2015年7月6日月曜日

キューバ映画(4)『ある程度までは Hasta cierto punto』[7月21日追記]


キューバ映画:『ある程度までは』(Hasta cierto punto)
監督: トマス・グティエレス・アレア
制作年:1983年

革命政権下における「マチスモ」について考察した映画。

映画内で、演劇とインタビュー映像がそれぞれ展開する入れ子構造になっている。

オスカルは劇作家で、監督のアルトゥーロの指示のもと、映画脚本を執筆しようとしている。撮ろうとしているのは「マチスモ」をテーマにした作品で、取材のためにハバナの港湾労働者にインタビューして、その模様を撮影する。この映像が映画内で流れる(入れ子構造①)。

オスカルもアルトゥーロも革命下では知識人階級に属し、比較的裕福な暮らしをしている(革命前はブルジョア階級)。それぞれ妻もいる。オスカルの妻はオスカル作の劇作品を演じる女優である。この劇作品も映画内で演じられる(入れ子構造②)
 
オスカルとアルトゥーロには先入観があった。それは、港湾労働者たちは「マチスモ」的価値観を持っているというものだ。革命が進み、マチスモは徐々になくなりつつあるが、労働者階級では、男が優位で、女を所有物として扱うという考えがしつこく残っているはずだと考えていた。

ところが取材で知り合った港湾労働者は想像とは違い、温度差はあるものの、男女平等を志向している。なかでも組合の会議で発言した女性にオスカルは目を奪われる。

サンティアゴ・デ・クーバ出身の彼女(リーナ)はシングルマザーで、女手ひとつで10歳の息子を育てていることがわかる。予想と違う展開にオスカルはアルトゥーロと揉める。

取材を続けるうち、オスカルはリーナに心を奪われる。リーナもオスカルに惹かれてゆく……

マチスモを乗り越え、革命理念を実現していたと思い込んでいたオスカルは、とっくにマチスモを乗り越えていたリーナとの恋愛を通じ、自分こそマチスモを体現していることに気づく。

 オープンエンドな結末である(先行研究でもそう解釈されている)。

リーナは前の恋人(子どもの父親)とひょんなことで再会し、関係を強要される。しかしリーナが男と会っているのをたまたま見てしまったオスカルは嫉妬に狂う。

その後、 飛行機に乗客が乗る場面が挿入され、リーナがサンティアゴへ帰ったようにも見える。しかし、オスカルの想像のようにも見える、はっきりとは確定できない場面である。

そしてオープンエンドであることを示すもう一つの理由。

劇中で演じられる劇は、フアン・カルロス・タビーオ(アレアの弟子)が制作した本物の演劇(La Permuta)である。この演劇もマチスモをテーマにしている。

(ちなみに劇中に流れるインタビュー映像も、本物の労働者へのインタビュー映像である。)

この演劇作品の最後は、主人公の女性が「台本」通りに演ずることを拒否して、台本を観客に向かって投げるところで終わる。つまり、あとは観客が決めなさいということだ。

この演劇の結末と重ねると、リーナとオスカルの結末は、映画を見た我々が決めなさいということだ。

映画の冒頭にはバスクの詩が引かれる。これは一つの結末を示している。


「Si yo quisiera, podría cortarle las alas y sería mía, pero no podría volar y lo que yo amo es el pájaro」

「できることなら、翼を切って自分のものにしてしまいたい、でも飛ぶことはできなくなるだろう。ぼくが愛していたのは鳥なのに。」

以下は余談。

映画のなかで、オスカルとリーナが高級ホテル「ハバナ・リブレ」で密会し、翌朝、オスカルがリーナをタクシーに乗せて自宅まで送る場面が出てくる。

このシーンを見たウェンディー・ゲーラはブログで、昔はこういうこともできたと言っている。つまりキューバ人が「ハバナ・リブレ」に泊まり、国内通貨でタクシーに乗ったりすることは、いまではありえないが、かつてはそうではなかったのだ、と。

[7月21日の追記:7月21日のエントリーを書くときに少し調べた結果、フアン・カルロス・タビーオの映画『交換します Se permuta』は、このエントリーの『ある程度までは』の劇中劇「La Permuta」が映画化されたのだということがわかった。制作年も同じ年(1983年)。ただ、両方ともが同じ内容のものだとは見ているときにはわからなかった。

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