近頃、届いた本2冊。
メキシコのユダヤ系作家マルゴ・グランツの自伝・家族伝。
Margo Glantz, The Family Tree: an illustrated novel, Translation by Susan Bassnett, Serpient's Tail, London, 1991.
オリジナルはスペイン語で、La genealogíasというタイトル。表紙の絵はフリーダ・カーロ。
マルゴさんとはブエノスアイレスで2012年の9月にフェルナンド・バジェホさんから紹介されて挨拶をしたことがある(ただそれだけだが)。
続いてやはりユダヤ系。ただし今度はイディッシュで書かれたラテンアメリカ作家のアンソロジー。
上記のマルゴ・グランツの父親Jacobo Glantzの文章が下の本に入っている。マルゴはスペイン語、父ハコボはイディッシュ語で書いている。
Alan Astro(ed.), Yiddish South of Border: An Anthology of Latin American Yiddish Writing, University of New Mexico Press, Albuquerque, 2003.
時間には限りがあるので、自分にできることは少ない。その中でできることは何かと言えば、スペイン語で書かれたものを読むことである。はっきり言えば、自分にはそのことしかできない。
読んでどうするのか、ただ読んでいればいいのか、という問題は常にある。その先を考えなければいけない。
しかしこの問題は、いつでもどこでもどんな人からも問われてきたことだ。
自分でもその問いは止まない。でも自分にとってその問題はいつも先送りするしかない。読む前に読んだ後のことを考えていてどうするのだ?と考えてしまうからだ。
なんとなく思っているのは、読んだ後には読む前の自分はいないかもしれないということだ。そうやって考えれば、読む前に立てた計画は無意味ということになる。
この歳になってどんなに読むのに慣れたって、スペイン語の本を、外国語の本を読むには時間がかかる。日本語の本だって、それがまるで外国語で書かれているように読むとすれば、同じだけ時間がかかる。
ある程度読むと、なんとか形にしなくてはとは思う。焦りもある。読めないときには焦りが募る。でも速度は上がらない。
だから、時間が来るのを、形になるのを待つ。
それには時間がかかってしまうのだが、そして時間には限りがあり、それはその通りだとわかっていても、時間はこのままいつまでも尽きずに続くのだと思いながら、読み続けるのだ。
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