2016年7月27日水曜日

アルゼンチン映画『エル・クラン』

この秋、9月17日から公開されるアルゼンチン映画『エル・クラン』を見る機会をもらった。オフィシャルサイトはこちら

アルゼンチンの軍政期(76-83)の終わりごろに起きた事件をベースにしている。しかし「娯楽作品」ではあるので、そういう風に楽しんでもいい(実話の深刻さと娯楽性の双方に目配りした作品ととらえたい)。

その娯楽性、フィクション性(映画性)の成立に多いに貢献しているのが製作に名を連ねているスペインのアルモドバルなのではないか。

去年公開された『人生スイッチ』でも同じようにアルモドバルの名前があったが、アルゼンチン映画にはこのような流れを生む背景があるのだろうか?

内容については公開前なのであまり触れられないが、アルキメデス・プッチオを演じるギジェルモ・フランセーヤ(フランセージャ)は私の記憶ではコメディばかりに出ていたので、シリアスな演技をしているだけで新鮮、あるいは不気味だった。

舞台はサン・イシドロ地区で、ここはブエノスアイレス郊外の高級住宅地だ。文芸誌『エル・スール』を創刊したビクトリア・オカンポの邸宅もある。Villa Ocampoは現在博物館。すてきな場所なので、チャンスがあればもう一度行きたい。ここで、いまは亡きメルセデス・ソーサを見た。

こういう地区で起きたから、なおのこと事件の突飛さ、異常さが際立ったはずだ。えっまさかという反応だ。

一度目は前情報なしに、二度目はプログラムなどを読んでから見るといいと思う。

アルキメデスの妻エピファニーアのことが気になってしょうがない。彼女は何を思っていたのか?

悪事を企む男が車を運転しているシーンで、直接彼を映すのではなく、バックミラーに映る姿を撮っていた。彼を追跡していた警察側の視線だろうか?
 

2016年7月24日日曜日

キューバ文学(27)エリセオ・アルベルト 1

亡命キューバ作家のエリセオ・アルベルトの存在もまた忘れられない。

1951年、キューバ、アロージョ・ナランホに生まれ、2011年、メキシコシティで没した。

アロージョ・ナランホはハバナ市から見て南の方角にある行政地区。レーニン公園のあたり。ホセ・マルティ国際空港の近くでもある。イタロ・カルヴィーノの生まれたサンティアゴ・デ・ラス・べガスも近い。

父親が詩人のエリセオ・ディエゴ(1992〜1994、キューバ生まれ、メキシコ没)。

エリセオ・アルベルトがメキシコに亡命したのは1990年。

ガルシア=マルケスが創設したハバナ(正確にはサン・アントニオ・デ・ロス・バーニョス)のテレビ映画学校でも講師を務めたことがある。メキシコ亡命後も、ガルシア=マルケスとの付き合いは続いていた。ちなみにリチー(Lichi)が彼のニックネーム。

詩人としてのキャリアがあるが、小説家として名を高めた。

その一つが『カラコル・ビーチ』(1998)。これがアルファグアラ小説賞の受賞作になった。アルファグアラ小説賞は1973年から97年まで実施されなかったので、復活第一回の受賞作である。同時に受賞したのがセルヒオ・ラミレスの『海がきれいだね、マルガリータ』。

そしてヘスス・ディアスの『キューバのこと、何か教えて』と同様、1999年のロムロ・ガジェゴス賞の最終候補になっている(最終候補は全部で10作ある。受賞したのはボラーニョ『野生の探偵たち』)。

『私自身への批判的報告』という一種のテスティモニオ(証言)がある。1978年ごろ書かれたらしいが、出版は亡命後の1997年。

この本と、たとえばヘスス・ディアスの『地球のイニシャル(タイトル仮訳)Las iniciales de la tierra』が重なりあう。書かれた時期と出版時期がずれるのも同じで、またディアス作品のほうは主人公が共産党に提出する「自己弁明」が小説の内容である。

この夏は『キューバのこと、何か教えて』と『カラコル・ビーチ』について考えていきたい。

[この項、続く]


2016年7月22日金曜日

ボラーニョ(2)『第三帝国』

ボラーニョ・コレクションの新刊が出た。

『第三帝国』柳原孝敦訳、白水社。

全404ページ。

「窓越しに潮騒に混じって、夜を明かして帰る者たちの笑い声やおそらくテラスのテーブルをウェイターたちが片づけている音、ときどき海岸通りをゆっくりと走る車のエンジン音、ホテルの他の部屋から聞こえる何の音かはわからないがくぐもったブーンという唸りなどが入ってくる。」

これが冒頭。

この小説の舞台はブラーナスがモデルになっているという。ブラーナスを訪れた人なら、あるいはカタルーニャのあの地中海沿いの小さな街を訪れた人なら、この一行だけでなんとなくぴんとくるかもしれない。

ブラーナス。

地中海に面した、のどかな、でも賑やかで、日差しがとてもまぶしくて、小さな街のなかで大きな構えの白い図書館が印象に残る。窓からさんさんと陽光が降り注いでいて、本が傷まないのだろうかと思った。
 

一行目からすっかり虜になってしまったので、ブラーナスの写真を載せておく。追想のブラーナス。



図書館



 
海岸通り


ゲームセンター

最後の写真の右にある赤いプレートが「ボラーニョ・ルート」の看板で、これを順番にたどると、ボラーニョゆかりの場所を訪ねることができる。そしてブラーナスの中心街もだいたい頭に入る。

途中、ルートを少し外れてアイスクリームを食べた。とても美味しかった。

2016年7月18日月曜日

国際シンポジウム PERCEPTION IN THE AVANT-GARDE アヴァンギャルドの知覚

2016年7月25日・26日に東京外大で標題の国際シンポジウムが催される。



ラテンアメリカのアヴァンギャルドにおける知覚とテクノロジーの問題については、たとえば以下のような研究書がある。


Jane Robinett,  This rough magic : technology in Latin American fiction (Worcester Polytechnic Institute studies in science, technology, and culture, vol. 13), P. Lang Publishing, 1994.

 それからボリビアの現代作家エドムンド・パス・ソルダンは『チューリングの妄想』で現代テクノロジーを扱っているが、この論文では『モレルの発明』(ビオイ=カサーレス)や「パラグアイの女」(アウグスト・セスペデス)を論じている。

[この項、続く] 

2016年7月15日金曜日

2016年1月〜6月まとめ[8月14日追記]

この半年のあいだに書いたり話したり、かかわったものについてまとめておく。

1.[翻訳]フアン・ガブリエル・バスケス『コスタグアナ秘史』水声社

2.[研究発表]「ポストソ連時代のキューバ文学を読むーーアナ・リディア・ベガ・セローバほか――」東京外国語大学総合文化研究所、2016年1月27日(シリーズ 文学の移動/移動の文学①)

3.[論文]「プエルト・リコ、問い直される「正史」:ロサリオ・フェレとマヌエル・ラモス・オテロの作品から 」(国際言語文化研究所プロジェクトA1研究所重点研究プログラム 「環カリブ地域における言語横断的な文化/文学の研究」研究報告)、『立命館言語文化研究』 27(2・3)、 pp.177-187、 2016年2月

4.[論文]「ポストソ連時代のキューバ文学を読む:キューバはソ連をどう描いたか?」、『れにくさ = Реникса 』東京大学現代文芸論研究室論集 (6)、 pp.129-140、2016年

5. [鼎談]「J・G・バスケスを芥川賞作家と読む」(小野正嗣氏、柳原孝敦氏と)、東京外国語大学総合文化研究所、2016年4月26日(シリーズ 翻訳を考える①)
  →内容は「週刊読書人」2016年6月17日号(7面-8面)に掲載

6.[研究発表]「これからのキューバを語るために――革命、ソ連時代、米国との国交回復」愛知教育大学、2016年6月18日。※科学研究費基盤B「社会主義文化における戦争のメモリースケープ研究―旧ソ連・ 中国・ベトナム」(研究代表者 越野剛さん)による研究会

7.[講演会企画]メキシコ観光局駐日代表ギジェルモ・エギアルテ氏『20世紀のメキシコにおけるデザインと建築』、東京外国語大学総合文化研究所、2016年5月17日

[8月14日追記]
8.[巻頭エッセイ、新入生へのメッセージ]「読む知、聞く知」『ピエリア』東京外国語大学出版会、 2016年春号

2016年7月13日水曜日

芝居『この村に泥棒はいない」/『コルネリア』

芝居を見てきた。

演出:守山真利恵『この村に泥棒はいない』/『コルネリア』
出演:鎌田紗矢香、むらさきしゅう

「この村に泥棒はいない」の原作はガルシア=マルケス、「コルネリア」のほうは、原題が「鏡の前のコルネリア」でシルビーナ・オカンポが原作。どちらもラテンアメリカの短篇小説。そしてどちらも邦訳は安藤哲行氏。台詞は翻訳書から用いられている。

「鏡の前のコルネリア」は何年か前にアルゼンチンで映画になっていて、その記憶が残っている。 トレイラーはこちら

芝居では二つの短篇が5分の休憩を挟んで、75分で演じられた。順番は「コルネリア」が先で、後に「この村に泥棒はいない」。冒頭だったかと思うが、おそらくこの曲が使われていた。とても好きな曲だ。

プログラムに演出の守山さんが一筆書いている。彼女は「コルネリア」から一節を引いたあと、こう言っている。

「この圧倒的な孤独の感覚はどこから生まれてくるのだろうか、とふと思う。孤独というより、圧倒的な『うまくいってなさ』と言うほうが正しいかもしれない。(中略)オカンポ、マルケス両名が今日の2作品に描き込んだ鈍痛が、特にわたしたちの世代には無意識に落とし込まれてしまうくらい自然な問題(後略)。それがそもそも痛みなのだということすら、既に知覚できなくなっているんじゃないか、と。」

 「わたしたちの世代」というのは守山さんの世代で、おそらく20代。「うまくいってなさ」というのは、個々人の私的なレベルから、いまの日本のみならず、現実世界の状況まで広い範囲をさしているのだろう。

うまくいっていないという感覚、ある種のストレスやもどかしさを、おそらくまったく共通点のなさそうなこの2篇に見出したというのはとても面白い、いやすごいと思った。

原作のコンテクストで言えば、おそらく「鏡の前のコルネリア」ではブエノスアイレスのブルジョア的かつ夢幻の世界が、また「この村に泥棒はいない」の場合には、カリブ熱帯の退屈世界が背景として広がっているのだが、そういったものを削ぎ落としたところには、男女のすれ違い、(生きる)意味のすれ違い、(生きる)時間のすれ違いなどが共通テーマとして出てくるわけだ。

そしてそのすれ違いのもどかしさやイライラは、二人の熱っぽい、ときにヒヤヒヤするような演技によって存分に示されていたと思う。

いろいろと考えさせる芝居だった。

2016年7月12日火曜日

スペイン語圏LGBT文学(1)

「すばる」8月号でLGBT特集が組まれている。

私にも、スペイン語圏の文学について話があったので、「キューバのもう一つの窓」と題したエッセイを書かせてもらった。

アルゼンチンやスペインでLGBT専門書店によく足を運んでいる。アルゼンチンの書店は残念ながら閉店してしまったが、スペインのマドリードやバルセロナには数軒ある。

実はこのブログの背景に使っている書棚の写真は、とあるスペイン語圏のLGBT書店で撮らせてもらったものである。

「すばる」ではキューバのことしか書けなかったが、ほかのスペイン語圏のLGBT文学についても本だけは集めている。

プエルト・リコからは次のような本が出ている。

 Los otros cuerpos: Antología de temática gay, lésbica y queer desde Puerto Rico y su diáspora, Editorial Tiempo Nuevo, San Juan, 2007.

全403ページ。

ゲイ、レズビアン、クィアをテーマとしたアンソロジー。 短篇、詩、小説からの抜粋、試論、文学研究などの分野からセレクトされている。

アレナスと比肩されるべきマヌエル・ラモス・オテロ Manuel Ramos Oteroやジョランダ・アロージョ・ピサーロ Yolanda Arroyo Pizarro、研究者としても有名なラリー・ラ・フォウンテン・ストークス Larry La Fountain-Stokes など。

現在もっとも注目されているゲイ文学の書き手ルイス・ネグロン Luis Negrónの『残酷な世界 Mundo cruel』も入っている。

総勢44名。

それから、スペイン語圏レズビアン短篇集として以下のようなものも持っている。

Salado, Minerva (ed.), Dos orillas: Voces en la narrativa lésbica, Editorial Eagles, 2008.

全219ページ。

キューバ、メキシコ、アルゼンチン、スペイン、ホンジュラス、コロンビア、ベネズエラ、ニカラグアから総勢20名の女性作家によるレズビアン短篇集。

[この項、続く]

2016年7月5日火曜日

キューバ文学(26)ヘスス・ディアス 2

このところヘスス・ディアスの小説を読んでいる。

この作家については、以前のエントリーで書いた。 そして、彼の小説『シベリアの女 Siberiana』は論文「ポストソ連時代のキューバ文学を読む」で取り上げた。

20世紀のキューバ作家、とくに「革命文学」から「亡命文学」へ移った(移らされた)作家として、とりわけ興味深い。

それで彼の処女小説集である『困難な歳月 Los años duros』 を読んでみることにした。1966年の作品で、カサ・デ・ラス・アメリカス小説賞を受賞したものだ。小説を書いたときヘスス・ディアスは24歳だった。

100ページほどの薄い本だが、革命闘争にはじまり、革命が成就してからの砂糖黍刈りそして軍事訓練、ヒロン海岸を思わせる軍事衝突まで、いくつかの場面が切り出されている。100ページとは思えないほど内容が濃い。

男3人それぞれのヴィジョン(視覚映像)と意識の流れが組み合される。場面は多面的にとらえられる。まるでパズルのようなもので、読み進めていくにつれて不鮮明なところが埋まっていく。

ヴィジョンと意識の流れというのはつまり、「夢」と似ている。不鮮明な、場合によっては脈絡のない「ストーリー」。複数の夢=「ストーリー」を継ぎはぎしていくと、最終的には「革命物語」として完結される。
  
次に、亡命後の作品『キューバについて何か教えて Dime algo sobre Cuba』を読んだ。1998年のもの。

261ページ。舞台は1994年のマイアミ。キューバ人歯科医のマルティネスは兄の家の屋上に潜んでいた。

亡命キューバ人は「いかだ難民 balsero」としてフロリダ半島に漂着し、政治亡命を申請すればアメリカ合衆国が受け入れてくれることになっている(滞在許可などがもらえる)。そうでない場合、たとえばメキシコ経由でアメリカに着いた場合、「不法入国」扱いになる。漂着が「合法」で、メキシコ経由は「不法」。

マルティネスは後者に当てはまる。兄は一計を案じ、弟の外見がいかだ難民のようになるまで、屋上で一週間、食べ物もなしに陽を浴びさせる。

こうしてマルティネスは一週間飲まず食わずで過ごし(本当はそうではないのだが)、7月27日の深夜、フロリダ半島の先端に連れていかれ、いかだに乗せられる。北へ一時間も漕げば、港に着く。陸にあがったら政治亡命を申請すればいいーーこれが兄のアドバイスだ。

さて、マルティネスはどうなったのか?

ヘスス・ディアスが亡命したときに発表した「Los anillos de la serpiente」はここで読める。

1992年3月12日付の「エル・パイース」紙である。

1992年と言えば、1492年から500周年のあの年だ。7月25日から8月9日まで、バルセロナではオリンピックが開かれた。開会式のときハバナにいたことをおぼえている。

[ この項、続く]