2025年8月15日金曜日

8月15日

ウォルター・サレス監督の『アイム・スティル・ヒア』(2024)は冷戦期の反共軍事独裁による人権侵害を扱った実話もので、軍政とはいえ若者はドラッグを愉しみながらドライブ、BGMはブラジル音楽やブリットロックで、コダックの8㎜ビデオでなんでも撮って、映画はアントニオーニの『欲望』(1967)を観に行き、家族揃ってアイスクリーム・パーラーに出かけるような、ブラジル人の富裕層の暮らしは享楽的にも見えるくらいなのが普通なのだけれども、このまえ翻訳が出たネルソン・ロドリゲス『結婚式』(1966、旦敬介訳、国書刊行会)の雰囲気と似ていて、あれもリオデジャネイロだったが、ドライブ、ビデオカメラ、家族の絆という共通項がある、それでもこの『アイム・スティル・ヒア』は2024年の映画で、監督自身がこの映画で扱われる強制失踪者の家族と知り合いらしいが、左翼弾圧ということでは、このまえやっていた映画『ボサノヴァ 撃たれたピアニスト』(2023)やバルガス=リョサの『激動の時代』(2019)と、冷戦期ラテンアメリカの記憶を描き、サレスは1956年生まれ、フェルナンド・トルエバは1955年生まれで同世代、バルガス=リョサは1936年生まれで少し年齢は上だが、3人が21世紀という現在地にこだわりながら制作していることは一つの共通する特徴と言えるのではないか。

2025年8月13日水曜日

8月13日

柴崎友香は『帰れない探偵』(講談社)の刊行記念選書として「場所の記憶を探偵する」というテーマで12人の作家を選んでいる。ポール・オースターのニューヨーク三部作『ガラスの街』『幽霊たち』『鍵のかかった部屋』(いずれも柴田元幸訳、新潮文庫)、W・G・ゼーバルト『移民たち』『アウステルリッツ』(いずれも鈴木仁子訳、白水社)、パク・ソルメ『影犬は約束の時間を破らない』(斎藤真理子訳、河出書房新社)、夏目漱石『彼岸過迄』(新潮社)、ジーナ・アポストル『反乱者』(藤井光訳、白水社)、テジュ・コール『オープン・シティ』(小磯洋光訳、新潮クレスト・ブックス)、東辻賢治郎『地図とその分身たち』(講談社)、レベッカ・ソルニット『迷うことについて』(東辻賢治郎訳、左右社)、奥泉光『「吾輩は猫である」殺人事件』(河出文庫)、フアン・ガブリエル・バスケス『歌、燃えあがる炎のために』(久野量一訳、水声社)、呉明益『自転車泥棒』(天野健太郎訳、文春文庫)、イーフー・トゥアン『空間の経験』(山本浩訳、ちくま学芸文庫)。選書一覧のリーフレットには、12人の作家・作品について一人ひとり丁寧に紹介文が載っていて、バスケスの部分を一部だけ引用すると、「コロンビアの作家で、私と同じ一九七三年生まれです。(中略)この数年、小説は語り直すものであることに意味がある、ある人の話をほかの誰かが語る伝聞が小説ではないかと考えています」と言っている。

2025年8月12日火曜日

8月12日 フアン・ガブリエル・バスケスと原爆


フアン・ガブリエル・バスケス(コロンビア出身の作家、1973-)は、8月9日朝、長崎に原爆が投下されてから80年後、エル・パイース紙のコラム原稿を書き始めた。

彼は平和祈念式典での長崎市長(自身が被曝2世)のスピーチを読み、核兵器廃絶の願いはかつてよりいっそう重要だと考えた。長崎市長の言葉は以下のようにスペイン語で報じられた。

“Esta crisis existencial que atraviesa la humanidad es un riesgo inminente para cada uno de quienes habitamos la Tierra”(「そんな人類存亡の危機が、地球で暮らす私たち一人ひとりに、差し迫っているのです」)。

“círculo vicioso de confrontación y fragmentación”(対立と分断の悪循環)

バスケスの心を打ったのはしかし長崎市長の以下の言葉である。

“A los hibakusha no les queda mucho tiempo”(被爆者に残された時間は多くありません)

バスケスはこう書いている。

「被爆者とは、世界中の人が知っているように、1945年の爆撃の生存者のことである。この単語は文字通り「爆撃された人」を意味する。彼らに残された時間は多くないとはどういうことか?それは要するに、原爆投下の数えきれない恐怖を身をもって経験した人々が少なくなっていき、彼らが全員亡くなったとき、出来事の生きた証言(テスティモニオ)が消えていくことを意味する。何十年も前から自らに課してきた任務、世界に証言を伝えること、経験していない人には想像のできないその経験を共有する任務にはピリオドが打たれ、私たちは資料に頼るほかなくなるということだ。

このことは当然避けられない。人間の命は有限だからだ。(中略)人々は死に、そして私たちの過去に対する理解もまた死ぬ、あるいは薄まる。それを被爆者は知っていて、だからこそ、残された時間が多くないのを知っているからこそ、懸念にとらわれているのだ。最後の被爆者がこの世を去った時に残るのは資料だけで、資料は生きた証言ではない。私たちはもちろん資料に頼らねばならないし、資料はなくてはならぬものであるし、それらが存在することに感謝するだろう。しかし直に経験した人々がこの世を去る時、私たちの間での過去の現前について、何かが失われるのだ。」

この後、バスケスは東京を15年ほど前に訪れたときに被爆者と会ったエピソードを語る。自身がジョン・ハーシーの『ヒロシマ』(法政大学出版局)のスペイン語翻訳者であることを被爆者に伝えたとき、その方が涙を流して感謝の言葉を口にした。

「いま、ハーシーのルポを読み直し、その残酷なイメージ、貴重な歴史、当事者たちの抵抗に心を動かされている。そして思うのだ。ここには、決して消え去ってはならない記憶が生きている。」

ハーシーの『ヒロシマ』は谷本牧師の「その後」で閉じられる。「その後」とは、1984年に被爆者に実施されたアンケート結果のことで、被爆者のうち54パーセント以上の人が、核兵器が再び使われると考えている。バスケスは自分がスペイン語に訳した本の最後の文を引いている。「彼(谷本氏)の記憶も、世界の記憶と同じように、まだらになってきた」。スペイン語でこの「まだらになる」はse estaba volviendo selectiva(selectivaは選択的な、の意)。

2025年8月11日月曜日

8月11日 ガルシア=マルケスの「家」

ガルシア=マルケスが『百年の孤独』を書いた家はメキシコシティのCalle Lomaにある。彼がその後、亡くなるまで住んでいたペドレガルのCalle Fuegoよりも北西に位置する。ペドレガルの家はかなり大きいが、このCalle Lomaにある家は、やや小ぶりだがメキシコシティ郊外に多く見られるような、庭があって、中は素晴らしいはずだが外側から多くを知ることができず(呼び鈴を押すと多分家のお手伝いの方が出てくる)、近くに幹線道路が走っているが少し引っ込んでいて静かで、でもちょっと勾配がある地区だが、白さが際立つことではペドレガルの家と似ている(ペドレガルの家は中に入らないと白さがわからないが)。この家をめぐってガルシア=マルケスの二人の息子が当時を回想するドキュメンタリーが製作された。題して「La casa(家)」。このタイトルは、ガルシア=マルケスが書き残した「家」という作品を意識したもので、この断章には彼が『百年の孤独』なるものを書こうとしていた痕跡が見つけられる。以下の写真は2022年の年末に撮影したCalle Lomaの家で、そのときはなんの目印もない空き家だったが、今後ここも記念館的なものに変わっていく予定だ。亡くなって10年以上が過ぎ、日々過去の人になりつつあるが、どうしてもまだそんな気分にはなれないな。ぼくにとっては優しく接してくれた気の良いおじさんで、まだメキシコに行くと、彼に言われたとおり電話しないといけないなと思ってしまって、それができないのでペドレガルの家に行こうとは思わない。最後にペドレガルに行ったとき、帰り際に家の前で写真を撮ろうとしたが、地区一帯の警備を担当している人にやめておいたら、と言われ(仄めかされて)、確かにそうだと思って撮らなかった。しかし不思議なもので、そのことで逆に、通りを渡った側から見た家の光景を忘れてはならないのだ、と強く自分に言い聞かせたのか、まだ脳裏に焼きついている(ような気がする)。





2025年8月9日土曜日

8月9日

ポール・ベンジャミンの『スクイズ・プレー』(田村俊樹訳、新潮文庫)の解説で、池上冬樹は主人公の私立探偵が息子と野球を見にいくエピソードが「繊細でリリカルで、とても美しい」と書いている(386ページ)。元メジャーリーガーのスター選手の相談を解決するのがこの探偵の仕事なので、この小説は野球小説でもあり、野球を描くときとくに力が込められている(最後から2番目の19章)。池上が言うように、スタジアムに入るシーンはさすがで、親子はチケットを見せてトンネルのようなところを抜ける。「が、そのあと傾斜路をあがると、そこにある。それを一度に吸収するのは無理だ。いきなり眼前に現われる空間の広がりに、自分がどこにいるのかも一瞬わからなくなる。何もかもが巨大で、見渡すかぎりグリーンで、完璧に整っている。まさに巨人の城の中に造られた美しい庭園」(333ページ)。ここの目線は探偵のというよりはじめてスタジアムを訪れる息子のそれだ。東京ドームのように、すり鉢状の球場のある程度の高さから入場するタイプの場合、下方にフィールドが広がっている設計ではこういう描写にならないのではないか。横浜スタジアムは何十年も行っていないから覚えていないけれども、球場というのは、神宮にしても外からはただの壁で、その壁に開けられた穴から入り、階段をのぼっていくとグリーンの芝生や土の部分がちらりと目に入ってその眩しさに惹かれて早足になってしまうようなのがいい。おそらくヤンキースタジアムであるこの1ページ半は確かに読ませるが、それでもやはりそのあとの試合展開のくだりが圧巻だ。「私たちの席はホームと一塁のあいだのグラウンドレヴェルのなかなかいい席だった」から「このプレーはシーズンを通して繰り返し語られることだろう」(334から341ページ)の7ページが書けなければ、この小説は完成しないのだから。キューバ作家のレオナルド・パドゥーラは、野球というスポーツの不思議を説明するとき、例えばサッカーのようにすぐにルールがわからないことや、ボールを持っている側が「攻撃側」ではなく「守備側」であるということをあげているが、そのさきで、なるほどと思わせることを言っている。曰く、ゲーム中の一見何も起きていないようなとき、つまりプレイヤーは誰一人として動きを止めている瞬間に最も重要なことが決定されつつあるのが野球なのだと。大谷がトラウトを三振に取る寸前のサイン交換は、静止している最もエキサイティングな瞬間であるだろう。ポール・オースター(ポール・ベンジャミン)のような野球用語を使う作家のスペイン語翻訳は、野球に馴染みのないイベリア半島の人には難しいだろうとパドゥーラは言っている。

2025年8月4日月曜日

8月4日

マリア・ホセ・フェラーダ María José Ferrada(1977-)はチリ出身の作家で、すでに何冊か児童書が翻訳されている。今回の来日で5度目だという彼女の日本滞在記にDiario de Japón(2022)があり、そこでは「ドイツは私の祖父の頭の中では、7歳まで話していた母語の響きで、その年、学校に行き、まずまずの発音のスペイン語を学んだ。チリ南部の極小の村でのことだった。祖父の両親は子どもの時、19世紀末にキールを出た船でチリに着いた。陸にあがると、着いたばかりの人は、パンのことをダス・ブロート、ビスケットのことをディー・プレッツヒェンと言い続けた」と書いている。来日中の彼女が登壇するイベントが8月15日にある。それを知ったのは、ガブリエラ・ミストラルがノーベル文学賞を受賞して80年が過ぎて、そのことを祝す催しがあったから。


2025年7月30日水曜日

7月30日

サルトルとボーヴォワールのキューバ訪問についての当時の記録の詳細が一冊の本にまとめられた。

Sartre y Beauvoir en Cuba: La luna de miel de la Revolución, Duanel Díaz Infante y Marial Iglesias Utset(Comp.), Editorial Casa Vacía. 




2025年7月29日火曜日

7月29日

ポール・オースターがポール・ベンジャミン名義で書いた推理小説『スクイズ・プレー』では、私立探偵のマックスが契約して車を停めている駐車場係にルイス・ラミレスがいて、彼は「出版されていることがわかっているあらゆる野球雑誌を読」み、3人の息子には「それぞれ異なるヒスパニック系の野球選手に因んだ名がつけられている」。そのうえ、マックスが9歳の息子リッチーを連れて駐車場に行ったとき、リッチーはそれまで恐竜に、昆虫に、そしてギリシャ神話に夢中だったが、今度は「ルイス・ラミレスと野球の話になった。ルイスはリッチーを詰所に招き入れると、野球に関する本と雑誌をリッチーに見せた。それはまさに深遠な数字と、曖昧な人格と、難解な戦略の神秘的な宇宙への招待のようなものだった。リッチーはそれでいっぺんに野球にはまった。ルイスはかくしてリッチーのウェルギリウスになった。この神々と半神半人と人の世界におけるガイドに。それ以降、私との外出はもはや駐車場でのルイスとの会議なしには完全なものではなくなった。リッチーは私が誕生日に買ってやった〈ベースボール・エンサイクロペディア〉の三分の二を暗記しており、どこへ行くにも野球カードのコレクションを持ち歩くようになった」(ポール・ベンジャミン『スクイズ・プレー』田口俊樹訳、新潮文庫、88ページ、111ページ)。

2025年7月24日木曜日

7月24日

雑誌「The Big Issue」(507号)はデジタル民主主義を特集している。スペイン・バルセロナ市ではじまったdecidim[私たちが決める]で決められたこととして、「たとえば、住民が車道の使い方を決めた「スーパーブロック計画」は、車の通行を制限し、交差点を広場や遊び場に変えることで、歩行者優先のまちづくりを推進した」と書かれている。その結果「実際に導入された地区では、自動車の通行量が最大80%減り、大気汚染や騒音が改善されたほか、人が歩きやすくなって集客数が伸びたことから店舗数も増え、地域経済が活性化したことが報告されている」そうだ(6-7ページ)。また、台湾で進むデジタル民主主義について李舜志は以下のように語っている。「2015年に『Join』という請願プラットフォームがつくられ、高校生から『高校の始業時刻が早すぎて、十分に睡眠が取れない』として、始業時刻を遅らせてほしいとの請願が出されました」「それがそのまま採用されるわけではなく、専門家が睡眠科学の最新の研究に基づいた知見を示し、どのくらい遅らせるのが妥当かを学生グループや教師、保護者などと検討していきます」「請願の内容によっては意見が通らないこともありますが、その場合は通らなかった理由を政府や行政、専門家がきちんと説明することで市民も納得し、専門家や行政への信頼が生まれます」(11ページ)

2025年7月23日水曜日

7月23日

冷戦時代にペルー出身者(リカルド・ソモクルシオ)がパリでユネスコの翻訳官として生きていく物語であるバルガス=リョサの『悪い娘の悪戯』に出てくる、フリーランスの通訳者サロモン・トレダーノについてこう書かれている。「サロモンはエーゲ海に面したトルコの都市イズミルの、セファルディムの一家に生まれ、ラディノ語(ユダヤ・スペイン語)を話す環境で育ったことから、自身を「トルコ人というよりスペイン人、ただし五世紀ほど昔の」と見なしていた。父親は商人で銀行家であったらしいから、相当裕福な家庭だったに違いない。それというのも息子をスイスとイギリスの私立学校に送り、その後ボストンとベルリンの大学で学ばせることができたからだ。大学在籍中にすでにトルコ語、アラビア語、英語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、イタリア語、ドイツ語を話し、ロマンス語学・ゲルマン語学を修めて卒業。その後、数年間東京と台湾で暮らし、日本語と標準中国語、台湾方言を学んだという。僕との会話はつねにスペイン語だったけど、噛みしめるような話し方で古語を連発していた。たとえば、ぼくら仕事仲間を"通訳"ではなく、古代アラブ語で"仲介者"を意味する"タルジュマン"と読んだりするから、皆に"タルジュマン"とあだ名されるようになった。スペイン語を話していると思ったら、本人も気づかぬうちにフランス語や英語、あるいは僕の知らない他言語に移ってしまうことも多々あって、その都度、話を一旦中断させては(彼に比べて)狭い言語環境のなかで生きている僕に配慮してくれと頼んだものだった。知り合ったときにはロシア語を習得中だったが、一年もすると会話も読解も難なくこなすようになり、難解なキリル文字と五年もにらめっこしていた僕は、あっというまに追い抜かれてしまった」(マリオ・バルガス=リョサ『悪い娘の悪戯』八重樫克彦・八重樫由貴子訳、作品社、163-164ページ。「セファルディム」には「十五世紀末にイベリア半島を追われて国外に移り住んだユダヤ人の子孫」と割注)

2025年7月21日月曜日

7月20日

昨日神宮のナイターに行った。8対7でスワローズが勝った。勝利投手はペドロ・アビラ。登場曲はジュニオル・ゴンサレス「幸せに生きる権利がある Tengo derecho a ser feliz」。真夏の夜に流れるスタンダード・サルサ。


 

2025年7月19日土曜日

7月19日

4月1日から7月31日までの学内会議・打ち合わせの回数は100前後。月平均で15から20だと思っていたけれども(たぶん前にも書いたはず)、それより多くて25近い。年間では270くらいになるのかな。

2025年7月18日金曜日

7月18日 バルガス=リョサ『激動の時代』訳者あとがき 全文公開

マリオ・バルガス=リョサ『激動の時代』(原題 Tiempos recios)がまもなく作品社から刊行になります。刊行に先立って、訳者あとがきが作品社のnoteで全文公開されています。

ある事情により、紙版には全文を収録することができませんでしたが、全文を掲載するスペースがあってありがたいです。




2025年7月16日水曜日

7月16日

1960年代初頭のパリについて、バルガス=リョサは『悪い娘の悪戯』で書いている。「奇妙なことに、僕【リカルド・ソモクルシオ、ペルー出身、パリでユネスコの翻訳官】の生活の変化と相まってパウル【リカルドの友人。ペルー出身、パリで左翼系セクトMIRのメンバーとしてペルーにも革命を起こそうとしている】の生活も一変した。(中略)僕がいわゆるお役所仕事のような職に就いてしまったのと、彼がMIRの顔として党大会や平和集会、第三世界の会報や核武装反対闘争、植民地主義や帝国主義の打開などなど、革新的な主義主張を訴える会合に出席すべく世界じゅうを飛びまわるようになったからだ。週に二、三回の割で、北京やカイロ、ハバナ、平壌、ハノイからパリに戻るや、電話をもらってカフェで会う。三十カ国から集まった五十の団体、千五百名もの代表者らを前に、ラテンアメリカにおける革命の展望を--それも、まだ具体的に何ら着手されていないペルーの革命を代表するかたちで--演説しなければならなかった。(中略)期せずしてパウルは国際的な大物になっていたのだ。僕がそのことを改めて認識したのはちょうどその年、一九六二年にモロッコ人革命指導者、通称”ダイナモ”ことベン・バルカ氏の暗殺未遂事件が発生し、新聞紙上を賑わしたときだった(その三年後の一九六五年十月、同氏はサンジェルマン・デ・プレのレストラン、シェ・リップを出た直後に誘拐され、いまだに行方不明のままだ)」(バルガス=リョサ『悪い娘の悪戯』作品社、42から43ページ)

2025年7月15日火曜日

7月15日

藤本一勇は書いている。「現在、研究者の世界でも、翻訳の仕事は、業績ポイント上での評価が低い。外国の書物を翻訳するには、外国語ができるばかりでなく、その国の歴史や文化にも精通している必要があり、また専門書の翻訳ともなれば、原書を理解しうる最先端の知識が必要になる。(中略)/このように知的にも倫理的にも大きな能力が必要とされる翻訳を軽視するような評価基準の制度化や社会的イメージは、独創的な研究や成果を促進するというよりも、むしろ知の地盤低下を招来する可能性が高いだろう。/こうした翻訳に対する過剰な軽視は、それ自体が従来の過剰な重視に対する反動である。(中略)翻訳蔑視はオリジナル重視という近代イデオロギーの反映であると同時に、また近代以前から続く神学的・形而上学的発想の残滓でもある。翻訳がなぜ貶められるのか。簡単に言えば、翻訳はオリジナルとの関係で「二番煎じ」と考えられているからである」(藤本一勇『外国語学』岩波書店、53から54ページ)

2025年7月13日日曜日

7月13日

バルガス=リョサ『激動の時代』(作品社)の書影。帯なしと帯あり。8月初旬刊行。




2025年7月12日土曜日

7月12日

カーラ・コルネホ・ヴィラヴィセンシオは書いている。「フロリダで保険に入っていない不法移民が経験することは、ほかの無保険の人びとのそれとさほど異なるわけじゃないけれど、それでも決定的な違いがあって、たとえ余裕があっても不法移民は保険を購入できない。この国をはじめどの西欧諸国でも右派が悪霊[ブギーマン]とみなすのは、病気の移民というイメージだ--健康保険制度への負担とされるもの、救急救命室や納税者にとってのお荷物。これを信じる人の考えを変えることにわたしがほとんど関心のないことは、何度でも言っておきたい。外国嫌いの人間[ゼノフォーブ]の考えを変えることを期待されるくらいなら、カミソリの刃を飲みこんだ方がまだまし。それでもこの病気の移民というブギーマンには興味があったから、わたしは調べてみようと思い立った」(カーラ・コルネホ・ヴィラヴィセンシオ『わたしは、不法移民 ヒスパニックのアメリカ』池田年穂訳、慶應義塾大学出版会(84-85ページ)

自ら不法移民としての経験を持ち、その後ハーヴァード大学で学んだ著者は、本書を「クリエイティブ・ノンフィクション」と呼ぶ。「綿密な取材に根ざし、詩のように翻訳され、選択された家族によって共有され、ときに読むのが苦痛な本だ。ひょっとしたら読者の皆さんは好きになれないかもしれない」(13-14ページ)

2025年7月11日金曜日

7月11日

「そこでは、若い男女が十人ほど、歌を歌っていた。煉瓦の壁に囲まれたその場所で、歌声は反響し、暗い空へ吸い込まれていった。(中略)彼らは、手拍子を打ち、座っている椅子や箱を叩いて、ひときわ、声を張り上げた。聞き覚えのある歌。スゥイート・チャリオット、スウィング・ロウ・スゥイート・チャリオット。わたしがまだ育った街にいたころ、誰かが歌ってくれた歌だ」(柴崎友香『帰れない探偵』26ページ)

音楽を聴きたくなる本。「Swing Low, Sweet Chariot


2025年7月10日木曜日

7月10日

柴崎友香『帰れない探偵』(講談社)は「帰れない探偵」が世界をさまよう連作短篇集。収録されている最後の「歌い続けよう」のワンシーン。空港の展望デッキで、探偵はたまたま話しかけられた人と会話をする。

「(前略)わたしが通っていた高校を【子どもが】受けたいって言ってます。何年か前に移転して、すっかりきれいな校舎になってて」
「それはいいですね」
「わたしが高校のときすごく楽しかったって話をしょっちゅうしたからかも」
 わたしは頷いた。
 彼女からは、わたしはどう見えているだろうか?
「ライブイベントに行くん?」
 わたしは聞いた。彼女は懐かしい笑顔を見せた。
「チケットが当たらへんかったから、ここから同じ空気だけでもって。でもみんな考えることはいっしょやから、ここもあと二時間で閉鎖されて特別観覧席になるみたい。びっくりするような料金で」

2人の会話が東京弁から関西弁にスイッチするところが絶妙。探偵(わたし)は、それまでは「それはいいですね」と東京弁だったが、急に「ライブイベントに行くん?」と切り替える。そして相手も「チケットが当たらへんかったから」と答える。

2025年7月9日水曜日

7月9日

バルガス=リョサ『激動の時代』の書影が出ました。刊行予定日は8月6日です。版元ドットコム作品社のホームページ、アマゾンで確認できます。無事に刊行されるまで気が抜けません!

2025年7月7日月曜日

7月7日

メキシコの作家エレナ・ポニアトウスカは、パリに置き去りにされたロシア出身の妻アンジェリーナ・ベロフ Angelina Beloffがメキシコに帰った夫ディエゴ・リベラに宛てた1921年10月19日付の架空の手紙を書いている。「En el estudio, todo ha quedado igual, querido Diego, tus pinceles se yerguen en el vaso, muy limpios como a ti te gusta. 愛するディエゴ、アトリエは何もかも同じ、きみの絵筆はコップに立っている、きみがいつもそうするのが好きだったように、とても綺麗に洗われて」。(Elena Poniatowska, Querido Diego, te abraza Quiela, Seix Barral , p. 9) 

2025年7月6日日曜日

7月6日

現実ではなく記憶を書くことについて、ジェラルド・マーティンはガルシア=マルケスの伝記で書いている。「【構想があったが筆が進まなかった『百年の孤独』が一気に書けた】ガルシア=マルケスの身にいったい何があったのか? 長い年月を経たあとになぜこの小説を書けるようになったのか? 彼はぱっとひらめき、自分の少年時代ではなく[instead of a book about childhood]、少年時代の記憶について書くべきだと気づいた[ a book about his memories of his childhood ]。現実realityではなく、現実を写実的に描いた作品[a book about the representation of reality]にしなければならない。アラカタカとそこに住む人たちではなく、彼らの世界観を通して語らなければならない。アラカタカをよみがえらせようともう一度試みる代わりに、アラカタカの人びとの世界観を通して語る(中略)必要があった」(ジェラルド・マーティン『ガブリエル・ガルシア=マルケス ある人生』木村榮一訳、岩波書店、378ページ)。

息切れについて、柴崎友香は『帰れない探偵』で書いている。「どの大陸にやってくる低気圧や豪雨をもたらす前線も年々勢力を増し、甚大な被害が起きるようなっている。先週のニュースかと思って見ていたら今日の別の災害だったりさらに別の場所の災害だったりして、記録的な災害の度に行われる寄付の呼びかけやチャリティーイベントもこのごろは息切れしている」(『帰れない探偵』177ページ)。

民主主義を適切に維持するための活動も息切れ状態だ。無茶苦茶なことを言う人が権力を握ったりすれば(そういうことは実際に起きている)、その監視にも時間を割かなければならない。一日24時間をどのように使えばよいのだろうか。ありきたりのことだけれども、力を合わせる必要がある。他の人ができないときには自分が、自分ができないときには他の人が行動し、それを細々とでも続けて息切れしないように、と思う。民主主義的な手続きで選ばれた人が民主主義を否定することはままあるが、その後、その人にはなんらかの裁きが下される。しかしそれが起きるまでには多くの時間がかかる。本当に多くの時間と人命を引き換えにしないと裁きは下されないのだ。正しく声を上げ、それを人に伝え、それが広がっていく必要がある。帰れない探偵が出身の場所に帰ることができるのはいつだろうか?

2025年7月5日土曜日

7月5日

大崎清夏は「ハバナ日記」(『目を開けてごらん、離陸するから』リトルモア)で、2018年2月1日から10日にかけて、トロント経由で行ったハバナへの旅について書いている。「ブックフェアの人混みに揉まれ、ケティの後をあっちへ行ったり、こっちへ行ったりしているうちに、スペイン語がわからないことに、というより、何もわからないまま誰かのあとをついていくしかないことに、いい加減、気持ちがばくはつしそうになってきた。さらに、実はアラマルを水曜日に引き払わなければならないことがわかり、それって今日じゃん。いつ行くの、次はどこに泊まればいいの?とケティに詰め寄ってしまった」(188から189ページ)。そして「ダニエルとカロリーナと一緒に詩の家に戻ると、扉が閉まっていて中に入れなかった。ええっ、スーツケースは?明日までスーツケースとはお別れだった。諦めて、ダニエルとタクシーに乗ってベダードに戻り、民泊の自分の部屋(があるって素敵!)でシャワーを浴びて、なんとか手持ちの服をやりくりして、グレーのタンクトップと、こういうときのために持ってきた大ぶりの三角ピアスでパーティー風に着替えた」(194から195ページ)。



2025年7月4日金曜日

7月4日

ガルシア=マルケスの語りの声は、政治制度に対しても、覇権的権力の倫理的な基盤に対しても、不遜であることで知られている。しかしその不遜さは、男性が女性に対して有する特権の神話を解体するにはいたらない。すなわち、男性性を能動的な性、攻撃性、知的探求、公的権威と並び立たせ、女性性を介護者や家事労働に矮小化するような伝統的ジェンダー階層は、彼の世界では自然化された要素である。とはいえ、逆説的なことに、彼の作品の女性たちが服従を許さない性格を持っていることも、彼のナラティブの際立った要素である。ガルシア=マルケスの女性たちは、本来的に従順ではないし、喜んで言いなりになっているわけではない。女性たちが家父長制的な期待を破ろうとする姿が描かれることで、ガルシア=マルケス世界にははからずも、カリブとラテンアメリカにおけるジェンダーと権力に内在する矛盾があらわれているのだ。(Nadia Celis-Salgado, The Power of Women in Gabriel García Márquez's world)

2025年7月3日木曜日

7月3日

柴崎友香は『帰れない探偵』(143-144ページ)で、「時間が時間の速度で過ぎた。静寂とはこういう時間のことをいうのか(後略)」「生まれて最初に聞いた言葉、話した言葉、友人たちと毎日どうでもいいようなことをしゃべり続けていた言葉は、わたしの中から消えない。長い間会っていない友人たちの声が、何十年も前に交わした言葉が、今もときどき聞こえてくる」「テラさんがあっというまに彼らの音楽に馴染んでいくのと対照的に、リズム感も運動神経もよくないので、わたしの太鼓はたどたどしかった。それでも、そのたどたどしいリズムに他の楽器の音が応答するように音楽が紡がれ、歌が響き、観客たちが声を上げた」と書いている。管啓次郎は朝日新聞(7月2日夕刊)で、ル・クレジオの『歌の祭り』を引きながら、パナマのワウナナ族の儀式について書いている。その儀式では「男も女も、子供も老人も、宙に吊るされた丸木舟のまわりに集い『祈りのように、音楽を奏でる』」「この踊りに『詩』がともなうと言うのではないが、その根拠は潜在的には言語であり、神話だ」


2025年7月2日水曜日

7月2日

「アレッホ・カルペンティエールは、みずからアメリカ大陸の偉大な小説家になることで、ラテン・アメリカの文学と芸術の資本設立における主導者、プロモーター、立役者となっている」「ラテン・アメリカ文学の特徴は今日でもなお、国家空間ではなく大陸空間のただなかにおける文学資本の創設という点にある。言語的・文化的統一のおかげで--政治的亡命によって知識人が祖国を離れ、大陸中を移動したことにも恵まれて--一九七〇年代初めのいわゆる「ブーム」の作家グループ(ならびに出版社)の取った戦略は、前提されたラテン・アメリカ的「性質」の産物である大陸的文体的統一を主張することであった」(以上は、パスカル・カザノヴァ『世界文学空間』岩切正一郎訳、297ページから299ページ)。岩切正一郎はフランス文学者・翻訳者で詩人。そしていま国際基督教大学の学長でもある。ここを参照してわかるけれども、今年の入学式の挨拶では、ハンナ・アーレントの言葉「思索はすべて孤独のうちになされる」を引用している。それ以外ではこんなことも言っている。「もともとサイエンスは『知ること』、アートは『技術』を意味する」(大意)。私自身もかつて大学でこれと同じようなことを聞き知ってきたし、それを今でも言うことが多いので、自分とつながっているな、と思ったり。ひとりの人間にできることは、孤独の中で、ある書物からある書物へと思うままに読み、その途中で授業や雑談で出てきた話が蘇り、へえ、あのときの話ってこういうことだったのか、おや、つながっているじゃないの、と感動したりしながら、またひとりの読書に戻っていくことだ。

2025年7月1日火曜日

7月1日

「その名が示すとおり、アマランタ・ウルスラはウルスラの子孫であるだけでなく、大叔母アマランタの後継者でもあり、アマランタの遺産には結婚への公然たる抵抗と、女性のエロティックな欲望の抑圧に対する密かな反抗が含まれている。ウルスラが近親相姦の断固たる反対者であった一方、アマランタはその祭司のような存在で、ブエンディア家の男たちに家系内の女性への欲望を育ませた者であった。アマランタとは異なり、また婚外の恋愛関係のために幽閉生活を強いられた妹メメとも異なり、アマランタ・ウルスラは結婚という枠のなかで自らの情熱を実現することに成功する」(Nadia Celis-Salgado, The Power of women in Gabriel García Márquez's world)

 

2025年6月30日月曜日

6月30日

Shu-Mei Shih(史書美)の論文「Comparison as Relation」(関係としての比較」)。誰か日本語に訳してほしい。グリッサンの『関係の詩学』を踏まえている。彼女は「The Plantation Arc(プランテーション・アーク)」を提起。これは西インド、アメリカ大陸の南、東インドを同じ構造で考えること。奴隷制のもと組織化されたプランテーション・システムの構造を出発点に、それぞれの地域で相互に関係しているが異なる一つのルートをたどること。関係としての比較。柴崎友香『帰れない探偵』からは「昔の地図が、きれいすぎる気がした。(中略)もし、書き換えられているとしたら、高い技術があり、周到に行われている」(19)、「資料は、よく整理されていた。むしろ、整理されすぎている気がした」(63)など。記録の書き換え、消去、記憶の不確かさ。もとに帰れない探偵。消えてしまった探偵の家への路地。うっすらと恐怖が立ち上がってくる。また「誰かが話すそのとき、その人が見ている光景。いつか確かに見た光景。(中略)わたしはそれが見たいのに、ずっと見ることができない」(71)から、当事者と語り手の距離感。

今日は6月30日。

2025年6月29日日曜日

6月29日

「今から、十年くらいあとの話」はスペイン語では、Diez años después esto había de ocurrirだろうか。「世界の表面がぺりぺりとめくれて、まったくおなじなのに、すべてが光り輝いた。眩しくて、耳の奥、頭蓋骨の中が、痛かった」以上、 柴崎友香『帰れない探偵』46ページなど第二話。「ガルシア=マルケスとグローバル・サウス」(Magalí Armillas-Tiseyra)では『百年の孤独』から、「開拓者になるのに、カリブ海もアフリカも大して変わらない」の引用。ベルギー、レオポルド2世、そしてガストン。スワローズは2試合連続零封。この暑さでは6月のデーゲームも難しい。先週末でも恐るべき暑さだった。ペルー料理店でセビーチェなどを食べてピスコ(pisco)やチルカーノ(chilcano)。チルカーノはピスコをジンジャーエールで割ったもの。

2025年6月28日土曜日

6月28日

ラス・カサス『インディアスの破壊についての簡潔な報告』(岩波文庫、染田秀藤訳)、ガルシア=マルケス『百年の孤独』(新潮文庫、鼓直訳)、柴崎友香『帰れない探偵』(講談社)、Nadia Celis-Salgado, "The Power of women in Gabriel García Márquez's world"

2025年6月24日火曜日

6月24日

今度の水曜は会議の数が4。振り返ってみれば、今年度の4月は会議・打ち合わせの数が20。単純にこれを12倍すると年間で240になる。

2025年6月22日日曜日

6月22日

夏至の時期にこれだけ暑くなった記憶がない。米国がイランを爆撃したニュースはスペインのエル・パイース紙では大きく報じられている。

2025年6月21日土曜日

6月21日

詩人が散文から学ぶことは、あまり多くない(ヨシフ・ブロツキー)

2025年6月16日月曜日

6月16日

Rauda Jamís。日本語表記ではローダ・ジャミ。

『フリーダ・カーロ 太陽を切りとった画家』(河出書房新社、1999新装版)の著者。フランス語で書かれたフリーダの伝記。

ジャミJamísという姓。

父はファヤド・ハミス。メキシコ生まれだがキューバで長く暮らして、キューバ作家として知られている(Fayad Jamís, 1930-1988)。

母はキューバ出身で、ビブリオテカ・ブレべ賞の受賞者で詩人のニバリア・テヘラ(Nivaria Tejera, 1929-2016)。

エレナ・ポニアトウスカの本(スペイン語)をフランス語に翻訳している人でもある。




2025年6月15日日曜日

6月15日

Síndrome del domingo por la tarde

日曜日のうちにやっておかないと、月曜日の朝から仕事わんさかですよ。

2025年6月13日金曜日

2025年6月10日火曜日

6月10日

『図書新聞』(3691号) に、ネルソン・ロドリゲス『結婚式』(旦敬介訳、国書刊行会)の書評を書きました。ロドリゲスはブラジルの作家です。





2025年6月6日金曜日

6月6日

版元ドットコムで、バルガス=リョサ『激動の時代』(作品社)の告知がはじまっている。アマゾンなどでも予約できるようだ。

2025年6月4日水曜日

6月4日

夫婦が住んでいたのはへネス(Jenez)通り513番地で、ルイサ(1910)、ウンベルト(1911)、ビルヒリオ(1912)が生まれた。その後一家はへネス通りからメルセー通りに、さらにミハラ開発区(reparto)に引っ越し、ビニシオ(1914)、フアン・エンリケ(1915)、そしてホセ・マヌエル(1917)が生まれた。女1人、男5人の6人きょうだいである。私が知り合ったのは、ビルヒリオの弟のフアン・エンリケさんだ。上から3番目のビルヒリオは1912年8月4日午後12時半に誕生。結婚したとき、父親のフアン・マヌエルは教育委員会の書記、その後はカルデナス水道局長で、母親のマリア・クリスティーナは公立学校の教師だった。

2025年6月3日火曜日

6月3日

ビルヒリオ・ピニェーラの両親フアン・マヌエル・ピニェーラ・アベラとマリア・クリスティーナ・ジェラ・キンタナは、キューバのマタンサス州のカルデナスの教会で1909年6月23日に結婚した。この夫婦から生まれた子どもには、父方の姓ピニェーラと母方の父方の姓ジェラが使われ、〇〇〇〇・ピニェーラ・ジェラとなる。この夫婦から生まれ、のちに作家となったビルヒリオも、若いときはビルヒリオ・ピニェーラ・ジェラ名義で発表している。彼の最も早い時期の詩「El grito mudo(黙した叫び)」がそれだ。この詩はフアン・ラモン・ヒメネス篇『La poesía cubana en 1936(1936年のキューバ詩)』に見つけられる。いずれ母方の姓は消え、彼はビルヒリオ、とか、たんにピニェーラと呼ばれる。

2025年6月2日月曜日

5月31日

この前ル・クレジオの『ディエゴとフリーダ』を心地よく読んでいたのが、遠い過去に思われるほど、たった一週間で身も心もついていけないようなことが起き続けている。予想外のことへの耐性は、その時の健康状態によるから、できるだけ無理をしないように、30パーセントくらいは余力を残して、びっくりすることに対応できるようにしておきたいが、そうもいかない。

6月2日

ただこうして身を削って勤務してゆく以外には、どうしようもないのか。

2025年5月27日火曜日

5月27日 

ぼんやりしていたのか急いでいたのか、井の頭線で急行に乗り、目的の駅を過ぎてしまった。4月に入ってから2度目。

ル・クレジオの『ディエゴとフリーダ』(望月芳郎訳、新潮社)を読んでいる。作家の評伝的なものを書こうとしても(というか書きたいと思っていますが)、これから自分で現場へ行ってその道を歩いて空気を吸って歴史を調べたりするのは、時間やそれ以外にもオカネのことからしても難しいかもしれない。でもこの本を読んでいると、ディエゴ・リベラやフリーダについて書かれたこれまでの伝記を引用して、それをきちんと文脈化しながら書いている。たぶんこんなにうまくいかないとしても、まなぶことはおおい。


2025年5月26日月曜日

5月26日 近況

スペインには20万人のキューバ人が住んでいて、その10パーセントがマドリードに住んでいる。例えばそのうちの一人には、マリア・マティエンソ(María Matienzo)という女性作家がいるが、彼女もまたサン・イシドロ運動からの亡命者である。

エル・パイースを探ってみて、新聞だからそうなってもしかたがないなあとは思うものの、移民や亡命や国際関係の話ばかりだ。

そんな中で、ひょうひょうと生きているように見える作家のカルロス・マヌエル・アルバレスがソフトボールの大会に参加しにキューバに帰った時のエッセイがあった。その彼もLos intrusos(2023年)という本で、サン・イシドロ運動のことを書いているのだが、そういえば、昨年秋、ということはキューバが停電に襲われている時期にマイアミで銃で撃たれたレゲトン歌手のエル・タイガーの追悼記事のようなものも書いていた。37歳で死んでしまったキューバ人歌手、本名ホセ・マヌエル・カルバハル・サルディバル(El Taiger)のことだ。

新年度に入ってから初めて授業も会議も打ち合わせもゼロの日で、こんな日もあるのだなと感慨に浸っているうちに夕方になってしまった。

くもり続きで目が覚めない。

2025年5月25日日曜日

5月25日 近況

2025年のシーズンから読売ジャイアンツに移籍した(させられた?)ライデル・マルティネスの登場曲はエル・アルファのA Correr los Lakersだ。「セ・ティラン・ロス・モノス se tiran lo' mono'」っていう合いの手がいいね。

ライデルの生まれた国キューバで何が起きているのか。

エル・パイース紙のオピニオン欄でレオナルド・パドゥーラは2025年5月11日にキューバの危機について書いている

前にもこのブログで書いたけれど、昨年(2024年)の10月、停電が何日も続くことがあって、その後、事態はよくなっていない。電気がなければ、水も出なくなる。いまから30年以上前に、冷戦が終わったとき、キューバは物がソ連から入らなくなって窮乏生活に入ったが、それは「特別期間」と呼ばれていた。でもいまキューバが陥っているエネルギー不足はもしかすると解消不能で、いつか終わりがくる「期間」ではなく、「日常 normalidad」なのだと諦めている。奇蹟でも起きない限り、こんな生活が続くだろう、と。

エル・パイースをさかのぼってみた。

今から2ヶ月と少し前の2025年3月15日付、ここでも停電のことが書かれていた。昨年秋から数えて、それから6ヶ月の間に4回の大きな停電があった。

アーティストのタニア・ブルゲラのインタビューが2024年11月28日に載っている。ブルゲラがキューバを出たのは2021年8月17日なのだが、原因はサン・イシドロ運動にある。これはコロナの時期に起きたキューバの芸術家による抵抗運動で、2020年11月27日(27N)に大きなデモを行い、翌2021年7月のさらに大きなデモにつながっていく。

2024年9月24日、そして2024年9月27日には、キューバで歴史的なエクソダスが起きているという記事が読める。100万人がこの数年で出てしまった。

ラティーノの多いNPB。スワローズじゃドミニカ共和国とベネズエラ出身の選手がいるけど、ヒロイン(ヒーローインタビューのこと)は英語。このチームの通訳者には久野さんという方がいます。

まあ今日も負けましたが。

2025年5月18日日曜日

5月18日 近況

すでに放送されてしまったが、TBSのユネスコ世界遺産番組(日曜日18時から18時半)のコロンビア・カルタヘナ編の監修をつとめた(5月11日放送)。

今から10年以上前にも同じようにカルタヘナ編が制作されて、そのときも監修を依頼された。調べてみたら2013年2月だった。アルゼンチンにいたので生で放送は見ることはできなかった。

昨年か一昨年、コロンビア大使館を通じてコロンビアの食文化の試食をすることがあった。来年はラファエル・エスカローナが、再来年はガルシア=マルケスが生誕100年を迎える。
コロンビアにはもう何年も行っていないが、連絡がたまにあるので、Zoomで相談を受けたりしている。美食・音楽・文学という組み合わせでセルバンテス文化センターで企画するのがいいとは思うが。

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ここ2年間、年間で170回ほどの会議や打ち合わせに出ていて、おそらくこれからも2年は続く。

2025年4月14日月曜日

4月14日 『植民地文化研究』23号

ケンブリッジのシリーズで昨年出たキューバ文学史が届いた。編者はラテンアメリカ・アヴァンギャルド研究のヴィッキー・ウンルー(Vicky Unruh)と、キューバ文化・文学研究で、ソ連影響下のキューバについて業績の多いジャクリーン・ロスの二人。

The Cambridge History of Cuban Literature, Edited by Vicky Unruh and Jacqueline Loss, Cambridge University Press, 2024.

全体で785ページ。このリンクから、目次やインデックスを見ることができる。




近況として、植民地文化学会の年報『植民地文化研究』23号(2025)に、比較文学者・ポーランド文学者の西成彦さんとの往復書簡「ラテンアメリカ文学者に聞く」が掲載された。

西さんの問いかけに答える形で、これまで書いたことがないような自伝的なことも含めて、『百年の孤独』を出発点に、これまでの研究を振り返りながら、あれこれラテンアメリカ文学について論文では書いていないようなことを書いた。

移民や東アジアの文学のことまで、こういう形式だからこそ自由に書けることも多かった。ちょうどこのやりとりをしている頃に、ハン・ガンのノーベル文学賞があったりして、往復書簡でも少し触れた津島佑子の存在の大きさを思った。今後はここに書いたようなことをもとに論文その他で形にしていきたい。



2025年4月6日日曜日

2025年4月6日

4月1日、新年度がはじまった。1月から3月まで、ほぼ3ヶ月をかけて、年度を終わらせることと年度をはじめることの両方を交互にやりながら、〈晴れて〉ではなく、〈雨と雹に降られる〉寒さの中、4月ははじまった。


それでも3月の終わりには春らしい日もあって、卒業生の結婚式に招かれて鎌倉まで出かけた時は暖かい良い天気で、新郎が「晴れ男なので」と言っていたが、その通り、この3月終わりから4月にかけてあれほどの好天はあの数日しかなかったのではないかと思うくらいの晴れっぷりだった。

映画『エミリア・ペレス』を観てきたのだが、この映画は大いに問題がある。そのことを含めて評価されるべきだと思った。この映画のたいていの紹介記事には、自身トランスジェンダーであるカルラ・ソフィア・ガスコンのかつてのSNSでの発言が炎上したことが書かれているが、ここでの問題はそこではなく、この映画そのもの、この映画におけるトランスジェンダーの描き方である。

この映画の内容は、暴力の限りを尽くした麻薬王が、性別移行によって免責され、無処罰(スペイン語で言うところのimpunidad)が可能になった物語である。

ラテンアメリカにおいては暴力に対する無処罰は深刻である。『思想』2025年2月号のファノン特集で石田智恵がアルゼンチンの軍事独裁暴力の免責に触れている。

コロンビアでは麻薬カルテルの極悪犯罪人が整形手術によって身元を偽り、逮捕を逃げている。この映画では、そうした整形手術が性別移行に転用され、手術を受けた人物は処罰されることなく、その後の行動は「寛大さ」として描き替えられていく。何かがおかしいという声はどこかにあるのだろうか?

埼玉県立近代美術館の展覧会「メキシコへのまなざし」を見てきた。学期が始まる直前にゼミでフィールドワークとして募ったところ大勢参加した。

当日はこの企画を担当された学芸員の方が学生たちのために、展示の概要を説明してくださり、その後みんなで鑑賞し、質疑応答、そして再度質疑に基づいて、展示を確認できるように整えていただいた。

利根川光人はメキシコの遺跡を形にして日本に持ち帰ろうと拓本を使う。その拓本も展示され、「心臓を喰らうジャガー」などを見ることができる。質疑応答の時に学生の質問に答える形で教えていただいたのだが、拓本は石を水で濡らして和紙をあてるだけなので、墨を塗って石碑を汚したりするわけではない。しかし欧米人は見様見真似で拓本をとろうとしてインクなどを使い石碑を汚してしまったという。

いまさら気づいたのだが、今回の企画展のチラシに使われている利根川光人の「いしぶみ」という作品は、雨や雷の神チャック(Chac)がモチーフとなっている。

チャックから連想されるのはカルロス・フエンテスの「チャックモール」なのだが、チャックモールとは生贄の儀礼に用いる横たわる彫像である。フエンテスの短篇ではこの二つ、すなわち雨の神(チャック)と生贄儀礼の石像(チャックモール、この名称は作品内にもある通り、ル・プロンジョンが発見して命名した)が融合した存在として出てきているということなのだろう。

日本では、1955年に催された「メキシコ美術展」(これが東京国立博物館で催されたという点にも注目したいが)よりあと、そしてメキシコでは1950年代、双方の芸術家たちは、「現代」というものを描くに際してメキシコの神話への参照を積極的に行なったということである。展覧会図録にはこのように書かれている。

「…日本の美術家に「メキシコ美術展」の「現代美術」が提示したのは、メキシコの歴史や伝統に依拠しながらも反動的な復古主義に陥らず、かつ社会的な主題を躍動感のあるリアリズムによって表現する美術であった。それが今後の美術の在り方を模索する当時の日本に驚きと興奮をもたらしたことは想像に難くない。」(吉岡知子「メキシコへのまなざしが問いかけるもの」、展覧会図録『メキシコへのまなざし』埼玉県立近代美術館館、p.74)


2025年2月27日木曜日

2025年2月27日

昨年の秋の「キューバ危機」のあと、バイデンは任期終了直前にテロ支援国家のリストからキューバを外したが、その10日ほどあと、トランプが再指定してしまった。

昨年はハン・ガンがノーベル文学賞をとったが、ちょうどそれと前後して津島佑子の『あまりに野蛮な』を読んでいた。それにしてもハン・ガンの『別れを告げない』や津島のこの小説、こんなとてつもない小説を読むと、しばらく外に出たくなくなる。出てぶらぶら街を歩いても外の風景は全く目に入らない。頭がいっぱいになる。日常の仕事やその他あれこれをやっているべきではない時間だ。

霧社事件は1930年、済州島四・三事件は「1947年から1954年」(訳者斎藤真理子氏のあとがき参照)。

津島の本は2008年、ハン・ガンの本は2021年刊行。

どちらの小説も「魔術的リアリズム」的と言えるのだが、ナショナルヒストリーから取りこぼされる史実に向き合うときに、こういう書き方が選び出される。

それにしても、リアルタイムで津島佑子やハン・ガンが書き、それが翻訳されている。

『百年の孤独』は時間的にも距離的にも遠い話だと思って読んでいたけれど、そんなことはなくて、エドウィージ・ダンティカの『骨狩りのとき』やバルガス=リョサの『ケルト人の夢』、J.M.クッツェー(『恥辱』)、『私の名はリゴベルタ・メンチュウ』、大江健三郎(『静かな生活』)とも一緒に読めるのだ。

たとえ知っている言語の原書で読んだとしても日本語の翻訳で読んだとしても、知らない言語で書かれているかのような、新しい言葉や表現だ。

文字の連なりはわかるとしても、一語一語をたどるようにして意味をつかむ。あるいは意味はつかめなくても、一語一語をたどる。

それだけで胸がいっぱいで苦しいが、それでも読まずにはいられない。辛いのに読みたい。

その地域や「国っていうもの」や「人間」や「歴史」に近づかせ、それらについてわかったという気持ちと、絶対にわかり切ることはないという気持ちの両方を味合わせてくれる。

こういう本に帯をつけて作品やその内容を説明するのは本当に大変だろうと思う。そういう「説明」ができないところから書かれている。

津島佑子はハン・ガンを読んだのだろうか。ハン・ガンは津島佑子を読んだのだろうか。

『別れを告げない』は、『あまりに野蛮な』がなければ書かれなかったのではないか。