2025年6月3日火曜日

6月3日

ビルヒリオ・ピニェーラの両親フアン・マヌエル・ピニェーラ・アベラとマリア・クリスティーナ・ジェラ・キンタナは、キューバのマタンサス州のカルデナスの教会で1909年6月23日に結婚した。この夫婦から生まれた子どもには、父方の姓ピニェーラと母方の父方の姓ジェラが使われ、〇〇〇〇・ピニェーラ・ジェラとなる。この夫婦から生まれ、のちに作家となったビルヒリオも、若いときはビルヒリオ・ピニェーラ・ジェラ名義で発表している。彼の最も早い時期の詩「El grito mudo(黙した叫び)」がそれだ。この詩はフアン・ラモン・ヒメネス篇『La poesía cubana en 1936(1936年のキューバ詩)』に見つけられる。いずれ母方の姓は消え、彼はビルヒリオ、とか、たんにピニェーラと呼ばれる。

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