夫婦が住んでいたのはへネス(Jenez)通り513番地で、ルイサ(1910)、ウンベルト(1911)、ビルヒリオ(1912)が生まれた。その後一家はへネス通りからメルセー通りに、さらにミハラ開発区(reparto)に引っ越し、ビニシオ(1914)、フアン・エンリケ(1915)、そしてホセ・マヌエル(1917)が生まれた。6人兄弟で、女1人、男5人である。私が知り合ったのは、ビルヒリオの弟のフアン・エンリケさんだ。上から3番目のビルヒリオは1912年8月4日午後12時半に誕生。結婚したとき、父親のフアン・マヌエルは教育委員会の書記、その後はカルデナス水道局長で、母親のマリア・クリスティーナは公立学校の教師だった。
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