今年は月曜日が9月11日に当たる。



今度の10月1日、果たしてカタルーニャはどうなっているのだろうか?

ヨーロッパの観光客ばかりのコスモポリタンな雰囲気。下の写真の真ん中に見えるのが旧市街にあるサンタ・マリア教会。



カダケスではおさまっていたが、フィゲラスの駅に降りた時、ものすごい北風が吹いていた。

案内をしてくれた人によると、この風は1年中いつでも吹く可能性があって、1週間続くこともあるという。そのせいで頭が痛くなる人、頭がおかしくなる人もいる。

ウィキペディアのフィゲラスの項目にはこの風のことが載っている。

「フィゲラスの重要な特徴は、トラモンターナという北から吹く冷たく乾いた風で、一年中繰り返し吹く」

そうか、トラモンターナのことかとわかり、ガルシア=マルケスの短篇「トラモンターナ」を思い出した。

確か人を狂わせる北風の話だったはず。と思ってネットで調べたらそうだった。

カダケスが出てくる短篇だ。

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2017年7月、そのフィゲラスのダリの遺骨が掘り起こされた。娘だと申し立てる人物が出て来たため、DNA鑑定が必要になったからだが、9月に出た結果では親子とは認定されず。

2017年9月12日火曜日

アルファグアラのボラーニョ(2)

アルファグアラに移って出たこれまで未刊行の「新作」が以下のもの。

Bolaño, Roberto, El espíritu de la ciencia-ficción, Penguin Random House, 2016, Barcelona.



ちなみに『2666』アルファグアラ版はこんな感じ。巨大。
撮影場所はこちら





それから今年の6月に出たばかりのボラーニョ研究書。2016年に行われた会議の原稿をまとめたもの。

Juan Antonio González Fuentes y Dámaso López García(eds.), Roberto Bolaño: Estrella distante, Renacimiento, Sevilla, 2017.

2017年9月9日土曜日

アルファグアラのボラーニョ

ボラーニョの本はアルファグアラ印で出るようになった。

ただアルファグアラはペンギン・ランダムハウスに買収されているから、『鼻持ちならないガウチョ』の書誌を裏表紙のデータに準じて書けば以下のようになる。

Bolaño, Roberto, El Gaucho insufrible, Penguin Random House Grupo Editorial, 2017, Barcelona.

『鼻持ちならないガウチョ』はこんな装丁。
 

目次を見たら、資料が付け加えられている。



ボラーニョ・アーカイブ(El Archivo Bolaño)で管理されているというこの短篇集にかかわるボラーニョのメモやゲラ、短篇の初出雑誌の表紙などで7、8ページ分。

バルセロナのこの出版社の住所はTravessera de Gràcia, 47-49とある。グラシア地区(Villa de Gracia)の隣の地区。

2017年9月3日日曜日

1956年のニコラス・ギジェンとワルテリオ・カルボネル

8月22日から24日まで開かれた国際シンポジウムと連動して催された「プレザンス・アフリケーヌ展」を見てきた。

雑誌「プレザンス・アフリケーヌ」の創刊にまつわるさまざまな資料の展示だったが、 スペイン語圏から見た場合に見逃せない写真が二枚あった。

うち一枚は、ネットでも見つけられるが、ニコラス・ギジェン(キューバ)とルネ・ドゥペストル(ハイチ)が1956年にルクセンブルクリュクサンブール公園で撮影した写真である。

以下はパネルの一部を写したもの。


右下のキャプションに「会議中」とある。

この会議とは1956年の第一回黒人作家・芸術家会議のことで、9月にパリで開かれている。

ただこの参加者にニコラス・ギジェンは含まれていない(と思われる)。

だがキューバ人はこの会議に参加している。

それは Walterio Carbonell(ワルテリオ・カルボネル)だ。

1920年生まれ、2008年没の黒人活動家、マルクス主義者。

彼の重要な論考「いかにして国民文化は生じたか?Cómo surgió la cultura nacional」の一部はこちらで読める。

この人物についてはこちらに詳しく載っている。

黒人作家会議にも参加し、その後の革命を支持していた彼はしかし、のちにUMAPという強制労働キャンプに送られている。何があったのか。

カブレラ=インファンテも遺作『スパイの書いた地図』でカルボネルに言及している。おって確認してみたい。

日本語では、今年亡くなったフアン・ゴイティソロがカルボネルのことに言及した文章を日本語に翻訳してブログに載せてくださっているので大変ありがたい(MARYSOLのキューバ映画修行より)。

ゴイティソロが「エル・パイース」紙に書いたカルボネルの追悼文はこちら

キューバの研究者トマス・フェルナンデス・ロバイナが書いた文章はこちら

そこで重要となってくるもう一枚の写真が、やはり展示されていた黒人作家・芸術家会議の集合写真というわけである。

これもネットでも見つけられる。ワルテリオ・カルボネルは写っているのだろうか?

下は展示されていたパネルを撮影したもの。集合写真右上のキャプションによって大多数、特に有名な人たちはわかる。そこにカルボネルの名前はない。



調べてみたら写っているようだ。

さてどこにいるのだろう?

いくつかの情報を総合すると、どうやら最後列、真ん中より少し右寄りの、背が高い人がカルボネルのようだ。

2017年8月25日金曜日

ドゥルセ・マリア・ロイナス

キューバの詩人のドゥルセ・マリア・ロイナス Dulce María Loynaz。

彼女は1903年生まれで、1997年に亡くなった。ハバナのベダード地区の大邸宅に暮らしているのは、ドキュメンタリー映画『ハバナ』で見た。

父は独立派の軍人・政治家だったエンリケ・ロイナス・デル・カスティーリョ。1898年の戦争に参加。

1920年に初めて「La Nación」紙に詩を発表。17歳の時だ。

ハバナ大学で法学を収めた。

彼女の1953年の詩集には『題名のない詩 Poemas sin nombre』というのがある。

Loynaz, Dulce María, Poemas sin nombre, Aguilar, Madrid, 1953.



全部で124篇の詩が入っていて、キューバ島の自然をテーマにしたものも多い。

Los ríos de la isla son más ligeros que los otros ríos. Las piedras de la isla parece que van a salir volando...
島の川はほかのところの川よりも軽いし、島の石ころは飛んでいきそうよ。 (Poema CI)

ロルカがキューバに来た時に彼女の家を訪れている。その時のことを語るロイナス

彼女をめぐるドキュメンタリーはこちら50年代のベダード地区の紹介ビデオも面白い。

2017年8月19日土曜日

映画『エルネスト』

映画『エルネスト』は 10月に公開される日本・キューバ合作映画。
監督は阪本順治。

監督によれば、広島(のゲバラ訪問)とフレディが出発点にある。

「当事者」と「傍観者」の問題を、映画『エルネスト』(トレイラーはこちら)は考えさせる。

ポスターでもわかるが、オダギリジョー演じるフレディ前村ウルタードの深刻な表情が、この映画の最大の魅了であり、見ている者にとって最大の悩みではないか。ゲバラの表情も同様だ。

あの表情をどのように受け止めたらよいのだろう。
 
2016年3月にオバマがハバナを訪れたときの演説(スペイン語版)はまだ読める(こちら)。この演説は宛先がはっきりしていた。「キューバ国民へ」と書かれている。

演説の場所はハバナ大劇場(Gran Teatro de La Habana)。メイン・ホールの名前から、ガルシア=ロルカ劇場とも言われている。1838年に開館した当時の名前はタコン劇場。アメリカ大陸で最大の劇場だった。

広島といえば、オバマが広島を訪れたときの(問題を起こした)演説のスペイン語版は見当たらない。英語版はこちら

ゲバラのエピソードから始まる『エルネスト』で、アメリカ人は「ヤンキー」と呼ばれていた。当然「デキシー」ではない。

今年はゲバラが死んで50年。公開日は命日に合わせているのかもしれない。

2017年8月15日火曜日

パブロ・ラライン、ジャッキーとネルーダ

パブロ・ラライン監督の2016年の映画は『Jackie』。

邦題は『ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命』となっている。トレイラーはこちら

ジャクリーンはダラスに降り立つ直前、スペイン語で挨拶の練習をしていた。Youtubeには、彼女がメキシコで挨拶する映像が残っている。

ララインはチリ出身。1976年生まれ。両親はともに政治家(右派)。

映画『No』は2012年の映画。

その彼が2016年に撮ったもう一本の映画が『ネルーダ 大いなる愛の逃亡者』。原題は『Neruda』。スペイン語版のトレイラーはこちら

これが日本で11月に公開される。

訳あって、すでに見ることができた。

詩人パブロ・ネルーダの伝記映画のようなタイトルだが、実際には1948年ごろのみを扱っている。

逮捕状が出ていて、地下に潜り、逃げていた時代だ。『No』のガエル・ガルシア=ベルナルがネルーダを追いかける。

イタリア映画『イル・ポスティーノ』のエピソードはその後、ヨーロッパに現れたネルーダなので、続けて見ると、流れがわかる。

2017年8月13日日曜日

短篇の書き方

長篇の書き方マニュアルがあるのかどうかは知らないが、短篇の書き方についてはラテンアメリカでは結構ある。

その中で入手したのがこれ。若手作家の短篇論。

El arquero inmóvil: Nuevas poéticas sobre el cuento, Edición de Eduardo Becerra, Epílogo de Ricardo Piglia, Páginas de Espuma, Madrid, 2006.




編者のエドゥアルド・・ベセーラはスペインの文学研究者。エピローグを書いているリカルド・ピグリアは2017年1月に亡くなったアルゼンチンの作家・批評家。

書き手を列挙しよう。総勢で22名。知らない人が多い。

Cristina Fernández Cubas
Javier Vásquez
Marcelo Cohen
Ana María Shua
José Ovejero

Guillermo Fadanelli
Ángel Zapata
Martín Rejtman
Hipólito G. Navarro
Fernando Iwasaki

Mercedes Abad
Sergio Gómez
Rodrigo Fresán
Eloy Tizón
Pablo Andrés Escapa

Álvaro Enrigue
Karla Suárez
Ronaldo Menéndez
Cristina Cerrada
Mercedes Cebrián

Juan Gabriel Vásquez
Andrés Neuman

2017年8月7日月曜日

フェルナンド・バジェホ違い

映画『愛の断片』は、コロンビア作家エクトル・アバッド・ファシオリンセの『秘めやかな愛の断片 Fragmentos de amor furtivo』(1998)が原作。

監督はフェルナンド・バジェホという。この名前を見て慌ててDVDを入手した。コロンビア作家の名前と同じだからである。

コロンビア人作家のフェルナンド・バジェホは昔映画を撮ったことがあるが、最近は全く撮っていない。その彼が再び映画に復帰したのか?それはありえないだろう、それに犬猿の仲のファシオリンセの本を?

まさかと思って調べると、このフェルナンド・バジェホはウルグアイ人だった。

日本語の字幕も付いているが、劇場では公開されたのだろうか。

ファシオリンセ的な細やかな描写を残すことに成功していると思った。ボゴタの曇りがちな天気が物語の内容にマッチしているし、地域や時代の文脈を知らないでも全く構わない。

トレイラーはこちら

映画のワンシーンでは、ファシオリンセ自身が登場しているように見えた。

2017年8月6日日曜日

ピニェーラのフランス語詩

ピニェーラはフランス語でも詩を書いた。

10篇が残っている。

そのうち5篇はMaria Maya Surduts(1937-2016)に捧げられたものだ。彼女はラトビア生まれの「フェミニズム活動家」で、63年のワシントン大行進に参加し、その後キューバに渡った。

合計8年間キューバに暮らして、カストロ政権を批判し、最後は国外追放を受けた。それが1971年。

ピニェーラとは友人で、その彼が不遇であるのを見たことも、革命の文化政策に疑問を持った一因らしい。国を去るとき、ピニェーラにレコードプレイヤーをプレゼントした。

フランス語の詩は60年代の終わりから70年代の初めに書かれている。ベトナムの詩をフランス語から翻訳していたと同じ時期かもしれない。

その10篇の詩を含む詩集は以下のもの。

Piñera, Virgilio, Una broma colosal, Ediciones Unión, La Habana, 1988.

2017年8月4日金曜日

キューバからロルカへ

本の整理で見つかったもの。

Arpa de troncos vivos: De Cuba a Federico(compilación y prólogo de César López), Editorial Letras Cubanas, La Habana, 1999.

ロルカ生誕100年を記念した一冊で、キューバの詩人がロルカをめぐって書いた詩やエッセイや小説の寄せ集め集。

冒頭にロルカの「キューバの黒人たちのソン」。そのあと、レサマやニコラス・ギジェン、リノ・ノバス・カルボ、カルペンティエル(『春の祭典』からロルカが出てくるシーン)、ミゲル・バルネーなど。

ピニェーラは、彼の最も初期の詩がロルカと関わるものとこじつけられて入っている。

2017年8月3日木曜日

パブロ・メディーナとピニェーラ

パブロ・メディーナは1948年、ハバナ生まれ。

1960年にニューヨークへ移住。1975年に最初の詩集を出した。英語作家である。

詩のほかに小説などもある。

翻訳では、ロルカの『ニューヨークの詩人』を英語にしている。

その彼の2015年の仕事がビルヒリオ・ピニェーラの詩の英訳である。

Piñera, Virgilio, translated by Pablo Medina, The Weight of the Island: Selected poems of Virgilio Piñera, Diálogos Books, Middletown, Delaware, 2014.



タイトルは1943年の「島の重み」から取られている。

「島の重み」の英訳はMark Weissも手がけていて、以下のものがウェブで入手可能。

Piñera, Virgilio, translated by Mark Weiss, La isla en peso/The Whole Island, Shearsman Books, 2010.

2017年8月2日水曜日

キューバ雑誌研究

キューバの文芸誌「カサ・デ・ラス・アメリカス」を集めはじめてもう何年もたつ。

ある程度はまとまって入手したけれど、全部というわけにはいかず、抜けているところがそれなりにあって古本屋で見つけては注文している。

これまで入手したものを無駄にしないためには、書店のカタログに全巻揃いが出ていても諦めなくてはならない。

もちろん現在も刊行中なので、全巻揃いというのはあり得ないのだが、最近のものはすでにデジタル化が進み、カサ・デ・ラス・アメリカスのサイトでもダウンロードできる。もちろん無料。

怖いのは、昔のものまでどんどんデジタル化されて、現物が不要になってしまう事態である。まあそうなったとしても仕方ないが。

最近は直に古本屋とやりとりして、探してもらうこともしばしば。それでもなかなか進まない。



写真は最近届いたもので、46号、53号、86号、245号の4冊だが、その中に表紙が87号、中身は86号というのがある。書店のメモが入っていて、「印刷のミスで表紙には87号とあるけれども、中を開けば、あなたが注文した86号であることがわかる」というようなことが書かれていた。

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雑誌研究といえば、来る8月22日から24日に、こんなイベントがあって、訳あって関わっている。アフリカやカリブや黒人文化に関心のある方、ぜひどうぞ。
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デジタル版も印刷してみたことがあるが、現物を手にしてしまうと、どうしてもそちらの方に強く惹かれる。装丁にしても、表紙にしても。

雑誌「カサ」の表紙は長らく、ウンベルト・ペーニャ(Umberto Peña, 1937〜)が担当してきた。写真に見えているうち右の3冊は彼の作だ。

まだまだ先は長い。

2017年7月24日月曜日

キューバ・ポスター(2)

キューバ・映画ポスター画集の一冊

Goodman, Carole, y Claudio Sotolongo, Soy Cuba: el cartel de cine en Cuba después de la revolución, Trilce Ediciones, México, D.F., 2011.

これは映画のポスターのみで、3つの時代に区別されている。1959-66まで、ついで67-74、最後は75-80。

それぞれのパートに文章が付いている。最後のパートは76年生まれのグラフィック・デザイナー、ネルソン・ポンセ・サンチェスへのインタビュー。

この人は『Vampiros en La Habana』や『セブン・デイズ・イン・ハバナ』の第一話 (ベニチオ・デル・トロ監督)『エル・ジュマ』のポスター制作者。このポスターはこちらでダウンロードできる。

こちらで本人のインタビューが英語字幕付きで視聴可能。

2017年7月17日月曜日

ボンボンからトルーマンへ

アルゼンチン映画『しあわせな人生の選択』の原題は『トルーマン Truman』である。主人公フリアンの飼い犬の名前だ。

映画を見ていて気づいたが、共同プロデューサーにダニエル・ブルマンの名前があり、 K&Sフィルムというアルゼンチンの制作会社が作っている。

KはOscar Kramer、SはHugo Sigman、共にアルゼンチンの映画人。その二人が立ち上げた会社がK&Sフィルムである。

K&Sフィルムによる、AMIAのテロ犠牲者追悼プロジェクト「La Memoria 記憶」はこちら

この会社の映画では近年、『人生スイッチ』や『エル・クラン』がかなりヒットしている。

少し前だと、ガエル・ガルシア=ベルナルがでた『失われた肌』というのがあった。これは原題が『過去 El pasado』。原作がアラン・パウルスで、監督はエクトル・バベンコ。『蜘蛛女のキス』を撮った人。

さらにこの制作会社の第一作が『ボンボン』だった。2004年の映画で、日本では2007年に公開された。これも犬が出てくる映画。邦題は『ボンボン』で、原題は『犬 El Perro』

『しあわせな人生の選択』の監督はCesc Gay。日本語版の公式ホームページではセスク・ゲイと表記されている。でもゴヤ賞授賞式の映像を見た限りでは、セスク・ガイかな。

キューバ・ポスター

革命後のキューバ・ポスターについて本を入手した。和書でも少なくとも2種類あるが、展覧会も結構やっている。

昨年も「キューバの映画ポスター」展がフィルム・センターであった。

そしてなんと、今は日大芸術学部の資料館でも開催中である。こちら。7月28日まで。

洋書でもたくさん出ているのでどれがいいのかわからない中で、とりあえず手元にあるもの。

イタリア語、スペイン語、英語の3言語バージョンの本である。以下はスペイン語版のタイトル。

¡Mira Cuba!: El arte del cartel cubano a partir de 1959, Silvana Editoriale, Milano, 2013.




ポスター以外にエッセイや解説が載っている。書き手は以下のとおり。

Luigino Bardellotto
Simona Biolcati Rinaldi
Ivo Boscariol
Leonardo Padura
Reynaldo González
Mario Piazza
Sara Vega Miche
Rafael Morante
Ñiko(Antonio Pérez González)
Richard Frick
Olivio Martínez
Pepe Menéndez

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さっき知ったのだが、今年はジョセフ・コンラッド生誕160年で、アンジェイ・ワイダが映画化した作品の上映会が東大・本郷であった。行けなかったのが残念だ。

2017年6月26日月曜日

2017のインティ・ライミはこのように…

6月の頭にこれ。一週間後にこれ。その一週間後はこれ。夏前にはまだひとつ出番があって、気は抜けない。

その間に、明石書店から『カリブ海世界を知るための70章』が出た。自分は1章しか書いていないが、カリブに関する歴史・社会・文化関係の文章がまとまった形で出たことはありがたい。大いに参考にしたいと思っている。


このシリーズは、『コロンビアを知るための60章』で4章担当したことがある。改めて開いてみると、意外なことが書かれていたりして(自分の書いたものも含めて)、 やっぱりためになる本である。


2冊の刊行のあいだにちょうど6年の歳月が挟まっていて、『カリブ海世界を〜』は「エリアスタディーズシリーズ」の157(番目)で、『コロンビアを〜』は同シリーズの90(番目)である。1年およそ10タイトル出している計算だ。

『総合文化研究』のPDFがこちらから読めるようになった。CiNiiで検索すると機関リポジトリから読めるようになっている。PDFのアップロードまで3か月かかっていることになるのだが、来年(というか今年度)から紙媒体の印刷はしないので、このページに載ったら「刊行された」ということになるということか。



そうして夏至を迎えたが、梅雨とはいえ、このところバランキーリャの2月を思わせるような、さわやかな風にきれいな空と夕暮れが見える日が続いていて、アジサイの花の美しさも、傘をさしながら雨に光るのを見るのとはちがって、大きく目に飛び込んでくる。

こういう気候ならば6月も悪くない。その勢いでインティ・ライミの映像を授業で見せたりした。生で一度も見たことはないのだが。

ニュースでは、ベネズエラの一連の危機が原因で、今年はロムロ・ガジェゴス賞の審査と授与が中止され、来年に延期されたという。