2019年9月9日月曜日

テスティモニオ論(ベアトリス・サルロ)


記憶というのは、自身の出来事や他人の出来事を記録し、保存し、再生する力のことである。

そして、個人や共同体、あるいは国家の統合が、そうした「記憶」の力に依存しているということを私たちが受け入れるのなら、過去というものが現在に対して執拗に働きかけてくることにブレーキはかけられない。

ラテンアメリカにおいては、誘拐、行方不明者、強制的亡命、拷問、政治的迫害など、国家テロが大きな破壊をもたらしてきた。

果たして集合的な記憶を練り上げることは可能なのだろうか。

民主的な制度の再構築は、言説を取り戻すことによって可能になる。

国家テロの被害者の語り、彼らが味わった恐怖によって構成される物語、これらは重要な証拠である。

「記憶産業」とツーリズムが結びつく時代にそれらはどのように働くのか。

というのが、ベアトリス・サルロの以下の本の主題。

Beatriz Sarlo, Tiempo pasado: cultura de la memoria y giro subjetivo. Una discusión, Siglo veintiuno editores, Buenos Aires, 2012(初版2005).


目次は以下の通り。

1. Tiempo pasado
2. Crítica del testimonio: sujeto y experiencia
3. La retórica testimonial
4. Experiencia y argumentación
5. Posmemoria, reconstrucciones
6. Más allá de la experiencia

謝辞によれば、本書はベルリンの高等研究所(Wissenschaftskolleg)のプロジェクトとして書かれた。当初は60年代、70年代の知識人の伝記を書こうとしていたが、自伝や証言録を読み進めるうちに、理論面に関心が移った。

本の表紙の人はアッバス・キアロスタミ

副題にある「giro subjetivo(主観的転回)」について、ラテンアメリカのドキュメンタリーを論じたこの論文(GIro subjetivo en el documental latinoamericano)も参考になりそうだ。

ベアトリス・サルロはアルゼンチンの批評家(1942年生まれ)。著書多数。

後期の授業はこれを読む。

0 件のコメント:

コメントを投稿