劇団ユヤチカニ、アナ・コレーア(Ana Correa)さんのパフォーマンス『ナイフのロサーRosa Cuchillo』を上智大学で観た。
内戦で息子を失った母の物語。暴力の記憶。ペルーでは市場のような公共空間で演じられている。
2012年のブラウン大学でのパフォーマンスはこちら。
演目と併せて現地での活動などをまとめた映像が流された。
1980年から2000年あたりにかけてがペルーの暴力の時代。アルベルト・フヒモリが大統領だったのが1990年から2000年。
センデロ・ルミノソの暴力とそれを鎮圧する軍の暴力。
日本大使公邸占拠事件は1996年から97年。真実和解委員会が設置されたのは2001年。
ユヤチカニとはケチュア語で「思い出す」という意味。
アンデスの伝統文化と現代の都市文化の混合がパフォーマンス時の音楽や服装などに見られた。
象徴的な機能を使い、暴力によって破壊されたもの(人間、文化など)を修復しようとする。
続いて、ペルー出身で秩父在住のイルマ・オスノさんの歌と踊りとトークを國學院大学に観に行った。イベントのタイトルは『アンデスをわたる声ーペルー、アヤクーチョ地方のことば・うた・おどり』
イルマさんの音楽の源泉をわかりやすく説明してくれたのち、3曲を披露。
水の儀式があり、その時に歌われるのはハラウィ「水の歌」。
ホセ・マリア・アルゲダスの言葉が数多く引用された。
ケチュアの人々たちにとって音楽のミューズは川に住む人魚。太鼓の中にもやどり、演奏者にインスピレーションを与える。
ハサミ踊りはアルゲダスの短篇で読んだことがある。この踊りは男性しかやってはいけないものだという。
ペルーの民族音楽家たちのドキュメンタリー映画があることを知った。『Sigo siendo(Kachkaniraqmi)』で、山形国際ドキュメンタリー映画祭やセルバンテス文化センターではすでに上映されている。トレイラーはこちら。
タイトルの意味はケチュア語の挨拶で、久しぶりに会った者同士で交わされる言葉だ。
「いろいろあったけれども、わたしは変わることなくいますよ、元気ですよ、生きていますよ」。
そして、東京大学駒場キャンパスで開催された「ラテンシネクラブ第一回上映会&トーク」に出かけ、アルゼンチン映画『沈黙は破られたー16人のニッケイたち』を観た。
ドキュメンタリー映画で、トレイラーはこちら。
軍政期のニッケイ失踪者16人の物語。
このドキュメンタリーは、これまで伝えられずにきたニッケイ失踪者の物語を明かすものである。つまり、軍政期にニッケイ人にこんなことが起きたいたのか、である。
こんなことが起きていたのを知っていたのは当事者だけだ。社会全体に沈黙があったわけだ。その沈黙を破ったのはもちろん当事者、ニッケイの家族たちであるが、この映画自体も沈黙を破った当事者である。タイトルには二重の意味が込められている。
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