El mundo cambia constantemente.
ラテンアメリカ文学、キューバの文学、カリブの文学などについてメモのようなものを書いています。忘れないように書いているというのもあるけれど、忘れてもいいように書いている。書くことは悪魔祓いみたいなもので、書くとあっさり忘れられる。それがいい。
Escribir es un acto de exorcismo. Escribir cura, alivia.
2025年7月23日水曜日
7月23日
冷戦時代にペルー出身者(リカルド・ソモクルシオ)がパリでユネスコの翻訳官として生きていく物語であるバルガス=リョサの『悪い娘の悪戯』に出てくる、フリーランスの通訳者サロモン・トレダーノについてこう書かれている。「サロモンはエーゲ海に面したトルコの都市イズミルの、セファルディムの一家に生まれ、ラディノ語(ユダヤ・スペイン語)を話す環境で育ったことから、自身を「トルコ人というよりスペイン人、ただし五世紀ほど昔の」と見なしていた。父親は商人で銀行家であったらしいから、相当裕福な家庭だったに違いない。それというのも息子をスイスとイギリスの私立学校に送り、その後ボストンとベルリンの大学で学ばせることができたからだ。大学在籍中にすでにトルコ語、アラビア語、英語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、イタリア語、ドイツ語を話し、ロマンス語学・ゲルマン語学を修めて卒業。その後、数年間東京と台湾で暮らし、日本語と標準中国語、台湾方言を学んだという。僕との会話はつねにスペイン語だったけど、噛みしめるような話し方で古語を連発していた。たとえば、ぼくら仕事仲間を"通訳"ではなく、古代アラブ語で"仲介者"を意味する"タルジュマン"と読んだりするから、皆に"タルジュマン"とあだ名されるようになった。スペイン語を話していると思ったら、本人も気づかぬうちにフランス語や英語、あるいは僕の知らない他言語に移ってしまうことも多々あって、その都度、話を一旦中断させては(彼に比べて)狭い言語環境のなかで生きている僕に配慮してくれと頼んだものだった。知り合ったときにはロシア語を習得中だったが、一年もすると会話も読解も難なくこなすようになり、難解なキリル文字と五年もにらめっこしていた僕は、あっというまに追い抜かれてしまった」(マリオ・バルガス=リョサ『悪い娘の悪戯』八重樫克彦・八重樫由貴子訳、作品社、163-164ページ。「セファルディム」には「十五世紀末にイベリア半島を追われて国外に移り住んだユダヤ人の子孫」と割注)
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