2018年11月16日金曜日

フリーダ・カーロ展&ドイツ語で読む『エプタメロン』

この夏、ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館でフリーダ・カーロ展を見てきた。

その時のカタログがこれ。



Claire Wilcox & Circe Henestrosa, Frida Kahlo: Making her self up, V&A Publishing, 2018.

彼女の絵画だけでなく、彼女が身につけていた衣装や装身具、コルセット、薬、糸、その他小物類などが並べられていた。

メキシコシティの彼女の『青い家』の衣装箱(?)が開けられたのが2004年だか2005年。

そこには数百の小物、6000枚の写真、12000の文書などが入っていて、それを全て分類して、ようやく今回の展覧会が催されたということらしい。

ただ展示場はスペースが狭くて、ちょっともったいない印象。もっと広いところで見たかった。ドレスはきちんと見ることができたが、そのほかの小物はゆっくり眺めることもできず。

El Paísのこの記事などが参考情報。

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 フリーダ展を見たのももう数ヶ月前の夏の思い出だが、『君の名前で僕を呼んで』は夏の思い出映画である。

その意味では『悲しみに、こんにちは』とか『海辺のポーリーヌ』と重なるといえば重なる。

全く前後関係を抜きに素晴らしかったシーンをあげると、母が夫と息子(エリオ)をそばに寄せて『エプタメロン』を朗読するところがあって、そこだけは忘れたくない。

真夏の停電の夜、家族が過ごしている別荘には『エプタメロン』のオリジナルのフランス語版がなく、仕方ないわねえ、と言いながら、母親はドイツ語で朗読し、それを夫と息子のために英語に翻訳していく。

考古学者である父が教える大学院生オリヴァー(24歳)に惹かれているエリオ、17歳。この思いをどうしたものだろう。エリオは、母に寄り添って聞くとはなしに聞いている。

いつしか母の朗読する内容は、エリオの内面の恋の感情と重なってくる。「おや、この話、僕の話と似てるじゃないの」

しかもドイツ語から英語に翻訳する時に一瞬の間が必然的に生じ、その静けさがうまい具合に、エリオにも、そして見ている我々にも、なにがしか考える隙間を与えてくれるのだ。

1983年に17歳だったエリオは今、50歳を超えている。一体その後どんな人生を歩んだのだろう(映画はフィクションだけれども)。

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