2022年3月6日日曜日

近況(2022年3月6日)

2年前のいまごろはキューバにいて、猫の写真を撮ったりしていた。

ちょうどコロナウィルスの危機が迫っている時で、空港でも普段はされたことのないメディカルチェックがあって、その後は宿泊先にも連絡が入り、近くの診療所に行かされた。でも思い出してみると、2009年の豚インフルの時にもハバナの空港職員は黒や緑のマスクをしていた。

2020年3月の猫写真を上のサイトにもっと載せてもらってもよかったのだが、例えば以下のような猫たち。






2年前はコロナがこんなことになるとは思っていなかった。そのころの記憶は凍結されたまま(というか体験が経験になる時間を経ないで)2年がすぎてしまったような気がする。

診療所に行かされたと言っても、実は宿泊していた宿の人は診療所から連絡があっても黙っていてくれて、痺れを切らした診療所から督促があったので、滞在の終わりごろになってようやく出向いた。行ってみると、担当の看護師さんに、「探してたんだから・・・」というような笑顔。




ここでまず最初にされたことは、身長測定と体重測定だった。え?ほんと?と思った。その後は診察をしながらカルテを書いていた。喉の痛みや咳がないかどうかを聞かれ、それでおしまいだった。

その時に乗った航路が復活しているのかどうかを調べてみたら、残念なことに、まず羽田からトロントまでのエアカナダの直行便がなくなっている。トロントからハバナへの航路も途絶えているようだ。現在、ネットでハバナ行きを検索すると、パリ経由の便が出てくる。パリとハバナの間にはフライトがあるわけだ。

ちょっとしたショックを味わった。なんだかキューバがとてもとても遠くに感じた。

それでも時は流れている。

いま、いくつかの仕事が手を離れ、一瞬の隙間が生まれている。そして苦手な春。2月の間は、早く暖かくならないものかと思っていて、今年はやけに長い2月だと感じたのだが、いざ春風が吹きはじめると、途端に辛くなる。すがるものがないような気がして…… (でも嬉しい知らせもあって、科研が採択されました!数年続けて落ちていたので…… 審査して評価してくださった先生方には感謝)


2年前のキューバとコロナ、そして今の戦争が強く結ばれて、ますます言葉にならない、言葉にできないことが、体の中でうなり続けているような感じ。

2年前(もうこれで何回目の「2年前」だろう)のキューバ滞在の時、「カサ・デ・ラス・アメリカス」の雑誌でフェルナンド=レタマール追悼号が出た後で、それを手に入れたりした。




ロシア文学やロシアの社会主義リアリズムのキューバでの展開について話を聞いたりしていた。その一部は、1年前の社会主義リアリズム文学研究会で発表した。その後、博士論文の審査があったりもしたのだが……。

戦争が始まった後、キューバに住んでいるロシア系キューバ人に電話をした。同じ世代の人で、話していて、なんとなく安心感がある。その人のお母さんはウクライナの人というか、ウクライナの人(祖母)とロシアの人(祖父)のあいだに生まれた人で、現在はベラルーシに住んでいる。え?ベラルーシなの?と思わず聞いてしまった。

キューバの事情としては、昨年7月に起きた大きな抗議行動以降、その人はSNSには触れないようにしているという。それでも元気そうだった。

ハードルが目の前にあることがわかっていて、それをどうやって乗り越えるか思案していくのであれば、それはまだましだ。

まずは目の前にあるのがハードルかどうかすらわからない。ハードルであることに気づくのにさえ時間がかかる。どちらかというと自分はそういうタイプだ。もしかしてハードルにつまづいて地面に転がっているのかもしれない。そしてそのことにも気づけていないのかもしれない。


もうあと一ヶ月で新しい年度がはじまろうとしている。

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バルガス=リョサの『ケルト人の夢』の読書会は順調に続いていて、3月中に読み終わり、6月末にはなんらかの形でワークショップをやろうと計画を立てている。

あ、そうそう。Instagramはじめました。リンクの貼り方わかりません。

今、過去のブログのエントリーを見たら、2年前にも猫の写真をあげています。

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