読書メモ
Fernández Retamar, "Para una teoría de la literatura hispanoamericana"
・文学理論は後発であり、ラテンアメリカ(ここではスペイン語圏アメリカのこと)にはほとんど存在しない。文学史記述もまた20世紀に入ってから、最初は外国人によって書かれた。
→Alfred Coester, Literary history of Spanish America, 1916.
・ラテンアメリカで最初の試みはコスタリカの研究者。
→Roberto Brenes Mesén, Las categorías literarias, 1923.
・次ぐアルフォンソ・レイエスのEl deslinde: Prolegómenos a la teoría literaria(1944)は野心的。
・キューバ人ホセ・アントニオ・ポルトゥオンドは1945年Concepto de la poesíaを出版。これは大学へ提出した卒業論文だったが、副題の「Introducción a la teroría literaria」は本にするとき削除。[この部分、7月11日に修正]
・これまで(このフェルナンデス・レタマールの論文が発表されたのは1972年)にラテンアメリカで書かれた唯一の理論書は以下のもの。
Félix Martínez Bonati(チリ), La estructura de la obra literaria, 1960.
・そもそもどのようなものを文学理論とみなすべきなのか。学術書だけか?
ラテンアメリカの場合、学術専門書や体系的な講義にとどめるべきではない。アルフォンソ・レイエスやポルトゥオンドはもちろんこと、エンリケス・ウレーニャやマリアテギなども入れるべき。さらに非ラテンアメリカの人びと、チェコやフランスやソビエトの研究者の著作も考慮するべきだ。
さらに、作家たちの文章も考慮に入れるべき。ホセ・マルティ、ルベン・ダリオ、ボルヘス、カルペンティエル、レサマ=リマ、オクタビオ・パスなどなど。
そもそも作家、批評家、理論家の仕事はラテンアメリカではあまり区別しないのが普通だ。(といっても、忘れてはならないが、作家の言う事を文字通りにはとるべきではない。)
・ラテンアメリカで書かれた文学理論書と、ラテンアメリカ文学理論書は区別するべきである。
上に挙げた先駆的作品は「一般的な generales」文学理論書である。
・ポルトゥオンドはRené Wellek & Austin Warrenの「文学理論」を参照しているのだが、この理論書では「国民文学」研究にとどまらず、「ヨーロッパ的伝統」から論じられるべきとしている。
しかしポルトゥオンドはここで、「ヨーロッパ的伝統」にのみ限定してはならず、「普遍的な universal」視点から研究するべきだとする。この点についてはWellekも同じような考えをしていたようで、Wellekも文学理論研究を、文学の原理や範疇、基準などを研究するものと定義している。
そしてもっとも重要なこととして、レタマールがいよいよ指摘するのは、「そもそも理論研究が普遍的有効性をもつためには、文学が「普遍的」でなければならない」ということである。文学作品が普遍的でないときに理論を創出したとしても、それは個々の文学作品を通じて理論的実体が抽出されるというよりは、文学に対する理論の押しつけであり、となれば、それは理論ではなく、規範であろう。
・レタマールはここでゲーテを引く前にこう問うている。
「さてでは、そのような[普遍的な文学理論を抽出できるような]普遍的な文学、世界文学というものが、機械的な付加物ではなく、体系的な現実として、すでに存在しているのだろうか? 」
(続く)
0 件のコメント:
コメントを投稿