2023年3月14日火曜日

3月14日 バルガス=リョサ『緑の家』

【『緑の家』について最初に書いたエントリーを書き換えたもの】

この小説はまず、全体が4部とエピローグで構成されている。要するに5部に分かれている。ここにすでにこの本の読み方が示されていると考えられる。『緑の家』と題された一つの小説に、5つの小説が入っているということである。いや、5つとはいえないのかもしれない。4つの小説とエピローグと理解するべきか。

いま日本語で「部」と書いたが、スペイン語では「Primera parte(1部)」とは書かれてなく、ただ単に、Uno, Dos, Tres, Cuatro, Epílogoと書いてあるだけだ。「Libro uno(第1の書)、「Libro dos(第2の書)」と理解できる。

その5部は、それぞれが基本的に4つの「Capítulo(章)」に分かれている。1章はCapítulo I、2章はCapítulo IIと、章番号にはローマ数字を使っている。

こうして、5(部)と4(章)という二つの数字が出てくる。そしてこの「部」を見ると、Kindle版の1部は以下のようになっている。

Uno

 Capítulo I

 Capítulo II

 Capítulo III

 Capítulo IV


Uno(1部)と書かれたページをめくると文章が始まり、そこは章番号が置かれていない。便宜上その部分を0章として、しばらく進むとその部分が終わり、1章がはじまる。

つまりこの0章にあたる部分は目次には見えない、隠された部分である。小説家がこういう隠された部分を置いたら、なんらかの意味づけがあるとみて間違いないだろう。

どういうことか。1部には、トータルで5つの塊があるのだが、可視的には4章ということだ。逆から言えば、4章しかないが、実際には5つの塊がある。

本全体に言えることがここでも繰り返されている。

つまり、5つに見えもするし、4つにも見える。章の頭にある0章というのは厳密には章ではない。0+4章、つまりプロローグ+4つの章である。本全体が4つの小説+エピローグであることと対応しているのだ。

次いで章を見ていくが、一つの章は、5つのフラグメントに分かれている。ここもが出てくる。しかも4つのフラグメントになる章もある。またである。フラグメントと言っているが、これもまた便宜的な言い方である。章の中では、フラグメントが変わるごとに1行空いている。1行の空白があり、人物・舞台が違ってくるので、フラグメントの見分けがつかない人はいない。

次いで章を構成する5つのフラグメントについての説明が必要だ。便宜的にアルファベットを使う(La casa verdeのスペイン語版ウィキペディアはこの方式を使っている)。

A 伝道所(ペルーの奥地サンタ・マリア・デ・ニエバ)

B フシーア(マラニョン川を航行中)

C 兵舎(ニエバよりさらに奥にあるボルハの駐屯地)

D アンセルモ(ピウラ)

E リトゥーマ(ピウラのマンガチェリーア地区)

以上は、1部1章にある5つのフラグメントをわかりやすく説明したものだ。Aの伝道所はサンタ・マリア・デ・ニエバにあるスペイン人修道女がいる場所だ。Bのフシーアは日系人で彼は川を移動中。Cはボルハにある駐屯地の兵舎で展開する。Dはピウラに「緑の家」という娼館を建てたアンセルモに焦点を当てている。Eは同じピウラでもマンガチェリーア地区にリトゥーマが帰還したエピソード。

5つの物語ではあるが、例えばピウラが2つのフラグメントで使われている。5つに見せて4つでもある。ここも『緑の家』全体が4部+エピローグであることと同じように見える。

別の見方をすると、AとCは内容として繋がっている。そうとればやはり5つに見えて4つである。

この本は5なのか、あるいは4+アルファなのか、ということを意識して読む必要がある。






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