雑誌「プレザンス・アフリケーヌ」の創刊にまつわるさまざまな資料の展示だったが、 スペイン語圏から見た場合に見逃せない写真が二枚あった。
うち一枚は、ネットでも見つけられるが、ニコラス・ギジェン(キューバ)とルネ・ドゥペストル(ハイチ)が1956年に
以下はパネルの一部を写したもの。
右下のキャプションに「会議中」とある。
この会議とは1956年の第一回黒人作家・芸術家会議のことで、9月にパリで開かれている。
ただこの参加者にニコラス・ギジェンは含まれていない(と思われる)。
だがキューバ人はこの会議に参加している。
それは Walterio Carbonell(ワルテリオ・カルボネル)だ。
1920年生まれ、2008年没の黒人活動家、マルクス主義者。
彼の重要な論考「いかにして国民文化は生じたか?Cómo surgió la cultura nacional」の一部はこちらで読める。
この人物についてはこちらに詳しく載っている。
黒人作家会議にも参加し、その後の革命を支持していた彼はしかし、のちにUMAPという強制労働キャンプに送られている。何があったのか。
カブレラ=インファンテも遺作『スパイの書いた地図』でカルボネルに言及している。おって確認してみたい。
日本語では、今年亡くなったフアン・ゴイティソロがカルボネルのことに言及した文章を日本語に翻訳してブログに載せてくださっているので大変ありがたい(MARYSOLのキューバ映画修行より)。
ゴイティソロが「エル・パイース」紙に書いたカルボネルの追悼文はこちら。
キューバの研究者トマス・フェルナンデス・ロバイナが書いた文章はこちら。
そこで重要となってくるもう一枚の写真が、やはり展示されていた黒人作家・芸術家会議の集合写真というわけである。
これもネットでも見つけられる。ワルテリオ・カルボネルは写っているのだろうか?
下は展示されていたパネルを撮影したもの。集合写真右上のキャプションによって大多数、特に有名な人たちはわかる。そこにカルボネルの名前はない。
調べてみたら写っているようだ。
さてどこにいるのだろう?
いくつかの情報を総合すると、どうやら最後列、真ん中より少し右寄りの、背が高い人がカルボネルのようだ。
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