2023年5月18日木曜日

5月18日 『ウェストサイド物語』とジャニー喜多川

ジャニー喜多川(1931-2019)のことが取り沙汰されているが、この事件は日本の芸能界にとって大きな転換期になるかもしれない。

ジャニー喜多川の死、そして彼の暗部が明かされるのとほぼ同時期に、奇しくも『ウェストサイド物語』のリメイク版ができている。

ブロードウェイのミュージカルを元に映画化されたのが1961年。そしてスピルバーグによるリメイクが2021年。この間にジャニーズ事務所の誕生から隆盛、そして衰退がある。

ジャニーズ事務所の設立は1962年。ジャニー喜多川が『ウェストサイド物語』を少年たちと見に行って、それに感銘して少年アイドルグループによる芸能界への参入に至ったのは有名な話だ。

矢野利裕の『ジャニーズと日本』(講談社現代新書、2016年)にはその辺りのことが書かれている。1962年のNHKの『夢であいましょう』に田辺靖雄のバックダンサーとしてジャニーズのタレントが出演したのが最初らしい(同書、p.39)。

この本にはジャニー喜多川の経歴が書かれているが、その中で驚いてしまった箇所がある。

日系2世としてロサンゼルスに生まれたジャニー喜多川は、アメリカ人として朝鮮戦争に従軍していたのだ(同書、p.20)。おそらく朝鮮半島では国連軍所属のさまざまな出自の兵士、米軍ではプエルト・リコ出身の兵士にも会っただろう。

ジャニー喜多川がいたのはロサンゼルスというラティーノたちの多い都市である。ロサンゼルスでは劇場でアルバイトをしていたという。

間違いなく1940年代、50年代のロスのメキシコ系移民への差別は目の当たりにしているのだ。日系、ラティーノ系の入り混じるエンターテインメントの都市にいたら、カタコトのスペイン語くらいできたとしてもおかしくない。

アメリカ時代の長かったジャニーはもしかすると、ミュージカル版の『ウェストサイド物語』すら見た経験があり、それが映画化されたのでジャニーズ少年野球団と一緒に見にいったのかもしれない。

ジャニーは物語の題材がプエルト・リコ移民に対するヘイト・クライムだということが、すぐにわかっただろう。日系2世としての彼が感情移入したのは、もちろんプエルト・リコ移民だったにちがいないからだ。

アメリカ文化を日本に持ち込んだその出発点が、『ウェストサイド物語』(=移民差別映画)を見たことにあるというジャニー喜多川の立身出世物語には、自らも移民でありおそらく差別を受けたジャニーなりの葛藤が隠されていると読み取りたい。



 

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