2016年8月28日日曜日

キューバ文学(33)マヌエル・コフィーニョ

マヌエル・コフィーニョの本が届いた。革命キューバの社会主義リアリズム作家として一時代を築いた作家だ。1936年生まれで1987年没。

Cofiño, Manuel, Andando por ahí, por esas calles, Editorial Letras Cubanas, La Habana, 1982.




これは短篇集。彼を一躍有名にした短篇「変革の時(Tiempo de cambio)」 が入っている(この短篇を含む短篇集が1969年に国内の文学賞を受賞した)。革命前は売春婦だった女が、その後ある商店の店員になっているのを見た男の独白。
 
1971年、カサ・デ・ラス・アメリカス賞(小説部門)を受賞したのが以下の本。

Cofiño, Manuel, La última mujer y el próximo combate, Siglo XXI, México D.F., 1972.


 
未入手だが、Cuando la sangre se parece al fuego(1975)は革命前後のハバナのスラム街に住むアフロ系一家を中心に、アフロキューバの宗教文化(アバクア)を描写しているようだ。

2016年8月19日金曜日

キューバ映画(9)『最後の晩餐』(La última cena)

キューバ映画『最後の晩餐』(La última cena) は、1976年のトマス・グティエレス=アレア監督作品。

舞台は18世紀後半、キューバの砂糖黍農場(ingenio)で四旬節(灰の水曜日から聖週間)に起きた出来事。キリスト教の暦がこの映画では重要だ。
 
ヨーロッパ貴族で砂糖農場のオーナーである伯爵は農場を訪れ、奴隷たちの過酷な状況を見たのち、彼らを晩餐会に招くことにする。

奴隷頭のマヌエル(El mayoral)にさんざん痛めつけられている奴隷に同情を覚え、一種の贖いをしたくなったからだ。

実はその日伯爵が見たのは、犬に捕らえられた逃亡奴隷が手ひどい暴力を受けるところだった。残虐さを目の当たりにしたことが、伯爵をキリスト教精神の発揮に向かわせる。

キリスト教と奴隷制度はどのような関係にあるのか、というのがこの映画の主題。

晩餐に招かれたのは12名の奴隷。そのなかには、年老いて、いつになったら自由になれるのかを心待ちにしている奴隷もいる。

大きなテーブルに、ダヴィンチの絵をそのままコピーしたかのように、一同は腰掛ける。

伯爵は中央に座り、酒を飲み、酔いも回って上機嫌になり、いくつかのキリスト教的教訓話を聞かせる。また「最後の晩餐」よろしく、奴隷の足を洗い、口づけする。翌日の聖金曜日はキリスト教のしきたりに従って休んでよいとさえ請け合う。しまいに伯爵は酔いつぶれる。

奴隷はそんな伯爵の話に、ときに真剣に、ときに笑いながら耳を傾ける。わかったようなわからないような話だ。結局苦しむのが人間という風にも聞こえる。それでも食べ、飲み、踊り、歌い、これまでにない歓びを味わう。

翌日、奴隷たちは晩餐のときの約束にしたがって働かない。ところが話が違う。マヌエルは暴力を用いて強いてくるのだ。

耐えられない奴隷はついに反乱を起こす。一斉蜂起が始まる。

奴隷はマヌエルを捕らえて正義、つまり処刑を求めるが、それに先立って、前日に意気投合した伯爵の立ち会いがあるべきとの判断。結果、二人の使者(二人の奴隷)を伯爵邸に向かわせることにする。

自邸で目を覚ました伯爵は司祭の訪問を受ける。今日は休みですね、と確認を求められるが、伯爵は、それはマヌエルが決めることだと相手にしない。おや、昨日の伯爵の寛容はなんだったのか? と司祭は疑問に思う。

そうこうするうちに、伯爵は奴隷反乱の知らせを受け、農場へ向かうことにする。奴隷への同情は、なぜか薄れつつある。昨夜は酔いに任せて調子に乗っただけだったのか。

道中、伯爵一行は、伯爵邸に向かってきた二人の奴隷と対面する。奴隷の一人を殺し、農場へ行く。
 
伯爵が着いたころ、すでにマヌエルは処刑され、農場には火が放たれていたが、多勢に無勢、奴隷の反乱は鎮圧される。

教会には遺体が運び込まれ、司祭がミサを執り行おうとする。

伯爵は遺体のなかに、マヌエルや砂糖農場経営者の妻(蜂起に巻き込まれて死んだ)のみならず、死んだ奴隷も並べられるのを見て怒りに火がつく。

前の日に同じテーブルをともにしたのだったが、奴隷が「白人やムラート」と平等に扱われていることは、やはり伯爵にとっては受け入れ難いことだったのだ。

伯爵は、その場にいた老奴隷(前の日には冗談を言い合った仲)の殺害を命じる。さらに、晩餐に出席したすべての奴隷の殺害を命じ、一人を除いて処刑される。

こうして、博愛から残虐へと一気に態度を翻した伯爵は、死んだ奴隷頭マヌエルのために十字架を立てる。

そのころ、たった一人逃げおおせた逃亡奴隷は山をのぼっていた……

おおむね、以上のようなストーリーである。

クレジットを調べると、原作者としてマヌエル・モレノ・フラヒナルの名前があがっている。マイアミに没したキューバの歴史学者だ。彼の本は一冊邦訳がある。 

砂糖大国キューバの形成―製糖所の発達と社会・経済・文化』(本間宏之訳)、エルコ、1994年。

 ひょっとしてこの本に映画のタネがあるのだろうか?今度調べてみよう。

[この項、続く]

2016年8月18日木曜日

ラテンアメリカ文学・新刊リスト(1)

マリアナ・エンリケス
  Enriquez, Mariana, Las cosas que perdimos en el fuego, Anagrama, Barcelona, 2016. 英訳版も出ているラテンアメリカ犯罪短篇集に入っていた短篇「El chico sucio」が巻頭。アルゼンチンのノワール系若手女性作家。教室ではちょっと読めない。

マルティン・カパロス
 Caparrós, Martín, El Hambre, Anagrama, Barcelona, 2016.
 飢餓、大量消費をテーマにした随想+ルポルタージュ。全694ページ。
 取材場所はインド、バングラデシュ、アメリカ合衆国、アルゼンチン、南スーダン、マダガスカル。
 アルゼンチンのパートでは、カルトネロ(段ボール回収業者)の話になる。動詞cartonearはアルゼンチン用語。このパートだけでも素晴らしい。大絶賛されている本。
 この本は2016年、Colección Compactos(ペーパーバック)に入った。

カルロス・フォンセカ
 Fonseca, Carlos, Coronel Lágrimas, Anagrama, Barcelona, 2015.
  著者はコスタリカ出身でプエルト・リコで育つ。プリンストン大学でリカルド・ピグリアに教わった。

アルバロ・エンリゲ
 Enrigue, Álvaro, Muerte súbita, Anagrama, Barcelona, 2013.
 メキシコの作家。この本で2013年にエラルデ小説賞。

レイラ・ゲレイロ
 Guerreiro, Leila, Una historia sencilla, Anagrama, Barcelona, 2013.
   アルゼンチンのフォルクローレ「マランボ」(タップダンスに似ている)の取材で出会った踊り手をめぐるクロニカ。さらっと読みたい。

2016年8月17日水曜日

スペイン語圏LGBT文学(2)

スペイン語圏のレズビアン文学短篇集。

Donde no puedas amar, no te demores, Editorial Eagles, Madrid, 2016.

書き手の名前をリストアップしておく。合計12名。アルファベット順に並んでいた。スペイン、プエルト・リコ、アルゼンチン。

Yolanda Arroyo
Marñia Ángeles Cabré
María Castrejón
Isabel Franc
Josa Fructuoso
Clara Asunción García
Emma Mars
Mila Martínez
Thais Morales
María Pía Poveda
Carme Pollina Tarrés
Paloma Ruiz Román
Violeta Voltereta(イラスト)

この本を出している出版社Eaglesの住所を見たら、マドリードとバルセロナの住所が出ている。バルセロナはセルバンテス通り、マドリードはオルタレサ通りの番地だった。

ここはそれぞれ、LGBTブックストアの住所でもある。どちらも行ったことがあって、とてもいい。

バルセロナはLibrería Cómplice
マドリードはLibrerñia Berkana

それから以前にも紹介したような気がするが、LGBT文学に強い出版社Dos Bigotesからは以下のものが3刷りになっていた。

Schimel, Lawrence, Una barba para dos y otros 99 microrrelatos eróticos, Editorial Dos Bigotes, 2016.

著者はニューヨーク生まれのアメリカ人。1971年生まれ。1999年からマドリードに住んでスペイン語で書いている。英語からスペイン語へ移動した人は珍しいのでは?

2016年8月16日火曜日

キューバ映画(8)『イタカ島への帰還』(Retour à Ithaque/Regreso a Ítaca)

キューバを舞台にした映画『イタカ島への帰還』(2014年、フランス・ベルギー)。

監督はフランス人のローラン・カンテ(『パリ20区、僕たちのクラス』)。彼は『セブン・デイズ・イン・ハバナ』(2012年)ですでにキューバを撮っている。

『セブン・デイズ…』は7人の監督が撮った7篇の短篇映画から成る。とはいえ、一応ストーリーにつながりはある。

『イタカ島への帰還』の脚本は、その『セブン・デイズ…』の7本のうち3本の脚本を書いたキューバ作家のレオナルド・パドゥーラ。

舞台はセントロ・ハバナのマンションの屋上。50代とおぼしきキューバ人5名が夕暮れ時に集まる。

16年振りに作家のアマデオが帰国したのが理由だ。

アマデオがなぜスペインへ去り、16年戻ってこなかったのか、友人たち4名は誰も知らない。その謎が映画の最後に明かされる。

5名は空白の16年を埋めようと夜通し語り合う。

画家のラファは才能はあるが、体制と折り合わず、一時は酒浸りになる。いまは観光客向けに価値のない絵を描いて売って生計を立てている。

眼科医のタニアはマイアミに亡命した息子たちからの送金で暮らしている。果たして息子たちの亡命を許したことは正解だったのか葛藤するうち、サンテリーアを信仰するようになる。

エディは「会社」を切り盛りして羽振りがいい。上等の上着を着て、サングラスはレイバン、この日のためにウィスキーを調達することができる。しかし会社は当局に目を付けられ、明日には逮捕されるかもしれない。

同窓会の場所を提供しているアルドはアンゴラ内戦に従軍した過去がある。しかし帰還しても生活は一向によくならず、現在は廃品を利用して電池を製造するしがない「技師」。妻は出て行き、一人息子は常に亡命を口にする。彼が母と住んでいるセントロ・ハバナはハバナのなかではスラム街然としたダウンタウン。それでも彼は未来を信じている。

アマデオは16年前までキューバでひとまず名は知られている作家だった。しかしスペインに渡ってからは書けなくなり、デパートの守衛などをして生計を立てていた。

この中年男女の5名が、革命を信じて夢のあった青春を振り返り、苦しみばかりの現在を語り、笑い、涙を流し、喧嘩をする。

オルタナティブ・メディアでの評価はあまり芳しくないようだ。たとえばこれこれも手厳しい。後者で指摘されているが、この映画はペドロ・フアン・グティエレスの舞台(セントロ・ハバナ)に、パドゥーラの登場人物(嘆きが特徴)を載せた体裁の、やや御都合主義的な映画ではある。

この映画の下敷きになったのはパドゥーラの小説のエピソードだが、そのことはここでは措く。

パドゥーラは『セブン・デイズ・イン・ハバナ』に参加するローレン・カンテのために、このエピソードに基づいた脚本を書いた。しかし15分の短篇では収まらず、結局カンテは『セブン・デイズ…』では別の短篇を撮った。そしてパドゥーラが新たに脚本を書き直して完成されたのがこの映画『イタカ島への帰還』である。

パドゥーラによる映画のノベライズ版、カンテ監督の手記、撮影されなかった短篇映画の『イタカ島への帰還』の脚本などをまとめた本が以下のもの。

Padura, Leonardo y Laurent Cantet, Regreso a Ítaca, Tusquets Editores, Barcelona, 2016.


2016年8月15日月曜日

キューバ文学(32)バルセロナ

ヘスス・ディアスがマドリードに立ち上げた出版社はEditorial Colibrí。残念ながら閉じてしまったことはすでに書いた。

しかしバルセロナのEditorial Casiopeaはまだ健在だ。この出版社の「セイバ・コレクション」は亡命キューバ作家を扱うシリーズだ。

出典は忘れてしまったが、ヘスス・ディアスもこの出版社に協力していたらしい。有名なカリブ論『反復する島』(アントニオ・ベニテス・ロホ)の決定版もここから出ている。

この出版社から出たものとして、

Nuez, Iván de la, La balsa perpetua : Soledad y conexiones de la cultura cubana, Editorial Casiopea, Barcelona, 1998.
 
イバン・デ・ラ・ヌエスは1964年にハバナに生まれた批評家。El Paísなどにも寄稿している。彼のブログはこちら

最新のエントリーでは島在住のアーティスト、ラサロ・サアベドラ(Lázaro Saavedra、1964年生まれ)のことを紹介している。

この人のビデオ・アート作品(Reencarnación)は、61年に検閲されたフィルム「P.M」を使い、音楽はキューバのレゲトン歌手エルビス・マヌエルの歌に取り替えている。この歌手は2008年にマイアミに向けて亡命しようと船に乗ったが、そのまま行方不明になった。

Abreu, Juan, A la sombra del mar: Jornadas cubanas con Reinaldo Arenas, Editorial Casiopea, Barcelona, 1998.

フアン・アブレウはレイナルド・アレナスと付き合いがあった。この本はアブレウの1974年から75年の日記をベースにしている。アレナスが逮捕され、収監されていたころのことだ。アブレウ版『夜になるまえに』である。

アブレウは現在バルセロナ在住とのこと。

2016年8月14日日曜日

キューバ文学(31)「Pensamiento crítico」誌(1967-1971)

今回マドリードに行ったもう一つの理由は、キューバの言論誌の古本を安く手に入れるため。

何度かここで書いているヘスス・ディアスがかかわっていた「Pensamiento crítico」(批判的思考)誌のバックナンバー。

このサイトで、一部を読むことができる。1967年から71年まで、合計53号(合併号があるので49冊)が出ている。

結局、以下の号を持ち帰った。

16号(1968年5月)142頁
32号(1969年9月)240頁
39号(1970年4月)372頁
53号(1971年6月)169頁

このなかで、32号(1969年9月)は南アフリカ特集。執筆者とタイトルは以下のとおり。
Duma Nokwe, La lucha por la liberación nacional en Sudáfrica
Claude Glayman, Aproximación económica al apartheid
Andrew Asheron, Racismo y política en Suráfrica
El bantustan(New Left Review, 1969年2月号より)
Giovannni Arrighi y J.S.Saul, Nacionalismo y revolución en el áfrica subsahariana
Jean Paul Sartre, Testimonios: África del Sur: Centro del Fascismo
Spartacus Monimambu, Nuestra lucha no es contra el hombre blanco, sino contra el colonialismo

表紙と裏表紙はこんな感じ。


2016年8月13日土曜日

セルバンテス

2015年は『ドン・キホーテ』続編出版から400年、そして2016年はセルバンテス没後400年で、スペイン王立アカデミーから『ドン・キホーテ』の記念版が出ている。

日本でもセルバンテス全集の企画があると聞いた。

王立アカデミーは2004年からすでにこの手の記念版を出しはじめ、最初が『ドン・キホーテ』だった。

記念版はすでに7冊あって、『ドン・キホーテ』が2種(2004年と2015年)のほか、『百年の孤独』(ガルシア=マルケス)、『都会と犬ども』(バルガス=リョサ)、『澄みわたる大地』(カルロス・フェンテス)、そしてネルーダとミストラル。

『ドン・キホーテ』現代語訳というのもある。

有名なのはスペインのベストセラー作家アルトゥーロ・ペレス=レベルテの学生向けの翻案である。こちら

そのほかにも何かないかと思っていたら、こういうのがあった。

Miguel de Cervantes, Don Quijote de la Mancha : Puesto en castellano actual íntegra y fielmente por Andrés Trapiello, Ediciones Destino, Barcelona, 2015.

いわゆる現代語訳版である。アンドレス・トラピエジョ氏はセルバンテスがらみの本(小説も)を何冊も出している方だ。

原文とどれくらい違うのか?以下は現代語訳。

En un lugar de la Mancha, de cuyo nombre no quiero acordarme, vivía no hace mucho un hidalgo de los de langa ya olvidada, escudo antiguo, rocín flaco y galgo corredor. Consumían tres partes de su hacienda una olla con algo más de vaca que carnero, ropa vieja casi todas las noches, huevos con torreznos los sábados, lentejas los viernes y algún palomino de añadidura los domingos. El resto de ella lo concluían un sayo de velarte negro y, para las fiestas, calzas de terciopelo con sus pantuflos a juego, honándose entre semana con un traje pardo de lo más fino.

そして以下が原文。

En un lugar de la Mancha, de cuyo nombre no quiero acordarme, no ha mucho tiempo que vivía un hidalgo de los de lanza en astillero, adarga antigua, rocín flaco y galgo corredor. Una olla de algo más vaca que carnero, salpicón las más noches, duelos y quebrantos los sábados, lantejas los viernes, algún palomino de añadidura los domingos, consumían las tres partes de su hacienda. El resto de ella concluían sayo de velarte, calzas de velludo para las fiestas, con sus panfuflos de lo mismo, y los días de entresemana se honraba con su vellorí de lo más fino.

メキシコのイラン・スタバンスがスパングリッシュで『ドン・キホーテ』第1章を訳している。以下はその冒頭。

In un placete de la Mancha of which nombre no quiero remembrearme, vivía, not so long ago, uno de esos gentlemen who always tienen una lanza in the rack, una buckler antigua, a skinny caballo y un grayhound para el chase. A cazuela with más beef than mutón, carne choppeada para la dinner, un omelet pa’ los sábados, lentil pa’ los viernes, y algún pigeon como delicacy especial pa’ los domingos, consumían tres cuarers de su income.

3つ並べてみると、スパングリッシュ→現代スペイン語→古典スペイン語の順番で読んでいくと面白い。この順序でスペイン語を勉強したらいいのではないか。

スタバンスはスパングリッシュをジャズのようなものだと言っている。音楽をジャズからはじめてクラシックに至る方法があるように、スペイン語もスパングリッシュからはじめて古典に至ればいい。

スペイン古典の現代語訳といえば、改宗ユダヤ人(マラーノ)によって書かれた『セレスティーナ』にも何種もの現代語版がある。

この本は相当にぶっとんでいて大好きなのだが、現代語訳のみならず、中高生向けと思われる簡略版もあった。そもそも『セレスティーナ』を少年少女向けに改編してもあまり意味がないのではないかと思ったが、スペインの大人が原文のどこが不適当だと考えているのかを知るうえでは興味深い。

2016年8月10日水曜日

キューバ文学(30)マドリード篇

マドリードで入手した本。キューバ文学篇

Enrique Lage, Jorge, La autopista: the movie, Esto no es Berlín eidiciones, 2015.

ホルヘ・エンリケ・ラへは最近ではラテンアメリカ短篇集の常連作家。1979年生まれ。その彼の最新作と思われる。

フロリダとキューバを結ぶ高速道路を建設したとしたらどうなる?という仮想未来小説。

続いて、亡命キューバ人が創設して、残念ながら閉じてしまった出版社Colibríから出たものから何冊か。

Jiménez Leal, Orlando y Manuel Zayas, El caso PM: Cine, poder y censura, Editorial Colibrí, 2012, Madrid.

1961年、わずか14分のドキュメンタリー映画「P.M.」の上映が禁止され、これをもってキューバ革命と文化人との闘いがはじまった。

この本は、そのときの関係者の資料などをもとに作られている。ネットでは読んだことがあったが、この映画をめぐって開かれたカストロと文化人たちの会議の議事録が収められている(1961年6月16日と23日分)。

その他、以下の2冊も入手。

Hernández Busto, Ernesto, Inventario de saldos: Apuntes sobre literatura cubana, Editorial Colibrí, 2005, Madrid.

1968年生まれの著者はソ連留学経験がある。92年にキューバを離れたあとメキシコに10年ほど住んで、そのあいだオクタビオ・パスの雑誌「Vuelta」にかかわる。その後バルセロナへ。いまは「El País」や「Letras Libres」などに寄稿している。翻訳もやっていて、パステルナークの翻訳書がある。

この人には Diario de Kioto(京都日記)という本がある。メキシコ出身で日本在住のアウレリオ・アシアインさんが紹介文を書いている。2015年の出版。ひょっとして電子ブックかもしれない。

続いて

Del Risco, Enrique, Elogio de la levedad : Mitos nacionales cubanos y sus reescrituras literarias en el siglo XX, Editorial Colibrí, 2008, Madrid.

タイトルは『軽さの礼賛:キューバ国民神話と20世紀におけるその文学的書き換え』

ホセ・マルティ=キューバの父という物語は、革命後に「創造された神話」だと批判するのがラファエル・ロハスで、この著書のエンリケ・デル・リスコさん(1968年生まれ)もそれに依拠しながら論を進めている。

[この項、続く]

2016年8月9日火曜日

ウィフレド・ラム展(ソフィア王妃芸術センター)

今回のマドリード訪問の唯一の目的はウィフレド・ラム展をソフィア王妃芸術センターで見ることだった。




この展覧会はポンピドゥー、テート・モダン、ソフィア王妃芸術センター3館の共同企画。


ポンピドゥーでは2015年9月から2016年の2月15日まで、マドリードが4月6日から8月15日まで、そしてこのあとテート・モダンで9月14日から来年1月8日まで。

マドリードの開催はあと10日で終わるので駆け込み鑑賞だが、それほどの人ごみではなく、ゆっくり見ることができた。

ラムはニコラス・ギジェンと同じ1902年に生まれている。亡くなったのはギジェンより7年早い1982年。

展覧会は初期のキューバ時代に始まり、ピカソなどと交流したヨーロッパ時代、そして晩年まで余すことなく見せてくれる。彼が制作したテラコッタも。

家族が提供したフィルムによってプライベートなラムの姿、また、エメ・セゼールやブルトン、レリスなどとの写真も。

カタログはこれ

Youtubeで今回の展覧会を実現したCatherine Davidがポンピドゥーでインタビューに答えている映像があったので見た。こちら

映像を見るとわかるように、パリでは『ジャングル』が展示されている。巡回展でも内容が違うらしく、マドリードでのみ展示されている絵もある。

ソフィアには『ジャングル』は来ていない。上に載せた写真にある緑の絵が『ジャングル』と同時期に描かれたもので、たぶん今回ソフィアにある展示のなかではいちばん華がある。

カタログには、どの絵がマドリードで展示されたのか、あるいはされていないのか、印がついている。

キューバ出身で亡命してパリ住まいの作家ソエ・バルデスのブログにはポンピドゥーで『ジャングル』を見たというエントリーがあって、91年と2015年に絵の前で撮った写真がある。

ソエによれば、MOMAに行っても『ジャングル』が展示されていなかったことがあるそうだ。となれば、2012年2月にMOMAで見られたというのは幸運なのかもしれない。


カタログとは別に、キューバのアヴァンギャルド芸術画集があった。イタリアの展覧会のカタログ。

Cuba: Vanguardias 1920-1940, Generalitat Valenciana, 2006.

2016年8月7日日曜日

キューバ文学(29)ガルシア・ロルカ 2

マドリードに来て気づいたのは、今年はセルバンテス没後400年のみならず、ロルカが銃殺されてから80年になること。ちなみにカミロ・ホセ・セラは生誕100年。

この前ロルカのNYとハバナ滞在について振り返る機会があったので、ロルカ関係の本を探したら、以下のものを見つけた。

Mauer, Christopher, and Andrew A. Anderson, Federico García Lorca en Nueva York y La Habana: Cartas y recuerdos, Galaxia Gutenberg, 2013, 382pp.




タイトルにあるとおり、書簡や当事者の手記などの資料集だが、ちょうど考えていたこととぴったりはまる。

写真や書簡、イラストなども入っていてとても素敵な本。

そしてもう一冊、ロルカが1933年に行なった6か月のブエノスアイレス訪問についての本も出ていた。

Roffé Reina, Lorca en Buenos Aires, Fórcola Ediciones, 2016,




事実と虚構とで織りなされる伝記小説。作者はアルゼンチン人。

2016年8月3日水曜日

キューバ文学(28)ガルシア・ロルカとキューバ[2017.6.27追記]


ロルカのキューバ訪問は1930年3月から6月。NYに9か月滞在したあとのことだった。

しかもニコラス・ギジェンの『ソンのモチーフ』がハバナの新聞に載ったのと同時期。

振り返っておこう。
 
1928年 ロルカ『ジプシー歌集』出版。版元は「レビスタ・デ・オクシデンテ」社。「レビスタ・デ・オクシデンテ」はオルテガが創刊(1923〜)。

この詩集にはリディア・カブレラに捧げた「不貞の人妻」が入っている。

1928年10月15日、キューバのアヴァンギャルド雑誌「レビスタ・デ・アバンセ」に『ジプシー歌集』の書評が掲載されている。執筆者はキューバ詩人のエウヘニオ・フロリー。


1929年6月初め ロルカ、NYへ(初めての国外)。
NYで書いたものとして、たとえば 「黒人たち」、「ハーレムの王へのオード(頌歌)」など。


1929年10月大恐慌


1930年3月7日、ロルカ、NYからハバナへ。
 ←1927年創設のイスパノーキューバ協会の招きで(当時フェルナンド・オルティス会長)。ロルカ滞在は6月12日までの3か月。


フロリダまで鉄道、そしてフェリーでハバナに到着。
1930年前後のキューバ:
キー・ウェストとハバナ間の旅客機就航が1929年
ホセ・マルティ国際空港は1930年2月開港
ホテル・ナシオナルは1930年12月開館
 
そして、1930年4月20日(ロルカ到着からほぼ一か月後)、ニコラス・ギジェン『ソンのモチーフ』(シリーズ詩)が『マリーナ新聞』に掲載。

ロルカはそれを直接読んだはずだ。

ロルカがキューバで書いた詩は「キューバの黒人たちのソン」。

[2017年6月27日追記]
キューバのホテル・ナシオナルについて:
アメリカの建築事務所マッキム・ミード・アンド・ホワイト社の設計(ラテンアメリカでは唯一の建築と見られる)。この事務所はマンハッタン市庁舎の設計などをしている。両者を比べて見ると、大きさはNYの方が圧倒的だが、新古典主義様式である点では共通。
フランク・ロイド・ライトが設計した日本の帝国ホテルは1923年竣工。ライトはモダニズム。