2015年7月20日にキューバは米国と正式に国交回復。
1959年から62年までのキューバとアメリカの関係を簡易年表にしてみた。
こうしてみると、キューバと米国との関係がヘミングウェイの死と微妙にからんでいるように見える。
1959年
1月1日 バティスタ国外逃亡、革命成就。
1月8日 カストロ、ハバナ入城
4月15日 カストロ訪米
5月〜10月 ヘミングウェイ、スペインに滞在(11月初め、キューバへ)。
1960年
2月 ソ連ミコヤン、キューバ訪問。ヘミングウェイ邸も訪問
5月15日 ヘミングウェイ、カストロと会う
10月 ヘミングウェイ、アイダホ州へ帰国。その後、精神的不安定
11月 メイヨー・クリニックへ
1961年
1月3日 米国がキューバとの国交を断絶
1月下旬 ヘミングウェイ、メイヨー・クリニック退院
4月16日 カストロ、社会主義革命宣言
4月17日 CIA傭兵部隊がヒロン海岸侵攻(ピッグス湾事件)
4月下旬 ヘミングウェイ、再び入院。6月末退院
7月2日 ヘミングウェイ、自殺
1962年
10月22日 キューバ・ミサイル危機
2015年
7月20日 キューバと米国、国交回復
ちなみにヘミングウェイの誕生日は明日、(1899年)7月21日。
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[2016年6月10日の追記]
「Casa de las Américas」116号(1979年)に以下の論文が載っている。
Mary Cruz, Un cuento cubano y revolucionario de Ernest Hemingway: Veinte años antes y veinte años después, pp.126-133.
この論文は同じ著者による本から抜粋掲載されたものだが(本は未入手)、ヘミングウェイが書いた短篇がとりあげられている。その短篇は「Nobody ever dies(邦題:誰も死なない)」のこと。
邦訳は『ヘミングウェイ全集 第1巻』三笠書房に入っている。
この短篇はもともと「コスモポリタン」誌に1939年3月に発表されていたが、同誌は1959年、キューバ革命から数カ月後に同じものを再掲載した。
内容はスペイン内戦で怪我をした男がキューバへ戻り、そこで過ごしたつかの間の日々を描いたもの。この短篇には後のキューバ革命の萌芽が見られるというのが再掲載した「コスモポリタン」誌の見解。
ヘミングウェイとキューバの関係を考えるにあたって貴重なテキストになりそうだ。
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