2023年5月13日土曜日

5月13日 バルガス=リョサと通底器(vasos comunicantes)

バルガス=リョサは『若い小説家に宛てた手紙』のほぼ最後の11章で「通底器」を取り上げている。スペイン語ではvasos comunicantesというこの用語はバルガス=リョサが小説の分析の際にとくに好んで言及する手法である。当然それは自らの小説にも生かされていく。

ではこの「通底器」をいつからこの作家が言っていたのかということについて文献を探ってみたところ、一次資料は見つからなかったのだが、少なくとも研究者が引用していることを参照すれば、1969年8月11日ウルグアイの共和国大学(Universidad de la República)で行なった講演が最も古いのかもしれない。

この講演録はモンテビデオの「Cuadernos de Literatura」(1969年第2号)に掲載されているようだ。この情報の出典は、José Luis Martín, La narrativa de Vargas Llosa: acercamiento estilístico, Editorial Gredos, 1974 である。

孫引きになるが、この上記研究書から引用しておくと、そこでバルガス=リョサは「通底器」について以下のように言っている。

Consiste en asociar dentro de una unidad narrativa acontecimientos, personajes, situaciones, que ocurren en tiempos o en lugares distintos; consiste en asociar o en fundir dichos acontecimientos, personajes, situaciones. Al fundirse en una sola realidad narrativa cada situación aporta sus propias tensiones, sus propias emociones, sus propias vivencias, y de esa fusión surge una nueva vivencia que es la que me parece que va a precipitar un elemento extraño, inquietante, turbador, que va a dar esa ilusión, esa apariencia de vida. (José Luis Marín, p.181)

その後、バルガス=リョサは『ガルシア=マルケス論ーー神殺しの歴史』でこの手法について再び言及する。この研究書は1971年に刊行され、昨年日本語に翻訳された(寺尾隆吉訳、水声社)。

vasos comunicantesの訳語は「連通管」になっている。以下、『大佐に手紙は来ない』の分析箇所である。

「(前略)これによって、楽観的理想主義の世界観(主人公の精神)を示す態度と、客観的現実によってこの世界観が容赦なく反駁される状況とが、作品内に交互に現れることになる。連通管の手法(二つ以上の異なる時間や空間で生起する状況、二つ以上の性質の異なる情報が一つの物語内で溶け合うことで、双方の現実が引き立て合い、修正し合いながら豊かさを増し、単なる寄せ集めにとどまらない新たな現実を作り上げること)によるこうした題材の組織(後略)」(『ガルシア=マルケス論』、p.247)

ちなみに「通底器」については、バルガス=リョサがカタルーニャ語による騎士道小説『ティラン・ロ・ブラン』に寄せた序文でも触れていることが別の文献(Inger Enkvist, Las técnicas narrativas de Vargas Llosa, Acta Universitatis Gothoburgenesis, 1987)でもわかっている。


この騎士道小説の日本語版の序文(『ティラン・ロ・ブラン』岩波書店)にもバルガス=リョサの序文は載っているのだが、これは2003年に書かれたものである。

このような流れを経て『若い小説家に・・・』の執筆に至っているようだ。

写真は、バルガス=リョサのガルシア=マルケス論の書影。この論文でマドリード・コンプルテンセで博士号を授与した。

 

Mario Vargas Llosa, García Márquez: Historia de un deicidio, Barral, 1971. 

この本はかつて神奈川大学の図書館で借りて読み、その後現物を入手した。

-----------

村上春樹の『街とその不確かな壁』にガルシア=マルケスが引用されている。『コレラの時代の愛』の一節で、老齢になったフロレンティーノ・アリサがついに初恋の相手であるフェルミーナ・ダーサとマグダレナ川の船旅に出た場面である。

村上春樹は丁寧にもその場面が小説の終わりの方に出てくることを教えてくれているが、かなり唐突な印象を与える引用で、そこはマグダレナ川に出没する女の幽霊が言及されている。原文でも「溺死した女 una ahogada」の幽霊と書かれていて、実は昨日の学部のゼミ生の発表を聞いてハッとしたのだが、コロンビア版の「泣く女 la llorona」伝説である。

そうして見ると、この春樹の小説で、『コレラの時代の愛』の引用後すぐに出てくる場面が面白くなる。そこではこの小説の重要なモチーフである川が出てきて、その川辺で45歳になった「私」と少女との再会があるのだ。つまり、15歳のこの少女は死んでいたということになる。

0 件のコメント:

コメントを投稿