2022年8月1日月曜日

8月1日 

今年(2022年)の1月8日、中東文学の研究会で発表した内容が公開されました。

ここからPDFでダウンロード可能。研究会のホームページの入り口はこちら

当日の発表内容ばかりでなく、質疑応答部分もしっかりテープ起こしされているので、臨場感があるというか、自分の口頭発表の原稿だけの掲載ではないのが大変ありがたい(時間をかけて丁寧に作ってくださって感謝)。

近況では、ここ2年(3回!)オンラインで開かれているオープンキャンパスに、コロンビア・メデジンの大学に留学中の学生が参加して手伝ってくれた。日本の昼の12時がコロンビアの夜10時という時差、これが感覚的にほとんど分からなくなってきた。こんな時差でしたっけ?

下の写真は2018年に行ったときに撮ったメデジンの現代美術館入り口。





そしてその1週間後、「吼えろアジア 東アジアのプロレタリア文学・芸術とその文化移転 1920-30年代」を聞きに立命館大学(京都・衣笠)まで出かけてきた。

ソ連、中国、朝鮮半島、日本におけるプロレタリア文学・芸術の伝播や拡がりについて学ぶところが多かった。

ハイブリッドで、しかも日英同時通訳付き。

合間に日本のプロ文研究をされている方にお話を伺ったが、日本語の雑誌のバックナンバーも米国でどんどんデジタル化されて公開されているとのことだった。自分もそのことでは、長年集めてきて、まだ整理のついていない雑誌の束がある日、ネット上で公開されているのに気付くことがあるような予感がする。自分だって恩恵を受けているわけだから、残念がってもいられない。

雑誌の網羅的な研究で個人でできることは少ない。そもそも読了することすらかなわないわけだから。だったらきちんと整理してどこかに大量アップロードしたいところだが、そういう資料整理のプロの手助けが必要だ。もちろんこんなことを書いている間に読んだ方がいいのだ。昔、新しい資料に出会うたびにコピーに躍起になっていた頃、コピーもいいけどその場で読んだ方がいいよと、今は亡くなったとある先輩の研究者にアドバイスを受けたものだった。それはまったくその通り!

前にどこかのエントリーで書いたパディーリャが公開で行なった自己批判の様子はYoutubeに上がっていた。2分に満たない映像だが、こちら

1ヶ月拘束されていたことを思うと、想像していたよりもパディーリャはしっかりしている。そもそも釈放された時点で心身ともに疲弊しきっていたら、あれだけの長い自己批判はできないだろう。それに彼の手元には原稿らしきものが見えず、あれほどの濃い内容を即興で話したことにも驚いてしまう。

日々進むアーカイブ化は、ここ15年くらいかけて収集してきた資料への取り組み方を再考させずにはおかないし(15 年何をやっていたのだ?)、時間が過ぎるその度に自分にできることの少なさを痛感する(これから何ができるのだ?)。と言ってやめてしまうわけにもいかないし、どうしたらよいものか。キューバの文学誌史、などというものに興味を持ったがゆえの落ちて楽しい泥沼である。

No hay momento en el que no desespere ni quiera morir, y eso me da un placer infinito.

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