2019年8月31日土曜日

Pensamiento Crítico (ゲバラ特集)ともう一つ

Pensamiento Crítico, octubre/9, 1967が届いた。表と裏もこんな表紙になっている。

出版の時期からして死の直後。

巻頭言の出だしはこうだ。

「今日、司令官エルネスト・”チェ"・ゲバラが死んでいないということは、皆にとって明らかなことである」



内容はゲバラの演説集で、目次は以下の通り。


この雑誌のコレクションも続ける意味があるかわからない。いずれデジタル版が公開されてしまうだろうが、それでもまあやれる限りはやってみたい。

---------------
最近は新聞を読むには覚悟がいる。そんな中でも今日、8月31日付『朝日新聞』朝刊は読み応えがあった。

書評欄で紹介されている本がどれも素晴らしいもので、正直言ってどれも読みたいと思った。

例えばモリス・バーマン『デカルトからベイトソンへーー世界の再魔術化』(文藝春秋、柴田元幸訳)を評した都甲幸治の言葉から引こう。

「文化人類学者ベイトソンの『AA』に関する議論を引きながらバーマンは言う。こうした弱い自己[例えばアルコール依存者は酒を止めようと思っても、意志に身体は抵抗し、意志は負けてしまう、そういう弱い自己のこと:引用者]こそが、現代の多くの問題解決へのヒントになるのではないか。」

「(アルコール依存者の更生団体では)参加者は自分が無力であることを認め、大きな力に身を委ねることを学ぶ。(中略)大きな力とはなにか。神かもしれない。あるいは動植物すべてを含めた命の拡がりかもしれない。それがなんであれ、無力の自覚とともに、自己は身体と和解する。そして世界と和解する。」

バーマンの文章からは以下の引用がある。「本当に生きること、黄金を獲得することは、自分自身の本性の命じるところに従って生きることによってのみ成し遂げられるのであり、そのためにはまず魂の死の危険に真向から向きあわなければならない。」

続いて、鷲田清一の『折々の言葉』では、高見順の言葉が引用される。

権力を持つと日本人は残虐になるのだ。権力を持たせられないと、小羊の如く従順、卑屈」になる、と。

これは高見順の『敗戦日記』の昭和20年10月5日に記されていると言う。高見順といえば、『いやな感じ』(共和国)が出ている。

そんな弱い自己、強いものには卑屈なくせに、弱いものには残虐な日本人(ああ、本当にそうだと思ってしまう)はどうしたら良いのか。

再び読書ページに戻ると、ブレイディみかこが坂口安吾を引用している。

生きよ堕ちよ、その正当な手順の外に、真に人間を救い得る便利な近道が有りうるだろうか。」
 
これは『堕落論』からだが、「続堕落論」にはこうあると紹介される。

「堕落自体は常につまらぬものであり、悪であるにすぎないけれども、堕落のもつ性格の一つには孤独という偉大なる人間の実相が厳として存している。」
 
安吾の「孤独という偉大なる人間の実相」と、一番最初に引いたバーマンの「魂の死の危険に真っ向から向き合う」が響き合う。

まるで文芸誌のように新聞を読んでしまった。

-----------------------
Pensamiento Crítico、ゲバラ特集の巻頭言はこう結ばれる(大意)。

Pensamiento Crítico誌は、追悼の意味を込めて、本号にチェの最も重要な仕事のいくつかを収録する。チェの文章は、武器のみならず知性をチューニングする必要な作業において避けて通れない階段なのである。

ここでチェの文章は階段に例えられているが、それを読むことは、当時は「のぼる」ことを指していたはずだ。しかし今の時代にチェの文章、あるいはそれに類する文章を読むことは、孤独という実相や魂の死の危険に向き合うこと、つまり、階段を「くだる」ことを指していると思う。

------------
続いて、朝日の書評欄で本田由紀が評していた今村夏子『むらさきのスカートの女』(朝日新聞出版)を読んだ。これについてはまた別の機会に。

0 件のコメント:

コメントを投稿