フアン・ガブリエル・バスケス(コロンビア出身の作家、1973-)は、8月9日朝、長崎に原爆が投下されてから80年後、エル・パイース紙のコラム原稿を書き始めた。
彼は平和祈念式典での長崎市長(自身が被曝2世)のスピーチを読み、核兵器廃絶の願いはかつてよりいっそう重要だと考えた。長崎市長の言葉は以下のようにスペイン語で報じられた。
“Esta crisis existencial que atraviesa la humanidad es un riesgo inminente para cada uno de quienes habitamos la Tierra”(「そんな人類存亡の危機が、地球で暮らす私たち一人ひとりに、差し迫っているのです」)。
“círculo vicioso de confrontación y fragmentación”(対立と分断の悪循環)
バスケスの心を打ったのはしかし長崎市長の以下の言葉である。
“A los hibakusha no les queda mucho tiempo”(被爆者に残された時間は多くありません)
バスケスはこう書いている。
「被爆者とは、世界中の人が知っているように、1945年の爆撃の生存者のことである。この単語は文字通り「爆撃された人」を意味する。彼らに残された時間は多くないとはどういうことか?それは要するに、原爆投下の数えきれない恐怖を身をもって経験した人々が少なくなっていき、彼らが全員亡くなったとき、出来事の生きた証言(テスティモニオ)が消えていくことを意味する。何十年も前から自らに課してきた任務、世界に証言を伝えること、経験していない人には想像のできないその経験を共有する任務にはピリオドが打たれ、私たちは資料に頼るほかなくなるということだ。
このことは当然避けられない。人間の命は有限だからだ。(中略)人々は死に、そして私たちの過去に対する理解もまた死ぬ、あるいは薄まる。それを被爆者は知っていて、だからこそ、残された時間が多くないのを知っているからこそ、懸念にとらわれているのだ。最後の被爆者がこの世を去った時に残るのは資料だけで、資料は生きた証言ではない。私たちはもちろん資料に頼らねばならないし、資料はなくてはならぬものであるし、それらが存在することに感謝するだろう。しかし直に経験した人々がこの世を去る時、私たちの間での過去の現前について、何かが失われるのだ。」
この後、バスケスは東京を15年ほど前に訪れたときに被爆者と会ったエピソードを語る。自身がジョン・ハーシーの『ヒロシマ』(法政大学出版局)のスペイン語翻訳者であることを被爆者に伝えたとき、その方が涙を流して感謝の言葉を口にした。
「いま、ハーシーのルポを読み直し、その残酷なイメージ、貴重な歴史、当事者たちの抵抗に心を動かされている。そして思うのだ。ここには、決して消え去ってはならない記憶が生きている。」
ハーシーの『ヒロシマ』は谷本牧師の「その後」で閉じられる。「その後」とは、1984年に被爆者に実施されたアンケート結果のことで、被爆者のうち54パーセント以上の人が、核兵器が再び使われると考えている。バスケスは自分がスペイン語に訳した本の最後の文を引いている。「彼(谷本氏)の記憶も、世界の記憶と同じように、まだらになってきた」。スペイン語でこの「まだらになる」はse estaba volviendo selectiva(selectivaは選択的な、の意)。
「被爆者とは、世界中の人が知っているように、1945年の爆撃の生存者のことである。この単語は文字通り「爆撃された人」を意味する。彼らに残された時間は多くないとはどういうことか?それは要するに、原爆投下の数えきれない恐怖を身をもって経験した人々が少なくなっていき、彼らが全員亡くなったとき、出来事の生きた証言(テスティモニオ)が消えていくことを意味する。何十年も前から自らに課してきた任務、世界に証言を伝えること、経験していない人には想像のできないその経験を共有する任務にはピリオドが打たれ、私たちは資料に頼るほかなくなるということだ。
このことは当然避けられない。人間の命は有限だからだ。(中略)人々は死に、そして私たちの過去に対する理解もまた死ぬ、あるいは薄まる。それを被爆者は知っていて、だからこそ、残された時間が多くないのを知っているからこそ、懸念にとらわれているのだ。最後の被爆者がこの世を去った時に残るのは資料だけで、資料は生きた証言ではない。私たちはもちろん資料に頼らねばならないし、資料はなくてはならぬものであるし、それらが存在することに感謝するだろう。しかし直に経験した人々がこの世を去る時、私たちの間での過去の現前について、何かが失われるのだ。」
この後、バスケスは東京を15年ほど前に訪れたときに被爆者と会ったエピソードを語る。自身がジョン・ハーシーの『ヒロシマ』(法政大学出版局)のスペイン語翻訳者であることを被爆者に伝えたとき、その方が涙を流して感謝の言葉を口にした。
「いま、ハーシーのルポを読み直し、その残酷なイメージ、貴重な歴史、当事者たちの抵抗に心を動かされている。そして思うのだ。ここには、決して消え去ってはならない記憶が生きている。」
ハーシーの『ヒロシマ』は谷本牧師の「その後」で閉じられる。「その後」とは、1984年に被爆者に実施されたアンケート結果のことで、被爆者のうち54パーセント以上の人が、核兵器が再び使われると考えている。バスケスは自分がスペイン語に訳した本の最後の文を引いている。「彼(谷本氏)の記憶も、世界の記憶と同じように、まだらになってきた」。スペイン語でこの「まだらになる」はse estaba volviendo selectiva(selectivaは選択的な、の意)。
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