El mundo cambia constantemente.
ラテンアメリカ文学、キューバの文学、カリブの文学などについてメモのようなものを書いています。忘れないように書いているというのもあるけれど、忘れてもいいように書いている。書くことは悪魔祓いみたいなもので、書くとあっさり忘れられる。それがいい。
Escribir es un acto de exorcismo. Escribir cura, alivia.
2025年7月16日水曜日
7月16日
1960年代初頭のパリについて、バルガス=リョサは『悪い娘の悪戯』で書いている。「奇妙なことに、僕【リカルド・ソモクルシオ、ペルー出身、パリでユネスコの翻訳官】の生活の変化と相まってパウル【リカルドの友人。ペルー出身、パリで左翼系セクトMIRのメンバーとしてペルーにも革命を起こそうとしている】の生活も一変した。(中略)僕がいわゆるお役所仕事のような職に就いてしまったのと、彼がMIRの顔として党大会や平和集会、第三世界の会報や核武装反対闘争、植民地主義や帝国主義の打開などなど、革新的な主義主張を訴える会合に出席すべく世界じゅうを飛びまわるようになったからだ。週に二、三回の割で、北京やカイロ、ハバナ、平壌、ハノイからパリに戻るや、電話をもらってカフェで会う。三十カ国から集まった五十の団体、千五百名もの代表者らを前に、ラテンアメリカにおける革命の展望を--それも、まだ具体的に何ら着手されていないペルーの革命を代表するかたちで--演説しなければならなかった。(中略)期せずしてパウルは国際的な大物になっていたのだ。僕がそのことを改めて認識したのはちょうどその年、一九六二年にモロッコ人革命指導者、通称”ダイナモ”ことベン・バルカ氏の暗殺未遂事件が発生し、新聞紙上を賑わしたときだった(その三年後の一九六五年十月、同氏はサンジェルマン・デ・プレのレストラン、シェ・リップを出た直後に誘拐され、いまだに行方不明のままだ)」(バルガス=リョサ『悪い娘の悪戯』作品社、42から43ページ)
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