映画『疎遠』の続き
この映画では、母の帰国から息子がボランティアに出発するまでの24時間を使って、革命のディスコースが提示される。
1959年以降の革命キューバのディスコースは「マルクス主義的近代」と呼ばれることがある。
この映画はそのなかでも、女性の役割について描いたものだとされる。
ブルジョア価値観を象徴するスサーナは母で、白人である。
革命価値観を象徴するアレイダは同士で、混血である。
母が連れて帰ってきた姪アナとレイナルドが二人だけで話す場面が長い。
再会場面では素っ気なかった二人だが、スサーナとアレイダがそれぞれ用事でいなくなると、アナとレイナルドが親密な関係にあることが示されて、どきりとさせられる。つまり、素っ気なかった再会は、実は見せかけ、あるいは照れ隠しだったのだ。
この長いシーンで、2人のキューバ人女性の作品が引用される。
ひとつはオマーラ・ポルトゥオンドの歌「20年 Veinte años」だ。
もうひとつは、ルールデス・カサルスの詩だ。
アナはレイナルドにとって幼なじみ。Intimacyそのものだ。
アナとレイナルドのあいだに、かつて恋愛関係があったこと、のみならず、母スサーナとの関係にも近親相姦があったかのような親密さが読み取れる。
最後、この2人と決別してレイナルドはボランティアへ出発する。 ブルジョア的価値観を背景にした親密さ、それはもう捨て去らなければならない。
しかし監督のヘスス・ディアスはこの映画のあと数年でキューバを去り、この映画をノベライズした『肌と仮面 La piel y la máscara』を出版する。同じようなストーリーながらも、キューバを出てから書いたこの小説はテイストが異なるのだ。ディアスの革命への考え方が変わったからだ。
この点についてはまたいつか。
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